2021.11.8

都市文化論2021 今年もシンポジウムを開催いたしました

都市文化論シンポジウム2021
~北半球・歴史都市の旅:フィレンツェ・西安・京都~

 10月27日(水)4限、「都市文化論シンポジウム2021〜北半球・歴史都市の旅:フィレンツェ・西安・京都」が行われた。普段は、神尾登喜子教授は京都、陳力教授は西安、松本典昭教授はフィレンツェを取り上げているが、シンポジウムでは三都市を比較して、相違点や共通点を探った。昨年に続き、コロナ禍でのリモートによるシンポジウム。いつもの通り、MCは神尾教授だった。

科目担当者コメント

「都市文化論2021」第1回シンポジウムを終えて

松本 典昭:都市文化論(ヨーロッパ)担当

 学生の感想を読むと「先生たちが楽しそうに話されるので、こちらも楽しく話を聴くことができた」「知ることは楽しい、と知った」などとあり、それこそが、私たち3人の伝えたかったことだと思ったしだいです。三都市を比較することは、優劣を論じることではなく、むしろ違いを楽しむ、共通性を探って楽しむ、ということです。楽しい学問をめざしたいものです。なかには「難しかった」という感想もありましたが、どういう意味? あれは? これは? と、頭の中をクエスチョンマークでいっぱいにすることもまた楽しいものです。今年ノーベル賞を受賞した眞鍋淑郎さん(90歳)は、研究の原動力を問われて「curiosity」と答えました。なぜ? どうして? と知りたがる人は常に若いのです。

陳 力:都市文化論(中国)担当

 今年の「都市文化論(アジア)」は重点を少し変え、都市文化論の各論を経済地理・都市地理の見解を比較しながら、「視点・セオリー・ケーススダーディー」のように展開し、研究を意識した講義となりました。さらに、対面授業ができなくて学生のその場の質問などに答えられないこともあり、授業の難易度はかなり高くなっています。けれども、大学4年間のなかで、いくつかの難しい授業を受け、真剣対決しないと落第の可能性が出てくることを体験してもいいのではないかと思います。
 今回の学生の皆さんの感想を読んで、授業での抽象化された話を、シンポジウムでの実例と比較によって、理解できたのではないかと感じました。

神尾 登喜子:都市文化論(日本)担当

 毎年の恒例行事のようになっているこの「都市文化論」のシンポジウムも12回目を迎えた。最初の年である2010年度は、履修学生諸君から苦情が来る程度には、酷いパワーポイントデータであった。そこから12年。干支も一回りする時間を過ごし、それでもまた新たな発見がある。研究とは行き止まりの無い永遠に、そして無限に続く宇宙の旅をするようなものかもしれない。ふとこんなことを思う2021年度の第1回シンポジウムであった。何よりも私にとって今年は大学入学して40年目を迎えた。学生諸君のレポートを拝読しながら、40年前にこれが記せる学生であったのか?と自省する。

「都市文化論」第1回シンポジウム・学生コメント

北邑優里奈(国際コミュニケーション学部1年)

 フィレンツェ・西安・京都の三都市は、緯度がほぼ同じで、盆地で、川のそばである。フィレンツェと京都はできた年がはっきりしているが、西安ははっきりしていない。西安と京都はどちらも位置が転々としたが、フィレンツェは位置が変わらない。三都市とも都市の形は四角であるが、縦と横の長さが微妙に違っている。また三都市とも、道が規則正しい碁盤目状である。都市の大きさは西安・京都・フィレンツェの順である。
 京都と西安に共通点があるのは想像がついたが、フィレンツェにも共通点があるのは大変驚いた。例えば、三都市とも形が四角いのに驚いた。京都は縦と横の通りに名前がついているということだが、それも中国の模倣なのだろうか。もし道の作り方や命名に違いや意味があるのであれば、それも面白いと感じた。

