1.献血はなぜ無償?

 病気やけがの治療の際に、輸血がおこなわれることがあります。そのための血液は、もとは「献血」によってみなさんが提供した血液です。阪南大学にもときどき献血バスが来ていますし、街中には献血ルームもありますので、献血をしたことがある人も少なくないのではないでしょうか。

 さて、献血というと、日本では「無償」でおこなわれています。つまり、私たちは献血をしてもお金をもらうことはできません。これを知らない人はほとんどいないと思います。では、なぜ献血は無償なのでしょうか。(献血をすると飲み物がもらえたり、回数によって記念品がもらえる場合もありますが、現金がもらえるわけではありません。)
 献血バスの近くで「〇〇型の血液が不足しています」という看板が掲げられていることや、ニュースで「献血者の減少」「血液の不足」が話題になっていることを目にしたことがある人もいるでしょう。そうであるならば、献血者に対してある程度の対価(現金)を支払えば、献血をする人がもっと増え、血液が不足することもなくなるのではないでしょうか?

2.かつては「売血」がおこなわれていた

 実は、日本では1960年代までは、「売血」と言って、献血をした人に対してお金を支払うということがありました。民間企業が「血液銀行」を運営し、そこで一般の人々にお金を払い、輸血用などの血液を集めていました。いくらぐらいもらえていたかと言うと、1964年12月の新聞記事によると、400ccで1200円ぐらいだそうです。当時の高校卒業程度の国家公務員(一般職)の初任給が約14000円(現在の初任給15万円程度)でしたから、1回の献血で1200円というのはけっこうな金額です。今でも、もし献血をしてお金がもらえるのであれば、みんなもっともっと献血に積極的であったかもしれません。しかし、なぜ民間の血液銀行がなくなり、献血は無償になってしまったのでしょうか。

 どのようなことが問題になっていたのか、当時の新聞記事を見出しとともに引用しておきましょう。

「暴力少年六人を逮捕 血液銀行の常連 「命」のいれずみ
 ……傷害、暴行を働いていた少年六人を捕えた。同署で調べたら十五歳から十七歳までの少年で、大半が血液銀行の常連。……みんな職を持たず……金がなくなると二、三人ずつ連れだって渋谷などの血液銀行に通っていた。採、供血あっせん業取締法の規定によると、同一人から一月以内に二度は採決できず、また十六歳未満は資格がないのに、この連中は偽名や変装して同輸血研究所の目をかすめていた。」(朝日新聞1959年9月10日東京夕刊)

「売血いまも 不況にあえぐ労働者 職あぶれ、安値で 製薬用に
 『黄色い血』。輸血用の保存血をほとんど売血でまかなっていた一昔前の不良血液のことだ。いま、保存血はすべて献血でまかなわれるようになった。が、売血はいぜんとして生きており、医薬品の原料として、製薬会社が買い上げている。売り手は、以前と同じ東京・山谷や横浜・寿町、大阪・あいりん地区の日雇い労働者たちだ。買い値は、長年据え置かれ、涙金にも等しい。しかし、そのわずかな金を、自分の血を売ってでも手に入れなければならないほど、慢性的不況の中で、売り手の労働者たちはあえいでいる。」(朝日新聞1977年2月12日東京夕刊)

 これらの記事では、遊興費や生活費をかせぐための売血がおこなわれ、規定の回数を超えたり、年齢を偽っている場合があることがわかります。後の方の記事では、職のない日雇い労働者たちが健康を害するほど売血をしていることも書かれています。

3.「血液を売りに出す」ことの問題

 日本では、1960年代に輸血用血液の献血が無償になり、その後、医薬品の原料となる血液の献血も無償になりました。この背景には、上の記事に書かれていることの他に、売血によって提供された血液を輸血された患者が、感染症にかかってしまうという問題もありました。しかし、必ずしもすべての国が売血を禁じているわけではありません。
 献血にそれなりの報酬を出すことの問題について、貧しい人がお金ほしさに売血をして、健康を害することや、感染症の危険などの他にも、道徳的問題を指摘する人もいます。このことについて、マイケル・サンデルという倫理学者が『それをお金で買いますか—市場主義の限界』(早川書房、2012年)という本の中で、ある社会学者の研究を紹介しています。
 売血を容認することによって、社会の中にある献血をすることへの義務感が失われてしまいます。つまり、人々から血液を買い取る商業的な血液バンクがあれば、人々は血液を売り買いできる商品と考え、献血をしようという道徳的な責任を感じにくくなるというのです。確かに、無償であれば、人々はボランティア精神で「献血をしよう」という気になりますが、お金が介在するとボランティア精神が発現せず、「お金が必要な人がやればいい」とか「仕事なんだったらやらない」「私の仕事ではない」というような意識になってしまうこともあるかもしれません。こうして、お金で取り引きされることで、人々の道徳意識や責任感が締め出されてしまうのです。

 最近では「やりがい」や「達成感」などをアピールして人々を不当に安い賃金で働かせる「やりがい搾取」という言葉もあって、労働に対する適正な対価を支払うことが求められています。献血にしても、無償であるから血液の不足が解消されないということもあるでしょう。何に対してどれだけお金が支払われ、何に対してはお金で売り買いしてはいけないかは、——特に人間の身体に関することでは——とても難しい問題です。

身近な経営情報あらかると

 本連載では、われわれ阪南大学経営情報学部の教員が日頃の研究成果をもとに、みなさんの暮らしに役立つちょっとした知識を提供していきたいと考えています。研究分野はさまざまですが、いずれの場合も社会に役立つことを最終目標としています。難しい理論はとりあえず脇に置いて、身近な視点から経営情報学部に興味を持ってもらえれば幸いです。

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