都市文化論シンポジウム2023
受講学生から生徒に質問しよう!

科目担当者コメント

「都市文化論2023」第2回シンポジウムを終えて

松本 典昭:都市文化論(ヨーロッパ)担当

 第1回シンポジウムで受講学生に質問を提出してもらい、今回のシンポジウムでは3人の教員が質問のいくつかに回答を試みました。いい質問がいい答えを引き出し、おもしろい質問がおもしろい答えを引き出す。問いがなければ答えもない。つくづく授業は学生と教員のコラボであると実感しました。世界には古今東西さまざまな世界観が存在してきたし、今も存在しています。世界の分断を乗り越えるには、自分とは違う世界観を相手の立場に立って理解しようとすることが必要でしょう。同じ人間として、優劣ではなく、多様性を楽しみたいものです。今回のシンポジウムでは、そのことを理解してくれた学生が多かったように感じました。

陳 力:都市文化論(中国)担当

 前回のシンポジウムの後、学生のみなさんから募った質問をみると、そのなかには素朴であるが、都市文化論という学問の根本的な問題を触れているものはいくつかありました。学生の皆さんの質問から、私が再度このような素朴な初心、素朴な知的好奇心は、一つの問題を究めたいとき非常に大切だと感じました。そして学生のこのような素朴な知的好奇心は三人の教員に大きくて有益な刺激を与えたと自負しております。このように教員と学生、学生と学生、教員と教員の間の知的好奇心のぶつかり合いによって、さまざまな新しい知的探求が誕生させるでしょう。このようなぶつかり合いのなかで、学生の皆さんの未知を探求する面白さをすこし体得できたのではないでしょうか。

神尾 登喜子:都市文化論(日本)担当

 私はいつも、授業やシンポジウムを聞いてくれた履修学生諸君は、知的好奇心をくすぐられているのだろうか、と不安感に苛まされます。文化にかかわる研究とは、とかく実社会ではあまり評価されない傾向があります。毎日を生き抜くには社会科学や自然科学の方が重要だ、という偏向傾向も否定できません。しかし、その逆風の中、私たちはあくまでも高度な教養を学生に伝えたい、という熱量の中で授業を実施しています。そのクライマックスが、今回初めて実施した「学生の質問に答える」形式でのシンポジウムでした。40数年前の私自身が、今の学生たちのように「質問」を考えられただろうか、と時間を巻き戻しながら回答を考える時間は、至福の時でした。学生諸君に感謝いたします。

コメンテーター (河野千春:教務課国際コミュニケーション学部担当)

 第2回のシンポジウム実施にあたっても、3人の先生方の事前打合せの段階から参加させて頂きました。その段階で互いの考えを確認しながら、初めての試みであった「学生の質問に答えるシンポジウム」というプログラムに向けて、ワクワクしている先生方の姿が強く印象に残っています。「良い質問ですよね」と繰り返される3人の先生。その中で、私自身が何よりも心に残ったスライドが右の1枚です。履修している学生の皆さんに、単に「都市文化論」のシンポジウムの中だけで終わりにさせない方向性がここにはあります。さらにいえば、社会人になってもこの繰り返しなのではないか、と思う内容でした。このスライドを作成した神尾先生からバトンを受けて、松本先生と陳先生が補完していく連係プレーは、社会人である私にも納得するところでした。「チーム都市文化論」という明確な意識を、担当している3人の先生方がそれぞれにお持ちであること。この点こそが、毎年実施するシンポジウムを進化させているのだろう、と実感した90分間でした。2024年度は、どのような趣向で実施されるのか、今から楽しみです。

「都市文化論」第2回シンポジウム・学生コメント

木田 美響

 高校までの勉強では正解は1つと教えられてきたが、社会に出れば答えは1つとは限りません。だから既成の答えを疑い、正しい答えを模索し続けることが「大学の学び」であると再認識しました。先生たちが研究を始められたきっかけを聞き、「大学を卒業して企業に就職する」というルートよりも、より深く濃く学びを続けられてきたことがわかりました。私も大学生活4年間をすぐに取り戻せるわけではないですが、まずは本を読むことから始めて、少しでも興味のある分野の知識を増やす努力をしていきたいと感じました。
 今後、社会に出て働く際にも、考えるヒントとして「大学の学び」を活かせるはずです。知識を得ることで新たな視点が生まれます。新しい視点が必要になるのは、問題や課題に直面した時であるが、その際も答えを一つに絞らず、いろいろな方向に問いを発し続け、学び続け、得た知識をもとに新しい方法を実行に移していきたいです。自分のうちに問いを抱き続けることで、より明確な答えが見えてくるでしょう。そんなことを感じたシンポジウムでした。

