【松ゼミWalker vol.210】 広東省江門市での日中共同調査(教員 松村嘉久)

 2016年8月7日(日)から19日(金)の日程で,科学研究費助成を受けた「中国華南の地域構造の再編に関する地理学的調査研究」(課題番号15H05169)の調査メンバーとして,中国広東省の江門市と広州市,香港特別行政区でフィールドワークしてきました。中国側のカウンターパートは昨年同様,広州市の中山大学地理科学与規劃学院,代表は劉雲剛教授。日本側の調査チームは,小島泰雄教授(京都大学)を研究代表者として,小野寺淳教授(横浜市立大学),阿部康久准教授(九州大学),松永光平准教授(立命館大学),松村らが参加しました。
 私は8月7日(日)午前のJAL便でまずは関西国際空港から香港へ,香港からはバスで今回の調査地である江門市へと向かい,その日の夕方にみんなと合流しました。左写真は8月8日(月)午前,日中双方の調査メンバー全員で,江門市住房和城郷建設局を訪問した際のものです。
 この海外共同調査では例年,調査メンバーがいくつかの班に分かれ,日本側の研究者と中国側の研究者がペアを組み,フィールドワークを行います。私は観光・文化班を担当し,中国側の共同調査者は,中山大学大学院修士課程2年生のウェイ・ミンイン(Wei Minying)さんと,同1年生のヤオ・タンエン(Yao Danyan)でした。ウェイさんは昨年の広州調査でも一緒だったので,お互い気心が分かっています。ヨウさんとは今回が初対面で,北京の大学を卒業してから,中山大学大学院へ進学されたそうです。

 さて,珠江デルタの東側には,深圳や東莞といった中国の改革開放を象徴する大都市が発達していて,現代中国を学ぶ者ならば,何かの機会に訪問したり,図書や論文で読んだりして,何となく地域像が描けます。しかしながら,同じ珠江デルタでも西側となると,中国旅行経験の豊富な私でも,バスで通り抜けたかもしれない…というくらい認識しかありません。
 珠江デルタの東側と西側を比べると,発展の背景や状況がかなり異なるだろうな,東側と比べると西側はやや発展から取り残されているのかな,という予測はできます。中国華南の地域構造の変容を考える場合,やはり珠江デルタの西側でのフィールドワークは欠かせないだろう,というのが今回の共同調査で江門市が調査地に選ばれた大きな理由でした。右写真は江門市旧市街地で老朽化の著しい33墟街と,再開発のかかったビルとのコントラスト。33墟街は江門市が発展する核となった歴史地区で,古いまち並みが残っているのですが,建物の保全活用は全く進んでいません。
 広東省江門市は珠江デルタの西側に位置する地区クラスの広域都市で,江門市の行政領域は三つの市轄区と四つの県クラスの市に分けられています。

 江門市の面積はおおよそ青森県くらい,2015年末の常住人口は452万人で,このうち都市住民がざっと3分の2くらい。市街地や郊外のところどころで,高速道路建設などのインフラ整備や大規模な都市開発が行われていて,成熟した都市である広州などと比べると,発展途上な感じが否めません。
 江門市のキャッチフレーズでよく使われるのが,「中国第一僑郷」です。「僑郷」とは華僑の故郷のことなので,「中国で一番の華僑の故郷」という意味になります。現在も世界各地で中国系移民が活躍していますが,一般に,移住地の国籍を取得した人を華人,中国国籍のままの人を華僑と呼びます。江門市はそうした華人や華僑を世界各地へ送り出してきた故郷であり,世界中の華人・華僑社会とのつながりが強い地域でもあります。左写真は,後述する赤坎古鎮の中心部,華人や華僑が建設した立派な騎楼建築が残っていて,観光客で賑わっています。
 さて,12泊13日にわたるフィールドワークで,実に多くの知見を得て研究成果もあがりました。調査の詳細な発表は,改めて正式な報告書で行うとして,ここでは,そこから漏れ落ちるような知見を紹介したいと思います。
開平へ世界文化遺産を見に行く
 日中共同調査メンバーのホテルは,江門市の新市街地である蓬江区にありました。この蓬江区から西南へ直線距離で50kmほど,自動車で1時間強のところにある開平市には,広東省で唯一のユネスコ世界文化遺産の「開平楼閣と村落」(Kaiping Diaolou and Villages)があります。

