ゼミ3年生が岸辺をまち歩き

 2018年4月28日(土)に、ゼミ3年生5人が吹田市岸辺において1回目のまち歩きを実施しました。1回目のまち歩きでは、吹田歴史文化まちづくり協会の吹田まち案内人の方(吹田市民でもある)にガイドとして学生たちと一緒に歩いていただきました。今回は、岸辺を歩いた学生たちからの報告です。

岸部地域の歴史を辿ったまち歩き
3年生 三枝 寛和

 私たちは、4月28日(土)に吹田市の岸部地域でまち歩きを行いました。今回のまち歩きは、吹田まち歩き案内人をされている安本修さんにガイドしていただきました。
 まず出発前に、安本さんより岸部地域の歴史について説明していただきました。古来この地域は、新羅からの渡来人である吉師(きし)一族が治めており、そこから「吉師部(きしべ)の里」と呼ばれていたそうです。のちに「吉志部(きしべ)」と表記が改められます。現在の「岸部」に変わるのは、吉志部村とその周辺の南村、東村、七尾村、小路村が合併し「岸部村」と称したときです。また、JRの駅名は「岸辺」となっていますが、これは「岸部」を「キシブ」と誤読しないためだという説があるそうです。このようなお話を伺ったことが、「岸部」という世界に入り込む入り口になったように思います。出発前からとても楽しみになりました。
 まち歩きはJR岸辺駅をスタートし、最初は天津神社周辺へ向かいました。その道中には大阪学院大学が見えたり、オッペン化粧品株式会社の本社があったりと、特にJR岸辺駅周辺は開発が進んでいるように感じました。オッペン化粧品の本社敷地内はバラ園になっており、毎年5月にはRose Weekと称した一般開放期間が設けられているそうです。私も今年は綺麗なバラを鑑賞しに行きたいと思いました。
 次にトンネルアートを楽しめる地下道を通って岸部第一小学校や願成寺へ行きました。岸部第一小学校内にある風災記念塔は、昭和初期に近畿地方を襲った室戸台風により亡くなった当時の児童の慰霊のため、その災害を風化させないために建てられたものだそうです。悲しい歴史があったことも学びました。また、小学校近くにあった掲示板に「小路」という表記が残っていました。これはこの界隈が、出発前に教えていただいた五ヶ村のうちの1つ「小路村」だったために、自治会にその名を残しているのでしょう。これは他の自治会にもみられるもので、岸部地域全体で、歴史を大切にしていることが伝わってくるようでした。
 そして、吉志部神社や吹田市立博物館のある紫金山公園まで歩きました。この周辺は緑が綺麗で涼しく、暑い日にも歩きやすいと感じました。吉志部神社は2011年に再建された新しい建物ですが、創建からはとても長い歴史を持つそうです。本殿が覆屋に覆われた作りも特徴的で、他の地域との差別化を図れる魅力的な神社だと思いました。秋には「どんじ祭」というお祭りが行われるようです。これもこの地域に伝わる大蛇伝説に則ったもので、ぜひ参加してみたいと思いましたが、祭りで重要な役目を担う子どもが岸部では減ってきているようで、少子化の影響を直に感じました。
 さらに歩いて、瓦工房跡や瓦窯跡、旧中西家住宅周辺を経由してJR岸辺駅に帰ってきました。昔の里や村だった頃の岸部地域から現在岸部地域まで、歴史を堪能することのできたまち歩きだったように思います。岸辺駅近くでは、吹田市民病院などが建設中です。これからもどんどんと新しい歴史が作られていくことでしょう。しかし、今回教えていただいた昔の歴史を後世に伝えていくことも大切です。その役目を担っているまち歩き案内人は素晴らしい制度のように思います。今後私たちがフットパスのコースを考える際にも、そのような歴史を伝えられるコースを考えていきたいです。また、今回はツツジの花が綺麗に咲いた時期でしたが、四季折々の街風景を楽しめるのもまち歩き、及びフットパスの魅力だと思いました。

