2015.11.6

国コミ学部 都市文化史論シンポジウムを開催しました

国コミ学部 都市文化史論シンポジウムを開催しました

10月28日(水)、フロンティアホールで今年度第1回目の「都市文化史論シンポジウム2015」を開催しました。国際コミュニケーション学部では、「都市文化史論」の日本、アジア、ヨーロッパの3科目が同一曜日同一時限に配置されています。担当者は日本(京都)が神尾登喜子教授、アジア(西安)が陳力教授、ヨーロッパ(フィレンツェ)が松本典昭教授です。普段とは異なる授業形態なので学生も興味津々、熱心に聞き入り、ノートをとっていました。今回は、杉村准教授が特別に見学してくださいました。MCは神尾教授でした。

教員のコメント

神尾教授

2010年度から始まった「都市文化史論」のシンポジウムも2015年度で6回目を迎えました。互いに試行錯誤しながら研究を重ね、その中の一部を授業で展開していくことで大きな刺激を受ける時間です。私は、30代の初めに出版した著書であり学位請求論文以来、都市について考え続けてきました。その中で辿り着いた結論こそが、「都市は完成しない」ということでした。恒常的に作り続けられるからこそ都市なのだというのが、私の学位論文の1節における終着点でした。紆余曲折しながら葛野すなわち「山背」の地に落ち着くことで、平安京は、生活の地表を重ね続けてきました。それと同時に、平安京という都市空間は造り続けられることで平安京であったわけです。その意味では、あちこちに都を遷している間には見出しえない平安京特有の都市形成方法こそが、「恒常性」なのかもしれません。いずれにしても、今都市を語る意味とは何か。2015年度のシンポジウムを経て、改めて都市デザインという視点から「都」の空間を考えてみたいと思いました。

陳教授

今回のシンポジウムは開始以来6回目です。毎回シンポジウムの後の授業で感じるのは、学生の聴講の真剣さが明らかに違うということです。これはシンポジウムの教育における効果ではないかと思います。教学面だけではなく、両先生の質疑応答を聞いて、もしくは私への突っ込みを受けて、じつは個人的な研究面でも、かなりの刺激を受けています。私は近年都市の顔(プラン)と都市の心(文化)をテーマにして、この授業を展開しています。研究のほうは政治と都市プランの関係を考えています。来年より学生のニーズ、時代のニーズに合うだけではなく、受講者の知的好奇心を引き起こせるアカデミックな新しい話題を提供したいと思います。

松本教授

いつもながら刺激的で楽しいシンポジウムでした。教員が楽しまないで、学生が楽しめるはずはありません。3人の教員は語っても、語っても、語り尽くせないほどの情熱をもっています。同じだけの情熱を学生諸君はもっていますか? 感受性の鋭い学生は、ちゃんとその情熱を感じ取ってくれていました。3人の研究のバックグラウンドが違うことも重要で、いわば異種格闘技をしているようなもので、同業者ならばしない掟破りの質問が背後から飛んできます。答えに窮したとき、そこには本質的な問いが含まれているので、その気づきから答えを模索するための新たな旅が始まります。学生諸君には、地球規模で物事を考える視野を養うこと、そして千年前、二千年前、あるいは地球の裏側までイマジネーションの射程をのばすこと、この2つを心がけてほしいと願っています。

受講学生の感想

山田夏未(国際コミュニケーション学部)

フィレンツェ・西安・京都という遠く離れた3都市の共通点の多さに驚かされました。何よりも、都市として成立するためには河川や地形などいくつかの条件が必要だというご指摘に、瞠目したことは事実です。そのような視線をもって都市空間なるものを見ることがなかったので。
何よりも、3人の先生が教壇に立ち、それぞれの研究の立場から、テーマに対して発言していくという授業スタイルには、興味もありましたが、それ以上にどのような話になるのかについて、楽しみにしていた第5回目の授業でした。その中で思った事。それは、3人の先生それぞれから話されるマニアックな事柄は、知識の泉から「飛び出してくる」という表現が一番ぴったりだとうことでした。第2回目も期待しています。

岡澤俊幸(流通学部)

これまで全く経験したことのない授業形式でした。科目担当の先生がたの考え方や見方を知るには最適な授業方法だと思います。フィレンツェ・西安・京都がほぼ緯度が同じであるとか、河川が流れているとか、あるいは盆地であるとかという共通点を洗い出してみると、それぞれの都市は、都市になるべくしてなったのだろうと考えられました。第2回も楽しみです。

川田翔太(経済学部)