齋藤 楓

 頭がいいというのは、勉強ができるとか知識があるとかいうのではなく、自分で問いを立て、それに対して探求を続け、答えを見つけ出す努力ができることなのだと感じました。受講生の質問には、私では思いつかないような質問が多くあり、中には核心をつく質問もあって、同じ大学生なのに人それぞれ視点が違うのだなと感心しました。先生たちがなぜそれぞれの都市を研究しようと思ったのかという質問は、なかなか聞けることではなかったので、とても良い機会になりました。
 何歳からでも学ぶことができる、という話からは、就職後もただ漫然と仕事をこなす日々を送るのではなく、資格・言語・投資などを学べば、自分の未来の可能性を広げ、転職にも困らない、やりたいことができるなど、今後に活かせる話だと思いました。食文化の話からも分かるように同じ文化圏でも多様性が存在し、それぞれを探求することで違いも見つかります。探求の魅力はどこにでもあると気がつきました。

坂本 結菜

 先生がたが受講生からの質問をとても丁寧に回答して下さり、自分が知りたかった以上のことを十分に知ることができました。最も響いたのは、「勉強は年齢に関係なく、何歳からでも、いつからでもできる」という言葉です。現時点では自分自身やりたいことが明確でないため、ハッとした言葉でした。シンポジウムでは3都市の祭り、食文化、服装の違いを知ることができ、共通点や相違点が見えて、おもしろい内容でした。
 質疑応答を通して、一つの質問からもたくさんの学びを得ることができました。疑問を抱いた一人が勇気を出して質問することで、周りの同じ疑問を持つ人や、そもそも疑問を持っていない人にも、その問いかけが広がり、強力な「学び」の場となることが分かりました。今後、就職活動が始まると面接の機会が多くなると考えられますが、面接で質疑応答をしていくなかで、今までの自分であればわからないことがあっても黙って疑問を残したままにしてしまうと思いますが、このシンポジウムを受けたおかげで疑問を抱くこと、質問をすることの大切さを知ることができました。今後の人生に活かしていきたいです。

中野 花蓮

 今回のシンポジウムでは、祭りの話が一番おもしろかったです。中国と日本は奇数月のゾロ目の日に祝う祭りが多いが、ヨーロッパにその発想はない。吉数である奇数が上であるという考え方は、一回生の時に神尾先生の授業でレポートを書いたのでよく覚えています。最近中国では11月11日に独身者の祭りがあり、盛大に騒がれています。おもしろそうだから、独身のうちにぜひ一度参加してみたいです(笑)。キリスト教の祭りは、聖書に何も書かれておらず、古代異教の自然崇拝に祝祭日を重ね合わせて祭りにしています。キリスト教世界では一年を通してキリストの生涯をたどるだけでなく、冬(=死)から春(=復活)へという自然の大きなサイクルをもたどる仕組みです。なるほど、なるほど。
 「質問すること」や「質問に答えられないこと」を恥ずかしいと思うのではなく、「質問しないこと」や「質問に答えられなかったことをそのままにしておくこと」が恥ずかしいということを理解しました。一つの質問からこんなにも話が膨らんで、その膨らんだ話からまた新たな疑問が生まれて、と永遠に続いていくとわかりました。この世はわからないことだらけだから、楽しみもいっぱいです。

