2025年12月15日(月)、経済学部「グローバル・ビジネス論b」(三木担当)は、ASIA-NET代表、株式会社クロスコスモス代表取締役、TCA東京事務所駐日代表の吉村 章 様をお招きし「中国人とうまくつきあう実践テクニック」という演題でご講演をいただきました。
吉村 章 様 ご略歴
1961年生まれ。87年から台湾でビジネスマン向けの日本語教育に携わり、96年台湾最大のIT関連業界団体、Taipei Computer Association(TCA)へ移籍。同年、駐日代表として帰国。2001年からは中国に進出する日本企業支援が業務の柱となり、現在に至る。中国への出張者・赴任者向けの異文化研修や地方自治体向けの海外市場開拓セミナーの講師を務めるなど幅広く活動。『知識ゼロからの中国ビジネス入門』(幻冬舎)、『中国人とうまくつきあう実践テクニック』(総合法令出版)など著書多数。
以下に今回のご講演で得られた、学生たちの気付きの一部を紹介します。
経済学部4年 大野 秀斗 さん
本日の講義で最も印象に残ったのは、人間関係における「距離感」の考え方です。
講義では、中華圏では人との距離によって接し方が大きく変わり、自己人と外人を分けて考えるという話がありました。日本では、初対面の人に対してもできるだけ丁寧に接し、誰に対しても同じように接することが良いとされているため、知り合いと知らない人とで態度を変えるという考え方には、最初は違和感を覚えました。
しかし、講義を聞きながら、自分の経験と重なる部分があると感じました。私は中華圏出身の友達がいるのですが、その友達から家族との食事に誘われたことがあります。日本では、友達が家族の集まりに参加するというのは、かなり距離が近い関係だと思うため、当時は少し驚きました。ですが、講義で紹介されていた「黄色い卵」という考え方を踏まえると、その友達にとって自分は殻の内側に入った存在、つまり自己人として認識されていたのではないかと感じました。
中華圏では、黄色い卵の内側に入った相手に対しては、家族と同じように大切にするという考え方があるという話がありました。家族と同じ食卓に招くということは、単なる友達以上の意味があり、相手を深く信頼しているからこその行動なのだと感じました。一方で、その関係に入るまでは慎重に相手を見極めるという点は、日本とは大きく異なる部分だと思いました。また、外側の人とは明確に距離を取る傾向があります。この距離感の違いを理解せずに接すると、冷たい、あるいは馴れ馴れしいと誤解してしまう可能性があると感じました。
自分自身を振り返ると、ゼミやアルバイト先などで、まだ関係が浅い段階にもかかわらず、プライベートな話をされて戸惑った経験があります。以前は距離が近すぎると感じていましたが、講義を聞いた後では、相手が関係を深めようとしていた可能性もあったのではないかと考えるようになりました。
今回の講義を通して、自分が当たり前だと思っていた人との距離感は、文化によって大きく異なることを学びました。今後、中華圏の人と関わる際には、距離の近さに驚くだけでなく、今自分がどの位置にいるのか、どのように信頼されているのかを意識しながら関係を築いていきたいと思います。相手の文化や価値観を理解した上で距離感を考えることが、スムーズな人間関係につながると感じました。
講義では、中華圏では人との距離によって接し方が大きく変わり、自己人と外人を分けて考えるという話がありました。日本では、初対面の人に対してもできるだけ丁寧に接し、誰に対しても同じように接することが良いとされているため、知り合いと知らない人とで態度を変えるという考え方には、最初は違和感を覚えました。
しかし、講義を聞きながら、自分の経験と重なる部分があると感じました。私は中華圏出身の友達がいるのですが、その友達から家族との食事に誘われたことがあります。日本では、友達が家族の集まりに参加するというのは、かなり距離が近い関係だと思うため、当時は少し驚きました。ですが、講義で紹介されていた「黄色い卵」という考え方を踏まえると、その友達にとって自分は殻の内側に入った存在、つまり自己人として認識されていたのではないかと感じました。
中華圏では、黄色い卵の内側に入った相手に対しては、家族と同じように大切にするという考え方があるという話がありました。家族と同じ食卓に招くということは、単なる友達以上の意味があり、相手を深く信頼しているからこその行動なのだと感じました。一方で、その関係に入るまでは慎重に相手を見極めるという点は、日本とは大きく異なる部分だと思いました。また、外側の人とは明確に距離を取る傾向があります。この距離感の違いを理解せずに接すると、冷たい、あるいは馴れ馴れしいと誤解してしまう可能性があると感じました。