フィレンツェ・西安・京都の3都市それぞれに特徴があるが、どれも近似値な環境の中に形成された都市であることが興味深かった。また、3人の科目担当の先生がたの話を聞きながら、違う分野の専門であるにもかかわらず、それぞれがそれぞれの都市について、事前に勉強して基礎知識を入れているのであろうと実感しました。異なる専門分野の先生がたの討論が噛み合いながら、話が進んでいくのみならず、討論している姿そのものがカッコよかった、というのが僕の率直な感想です。4回生の僕は、半年後には社会人になります。その時、会議で自分の意見を的確に発言できる者でありたい、そう思ったシンポジウムの風景でした。

尾井春香(流通学部)

こんな良い機会があるのかと感銘を受けました。3人の専門家の話を同時に聞ける機会は他にはないので、貴重な時間でした。3人の先生がどうしてその都市の専門家になろうと思われたのか疑問です。3人の先生すべてから熱意が伝わり、どうしてそこまでなれるのか驚きました。というより、話を聞いていて、私は何をしているのだろうと思いました。3都市で同じこともあれば、違うこともある不思議。今後の課題ができました。ありがとうございます。

江島剣(国際コミュニケーション学部)

3人の先生がたが3都市について、それぞれ違う立場から、共通点や相違点を比較されていて、とても興味深い内容でした。京都や西安と比べることで、フィレンツェの特徴がよくわかり、さらに興味がわきました。最初に先生がおっしゃっていたこと、今日は知識を学ぶのではなく、モノの見方、考え方を学んでほしい、そしてアプローチの違いを楽しんでほしい、という意味が最後になってわかった気がしました。

西浦拓夢(流通学部)

今日のシンポジウムでは、3人の先生がたが本当に楽しそうに話をされた。知識を語るのは楽しいことだし、お互いの知識を吸収し、新たな発見や再認識があるのは素晴らしいことだと思った。知識を深めることは、人生においてとても大切なことであり、もしかしたら一番楽しいことかもしれない。もっと知りたいという欲求が今の僕にはあります。本物に触れたい。本物の人に会いたい。温故知新ということを感じた時間でした。

吉田奈菜(国際コミュニケーション学部)

緯度がほとんど同じなので、3都市の気温には大きな変わりがない。そして3都市とも川のそばに作られた。川があると物を運ぶのに便利なためだ。都市の形も方形である。
フィレンツェは皇帝も天皇もいないため都市の立地はどこでも良かった。しかし、西安と京都は皇帝や天皇がいたため、皇帝の出身地とか皇帝や天皇を支持する勢力の所在地に都を造った。そしてフィレンツェと西安では都市を城壁が囲んでいるが、京都は周囲が山に囲まれていて敵に攻められないので城壁がない。また、フィレンツェの中心には広場があるのに対し、西安は東南部に芙蓉園がある。
3人の先生がそれぞれの分野の知識を出し合って進めてゆく授業は初めて受けました。素直に先生がたが楽しそうで、聞いているこちら側も聞き入ってしまいました。この授業方法は1人の先生の話をただ聞くよりも面白いものでした。
3都市ができた年代も場所も違うのに、それぞれにはいくつかの共通点があり、その共通点は都市を作る際に欠かせないのかなと思いました。相違点はその国の特徴が出ていると思いました。

吉田萌(国際コミュニケーション学部)

同じくらいの北緯に3都市が位置しており、大体この緯度にシルクロードが通る。馬という同じ動物でも、中国では物資を運搬するため、乗るために使用されていたが、日本では農耕に使用されて乗ることが重視されていなかった。
3都市は共に盆地に位置している。川がなければ都市が成り立たない。京都は桂川、フィレンツェはアルノ川、西安は渭水と3都市とも川が都市の発展を助けた。イタリアや中国は都市を作る際に外敵からの攻撃を避けるために城壁を作るが、日本は島国のために城壁を作らない。
中国文明がなぜ発展したのか、それは河川があったからだと中学の歴史の授業で習ったことを思い出した。しかしその際は何の興味もなかったが、今回日本・中国・イタリアを研究している先生がたのお話を聞いてとても興味をもった。何よりも先生がたが一番楽しそうだったのがおもしろかった。時に共感し、時についていけなかったが、このような貴重なシンポジウムに参加する機会があってよかった。

佐藤真帆(国際コミュニケーション学部)

3都市共に温帯地域にあり、立地を選ぶ基準は物資を運搬するのに必要な河川がそばにあった。敵に攻められないように、山に囲まれた盆地にある。フィレンツェと西安には城壁がある。この2つの都市があるエリアでは城壁がなければ都市ではないという考えがあるようだ。しかし、日本は周りが海に囲まれているため、城壁がなければならないという考え方はない。3都市の形はどれも方形だ。
今回3人の先生がたのやり取りをはじめて見させていただいた。先生がたが自分の専門としている都市の説明に対する他の先生の質問は、私たち学生が今まで抱いたことのないところも突いていてすごかった。話が止まることなく、やり取りに引き込まれた。特に比較することの大切さを学んだ。