高井つぐみ(国際コミュニケーション学部1年)

 三都市の共通点は川の近くにあるということだ。フィレンツェと京都は川を挟んだ形で、西安は川の北側にある。中国の川はフィレンツェや京都の川とは次元が違って、向こう岸が見えないという。三都市の違いとしては、都市の形がある。フィレンツェはほぼ正方形、西安は横長の長方形、京都は縦長の長方形。面積は西安、京都、フィレンツェの順であるが、面積を人口で割ると、また順番が変わってくる。
 三人の先生によるシンポジウムで、三都市の共通点や相違点が見つかり、とても面白かった。フィレンツェには今もローマ時代の街並みが残っていると聞き、自分の目で確かめたいと思った。他にも、京都と西安は占いで都市の位置を決めたことなど、共通点が多いことがわかった。新しい知識が増えた。先生たちが討論しあう授業は新鮮で、見ていてとても面白かったので、またシンポジウムを開いて欲しい。

恒藤菜月(国際コミュニケーション学部1年)

 都市には川という共通点がある。川は都市の形成において非常に重要だ。川は自然のインフラにもなるため、人が都市で快適に生活するためには川があることが必要不可欠。さらに中国の川は非常に幅が広いため、西安は黄河のような大河の治水ができない。よってフィレンツェのような  都市国家の形成は不可能だった。また、西安・京都とフィレンツェには相違点がある。それは都市が誕生した歴史だ。西安と京都は都市を転々と移したという歴史がある。一方、フィレンツェは都市が誕生した当初から現在まで位置が変わっていない。フィレンツェが歴史を重視する都市だとわかる。
 普段の講義では一都市だけを勉強しているが、今回三都市の解説を均等に聴くことができたため、充分に三都市を比較して考察ができた。比較できたからこそ分かるフィレンツェの魅力的な一面も確認できた。また、西安と京都の共通点は非常に多い。ともにアジアの一部であるという大きな共通点があるために、文化や文明が似ているのだろう。今回のシンポジウムで強く印象に残った点が二つある。三都市にとって川が重要だという点。そして三都市がそれぞれ離れた場所に位置しているにもかかわらず、温帯の細い帯の上に横に並んでいるという点だ。普段の講義では得られない知識を得ることができたので良かった。

福原拓実(国際コミュニケーション学部2年)

