都市文化論シンポジウム2020-北半球・歴史都市の旅 フィレンツェ・西安・京都

 研究分野の違い、研究テーマの違い、研究方法の違いという「違い」が大前提のシンポジウムも2020年度で11回目を迎えました。学生のコメントにもあるように、全く違う国の都市比較などできるものなのか、と恐る恐るの始まりでした。ところが、私たち各科目担当者は、毎年度シンポジウムを重ねていく中で、新たなテーマを互いに見つけ、次年度持越しの質問を投げかけ、年度をまたいで回答を行う、という壮大な展開と新鮮な驚きを繰り返しています。
 何よりも今年度は、教育情報課の協力の下で、ステューデントコモンズのブースから、受講学生のもとにライブ配信するというハイブリッド型でのシンポジウムを実施いたしました。パンデミックにより教育現場に挿入されてきた「リモート」の発展的展開を授業において行ったわけです。まだ改善の余地はたくさんありますが、この形を進化させていくことも未来志向の一つなのかもしれません。
 それでは、各科目担当者と多様な学部、多様な学年の学生で構成された受講生のコメントをご覧ください。

科目担当者コメント

「都市文化論2020」第1回シンポジウムを終えて

松本 典昭:都市文化論(ヨーロッパ)担当

 コロナ禍でのリモートによるシンポジウム。初めての体験でしたが、充実した楽しいものになりました。学生の感想を読むと、「先生たちが楽しそうなので、こちらも楽しめました」というものが多かった。まずは教師が子どものように疑問をいだき、発見を楽しむことが大切だと改めて考えさせられました。その上でいくつかの改善点も指摘してもらいました。手さぐりで試行錯誤しながら、教職員と学生がいっしょになって前進していくほかありません。受講生のみなさんが実に温かく寛大な心でシンポジウムを受けとめてくれたことに感謝します。お二人の先生にも、ご尽力いただいた事務職員の方々にも、感謝いたします。

陳 力:都市文化論(中国)担当

 コロナ禍の中で、如何に、学部の伝統行事ともなった本授業のシンポジウムを実施すればいいか?神尾先生・松本先生から大変素晴らしいアイディアが提示され、2020年度は新しい要素としてリモート型シンポジウムが取り入れられての実施となりました。このような大変な状況下にあって、少しでも学生のニーズに応えられたら幸いだと思います。
 今回、受講生のレポートは、例年以上に優秀なレポートがあり、今回のシンポジウムにおける教員の熱意が伝えられたか、と自負しています。第2回シンポジウムのテーマも、第1回終了後に話し合うことができ、新しい方向性を探ることになり、教員としても刺激的な議論となりました。

神尾 登喜子:都市文化論(日本)担当

 リモート・ハイブリッド・高質な授業提供。2020年度における「三題噺」です。それを今回はどこまで実現できるか、というのが私たち担当者の大きな課題でした。私のクラスからは、田中美穂君が、教員と配信カメラの位置関係についての的確な改善指摘と共に録画提案をしてくれました。極めつけは、「先生方の掛け合い」が「新鮮でした」とのコメントにひっくり返りました。田中君の「掛け合い」という表現に、漫才を想起した私です。堀之内陽向君は、「子供がそのまま大人になった3人の先生方が楽しそうでした。テンション高いシンポジウムで見ていて楽しかったです」と、直接言葉にしてくれました。これらの言葉に背中を押されながら、トリオ漫才シンポジウムは、次回も真剣勝負でいきます。

「都市文化論」第1回シンポジウム・学生コメント

有田 健太郎(経営情報学部1年)

 今回のシンポジウムは私にとって有意義なものになりました。印象に残っている話題が四つあります。
 一つめは「河川の重要性」です。三つの都市すべてにおいて中心や周辺に河が流れているのは、効率的に物品を運搬するためでした。産業が発展して移動手段に困らなくなった現代では、そうした河の価値が忘れ去られているといった話です。
 二つめは「九という数字の意味」です。中国では九という数字が完全な数字と考えられていたので、その考え方が一条から九条まで分割された平安京の構造に影響しているといった話です。
 三つめは「平安京の通りの名前に込められた意味」です。通りの一つ一つに名前があるのは、犯罪が発生した時に場所を迅速に判断して対応する、つまり防犯の意味合いがあったという話です。
 四つめは「ウィトルウィウス的人体図に込められた意味」です。絵の作者であるレオナルド・ダ・ヴィンチは、人体の比率から円と正方形が完全な形だと考えました。そして「人間が万物の尺度である」から、フィレンツェはほぼ正方形の形をしているといった話です。
 他にも、亀の甲羅を用いた占いの亀卜の話や、北極星から垂直に線を下した位置に都市を形成するといった話がありました。ただ、あまりに情報量が多く、メモが間に合わなかったのが心残りです。しかし、九十分という時間が短く感じられるほど興味深い話をたくさん聞けたことは事実です。