 8月11日(木),松村,ウェイさん,ヤオさん,李小妹さんの4名で,自動車を運転手付きでチャーターして,「開平楼閣と村落」を見て回りました。お茶の水大学で博士号を取得した李小妹さんは,中国の少数民族事情に詳しく,観光や文化についての造詣も深いので,日本側の研究協力者として,共同調査メンバーに加わってもらっています。
 蓬江区から車で20分も走ると,都市近郊の農村地帯へ入ります。中国華南地域の農村はとても緑豊かです。華南地域の気候は,山間部を除いて亜熱帯から熱帯に属し,1年を通じて高温多湿,特に夏は雨がよく降ります。今回の調査でも,冷房のきいた建物から屋外へ出ると,湿度が100%近い状況で,メガネやカメラのレンズがすぐ曇って困りました。
 農業の中心は水稲耕作ですが,私たちが訪問した8月中旬は,ちょうど二回目の田植えが終わった後くらいでした。華南地域の稲作は1年に二回収穫できる二期作なので,3月から4月にかけて植えた稲が6月から7月上旬に収穫され,7月下旬から8月にかけて,二度目の田植えが行われます。稲作の他にも,サトウキビやトロピカルな果物,例えば,バナナ,パパイヤ,マンゴー,ココナッツ,竜眼,ライチー,ジャックフルーツ,スターフルーツなども栽培されています。また,珠江デルタ地域は水資源が豊富なので,淡水魚やアヒルの養殖なども盛んです。

 華南の農村景観は,かつての調査で訪問した中国東北部の広大で単調な景観とは,全く違っていました(【松ゼミWalker vol.125】 もうひとつの松原市でのフィールドワーク)。タイやベトナムの農村を歩いた経験がありますが,華南の農村景観は中国東北部よりも圧倒的にそれらに近く,景観を形作る要因として,国境よりも自然環境の方がより重要であることを,改めて確認できました。
 チャーター車が開平市域へ入ると,こうした華南の農村景観に,開平界隈特有のアクセントが加わりました。それが中国語でDiaolou(ティャオロウ)と呼ばれる,どこか洋風で古びた高層の楼閣です。4,5階建ての建築物で,各階の窓は鉄の扉で閉ざされていて,ところどころに銃眼があるものもあれば,最高層階が回廊のようになっているものもあります。農村景観のなかに,時にはポツンと孤立して,時には点々と散らばり,一般的な低層の農村家屋を見渡すように,立派な高層の楼閣が建っています。
 とても防衛機能の高い楼閣は,水害や盗賊から財産を守り,安全に暮らすため,主に1900年代から1930年代にかけて,海外から帰郷した華僑が建てたもので,江門市域に1,800棟以上も現存しているそうです。全ての楼閣が世界文化遺産登録されている訳ではなく,建築意匠の特に優れた楼閣群が,その周辺の村落と一緒にいくつか選ばれ登録されています。私たちは,そのうち,塘口鎮自力村,百合鎮馬降龍村などを回り,騎楼建築で有名な赤坎古鎮も訪れました。騎楼建築は台湾の夜市でもよく見かけます(【松ゼミWalker vol.77】 台北の夜市をフィールドワークする!!)。赤坎古鎮の騎楼建築は良く言えば昔のまま,悪く言えば老朽化が著しい状態。保全活用に向けた行政の取り組みがまさに始まろうとしていました。

 さて,私は常々,生活空間そのものが世界文化遺産になっている事例で,生活者と来訪者との関係がどのようになっているのかに興味を持っています。塘口鎮自力村などはまさにこうした事例でしたが,集団所有で全体利益を平等に分配する発想と,中国人独特の大らかな公私の捉え方から,好奇心溢れる多数の来訪者の存在が,あまり生活者の脅威になっていない状況を観察できました。左写真は,騎楼の柱が立ち並ぶ赤坎古鎮の旧メインストリート。
 少し気になったのは,赤坎古鎮などと比べると,夏季休暇中の世界文化遺産の割には,自力村の来訪者数が少なかった点…。私たちが訪問したのは夏季休暇中の平日でしたが,お昼前の自力村の来訪者は,せいぜい30名くらい。来訪者がそう多くないので,生活者とのトラブルがあまり発生しないのかもしれません。
 また,華南地域を象徴するような農村景観のなかに楼閣が建つ自力村と,密林のなかに楼閣が埋もれているような馬降龍村の違いも,来訪者の観るという欲求をどう満足させるのか,という観点から興味深い対比を感じました。来訪者の評価は,おそらく自力村の方が圧倒的に高いのでは…などと李小妹さんと議論しながら見学して回りました。
香港ではグラフィティめぐり
 フィールドワークの原点というか,本質は,現場で色々と見聞きしたことから,興味を持ち関心を広げ,なぜそうなっているのか,現場そのものを深く理解しようとするところにあります。現場に何か証拠を探しに行くようなフィールドワークも当然ありますが,それが必ず見つかるとは限らず,むしろ空振りすることの方が多いくらいです。