 三都市の類似性について、まず、フィイレンツェ・西安・京都の三都市は大体同じくらいの経度で形成された場所であり、どれもなかに川の近くと盆地である場所が条件でつくったことが共通している。また、どれもほとんど正方形に近い四角形の形をしている。
 そのなかで西安と京都の共通している部分は都の形成期において、最適な立地を探るための徘徊をしていたことである。そして、その都を囲んでいるものでは西安は城壁で、京都は稜線と異なってはいるが、都を囲んでいることは共通している。
 三都市とも正方形に近いものであるが、正方形に近い形にした理由はそれぞれ異なっている。フィイレンツェは古代で円に接する正方形が人間の形であり、完璧な形と考えられていたからである。これは地球から宇宙に伝わったものとされている。西安はフィイレンツェとは逆に、天の都(紫宮)から天子の都(都城)へと進むように宇宙から地球へと伝えられたものである。そして、京都は中国の都を模倣してつくられた都市である。
 また、その場所につくった起源についてもそれぞれ異なることが考えられる。フィイレンツェはどこでもよかったが、不便かつ安全なサンマリノと危険かつ便利なピサの間をとって形成された。西安は皇帝の出身地や勢力によって決められた。他にもシルクロードと繋がっており、交通面において便利だったことなどがある。京都の葛野は桓武天皇王朝形成に財力、技術力を押さえてつくられたものである。また、平安京から長岡京へ遷都したことについても様々な説が存在している。そして、つくられた年代ではフィイレンツェは紀元前59年ごろ、西安は6世紀末、京都の平安京は794年の順である。西安は始皇帝の時代からなると紀元前二世紀からとなる。
 本日の都市文化シンポジウムの講義を聞いてみて、私はフィイレンツェ、西安、京都の三都市はそれぞれ都市の雰囲気が全然違うようなイメージを持っていたが、意外と共通点があって驚いた。また、自分が知らなかった三都市の歴史や起源などについて知ることができて勉強になった。特に、都市の形が正角形なのはそれぞれの国の文化による意味があったのだと気づくことができた。
 また、先生が言っていた都市の中における一人当たりの面積を計算してみた。フィイレンツェが20、平安京が38、西安がおよそ84であった。その結果、一人当たりの大きさも都市の面積の広さと同じ順番になった。人口が多くても一人当たりの面積が一番広い西安の規模はすごいと実感できた。今のご時世では難しいが、これから自分がそれらの都市に訪れる機会があれば、三都市の共通点と相違点に着目して見ていきたい。
 また、その時代の人々は他の軍に攻めづらく、安定して生活できる良い場所に都市を形成する想像力があると感じた。このような想像力がなければ、現在までその三都市は残っていないであろうと感じた。他にも今回の講義の資料を見て、日本は遣唐使の時代に中国と関わり、遣欧使節の時代にはイタリアとも関わっていたと知ることができた。このような出来事が歴史にあったからこそ、現在を通して、この三都市は様々な文化の人たちとコミュニケーションをすることができると感じた。そして、それぞれの都市の魅力はこの講義以外でも伝えられていると思った。
 今回の講義のような三人の科目担当の先生が行うシンポジウムは、通常の講義とはまた違った新しい発見ができて、とても良い機会であった。通常の都市文化論の講義もそうであるが、都市文化シンポジウムのような三つの講義が一つになった授業であるからこそ、対面だとみんなの意見や考えを聞けて面白そうだっただろうなと考えた。いつかこの講義で対面授業ができるときが来ればいいなと思った。
 また、このアジアの都市文化論の講義を受講したことをきっかけにヨーロッパと日本の都市文化論も受けてみたいと思った。そして、今回紹介された三都市だけでなく、他の歴史的な都市の起源も知っていきたい。次回の都市文化シンポジウムの講義も新しい発見ができたら良いと思った。

中島 航(国際コミュニケーション学部2年)

 フィレンツェ(ヨーロッパ)・西安(中国)・京都(日本)の3つの都市で共通している部分は町の地形の造りが似ている点です。フィレンツェであればアルノ川があり、西安であれば渭水、京都であれば鴨川に桂川と河川が流れています。これは輸送手段の便利でない時代では河川が近くにあることで水をすぐに摂取できることが大きな理由です。それにそれぞれの街並みが四角に造られています。ですがここで相違点があります。
 フィレンツェでは古代には円に接する正方形は人間の形であり完璧な形と考えられていたことからこの街並みなりましたが、西安では宇宙の真ん中にある紫微宮と同じ形で造られないといけないとされており天は丸く地は四角い天円地方でした。そして京都では中国の都の模倣であり、都の中は区切られていました。この3つの都市が出来たのはそれぞれ時代が異なります。ですが街の地形の造りが似ているということは、この街並みが人間の暮らしにとって最適な形だと考えることもできます。
 今回の都市文化論シンポジウムの講義を通して感じたことは、まず特に日本の京都の町のつくりは高校までに何度も歴史の授業で習いました。ですがこうして3つの都市を比べてお話を聞いた事は初めてで、一つ一つの都市について習うとではかなり勉強になる点に違いがありました。当たり前ではありますが人間は水が必要不可欠であり、交通の面で発達していない時代までは、国や時代が異なっていても河川が近くにあればもちろん生活が豊かになります。それに理由は違いますが街並みが四角いことも、比べて聞いて初めて気づきました。現代で生活している私達にとっても、道路や線路の直線距離が短いと距離も角を曲がる回数も増え、時間がかかり不便です。今回の講義を通してこれは人間の本能の一つと言っても過言ではないかと私は思いました。
 それに、先生方が楽しそうに講義をしてくださったので、学生側の私も楽しめました。