自分自身を振り返ると、ゼミやアルバイト先などで、まだ関係が浅い段階にもかかわらず、プライベートな話をされて戸惑った経験があります。以前は距離が近すぎると感じていましたが、講義を聞いた後では、相手が関係を深めようとしていた可能性もあったのではないかと考えるようになりました。
今回の講義を通して、自分が当たり前だと思っていた人との距離感は、文化によって大きく異なることを学びました。今後、中華圏の人と関わる際には、距離の近さに驚くだけでなく、今自分がどの位置にいるのか、どのように信頼されているのかを意識しながら関係を築いていきたいと思います。相手の文化や価値観を理解した上で距離感を考えることが、スムーズな人間関係につながると感じました。
経済学部2年 今村 宝 さん
私は今回の吉村さんの講義で、中華圏における人々とのコミュニケーションについてお話を伺いました。その中で、私が最も印象に残ったのが「黄色い卵」のお話です。
私がなぜ黄色い卵の話が印象に残ったのかというと、私は実は中国と日本のハーフで、母が中国人だからです。ですが、私は生まれも育ちも日本で、中国語もまともに話すことができません。しかし、今回の講義を通して、母の言動と結びつく点があったため、黄色い卵の話が特に印象に残りました。
私が今回の講義を経て、母の話と結びつくと感じた点が、「急接近」の話と「自己人」についてのお話です。
私は中国の祖母に会いに行くためにハルピンを訪れました。そこで驚いたのが、2週間ほど滞在していた間、ほぼ毎日、母の友人や親せきと食事に出かけていたことです。この経験は、今回吉村さんがお話しされていた「自己人が多すぎるのもあまりよくない」という点とつながると感じました。私たち家族は祖母に会いに来ていたにもかかわらず、その影響で祖母との思い出作りがあまり進みませんでした。さらに、ほぼ毎日食べきれないほどの料理を用意してくれたため、2キロほど体重が増えました。
この経験から、私は今後、中国で働く機会があった場合には、適切な量の自己人を作ることが大切だと考えました。
また、私の母は私の友達に対しても、かなりプライベートな話をします。「彼女はいるの?」や「給料はいくらもらっているの?」など、友達同士でも聞きづらいことを平然と質問するため、私は少し恥ずかしく感じていました。しかし、これも今回の講義で扱われた「急接近」の話と結びつくと感じました。
急接近という特性から、母は私の友達と仲良くなりたいと考えているのだと思います。そのため、今後は母がプライベートな質問をしても、あまり恥ずかしがらないようにしようと思いました。
今回の講義を通して、母の言動やこれまで謎に感じていた行動は、中華圏ならではの文化的な行動であると知ることができました。中国人である母をより理解するためにも、今後は中華圏の常識をさらに学び、また中国だけでなく他の国を訪れる際にも、自分の常識を疑い、その土地の常識に順応できるよう心がけていきたいと考えます。
私がなぜ黄色い卵の話が印象に残ったのかというと、私は実は中国と日本のハーフで、母が中国人だからです。ですが、私は生まれも育ちも日本で、中国語もまともに話すことができません。しかし、今回の講義を通して、母の言動と結びつく点があったため、黄色い卵の話が特に印象に残りました。
私が今回の講義を経て、母の話と結びつくと感じた点が、「急接近」の話と「自己人」についてのお話です。
私は中国の祖母に会いに行くためにハルピンを訪れました。そこで驚いたのが、2週間ほど滞在していた間、ほぼ毎日、母の友人や親せきと食事に出かけていたことです。この経験は、今回吉村さんがお話しされていた「自己人が多すぎるのもあまりよくない」という点とつながると感じました。私たち家族は祖母に会いに来ていたにもかかわらず、その影響で祖母との思い出作りがあまり進みませんでした。さらに、ほぼ毎日食べきれないほどの料理を用意してくれたため、2キロほど体重が増えました。
この経験から、私は今後、中国で働く機会があった場合には、適切な量の自己人を作ることが大切だと考えました。
また、私の母は私の友達に対しても、かなりプライベートな話をします。「彼女はいるの?」や「給料はいくらもらっているの?」など、友達同士でも聞きづらいことを平然と質問するため、私は少し恥ずかしく感じていました。しかし、これも今回の講義で扱われた「急接近」の話と結びつくと感じました。
急接近という特性から、母は私の友達と仲良くなりたいと考えているのだと思います。そのため、今後は母がプライベートな質問をしても、あまり恥ずかしがらないようにしようと思いました。
今回の講義を通して、母の言動やこれまで謎に感じていた行動は、中華圏ならではの文化的な行動であると知ることができました。中国人である母をより理解するためにも、今後は中華圏の常識をさらに学び、また中国だけでなく他の国を訪れる際にも、自分の常識を疑い、その土地の常識に順応できるよう心がけていきたいと考えます。
