Guten Tag(こんにちは)! 阪南大学経済学部のホームページをご覧のみなさん、ドイツ語科目を担当している細川です。教員の専門分野に興味を持ってもらうための記事というお題が回ってきましたので、今月は、ドイツ語科目の話をからめつつ、私の研究分野を紹介したいと思います。

言語学からみた「会話研究」

 私は2017年に、J.キリアンの『歴史会話研究入門』(ひつじ書房)を翻訳しました。同書は、歴史上のあらゆる会話を——古代の騎士による会話から、現代のゲームオタクによるチャットまで!——可能なかぎりおなじ視点から分析するための手引書です。
 キリアン先生によれば、会話は(1)会話でつかわれた言葉そのものをあつかう視点(「言語構造」)、(2)会話をおこなっている人と言葉の関係をあつかう視点(「語用論」)、(3)会話がおこなわれている環境と言葉の関係をあつかう視点(「社会言語学」)から分析することができます。
 ちょっと大変そうに聞こえるかもしれませんが、つぎのような簡単なテストをすれば、会話研究を身近に感じてもらえると思います。
 教室で、松原タケシくんが、ゼミ長をしている河内ミホさんに呼びかけました。(A)「河内さん」、(B)「ミホ」、(C)「ゼミ長」、(D)「おい」。さぁ、みなさん、それぞれ(A)~(D)と呼びかけた場合の松原くんと河内さんについて、自由に考えてください。
 ……どうでしょう。すぐに、いろんな意見が出たんじゃないでしょうか。たえば、(A)はちょっと、よそよそしい。(B)は親しげですね。松原くんの河内さんにたいする心の距離感が表れているように思います。とはいえ、ゼミ生が「さん付け」で呼び合うのがふつうのゼミや、「呼び捨て」があたりまえのゼミもありますから、二人の関係を決めつけることはできません。(C)は、名前ではなく立場で呼びかけています。「ゼミ長」としての河内さんに、なにか頼みたいのかも。(D)は、ちょっと穏やかじゃないですね。二人のあいだに何かあったのでしょうか。
 このように、どんな言葉で呼びかけたか(「言語構造」)からだけでも、会話に参加している人の感情や人間関係(「語用論」)、ゼミでの慣習(「社会言語学」)などについて考えを広げていくことができるのです。
 つぎに呼びかけられたときにでも、さっそく会話分析をおこなってみてください。これまで気づかなかった人間関係や慣習が、見つかるかもしれませんよ。

「会話研究」からみた「うまいドイツ語」

 日本語には日本語の文化、ドイツ語にはドイツ語の文化があり、そこには、言葉に関するさまざまな慣習があります。そして、やっかいなことに、この慣習と学校で習う「正しい言葉」とには、ズレがあるのです。
 たとえば、ドイツでこんな経験をしたことがあります。ドイツ語には「姉」や「妹」を表す単語がなく、「姉妹」と言うしかありません。そこで、妹の話をするとき“meine jüngere Schwester(より若い姉妹)”と言うことにしました——文法的には、まったく「正しいドイツ語」です。あとで、妹は3歳下だと話すと、「そんだけしか変わらないのに、なんでわざわざ『若い』って強調したんだよ!」とあきれられました。ドイツの慣習では、年上か年上かいちいち区別しないのが普通だからです。
 また、レストランで食事中、いきなりウエイターから「料理に満足か?」と聞かれ、とまどったこともあります。不満そうに見えたのかな、謝ったほうがいいのかな、と困惑しましたが、なんてことはない、そう聞くのがドイツの慣習なのです。
 どうしてもなじめない慣習は、仲良くなれば歳がはなれていてもファースト・ネームで呼びあうことです。自分の親くらいの歳の人を「ラインハルト」とか「レナーテ」とか……。とはいえ、日本語の感覚で“Herr Schmidt(シュミットさん)”なんて「さん付け」で呼ぶと——これも「正しいドイツ語」ですよ——「なんだ、俺のことは友達だと思っていないのか!」となる。いやはや。
 そういうわけで、知っている単語や文法知識の量を増やすだけでは、「外国語はうまくならない」と言えそうです。授業で良い点をとるだけならそれでOKかもしれませんが、ネイティブ・スピーカーとスムーズに話せるようになりたければ、慣習についても学ぶ必要があるからです。
 私のドイツ語の授業では、文法の学習と会話の練習を並行しておこなっています。会話文では、主語がないなど文法的には「不正確な」表現も出てきますが、そうした表現をつうじて、ドイツ人にとって自然な話しかた、つまり慣習にしたがった話しかたを身につけてもらいたいからです。
 もちろん、慣習を身につけるには、その言葉が日常的に話されている場所に行くのがベストですから、ドイツへの語学留学も積極的に応援しています。