テーマ:君主・皇帝・天皇-玉座とそのシステムー

科目担当者コメント

シンポジウム開催の意義を考える時間

 今年は日本の年号が令和になり、歴史上重要な年になると思う。私のように古代史を学んでいる者にとって、天皇の即位と新年号の施行は、歴史を自ら経験・体験することになり、文献・史跡・文化財に頼ってできた自分の歴史観を修正する重要な機会である。なお、前近代においては、都市と都市文化は支配者と切っても切れない関係がある。このような関係について、かのマックス・ウェーバー氏は『都市の類型学』で渾身の力を入れて論じた。今回は時間の関係で支配者だけの議論になったが、学生諸君はこれをきっかけにして、ぜひ都市文化のあり方を「支配者」及び「市民」とリンクして考えていただきたい。学生諸君のコメントシートを見ると、シンポジウムに参加して、神話・記号・文字・ジェンダーなど、都市文化を構成する様々な要素に興味をもつようになり、探究心が萌えてきたことがみえ、シンポジウムという形の授業の意義を感じたのである。
(陳)

「もっと!」を体感する年2回の時間と知的冒険への誘い

 シンポジウムが始まるまでは、話がかみ合うのだろうか、と心配だった。3人の話は時代と地域が錯綜していたし、内容も複雑でややこしいので、私自身、理解するのが難しかったが、それでもじつに刺激的でおもしろかった。心配は杞憂だったようだ。学生の感想も「難しかった」と同時に「楽しかった」というのが多かった。「知らない」ことは、「発見の楽しみ」が多くあり、結局は「楽しい」ことなのだと、学生と同様に、つくづく思う。個人的には、「綬」の話と「璽」の話が文化の共通性と違いがわかっておもしろかった。2人の専門家からいろいろ教えていただけるのは、ありがたいことである。そして「知らない」から、もっともっと「知りたい」と、学生のように思うシンポジウムであった。学生諸君、未知の世界は広い、知的冒険の旅に出よう。
(松本)

研究とは悩むことなり

 学生時代から紆余曲折しながら、天皇や神に関わる研究をしてきた。文献を読めば読んだ回数だけ、資料は私に疑問を与えてくれる。それを明らかにするために論文という形で文章を連ね、何時しか40年近くになろうとしている。その間に私の中に通奏低音のように流れ続けていたのは苦悩であった。研究とは悩むことだと解ったのはつい最近ではあるが。
 さて、その中で、都市文化論2019の第2回シンポジウムとなった。共通性が見出せるのか?という科目担当者3人の打ち合わせの時間における悩みもさることながら、意外にも90分間は薄氷を踏むような思いではあったが、滞りなく終わった。そして、結果としては、三人三様の結果を獲得することになった。
 現在、私は天皇が詠ずる和歌(御製)を通して見えてくる国土に発生する災害について執筆をしているが、それはまた機会があれば話してみることにしよう。今回はその過程で見えてきた天皇の即位に関わる事柄の幾つかを紹介したに過ぎない。そこにはさまざまな疑問が私自身においてあることも事実である。
 2019年05月01日午前零時をもって元号が「令和」と改元された。以降、8ヶ月。私たちは令和の時を刻み始めた。生きている間に、昭和・平成・令和と3つの元号を生きるとは思ってもいなかったが、昭和から平成よりも、平成から令和の動きは、私たちに何かの決断を迫っているようにも感ずる。
 シンポジウムでは詳細に触れられはしなかったが、女性天皇と女系天皇の容認を日本が将来的にするのか否か。現時点では誰にもわからない。しかしながら、日本という国家の将来と日本文化における新たな象徴天皇像として、それは真剣に議論されても良いのではないか、とは思う。日本にとっての悩ましい課題の一つであるからに他ならない。
 これについて、すぐに明確な答えなど出せるはずもないが、今回のシンポジウムに出席した学生諸君には、この答えのない課題を考えることだけは忘れないで欲しい。どのような答えであっても、根拠資料をふまえれば、それは一つの回答になるのだから。
 最後に、松本先生が、「璽」と「綬」の話に興味を持たれたようなので、「綬」を紹介して終わろう。画像の勲章は、私の指導教授が2019年秋の叙勲で受けたものである。この黄色とブルーの紐が「綬」である。これによって瑞宝章中綬章であることが一目瞭然となる。「綬」とは、単に首から掛ける「紐」ではなく、それ自体に重要な意味が込められている。

