国コミ学部「都市文化史論シンポジウム2015」第2弾を実施しました!

2015年12月2日(水)、「都市文化史論」の日本(京都)、アジア(西安)、ヨーロッパ(フィレンツェ)をそれぞれ担当する神尾登喜子教授、陳力教授、松本典昭教授が合同授業のなかで、10月28日の第1回シンポジウムに引き続き、本年度第2回目のシンポジウムを開催しました。

今回のシンポジウムのテーマは「都市の風景が変わるとき」。数年続けたシンポジウムのなかでは初めてのテーマ。打合せがあるわけでもなく、ぶっつけ本番で、研究の舞台裏のドタバタ(その苦しみと楽しみ)を学生に披露しようという試み。結果は、語っても、語っても、語り尽くせないほど、楽しいものに。学生の反応も「先生方が楽しそうに話している」「先生方が輝いて見えた」「質問のしかたが勉強になった」「比較のおもしろさがわかった」「いくつになっても好奇心をもっていたい」など、好評でした。MCは神尾教授でした。

教員のコメント

神尾教授

2015年11月21日。一通のメールが届きました。フィレンツェを講ずる松本先生から「都市の風景が変わるとき」というテーマで第2回目のシンポジウムをしないか、というお誘いでした。私が「NO!」というはずがありません。直ちにデータ作成に入りました。それは、同時にメールを受け取った西安担当の陳先生も同じです。常に考え続け、答えをあーでもない、こーでもないと出し続ける研究者の一面を学生諸君に見てもらおうという松本先生の粋な計らいでした。一つの疑問に一つの回答が出ない場合もあります。そもそも、答えさえ見つからない時もあるのが研究という作業です。学生に「学修せよ!」という限りは、私たち科目担当者も、研究論文を書き続けなければなりません。そうでなければ、科目担当者になってはいけないのだと思っています。突然降ってわいたテーマ。それに対しても何とか形がとれたのか、否か。私自身には反省もあります。こうすればよかった。こう説明したほうが学生にはわかりやすかったのではないか、と。しかし、それも次年度に向けての課題です。課題が見つかった「都市文化史論シンポジウム2015」。それはそれで、貴重な反省点であり、次なるステージに向かっての原動力です。学生諸君、次年度をまたお楽しみに。何よりも、松本先生、陳先生、これからも互いに刺激しあえる研究を重ねながら、シンポジウムで会いましょう。

松本教授

発端は、本年度第1回目のシンポジウム中、神尾先生が突然「都市は永遠に未完成!」とまるでディズニーランドのような発言をされたこと。フィレンツェにあてはまるかどうか考え続け、YesとNoのあいだを揺れ動くなかで、「都市の風景が変わるとき」というテーマを急遽提案したところ、打てば響くような素早い反応で即決。本番では、3人とも語る、語る。質疑応答の時間が十分にとれなかったほど。でも、楽しかった。感想を読むと、学生も楽しさを共有してくれたようで、うれしい。さらなる理想形は、学生から質問が出ることだ。学生はシンポジウムのお客さんではありません。客体でなく主体になること。自分の住空間(家、学校、街、都道府県、国、地球)を少しでも住み良く変えていくためのヒントがいっぱい詰まっているはずです。次は学生諸君が主体的に考えてみる番。だって、生きていくのは、あなた、でしょ。

陳教授

インターネット技術がますます発達してきた昨今、ストリートビューや携帯端末のおかげで特種なAPPを使えば、家を出ないでも世界各地の街並を確認でき、場合によっては、インターネットを経由して自分が憧れる博物館・遺跡・建造物・店舗の中に入り、ライブビューでリアルタイムの詳細情報を入手できるようになった。このため、携帯端末世代と言われる今の受講生は豊富な都市文化情報をもっている。その受講生がもっている断片的な情報を深層理解にまで導き、都市文化に対する表面的な印象を学問的思弁に飛躍させることが担当者の共通認識だと考える。今回のシンポジウムでは、あえて議論の対象範囲を狭く絞り込み、深く掘りさげた。当初、あまり専門的な話になれば、学生が敬遠するではないかと心配したが、シンポジウムの後で学生の感想を読むと、そのような心配はまったく不要だったことがわかる。今回のシンポジウムおよびその後の学生の感想を読んで、これからも知識の広さと深さの両方を意識し、より時代の鼓動に適合する授業を創り出せるはずだという感触をもつことができた。

受講学生の感想

吉本奈穂

毎回、松本先生・陳先生・神尾先生の3人の先生方が、知恵と知識の知的体力を振り絞ってテーマを設定し、呼吸を互いに合わせていることを実感します。どのような言葉を使って、どのように表現し、どのように伝わったかを正面から受け止め、次のシンポジウムに生かしていくという、弛まぬ切磋琢磨が伝わってくる授業です。受講する価値のある授業というのは本当に貴重です。たくさんの授業が開講されていますが、すべての科目が中身の濃いわけではないことを考えると、先生方にも聞く価値がある授業だと訴えたいと思います。