岡田 結菜

 三都市を比較して、共通点や異なる点を知ることができ、おもしろかったです。中国の祭りの中で最も気になったのは、12月のクリスマスだ。長安の中でもクリスマスをしていたということを知り、調べてみたくなっりました。現在の日本のクリスマスと共通点はあるのかについて興味を持ちました。また、11月11日に行われる中国の現在の祭りである独身者の祭りも興味深いです。奇数やぞろ目は縁起が良いという考えはヨーロッパにはないことを学ぶことができました。フィレンツェでは、喧嘩祭りである古代サッカーが、若者の暴力的なエネルギーをコントロールし、治安を守るために行われていたということを知りました。
 京都では近世代になると神輿が登場し、現在でも神輿をはじめ、日本では岸和田だんじり祭りや角館祭りのやま行事など、多くの喧嘩祭りがあります。私の地元でも新居浜太鼓祭りが開催されており、幼い頃から親しんできたため、フィレンツェと現代の日本の共通点として喧嘩祭りがあるのは、おもしろいと感じました。さらに、紅葉は死をイメージさせてしまうため、ヨーロッパの人には見られていなかったが、最近では紅葉の魅力に気づくヨーロッパの人も多いということも知りました。自文化とは異なる文化であっても、魅力に気づき、取り入れることができるのは、素晴らしいことだと感じます。私も自文化と異なる文化を学び、新たな発見や気づきに出会っていきたいです。京都の祭りは、加茂祭葵、祇園祭、時代祭があり、祇園祭は疫病を抑えるために開催されたということを理解しました。京都の祭りの中で最も参加してみたいと感じたのは、時代祭です。時代装束を身に付けて歩いている姿を見てみたいです。
 三都市の食文化の共通点は、庶民は雑穀を食べていたという点です。また、京都と中国には干物があり、ヨーロッパの魚が獲れない地域にも干物はあることも学びました。特に食べてみたいと感じたのは、フィレンツェの牛肉ステーキです。特におもしろいと感じたのは、栗羊羹は日本人が発明したもので中国の羊羹は羊の肉を煮込んで作ったもので塩味だったという点です。日本の食べ物が海外に伝わって、そこの地域風にアレンジされたものはあるかを調べてみたいです。さらに、長安では、牛は食べられていなくて、牛を殺した罪と人を殺した罪が同じであったということに驚きました。三都市で、食べられていた肉の種類が異なることを理解することができました。
 フィレンツェの服装は赤と黒が格上で、薄い青、黄色は格下であったことを学びました。また、基本的には毛織物だったということも知りました。長安には、綿は少なく、シルク、ウール、麻、布の素材が使われています。三都市の服装を学び、フィレンツェや長安の特徴的な髪型はどのようなものであったのが調べてみたくなりました。今まで知らなかった新たな知識を得ることができ、非常に興味深いシンポジウムでした。

猪野 結香

 質問にあった「どうして先生方は都市文化論について研究したのか」という質問に対しての先生方の回答がとても自分自身に刺さり心に響き印象に残っています。個人的に先生方というのは幼いころから才能があり何でもこなしてしまう方たちなのかなと思っていました。ですが、松本先生と陳先生の話を聞いてそうではないんだと知ることが出来ました。お二方の話を聞かせてもらって、人生挫折を繰り返したとしてもすぐに心折る必要は一切ないということ。人生はまだまだ続くのだから長い目で見て、何事にも挑戦し、それに向けて後悔の内容全力で努力し、それを続けていけばいつか辛い期間を乗り越え、幸せに暮らすことが出来るのだと先生方の実際の体験談から知ることが出来て私自身とても勇気をいただくことが出来ました。
 また、神尾先生がおっしゃられていたことで心に響いたことは、学生時代は必要に迫られて勉強していたヘブライ語やギリシャ語、ラテン語を学んでいた。けれどもいつも、「これから先において使うことがあるのだろうか」と思う言語であっても、社会人になって、ふと読む事や活用できる事がある、という話を聞き、それはすごく自分にとっての自信につながることであるなと感じました。
 今自分も実際に大学に通い授業を受ける中でこれは今後の人生で自分はいつ活用できるのだろうかとふと思ってしまうことがあったりもします。卒業するため、単位のためだと思い受ける授業もあります。ですが、それも自分の持つ知識を広げる為にもなるし、やっていて損することはないのだ。大人になったときや今後の人生の中でふとした時に活用できるのではないかと感じ、何事にも積極的に興味を持ち取り組もうと改めて思うことのできるいい機会になったと感じています。