架谷美唯藍(国際コミュニケーション学部2年)

 フィレンツェと西安と京都の三つの都市の共通点は、物流の基盤である川の近くに位置し、盆地であるということが共通点である。相違点としては、まず、都市の形である。フィレンツェはほぼ正方形の形をしている。西安は、横長の長方形をしている。京都は、縦長の長方形の形をしている。また、フィレンツェでは人間から宇宙が生まれるという考え方であったが、西安では宇宙から人間が生まれるという考え方であり、この考え方は二つの都市の形に関係している。
 そして、京都は中国の模倣であったが、城壁はなかった。他にも、出来上がった時期も違う。フィレンツェは、紀元前59年、西安は6世紀終わり、平安京は794年である。大きさとしては、西安が一番大きく、二番目が平安京、三番目がフィレンツェである。さらに、都市を構成する内容も、三つの都市で少しずつ違う。
 シンポジウムの授業を受けて、三つの都市は、出来上がった時代も、構成も、場所も、文化も違うのに、共通点があるということが非常に興味深いと思いました。物流の要である川の近くに都市ができていることに納得しました。また、地図上で三つの都市を比べることをして、都市の形という部分は今まで、気にしたことはないので、形にまで意味があることを知り、それぞれの都市の思考が反映されていることも、面白いと感じました。内容的に、西安と京都という、日本史で触れている所の内容で、身近に感じるものだったので、全く分からないということはなく、一つ一つの理解がしやすかったです。フィレンツェについては、今まで何の知識もなかったので、少しでも知ることが出来て良かったです。他にも、昔の都市と現代の都市になる基準は全然違うと感じました。

中島 葵(国際コミュニケーション学部2年)

 三都市を比較することで気が付いた共通点と相違点は以下である。
 先ず三都市の共通点は、都市の近くに川があり、地形は盆地で四角形の点である。フィレンツェは正方形の形であり、これは正方形が完璧な形であるとされていたからである。また、西安は「天円地方」という古代中国以来の宇宙観より四角形である。そして平安京は中国の都市をモデルに作られているため、中国と同じく四角形となっている。フィレンツェと西安の共通点は、都市が城壁で囲まれている点である。これらの都市は外部の敵から都市を守るために城壁が必要となる。その他、西安と平安京の共通点は、皇帝や天皇を支持する勢力の所在地である点である。都市を築くうえで財は必要不可欠であり、中国は皇帝の出身地もしくは皇帝を支持する勢力の所在地、日本では天皇の母方の一族の本拠地に作られていた。
 次に相違点は、イタリアは都市国家であり、中国と日本とは異なり都市を作るにあたっての絶対条件がなかったため、山の上にも都市が作られることがあった点。日本の都市は山に囲まれた地形に作られ、壁で都市が囲われなかった点。中国の都市は、他2カ国とは都市の規模が全く異なり、大規模であるため都市国家はできず国が築かれることがあった点である。
都市を比較するということを今までしたことがなかったので、面白いと感じた。中国が都市面積も広く人口も多いため1㎡あたりの人口も一番多いと考えていましたが、一番人口密度が高かった都市がフィレンツェで、驚いた。今回のシンポジウムで学ぶことが沢山あったので、次回も楽しみである。

安藤 美咲(国際コミュニケーション学部3回生)