吹田まち歩き ~岸部界隈を実際に歩いてみて~
 3年生 田村 晃大

 2018年4月28日私たちは大阪府吹田市の岸部界隈をまち歩きしました。この地域を歩くのは初めてだったので、ガイドとして吹田市民の安本さんに同行していただきました。私たちが訪れた「きしべ」という地域には様々な漢字が存在します。岸部や岸辺、岸志部があります。当日歩いた岸部コースは全長5㎞で、所要時間は約2時間30分です。ガイドの安本さんはコースを一緒に回るお客さんの年齢や歩く速さに応じて紹介するポイントを変更し時間をマネジメントしているとおっしゃっていました。
 ここからはコースのポイントについての説明です。今回のスタート地点はJR岸辺駅です。最初のポイントは天津神社です。天津神社は1300年前の古事記に載っていたことで知られています。ここはもともと首塚があったといわれています。次のポイントは六地蔵で、ここには六観音・六地蔵があります。6種の観音菩薩像と地蔵菩薩像をそれぞれ一体ずつ一対にして半肉彫りし六基建てられています。次のポイントは岸部第一小学校の中にある風災記念塔です。1934年に発生した室戸台風で岸部第一小学校の木製の校舎が倒壊し、28人の児童が犠牲になりました。風災記念塔はその児童たちのために建てられました。その次は願成寺、常光寺と続き、現れたのは小路道標です。これは亀岡街道から佐井寺観音参詣道が分岐するところに建てられています。それから少し歩くと、吉志部神社が見えてきます。この吉志部神社は2008年に本殿が不審火で全焼し、2011年に復元されました。この吉志部神社がまち歩きの折り返し地点で、ここで一旦トイレ休憩をとりました。
 ここからは帰りのルートになり、最初のポイントは瓦工房跡でした。そしてすぐに七尾瓦窯跡が見えてきます。ここには実際に7つ連続して並べられていた窯の跡がありました。そのまま古い町並みを進んでいくと見えてくるのが大光寺太子館です。聖徳太子を祀る木造2階建ての仏堂です。そしてコース最後のポイントが旧中西家住宅です。旧中西家住宅は国の登録有形文化財であり、吹田市指定有形文化財です。2007年に中西家により家具や調度品とともに吹田市に寄贈されたものです。その後、JR岸辺駅に戻ってきてゴールとなりました。
 今回実際にまち歩きを行って、岸部コース全体はフットパスのコースとして適していると感じました。理由は以下の3点です。
 1.スタート地点のJR岸辺駅がアクセスが良く、公共交通機関を利用して参加者が徒歩で来やすいこと。
 2.トイレと休憩ポイントがスタート地点、中間地点、ゴール地点にあること。
 3.現在の町並みと雰囲気のあるスポットとのギャップがある事で興味がわくこと。
これらの理由により適していると考えました。次回のまち歩きでは、今回わからなかった岸部界隈の新たな魅力を発見したいと考えています。

岸辺の新しい発見
3年生 遠藤 菜緒

 2018年4月28日、私たちは大阪府の岸辺でフィールドワークを行いました。私は岸辺に住んでいる友達が居るので何度かこの地に訪れており、馴染みのある場所でした。その際に感じたこととしては、普通の駅、特に何があるといった印象はなく、駅自体はとても綺麗で、駅周辺にも飲食店やスーパーコンビニエンスストア、温泉、カラオケがあり、充実しているという点です。また、工場のような建物が多くあり、住宅が駅の近くにあるといった様子は感じていませんでした。
 今回改めてフィールドワークとして岸辺を訪れたことで、新たな発見が多くありました。まず、私は岸辺の漢字表記に不思議を感じていましたが、吉志武、岸部、岸辺と三つも表し方があり、それぞれの地区によってわかれていたこと、岸辺が表現の仕方としては最も新しいことを知りました。時代の流れによって地区名の表記も変わっていくことが、おもしろい部分でもあり、住んでいる人々にとっては寂しい部分でもあると感じました。

 岸辺には様々な歴史ある建物や神社がありました。天津神社や願成寺、常光寺、吉志部神社、大光寺、旧中西家住宅です。特に印象に残ったのは、天津神社と吉志部神社です。天津神社の印象に残った点としては、ガイドの方が小さい頃は、そこが公園的な存在であったということです。この神社はとても小さな公園程度の大きさで鉄の棒と石で周りを囲んであります。元々は首塚でしたが、人々の生活の中で子ども達の憩いの場となっていきました。ガイドの方のお話から時代の流れでこの天津神社の周りの生活が変化している様子を感じることが出来ました。
 吉志部神社は、大きな神社で名前の通り岸辺を代表するするような神社であると感じました。大きな木が沢山植えられていて、暑い中でのフィールドワークもそこにいると涼しく感じられました。この神社は一度2002年に焼失しましたが、2011年に再建されました。再建の際に発掘すると、水神様を祭っていた証拠が発見されました。この神社は昔大蛇が住んでいたといわれ、そこから祭りが行われているそうです。こういった祭りという特別なイベントを楽しみに訪れるのもよいと思いました。
 今回、岸辺をいろいろと周り、今まで知らなかった歴史ある岸辺を感じることができました。また、今回は内部に入れなかったオッペン化粧品のバラ園や旧中西家住宅の見学など次のフィールドワークに繋げられるようなものもありました。