 しかしながら,例えそれらを探し当てられなくても,それらを探すプロセスで,色々な発見や気づきがあり,そこから臨機応変に軌道修正してゆくのが,フィールドとの出会いであり対話であり,フィールドワークの醍醐味でもあります。
 さて,人間には意識しないと見えてこないものがたくさんあります。フィールドワークは,時に,それを気づかせてくれます。私の場合なら,グラフィティとの出会いが,まさにフィールドでの出会いでした。グラフィティの存在を私が初めて「意識」したのは,2012年のドイツケルンでのフィールドワークの時でした。国際地理学会主催のフィールドワークに参加した私は,ケルン市内の地下鉄構内でグラフィティを目撃(【松ゼミWalker vol.105】 IGC2012COLONGEに参加して)。その際,フィールドワークに参加していたポーランド人やスペイン人らと,グラフィティと都市空間や若者文化との関係を語り合いました。
 これ以降,私は,海外出張していても,日本に帰国していても,グラフィティを意識して見るようになり,グラフィティが「見える」ようになりました。それまでは,例え視界に入っていても,見ようという意識が全くなかったので,見えていません。
 その後の2014年,ポーランドのクラコフでの国際学会に参加した際も,クラコフやワルシャワのグラフィティを見て(【松ゼミWalker vol.155】ポーランドでのストリートアートとの出あい),帰途立ち寄ったドイツのフランクフルトでもグラフィティを探す日々を過ごしました(【松ゼミWalker vol.156】 フランクフルトでのストリートアートとの出あい)。ゼミ旅行などで台湾やタイへ行っても,やはりグラフィティの存在を意識する日々。

 そうしたフィールドでのグラフィティ経験の蓄積が,SHINGO★西成さんやアーティストらとの出会いでスパークして,2015年の西成WAN(Wall Art Nippon)へとつながっていきます(【松ゼミWalker vol.186】 西成Wall Art Nipponの壁画が完成しました‼)。
 ふと,気づけば,いつのまにか,グラフィティやストリートアートは,私の研究テーマのひとつになっていました。研究のための研究は絶対にしたくない…,やっていて面白いと思わない研究もしたくない…。グラフィティやストリートアートの研究は,社会的実践も伴い,やっていてとても面白いので,とてもいいフィールドでの出会いだったと感謝しています。
 長々と書きましたが,今回の広東省江門市調査の帰途でも,香港特別行政区へ立ち寄り,調査資料を収集するかたわら,Hong Kong Wallsで描かれたグラフィティを見て回りました。地図を持ってまちを歩き,グラフィティを見つけたら,その場所を地図に書き入れ,作品や周辺の様子を観察して写真を撮って回る。近くに話を聴けそうな人がいたら,話しかけて反応を探る,そんなフィールドワークの日々でした。
 こうした成果の一部は,2016年7月10日(日)開催の第5回観光学術学会大会にて,「香港におけるグラフィティと空間の特性」というタイトルで,すでに発表しました。Hong Kong Wallsの活動については,この発表でも注目しましたが,民間独自ならではのスピード感と機動力・発想力を,私は高く評価しました。Hong Kong Wallsは間違いなく,アジアのグラフィティの最前線を切り開く活動であり,西成WANでも参考にすべき点が多々あります。

 しかしながら,今回のフィールドワークで,民間独自であるがゆえの限界も感じました。例えば,グラフィティを描いている空間が,狭い路地や路地裏の壁面や,昼間は閉まっている商店のシャッターが大半なため,どうしても規模が小さいものしか描けません。とても質の高いグラフィティが稠密に分布しているのですが,小規模なものが多く,やはり全体として,迫力に欠ける感は否めません。もし行政との良好な関係性が築かれていれば,より公共性が高く,もっと規模の大きな空間に描ける可能性も見えて来るのでは…,と現場で感じました。
 フィールド経験を積み重ねて,現場を知り,感性を磨き,理解を深め,そこから学び,自らの活動へ活かしたい。できることなら,過酷な環境に耐え,身体の動くうちに,もっとフィールドを広げておきたい。それが私の理想です。
 以下は,香港島の荷李活道(ハリウッドロード)周辺で出会ったグラフィティです。細い路地に描かれた作品や,シャッターに描かれた作品は,見逃してしまいがちですが,それだけに発見した際の喜びが大きい。香港島ならではの急な坂道や階段を上手く活かした作品,お洒落な店舗の外観を上手く活かした作品も多く,そうした作品を探し歩いて写真撮影している人も見かけました。