 フィレンツェ・西安・京都の三都市は位置が離れているにも関わらず、都市として似ている点がいくつかあることを学んだ。共通点からわかるように、都市として選ばれる条件として「川」がポイントになっており、当時から貿易が重要視されている。その中でも印象に残っているのは、フィレンツェは川の近くであればどこでもよかったということである。中国は政治面や経済面も考慮しているのに対して、フィレンツェは大雑把な理由で面白いと感じた。次に学んだことは、「四角形」は当時どの都市でもきちんとした理由があって、都市の形になったということである。四角形があのように考えられていたと知り、驚いたと同時に面白いと感じた。
 今回のシンポジウムを通して、三都市の共通点や相違点を知ることが出来ただけでなく、遙か昔から国際交流が行なわれていたということを理解することができた。現代になり、グローバルという言葉が浸透したが、この三都市は昔からグローバルな交流をしており、異文化交流が行なわれていたということも知ることが出来た。

中山亜久理(国際コミュニケーション学部2回生)

 シンポジウムを聞きながら、私たちは昔も今も自然無しでは生きられない存在だということを改めて感じた。人が生きる上でも水は必要であるし、陸上の交通インフラは、物資の運搬をはじめとして川を使って物や人を運んでいた。平安京では、城壁を建てずとも山を利用すれば敵が攻めにくい地形であるなど自然は人々の生活と密接に関わっていたことを理解できた。
 今は、都市は発達しているため、昔の都市がどういうものだったかということを気にすることはなかったが都市が作られる条件などをシンポジウムで聞いてとても興味深いと感じた。また、九という数字が中国では縁起が良い数字であるため、それが日本に伝わり日本の都が九条であったことや、日本では四という数字が、縁起が悪いといわれるように中国でも縁起がよいものではないため龍の指の数が三本か五本であったことがかなり印象的であった。また、三都市とも緯度がほぼ同じであり、温帯地方であるためお米や麦が採れる恵まれた気候であったため都市が営めたことがわかった。
 シンポジウムで学んだそれぞれの都市の共通点や相違点をこれからの学習に生かしていきたい。

秋山 滉成(国際コミュニケーション学部3回生)

今回のシンポジウムでは、新鮮な気持ちを味わうことができた。自分が持つ知識量をはるかに超える先生方が、一つの授業を行うために、それぞれが持つ知識を、専門の分野に分かれ説明を行ったり、その説明を聞き、異なる分野を研究する。少し違う視点から質問を行い、自分の世界を広げているところを目の当たりにし、自分もこのような視点を大切にし、多様な角度から物事を捉え、多角的な考え方を持たなければならないなと感じることができた、とても良い時間になった。自分が興味を持つことだけじゃなく、自分の興味の外側を知ることが、自分が関心を持っていることに対する知識をより深める手助けになることも学ぶことができた。この経験を生かし、近々、取り組まなければならない卒業論文に取り組んでいく。

小田 宙士(国際観光学部3回生)

3人の先生方がお話をされていて、とても楽しそうにされていたので、こちらもとても楽しい気持ちになった。それによってスっと頭に内容が入ってくるという、かなり気持ちを楽にして聞けた。また、頭では分かっていたつもりだが授業を聞いても釈然としない、解けないものもお話を聞くうちに少しずつ解けた、というかアイデアの芽が出た。視点を変えたところで解けた部分も多々あった。本当に聞いて良かったと思う。さらに話の中で、「陳先生の感覚では大和川は小川」と神尾先生が仰っていた。長江や黄河のように、定義上は「川」だが河や江という名前がついている所以だと思った。また、黄河は治水が難しいため、二級河川が流れている付近の長安を都にした、という話があり、私は「川のために都を遷都する程なんだ」と思った。黄河の治水に成功した夏王朝の大禹は偉大である。
 今回、イタリア、中国、日本を専門で研究されている先生方3人のお話を聞き、楽しかったという部分もあるが勿論ついていけないタイミングがあったことも事実である。しかし1つ言えることは、1人の先生が話する講義よりは絶対に頭に入り、面白い。新たな発見や、再認識、それが知識になり、自分の身となる、それを特に今日は感じた。今日はこのような貴重な機会を提供して頂き、本当にありがとうございました。