伊藤紗優美

この授業を履修していた友人たちから、シンポジウムはまるで松本先生・陳先生・神尾先生のトークショーだと聞かされていました。実際にその姿を目の当たりにして、三人の先生方のキラキラ感と、話をされる姿を見ていて、改めてこの授業を履修してよかったと思いました。授業を担当している先生方が楽しんでいない授業を学生が楽しめるはずがありません。国際コミュニケーション学部の学生以外にも開かれている授業ですので、4年の間に一度は受講する価値のあるおすすめ科目です。

庄村琢也

今回のシンポジウムを受講してみて、フィレンツェ・西安・京都それぞれが全く異なる方向性によって形成された都市だと思っていましたが、多くの共通点があることがわかりました。中でも、科目担当者の三人の先生方が忌憚のない質問をぶつけあいながら、可能な限りの回答をその場でしていくという相当緊張感のある討論を、履修学生の前で実施するという形態は、刺激的でした。普段は日本のことしか学んでいないので、シンポジウムという形式の授業は貴重です。

有末美月

いつもは神尾先生の授業で日本の京都について学んでいますが、陳先生、松本先生が加わり3都市の知識、情報がえられることは貴重な時間だったと思います。3都市の情報が一度に交わり、知識として伝達されることで、新たに自分自身が疑問に思う事柄にも出会いました。今後は、その疑問に対して、自ら学修してみようか、と思っています。先生方の討論で、気づけたこともたくさんあります。それは、私自身が学びの旅に出ていくプラットフォームなのではないかと感じたシンポジウムでした。

坂井香織

先生方がすごく楽しそうに話しあっておられる姿が印象的でした。どんどん新しく展開されていく議論を追っかけるのが面白かったです。「都市の風景が変わるとき」というテーマでしたが、共通する面と、三者三様の変わり方をする面があると感じました。まず共通点としては、「都市の政治権力が変わるとき、都市の景観が変わる」ということではないでしょうか。ところが、3都市には違う面もあります。簡潔にまとめてみるならば、「歴史の破壊、歴史の保存、歴史のアレンジ」です。これは優劣ではなく、三つの都市のあり方だと思いました。フィレンツェの場合、共和制の象徴である《ダヴィデ像》と君主制の象徴である《ヘラクレス像》が横に並んでいるのも象徴的でした。知識があると、都市の風景を深く読めることがわかりました。

斎藤朱莉

今回も3都市の話を聞いて、似ているようで、似ていない。似ていないようで、似ている、と感じました。市壁の問題が似ていたり、似ていなかったり。長安では皇帝が城壁に沿って遊びに行きました。フィレンツェでは市壁が拡大したり、縮小したりしました。京都では御土居というのを初めて知りました。3人の先生が一生懸命、楽しそうに話をされている姿を見て、なんだかすごいことなんだな、と強く感じました。先生が言われた、問いに向き合う「忍耐力」、確かに学生にはまったくといっていいほどないものだと思います。

矢倉由有

3つの都市はすべて政治権力が都市の風景を変えているのだと思い、聞いていて、歴史の流れをすごく感じた。しかし、その変わり方は都市によってさまざまである。権力者によって昔の文化が否定された都市、昔の状態をキープした都市、未来を見据えて新しいプランを考え出していった都市。それぞれの違いが面白かった。先生たちは、どうしてその都市を研究しようと思われたのでしょうか?

西澤佑実子

どの都市も権力を示すために、厳しい条令が定められていたのかなという印象を受けました。そして三つの都市に共通していることは、「政治体制が変化すると街並も一変してしまう」ということです。全然違う国なのに、このような共通点があるのはとてもおもしろいと感じました。一番興味深かったのは、イタリアと日本の近代国家誕生の時期がほぼ同じということです。ほかの国も同時期のものがあるとおっしゃっていたので、なぜこのような世界的な現象になったのか、その理由を知りたくなり、知的好奇心が湧いてきました。

永野和穂

それぞれの都市の違いが細かくわかりました。まず、都市ができていく経緯があり、昔の空間と近代の空間が共存していくことがどこの都市にもあったのが、私の中では印象的でした。権力者が変わったり、新しい権力者が登場してきたりすると、都市の風景が大きく変化することがわかりました。

佐藤真帆

今回の3人の先生のお話を聞いて、フィレンツェ・西安・京都、それぞれの街についての完成型など、具体的な作り方を知ることができてよかったです。フィレンツェは完成していると指摘される一方、西安と京都は未完成だと指摘され、今後、完成することがあるのかどうか、今後どう変化するのか、楽しみです。先生方の止まらない会話がとてもおもしろかったです。