「欲しいのに、手に入らない。」——それでも、好きでいられますか?
2025年4月から大阪万博が開催されています。大阪市の中心地、梅田やなんばと周辺地域は、連日外国からの旅行者で賑わいを見せています。中心地に近い百貨店やセレクトショップは、いつもたくさんの旅行者で、しかも団体の方たちの姿を見ると、ラグジュアリーブランドのお店には必ずいる印象がありますね。高い購買力とブランド志向の強さを象徴すると書くと言い過ぎかもしれませんが、我が国も、バブル期までは「良い品物にお金を惜しまない」という消費者心理が根付いていたように思います。
なぜこれほどまでに、人々は高級ブランドを欲しがるのでしょう?
それは、価格だけで語れない「特別な魅力」が、そこにあるからかもしれません。
なぜこれほどまでに、人々は高級ブランドを欲しがるのでしょう?
それは、価格だけで語れない「特別な魅力」が、そこにあるからかもしれません。
“買えない”体験は共感か、それとも不満か
HERMESの店舗では、こう言われるのが日常です。
—「バーキンは店頭に並びません」
—「ピコタンの入荷予定は不明です」
—「在庫に関するご案内はしておりません」
それでも欲しいと思うのは、それだけ魅力があるからかもしれません。けれど一方で、顧客側がどれだけ真剣でも、ブランド側から歩み寄りが見えない状況は、やがて不満へと変わっていきます。
SNSでは、こんな投稿も見かけます。
—「何年通ってもバーキンに出会えない。HERMES卒業します」
—「毎回“入荷未定”って、もはや修行なの?」
ブランドの価値を守る戦略が、いつしか“顧客不在”のスタイルになってしまってはいないでしょうか。
—「バーキンは店頭に並びません」
—「ピコタンの入荷予定は不明です」
—「在庫に関するご案内はしておりません」
それでも欲しいと思うのは、それだけ魅力があるからかもしれません。けれど一方で、顧客側がどれだけ真剣でも、ブランド側から歩み寄りが見えない状況は、やがて不満へと変わっていきます。
SNSでは、こんな投稿も見かけます。
—「何年通ってもバーキンに出会えない。HERMES卒業します」
—「毎回“入荷未定”って、もはや修行なの?」
ブランドの価値を守る戦略が、いつしか“顧客不在”のスタイルになってしまってはいないでしょうか。
そんな状況が、かえって気持ちを強くさせる。でも、ある時ふとこう思うのです。
「……そこまでして欲しいものだろうか?」
「……そこまでして欲しいものだろうか?」
ROLEXにも感じる「選ばれる側の論理」
ROLEXも同じ構造を抱えています。「正規店では買えず、中古店ではプレミア価格で販売されている」。この需給ギャップは、人気の証と見ることもできますが、長年愛用してきたファンにとっては、正規のルートで手に入らない状況が続くこと自体がブランドへの信頼感を揺るがす要因となり得ます。
さらに問題なのは、「なぜ買えないのか」に対する納得感の欠如です。
「需給バランスが合っていないからです」
——それだけでは、もはや説明になっていないかもしれません。
さらに問題なのは、「なぜ買えないのか」に対する納得感の欠如です。
「需給バランスが合っていないからです」
——それだけでは、もはや説明になっていないかもしれません。
学問としてのブランド論から見ると?
経営学におけるブランド論では、「自己目的化されたブランディング」という現象が指摘されています。これは、本来は“顧客との共感”を中心に構築されるべきブランドが、顧客の存在を置き去りにして、自分たちの価値を守ることだけに集中してしまう状態です。
ブランドが選ばれるためには、「高くても買いたい」と思わせる納得感と共感が必要です。
ただ高いもの、ただ希少なものではなく、「私のための特別な存在」であるという感覚こそが、ブランドの本質を支えるのです。
ブランドが選ばれるためには、「高くても買いたい」と思わせる納得感と共感が必要です。
ただ高いもの、ただ希少なものではなく、「私のための特別な存在」であるという感覚こそが、ブランドの本質を支えるのです。
ラグジュアリーブランドが今後も選ばれるために必要な戦略とは
HERMESもROLEXも、いまだに圧倒的な人気とブランド神話を誇っています。しかし、その未来が輝き続けるためには、「選ばれる側」としての論理を押しつけるのではなく、「選ぶ側=顧客の声」にどれだけ誠実に耳を傾けられるかが問われています。
ただ高価であることや、手に入りにくいことが価値なのではなく、「高くても納得できる理由」や「入手までの体験に共感できる物語」があってこそ、ラグジュアリーは真に支持されるものとなるのです。
ブランド価値とは、企業の思いだけでなく、顧客の理解と納得があってこそ成立するもの。過去の伝統と未来への共感、この両方を土台にしてこそ、ブランドは長く選ばれる存在となります。
ラグジュアリーブランドにとって、「売れない=人気」ではなく、「共感されるから売れる」という基本に、今一度立ち返ることが求められているのかもしれません。
ただ高価であることや、手に入りにくいことが価値なのではなく、「高くても納得できる理由」や「入手までの体験に共感できる物語」があってこそ、ラグジュアリーは真に支持されるものとなるのです。
ブランド価値とは、企業の思いだけでなく、顧客の理解と納得があってこそ成立するもの。過去の伝統と未来への共感、この両方を土台にしてこそ、ブランドは長く選ばれる存在となります。
ラグジュアリーブランドにとって、「売れない=人気」ではなく、「共感されるから売れる」という基本に、今一度立ち返ることが求められているのかもしれません。