田中 蘭

 フィレンツェ、西安、京都の食文化についての話で古代の時代から現代に受け継がれる食文化の大体の本質(基礎となるもの)は変わっていないことに驚きました。松本先生のお話でフィレンツェでは16世紀以降によくトマトやジャガイモを食べられていて基本はパンやワイン、チーズ、オリーブオイルを食材として利用していると説明されていましたがトマトやジャガイモは今やフィレンツェのあるイタリアでは欠かせないものとなっており、イタリア料理の代名詞とよばれる食材だと考えました。陳先生のお話では唐長安の食文化では庶民は小麦、粟、キビ、鶏肉、白菜、ニラを食べており、貴族はお米、餅、鹿肉、リンゴを食べていたと説明されていました。それに対して日本の平城京の食文化では庶民は玄米、粟、干物を食し、貴族は強飯、干物、果物を主に食べていたとありました。
 西安(中国)と京都(日本)の食文化は同じアジア地域だと言う事もありにているところがたくさんあり、それは現代の食文化(パンを食べる文化と白米を食べる文化のように)の基礎になっていると感じました。また個人的に八種唐菓子をたべてみたいと思いました。祭りに関しては京都とフィレンツェは文化的、宗教的なお祭りが多いのに対し西安は一種のイベント的なお祭り(イベント)だと感じました。今の日本のイベントは西安の代表的なお祭りと似ている部分が多いと感じました。前回のシンポジウムもそうですが先生方がお互いの意見について話し合ったり、争ったりしているのをみて楽しかったし、面白い授業だと感じました。そうすることでより互いの文化の理解が深まると考えました。

久井 悠生

 今回のシンボジウムは学生の質問に答えるという他の講義にはない授業スタイルだったという印象がある。特に授業の中で印象に残っているのは授業の初めにあった松本先生の質問をするということについての話だ。松本先生が「知識を覚えるより疑問を持つ方がとても大事だ」と言った時、僕はもっと疑問を持って行動しないといけないと感じた。
 僕は普段から知識を理解して、覚えることしかしていないので3都市に関しても授業で聞いた視点でしか見ることができていないことが分かった。また前回の課題で僕は授業で習ったところを深掘りして先生たちに質問したが他の人たちは3都市の食文化の違い、祭りや行事など3都市をいろんな視点から質問しているのを見て、今後授業を受ける時は視野を広げて受けようと考えた。
 一方で今回のシンボジウムを受けて、3都市に関して理解したことがある。それは3都市の食文化の違いは食材の問題であることだ。例えば京都は牛を食べるが長安は農業が盛んなため牛を食べないという違いがある。今回のシンボジウムは興味深い内容が多かった90分であると共に質問する大切さについて考えさせられる90分だった。僕は今後の学生生活で質問するということを積極的にしていこうと考えた。

大崎 太陽

 今回のシンポジウムに関しても普段の講義とは違った形式となっていてとても楽しく講義を受けることが出来た。学生からの質問を受けてそれに答え、話を展開していくため、自分が疑問に感じたことが解消されていき、それに関する物事に対して理解がよりしやすいように感じた。また、他の学生がどのように感じたのか、どのような疑問を持っていたのかということも同時に知ることが出来た。
 質問の仕方については、講義で学んだことだけに対する疑問だけでなく、当時を生きた人の食文化などを想像し質問をすると言う発想が自分にはなかったものなので非常に参考になった。今後講義を受ける際は、物事を平面的に理解するのではなく、立体的に物事を考えていくことを意識しようと考えた。
 前回と今回のシンポジウムを聞いて、自分がどこに疑問を感じ、その疑問を放置するのではなく解消することが一番大事だと感じた。大学生以前は、答えのある問いにしか向き合ったことがなく、大学生になった今、自発的に疑問を見出し解決するということが難しく感じるが、まずは、自分の手が届きそうな質問をするということを今後の学生生活で意識していきたいと考えた。

FAN XIN

 今回のシンポジウムは学生たちが前回のシンポジウムの内容に対しての質問を先生たちが答えるという形でした、私にとって斬新な体験でした。先生たちは質問を答える形で中国、ヨーロッパ、日本三地域の代表的なお祭りの話をしました。私は今日本に生活しています。先生たちや友人のおかげさまで、いくつかの日本の魅力的なお祭りを体験しました。
 何よりも、今回のシンポジウムで前近代の日本の祭りについていろいろ知りました。陳先生は中国の伝統的なお祭り、松本先生はヨーロッパのお祭り、神尾先生は京都のお祭りを紹介しました。日本以前の祭りや現在京都などに存在する祭りは古代中国の伝統的なお祭りと密接な関係がありますが、今の中国で、一部のこのようなお祭りが残されていません。幸いにも、このようなお祭りが日本でいろいろな形で残されています。これはかつての国際交流の結果だと思います。今度のヨーロッパのお祭りの紹介でお祭り関係の文化を学んだだけでなく、ヨーロッパのお祭りは現在の日本でも存在していますね。このように、異文化コミュニケーションを通じて今の社会の多様化になりつつあると理解できました。
 シンポジウムという新しい形の授業で、先生たちから様々な都市文化の知識を学びましただけでなく、他の学生たちが同じ文化的現象に対してそれぞれ異なる考えがあることもわかりました。異文化理解の大事さも体験できました。