岸辺から学ぶ現代と過去の共存
 3年生 永野 実優

 今回、私たちの班は4月28日に大阪府吹田市岸辺でフィールドワークを行いました。 今回のフィールドワークを通して、行う前と後では岸辺の印象が変わりました。事前に見たパンフレットには、歴史的な建造物がいくつかあるということや岸辺の自然についての情報が掲載されていて、少し堅苦しいイメージを持っていました。
 フィールドワークを行ってみて、まず驚いたのが、岸辺駅がとても立派で綺麗だったことです。駅自体広く、構内にコンビニが入っていたりと、想像していたよりも都会らしい雰囲気でした。駅周辺の開発も進んでいて2018年秋ごろにはクリニックモール、スーパー、ビジネスホテルなどを設けた複合施設が建てられる予定だそうです。
 次に興味深かったのが、岸辺には様々な漢字表記が存在することです。町の掲示板は「吉志部」、街区表示板は「岸部」、駅の名前は「岸辺」、という風に、同じ町でありながら表記が使い分けられています。元々使われていた「吉志部」を村の合併や、駅創設に伴い分かりやすくするために表記を変えたのが理由だそうで、時代とともに変化を遂げてきた岸辺の歴史が、現代の日常にも溶け込んでいる部分が面白いと感じました。
 そして、岸辺に数多く存在する歴史的建造物もまた、興味深いものばかりでした。吉志部神社は紫金山公園内に位置する神社で、社伝によると、崇神天皇の時代に大和から奉還して大神宮と称されていたそうです。二度の焼失を経て再建された本殿は、全国的にめずらしい七間社で、桃山様式の絢爛たる紋様が施されています。吉志部神社の周辺は、緑の美しい鎮守の森、秋祭にまつわる大蛇伝説を持つ釈迦が池、参道の松並木など昔ながらの景観が残っています。また、岸辺は瓦の生産が盛んに行われていたそうで、吉志部瓦窯跡では、延暦13年に新たに都が移された平安宮の瓦を生産していました。発掘調査の結果、平安宮造営当初の瓦生産の実態を示す重要な遺跡として昭和46年に国の史跡に指定されています。
 また、建物を巡る合間に昔ながらの本屋や、アイスクリームなどを販売している軽食屋など、時代を感じさせるような建物もいくつか見られ、ノスタルジックな雰囲気を感じました。こういった建物が要所要所にあることで、ただ歴史的建造物を巡るだけでなく、町全体を楽しむことができると思います。
 今回のフィールドワークを通して、岸辺は昔の名残と現代の生活が共存している町であることが分かりました。今回廻らなかった場所も含めて、今後のまち歩き作りに活かしていきたいと考えています。

古さカオル岸部コースを歩いて・・・
 3年生 古川 英希

 4月28日(土)、私たちは岸部地域のまち歩きを行いました。ガイドで吹田のまち歩き案内人の安本さんに同行していただきました。昔この地域は、新羅からの渡米人「吉師」一族が統治していました。その際名前は、「吉師部の里」でした。時が進み「吉師部の里」→「吉志部」→「岸部」と移り変わりました。またJR「岸辺」駅は、岸部を「キシブ」と読み間違わないために、当時の権力者がJRに提案したという説があり感心しました。私は今回大きく2箇所特に心に残った所を重点的に紹介してきます。
 最初に彩り豊かなトンネルアートを通りました。とても涼しく心地よかったです。そこを通った後、岸部第一小学校の校庭内にある風災記念塔を見に行きました。それは昭和9年に日本列島を襲った「室戸台風」の影響で亡くなった方を供養する為に建てられた塔です。これを見た時、台風の恐ろしさを改めて感じ、これからも供養していく必要があると感じました。
 次に吉志部神社着きました。平安時代からある歴史的な建造物であり独特な造りをしており、興味も持ちました。それは、本殿が「七間社流造り」というものであり、全体が別の建物に覆われていて、本体が見えない造りとなっています。またここで面白い話を聞きました。通称「釈迦ヶ池遊猟事件」というものです。神社の裏手にある釈迦ヶ池のカモの猟場があり、銃の使用は禁止されていました。そこにドイツの皇太子がお忍びで来られました。そこで皇太子は禁止されていた事を知らず、銃でカモを撃ってしまい、付近の住人に殴られる事件が起こりました。それは外交問題まで発展し、神社の境内でその村人は、切腹するふりをするまでに至りました。私も吹田市民として、吹田の歴史でこのような事があったことを初めて知り、興味深かったです。本殿が焼失し、再建するなど様々な事がありましたが、歴史がある神社ゆえに大切にしていきたいと考えています。また吉志部神社周辺には紫金山公園・吹田市立博物館があり、家族連れでピクニックなどに最適だと考えました。こうして旧中西家住宅周辺を通り岸辺駅まで戻って来ました。
 私は吹田住んでいながら岸部地域に様々な歴史があることを改めて知ることが出来ました。そういった中で知らない事が多く自分の知識不足を感じました。岸辺駅周辺は、吹田市民病院・国立循環器病研究センターを筆頭に様々な都市開発がされると考えられます。それは吹田市・岸部地域の発展にも繋がるので素晴らしいことだと思います。ただその一方でこの歴史を風化させず、後世に伝えていく事が大切であり、吹田が少子高齢化に悩まされないまちづくりに繋がると考えています。

塩路ゼミにおける最近のキャリアゼミ活動一覧