安藤 美咲(国際コミュニケーション学部2年)

 今回のシンポジウムを聴いて、フィレンツェ・西安・京都という一見関係のなさそうな三都市が、遣唐使などで関わっていたり、都市の場所を決める基準として「河川」がある場所を選んだり、共通点がいくつかあることを学ぶことができた。
 シンポジウムで面白いと感じた点がいくつかあって、一つめは西安についてである。現在では世界中で自国とは違う文化や制度を取り入れることは当たり前になっているが、一昔前の世界では自国の文化が絶対であり、異国の文化は取り入れないと個人的に思っていた。ところが西安は自国の文化を無視してまでソ連の真似をしたと聞き、驚いたと同時に面白いとも感じた。
 また、日本の方角の表現について、私達は普段から「東西南北」と言っているが、昔は「東南西北」と記されていたと聞き、いつから東西南北が当たり前になったのか気になり、調べてみたいと思った。
 最後に、「川」の重要性に気づけたことが一番の収穫だった。現在では技術が発達し、車や列車や飛行機ができたりして、私達が「川」を見ても生活に特別重要だと感じることは少ないが、当時の人からすると「川」を通して人やモノが移動するので必要不可欠な存在だったということを学んだ。
 今回のシンポジウムでは、三つの都市を比較する形で分かりやすく、とてもいい機会だったと感じた。

久保 並輝(国際観光学部1年)

 西安の都市に斜めの道があるのは他国の文化を取り入れているのですが、違和感がありました。西安は東西約9キロ、南北約8キロに約100万の人がいたとすると、人口密度がかなり高かったのではないかと想像しました。
 京都が縦長になっている理由は、北から南に向けて階層が異なっているためでした。また、京都の通りの名前は犯罪防止に役立っていました。
 古い時代の川は人や物の運搬において重要な役割があり、大都市の付近には川が存在します。パリやロンドンなどヨーロッパの大都市にも川が存在しています。日本の大都市の場合も、やはり関東には荒川や利根川、愛知には木曽川、大阪には淀川など、多くの例を見つけることができます。
 三都市とも国は違いますが、共通する部分、独自の部分があり、それぞれの違いもまた興味深いものでした。

坂戸 那奈佳(国際コミュニケーション学部2年)

 この三都市は場所が全然違うし、距離で言うと京都と西安はまだ近い方です。京都とフィレンツェは、地球の反対側と言えるくらい遠いのに、三都市で共通する点が多くて驚いた。でもやはり、形というか表向きが共通しているだけで、その意味はそれぞれの都市で異なるのだと思いました。
 グローバルな現代社会において、異文化理解が当前のものとして日常生活に横たわる。これまでの多くの研究成果から違和感を持たずに、素直にこれを受け止めてきました。しかし実際のところは、異なる文化に遭遇する経験を通して、少なからずの戸惑いに出会うことになります。
 この三都市が隆盛を極めていた時代、一から都市をつくり、自分たちの文化を形成し、時には様々な地域に出かけるという行動力に接したとき、本当にすごいと思った、というのが偽らざる感想でもあります。「今だけがグローバルな時代じゃない」との発言を耳にした時、高校までに授業で習ったことがあるそれぞれの都市に対して、今回の授業で気づかされたことも多かった、というのが本音です。
 もしも、機会があれば西安やフィレンツェに行ってみたいと少し興味を持ち始めたし、京都に行った時には、ただ遊びに行くのではなく、意識をもって歩いたり、電車やバスに乗っている中で、風景をしっかりと見ようとも思えるシンポジウムでした。先生同士の話し合いが新鮮で、割と楽しく聞くことができました。
 一気に三都市の内容が、画面の向こう側方配信されてきたことで、少し大変ではありましたが、とても充実した時間でもありました。今の町があるのは、今回のような多くの歴史の蓄積があったからで、私たちがその歴史を知ることは大切なことであると改めて感じた90分間でした。

若尾 栞那(国際コミュニケーション学部3回生)

 今回この三都市が合同で授業をすると聞いたときは、何の共通点があって同じ時間にするのかと疑問に感じていましたが、90分間の中でこんなにも共通点があることに驚きました。場所や歴史、人種も違う中、緯度の位置が近いというところから様々な観点で発展していくことが、歴史の素晴らしさであり、すごい部分であると実感しました。
 また日本で育ち、日本史などを学んでき、大阪に住んでいるため、京都が近いのにもかかわらず、京都の知らない歴史や歴史が刻まれていく過程を深く知ることができ、「京都とは面白いところ」なのだと改めて実感することが出来ました。

池本 堅士郎(国際コミュニケーション学部1回生)