鶴野 悠莉

 本日のシンポジウムでは、三人の先生たちの意見や講義が一コマで聞けて、とても貴重で三都市において様々な情報を知ることができた。大学の講義は、先生が前で淡々と講義しており、今回のような受講学生から先生へ質問して答えてもらう機会がないので、とても新鮮な講義の時間だと感じた。自分と同じ受講生の質問という点で、興味を持ったと同時にどのようなことに疑問を持っているかを明確かつ具体的に知ることができた。質問内容では、三都市をいろんな視点から考えた上での質問が多くあり、自分が思いついてないワードや質問のレベルの高さに圧倒された。一方、気になった点や考えていたことが他の受講学生と一致してる、ニュアンスが似ているところがあり、このことを疑問に思っている人が自分以外にいるとシンポジウムを通して実感できた。具体的には三都市の食文化のことについて聞きたかったことが一致していたので今回聞けて良かった。
 シンポジウムを通して、質疑応答で生まれる学びの言語化について私は、疑問に思ったことを分析し先生に聞くことで納得や解決につながり、質問を考えている間にも学びの時間が発生していると考える。講義は先生が一方的に話す場面が多く、なかなか疑問に思ったことを聞くのが難しい。そんな中で少しでも質疑応答と時間をとることにより、受講生が講義内容により興味を持ち、要所要所できちんと内容理解できる環境の実現に近づくのだ。そしてただ一問一答で終わってしまうのではなく、帰ってきた答えについて深堀することが大切で、それにより想像力や追及力が培われるだろう。

岡 優里

 今後ゼミのグループワークなどの発表などで積極的に質問していこうと思いました。こんなにも質疑応答することで自分の知らなかったことを知ることができて面白いと思いました。
 質疑応答とは、一問一答ではなくそこから深めたり拡充したりすることでどんどん知識が蓄えられていき、幅広いところまでわかるようになっていくと思います。さらに今後自分に質問されたとしても深くまで答えることができます。一問一答とは違って面白いと感じました。

宇津 亮太

 今回のシンポジウムを通して、先生への質問を難しく考えるよりも、気になったことを質問として言語化することが重要なのだとわかった。どんな当たり前のことでも興味や関心を抱くことが重要であり、1人で抱え込むのではなく質問を投げ教えてもらうことや、自分よりも多くの情報や経験をしている人に一緒に考えてもらうということが重要であることを学んだ。これからも質問を躊躇うなどを行わず、自ら積極的に行動していけるように意識していこうと感じた。
 私は、これまでの講義を通して、それぞれの国の文化というものは時代の流れによって大きく変化していることが確認できた。その事で私は、なぜこのような大きな文化が発生していくのか。そして、国によって文化の変わる際の出来事には、共通するものが存在しているのか興味を持ち、質問させていただきます。

