経済学部で,マクロ経済学を担当している西洋です。今回の記事では,私が最近,研究している「履歴現象(あるいは履歴効果:ヒステリシス)」について説明します。

履歴現象とは

 履歴現象とは,物理現象から来たもので,経済学では多義的な意味を持ちます(例えば,経路依存性,初期値依存性,複数均衡と同義的に使われることがあります) 。ほぼ共通する意味を簡単化して述べると,現在の状態が過去の出来事に引きずられてしまうことを指します。過去から未来へと一方的な時間の流れで行われるわれわれの経済活動からすれば,これは自明のことですが,経済理論(モデル)においてこれをうまく説明することは,実はあまりなされていないのです。

過去のショックを引きずる経済現象

 たとえば,本学の基礎マクロ経済学で学習するケインズ型45度線モデルを想定しましょう。いま,なんらかの需要ショックがおきると,均衡国内総生産が低下します。しかし,その需要ショックが取り除かれると,均衡国内総生産は元の水準に戻っていきます。このように,過去に一回限りのショックが起きても,そのショックが取り除かれると,均衡国内総生産は以前とまったく同じ状態に戻るのです。つまり,現在の状態は過去の出来事(ショック)を引きずらないのです
 他方で,履歴効果が起きると,過去の出来事がその爪痕を残し続けます。需要ショックが一回でも生じると,それを取り除いても,均衡国内総生産はもとの状態には戻らないのです。つまり,現在の状態は過去の出来事(ショック)を引きずってしまうのです。
 次の図は,この説明を時間の流れを踏まえて簡単に示したものです。縦軸は国内総生産の大きさ,横軸は時間の流れを示します。時間の経過とともに国内総生産が一定率で成長してきたところに,需要ショックが発生し,国内総生産が落ち込んだとします(①のイベント)。
 履歴効果が働かないときには,ショックが解消されると国内総生産は本来たどるはずであった経路(点線)に戻っていきます(②のルート)。
 しかし,履歴効果が働くと,ショックがその後の経路自体を大きく変えてしまいます。ショックが終わっても,国内総生産はもとの経路に戻らず,持続的な停滞が発生してしまいます(③のルート)。履歴効果が働くと,景気が簡単には回復しなかったり,回復させようにも伝統的な財政金融政策が簡単には効かなかったり,大きな問題が生じます。

再注目される履歴現象

 履歴効果は,1970年代頃から持続的に高まってきたヨーロッパの失業率を説明する際に注目されました。その後,労働経済学だけでなく,国際経済学の分野でも一時注目されましたが,経済学の中心的トピックにはなりませんでした。
 しかしながら,2007年から2008年にかけて起こった一連の金融危機を経て,これは今一度注目を浴びることになりました。この危機の後,多くの先進諸国において経済成長経路がそれ以前の経路になかなか戻らず,自然成長率(インフレを加速させることなく実現できる最大成長率のこと)自体が低下する現象が見られたのです。まさに,経済の状態は,過去のショックを引きずっているようなのです。これを「長期停滞」と考える研究者もいます

わたしの研究

 経済活動における一過性の出来事が,その後の長期にわたって影響を及ぼし続ける効果を,経済学では履歴効果と考えます。履歴効果は現実的問題から再注目されつつも,経済学のテキストにほとんど登場しません。だからこそ,そのメカニズムをきちんと解明する必要があるのです。
 現在,わたしはKing’s college LondonのEngelbert Stockhammer教授と共同で自然産出水準についての履歴効果を組み入れた動学的マクロ経済モデルを構築し,なぜ短期的なショックが長期的なインパクトにつながるのかを研究しています。詳しくはわたしの ウェブサイト をご覧ください。
 われわれの教育内容は,全世界の学者が行ってきた研究成果にもとづいています(言い換えると,研究成果に基づかない議論には信ぴょう性がありません)。とはいえ,経済学にはまだまだテキストに載っていないさまざまな重要な問題や考え方が残っています。大げさかもしれませんが,わたしはこれらを解決して,これからの世代が学ぶ経済学のテキストの充実化,知識という公共財に少しでも貢献したいと考えています。
  • ⅰ 履歴現象の物理学および経済学における紹介については,Gocke, M. (2002). Various concepts of hysteresis applied in economics. Journal of Economic Surveys, 16(2), 167-188.が参考になります。
  • ⅱ こうしたモデルで,ショックの効果が持続するためには,そのショック自体が持続しなければなりません。
  • ⅲ もちろん履歴効果や長期停滞がなぜ起こるのか,あるいは本当に起こっているのかについては論争があります。日本語での易しい解説としては,中野章洋・加藤涼 (2017)「「長期停滞」論を巡る最近の議論:「履歴効果」を中心に」,『日銀レビュー』と福田慎一 (2018)『21世紀の長期停滞論』(平凡社新書)があります。
  • ⅳ この危機に限らず,さらに過去にさかのぼって調べると,多くの景気後退期に,その後の経済成長率が自然成長率を下回り続けていたことが,Blanchard, O., Cerutti, E., & Summers, L. (2015). Inflation and activity: two explorations and their monetary policy implications (No. w21726). National Bureau of Economic Research.の研究で示されています。
  • ⅴ これを現代風に説明しているのが,Summers, L. H. (2014). US economic prospects: Secular stagnation, hysteresis, and the zero lower bound. Business Economics, 49(2), 65-73.です。