 いつもの授業とまた違って新鮮でした。国ができるのに自然が関わってると理解しました。特に、物流のための運搬に河川が必要不可欠であり、生きていく上で欠かせない国の成り立ちと深く関わっていると見解できました。京都や中国は河川が周りに多くあると思いました。
 講義ででてきた三ヵ国の都市の形はどれも四角形に近い形で似ていることが分かりました。北から南の地域で居住者の身分が違うのも中国と日本でにていると思いました。

水野 柊太(経済学部4回生)

 今回のシンポジウムで、3つの都市を比較すると、形成時期こそは違うものの、都市の周辺には河川や盆地があることや、都市が定着するまでに様々な地を転々としていたことなど、共通点としては多いということに驚いた。また、現代都市に必要不可欠な要素として、南北東西に大通りがあり、公共広場があるということが分かった。そして、現在と違う点では、河川の流れ、物流の陸路や水路の位置などが重要であるということも知ることができた。
 現代がグローバル的であると思われがちだが、歴史をたどってみると3都市がつながるグローバルな時代も存在していたということも印象的なことであった。

原 理恵(国際コミュニケーション学部3回生)

 シンポジウムでいつもの授業では取り扱わない西安・フィレンツェの内容が聞けて新鮮だった。授業内で京都の都の形や、仕組みをシンポジウムまでに学修していたが、更に掘り下げた内容を含めその他都市のことを学ぶことができてよかった。そして、天正遣欧使節や阿倍仲麻呂が、日本からイタリア・中国に行っていたことにも触れられており、内容を深めて学習することで知ることができ見えてくる歴史を聴けてとても楽しい講義だった。

的場 架音(国際コミュニケーション学部2回生)

 フィレンツェ・西安・京都。場所は違いながらも共通点がありました。物流の都市、国際的なコミュニケーションのある都市という共通点。その他にも宗教が根底にあるという点です。
 「都市は完成するのか」をテーマとして3つの都市の視線から展開するシンポジウム。学生同士での討論や、意見交換という企画は高校、大学で行ってきました。しかし、きちんと見たことが無かったので、まず圧倒されました。研究者の討論会は、自分の研究テーマを元に、これまでの研究成果を根拠として行うため、説得力が違います。そして、1つの言葉に対して、2つの意見が返ってきて、またそこから話が展開していく光景は、見ていてとても充実感がありました。知識のぶつかり合いであり、思考のミキシングのように感じとても面白かったです。
 今回のシンポジウムを聞いてみて、松本先生の授業が気になりました。イタリアのフィレンツェの歴史と国民性などからくる話を聞き、詳しく知りたいと思うようになりました。シンポジウムがなければ、このように思うことはなかったと思います。とてもいい機会をいただきました。

大森 愛子(国際コミュニケーション学部1回生)

 一見関係がないように見えても実は共通点があるところが、とても興味深かったです。私は歴史に疎いのですが、日本の歴史に合わせて他国の歴史も知りたいと思いました。なぜなら、過去も現在も変わらず国と国は何らかの形で繋がり、一つの国で起きた事象は他国にも関係する、またはしている可能性があると実感できたからです。日本にいても諸外国の学びがあるからこその国際コミュニケーション学部です。これからも、広い視野を持ち、多様な考え方に触れていきます。

松内 大和(国際コミュニケーション学部1回生)

 本日のシンポジウムは、3人の教授の意見を交えた話を聞けたので、とても有意義なものになりありました。各方面の専門的な知識を持つ教授の意見のため分かりやすく、一人が話しながら他の2人が意見の補完を行うというスタイルは、シンポジウム以外でも行ってほしい授業スタイルです。また、三人の教授が意見交換をしながら楽しそうに話をしている姿が個人的には面白かった。

是井 望見(国際観光学部1回生)

 前々から先生の授業は興味深さがあってとても面白いと感じていました。今回はいつもと違い比較するものがあることでさらに面白いと感じた。また、三人の先生方のお話を同時に聞ける機会は他にないので、とても貴重な時間でした。先生方の熱意が伝わり、もっと知りたいと強く感じ、都市文化の興味深さに引き込まれた気がします。

森田 容平(国際観光学部1回生)

 今まで全く関係の無い3つの都市だと考えていました。しかし3つの都市がほぼ同じ緯度に位置しているという1つの共通点からどんどん話が広がり、さまざまな共通点と相違点がありとても面白かった。同じカタチでもヨーロッパとアジアでは考え方や宗教、神の捉え方の違いから見た目は同じでも意味や願いが全く違うことに文化の違いを感じた。都市を形成するものひとつひとつに意味があり、昔の人はとても高い技術力と豊かな思考を持っていたと思う。これからも過去からのレガシーからさまざまなことを感じ取っていきたいと思います。