中川 璃恋

 第2回のシンポジウムで一番印象に残った言葉は、「学ぶことに年齢は関係ない」とおっしゃっていたことです。先生たちがどうしてその都市について研究したのか、という疑問に対して松本先生が25歳からイタリア語を学び始めたとおっしゃっていました。そこで先生方3人とも学び始めるのには年齢は関係なくいつから始めてもいいんだよと学生に向けておっしゃっていてとても心に響きました。私は英語の勉強をもう一度きちんと学びたいと思ったのですが始めるのにはもう遅いかなと諦めていたのでもう一度頑張ってみようかなと思いました。
 また神尾先生が、「学生の頃に学んだことは意外にも大人になっても覚えている」とおっしゃっていたことを受けて、日々の勉強について怠ってしまっていると感じているのでしっかりと一つ一つの学びについて大切にしていこうと思いました。
 今回のシンポジウムでは他の学生の疑問を見て確かになんでなんだろうと思ったことが多く、自分自身では思いつかなかったような疑問を発見できた点や気づきが多くあって良かったです。次回のシンポジウムもどのような内容になるのかとても楽しみにしています。
 1つのテーマから先生方はいろんな方面に話を展開していっていた点から、関心を深めるには一筋の話ではなくいろんな面に向けてアンテナを立てることが大切だと感じました。そうすることによりこのシンポジウムでの沢山の知識の獲得ができ、今後自分自身がどうすればいいかなどと悩んだ際にこれまでの経験や聞いた話から沢山の選択肢を持つことが出来るのではないかと思いました。また、そう考えたきっかけや疑問に思うことなどの道筋を追及することがとても大切だと感じました。そうすることでもっと知りたい、学びたいと思うことについて明確的に意欲的になると思いました。

堀口 瑞斗

 今回のシンポジウムでの質疑応答は、前回のシンポジウムとは違い、より深く追究したものであった。松本先生、陳先生、神尾先生の何故、その分野へと進むことになったのかのお話は、私達が将来に向けて悩み考え、答えを出すこととさほど変わりはなかった。ただ一つ違うことは、何に出会い、何に興味を持ち、その事に対してお三方は行動に移すことで、自分の道を見つけたのではないだろうか。進むべき道と決めつけることではないと、少しだが気づくことが出来た。
 「何故」ということを相手に質問を投げかけることは、自分自身もその事柄について理解し習得し、何かを発見し、創造しなければ出てこない言葉ではないかといえる。私達は今まで答えに結びつくことを終着点としていた。答えが出ないという事態に意味を持ち、楽しい学びに切り替えることが重要であるとは考えていなかったといえる。ネガティブ・ケイパビリティの能力は、今後大学生活を経て、社会人となった時、人と人との関わりの中や何かを企画する時に活かせるといえる。質問することの大事さや、放置せず知識と知識を結びつけて追究することを見出していかなければならない。

野口 虎太郎

 今回のシンポジウムを通して、先生方の学びへの熱量や学ぶことへの意欲が話を聞いていてかなり強く伝わってきました。シンポジウムで先生方がしていたフィレンツェ、西安、京都の話もかなり興味深く知らないことばかりで面白かったのですが、先生方がどうしてそれぞれの都市について研究したかなどの話や、大学院に進んだきっかけのような話は同じくらいに興味深く面白い話だった。またその話を聞いて学びを追求することの大切さや、分からないことを質問して理解を深めたり、広げたりすることの大切さ。知らなかったの積み重ねをすることの大切さなど学びにおいての大切なことを学べた気がしました。何よりもシンポジウムを通して通常の講義とはかなり違った面白さがあって非常に新鮮でした。

范 庭瑋

 今回のシンポジウムでの質疑応答は、一方的な情報交換だけでなく、異なる都市文化を持つ学生、教員、事務職員の互いのコミュニケーションによって成し遂げられたことだと思います。異なる文化や都市に特有の要素に関する質問に答えることで、全体的な視点だけでなく、多面的な視点で異文化を理解することができます。これは将来の研究や異文化コミュニケーションに非常に役立つと思います。
 このトピックは質疑応答のセッションではなく、同じトピックに関する一連の質問を通じてより深く掘り下げ、講演者の専門知識を詳細に明らかにします。これにより、都市文化の複雑な構造と歴史的背景を理解することができました。1つの質問と1つの回答は、一方的なメッセージだけではなく、双方向のコミュニケーションの重要性を表しています。 質問者は、質問を通じて自分の考えを整理し、他の人の理解を助ける能力を向上させます。質疑応答では専門用語が多用されています。この経験を通じて、私は専門分野の知識と言語体系に慣れることができました。
 今後はこれらの専門用語を使ってさらに深い学びを追求していきたいと思います。 この質疑応答を通じて、正確かつ効果的な議論の仕方を学びました。今後の研究会や学会で使います。将来は、今日学んだ知識や質疑応答スキルを活かしていきます。
 異文化コミュニケーションや国際研究にはさまざまな視点からの疑問が必要です。Q&A の経験を通じて得られたスキルと理解は、将来の研究やコミュニケーションに大きく役立つはずです。