第2回シンポジウム・学生コメント

松岡結依(国際コミュニケーション学部)‬‬‬‬‬

 君主・皇帝・天皇と玉座などについて、授業を受けて初めて知ることが多かったです。今まで君主・皇帝・天皇という呼び方やどのようにその地位になったかなどは特に疑問に思ったり調べたりすることがなかったので、授業を通して知ることができて良かったです。‬‬‬‬‬
‪ イタリアは君主制を採用していて、世襲によって皇帝が引き継がれていたと知ったのですが、ヨーロッパでは男女どちらでも君主になることができたのに、なぜイタリアだけ男性に限っていたのか疑問に思いました。男尊女卑のような考え方があったのかなと考えました。三カ国それぞれ神話作りをしていたと知り、具体的にどんな内容のものだったのか知りたいと思いました。イタリアでは即位の際にローマ教皇から冠をもらって代々それを継いでいたと知りました。また、皇帝がなくなったとき、衣冠を棺の中に入れることも知りました。エドワード8世の棺の中には冠がないという話を聞きました。私は最近『英国王のスピーチ』という映画を見たのですが、その映画の中にエドワード8世も出ていて、離婚経験のあるアメリカ人女性と結婚するために王位を辞退したので、棺の中に冠が置かれませんでした。‬‬‬‬‬
‪ 三カ国とも印鑑が重要視されていたそうですが、イタリアの教皇からもらった即位関係の文書はひもで縛られて印鑑が押されていました。日本は即位の儀の際、白装束を着る、その白装束は一番尊い服なので、その詳細を知りたくなりました。‬‬‬‬‬

新山明華‬‬(国際コミュニケーション学部)‬‬‬

 イタリアと中国は君主・皇帝がいという過去形だが、日本は現在も天皇がいる。この点から日本が他の2国とは相違点があることがわかった。イタリアでは君主制が終ったのは選挙により比較的穏便だったが、中国では軍事力により皇帝の時代を終らせた。終り方が違うとおもった。ヨーロッパの世襲は男性でも女性でもあることが珍しいと感じた。中国の皇帝の由来について、「皇」はかがやかしいという意味の字で、「帝」は正しい道を教える意味の字を組み合わせたものだということを初めて知った。皇帝の権力というのは「世の中を武力で救った」との自分の強さを見せたことと「仁」から来ているのだとわかった。日本は最初豪族の中の豪族である大王がトップに立っていた。この大王は天皇ではない。そしてその下にいる豪族たちは技術や財産・土地などをもっていたことを知った。また、天皇氏よりも蘇我氏の方が力を持っていたことに驚いた。天皇氏の血筋が書かれている『古事記』が重要だとわかった。また、そこには神話も書かれていた。中国から伝来した律令制とともに「天皇」と「皇太子」と呼ばれるようになった。ここから、中国との交流が大きく関わっていることがわかった。イタリアの即位で重要なものが冠である。戴冠式を行うことで初めて君主となれることを知った。また、教皇の勅書にひもがあり、これは偽物ではないと示すために重要なものだと初めて知った。イタリアの文書では印の押し方が中国や日本と違うが、日本と中国では判子が押されていて共通している。中国では判子から皇帝の仕事が読み取れ、日本では外交のやり取りに使われる判子があったのだと知った。君主と皇帝と天皇、言葉が違い、役割も違っているが、共通している部分もあるのだと知ることができてよかった。‬‬‬‬‬

前田彩桂(国際コミュニケーション学部)

 君主制国家の場合、イタリアでは、皇帝が即位するとき、「冠」を教皇から受けて即位を宣明する儀式が重要であるが、中国では権力を引き渡すときに、大事なものは「判子」である。日本もまた「判子」を重要としており、これは漢字が深く関係していると聞き、私もそう感じた。ヨーロッパのアルファベットとは違い、漢字というものが複雑で、一つの文字を作るのに複数のパーツを組み合わせるなど、文字の意味の深さと大切さがある。よって漢字を使う国としては、その漢字の強さを見せるために判子を作り、それは今も根付いており、継承のための重要な品物になっているのではないかと思う。

北山尭啓(経済学部)

 今回のシンポジウムで私が感じたことは、「どうして?」や「なぜ?」と疑問に思うことの重要さである。例えば、日本やイタリアには神話があったが、中国の始皇帝時代に神話がなかったのはなぜなのか?それは、「仁」という考え方があったために神話がいらなかったということだ。なるほどそういうことかと感心した。支配者になるには、それなりの理由が必要なのだ。また他国と比較することで、中国に神話がなかったことにも気がつくので、このようなシンポジウムをすることの大切さに改めて気がついた。
 そして今回一番理解したことは、君主・皇帝・天皇は、もともと財力を持つ貴族や豪族だったということである。

惣内友美(国際コミュニケーション学部)

 イタリアの王政が終わったのは1946年と聞き、想像よりも最近まで王がいたことを知った。イタリアでは君主の仕事は他国の王族と自分の子を結婚させることだった。即位式より戴冠式が重視されていた。中国では秦の始皇帝が、家柄に関係なく、武力で天下を統一した。日本では「天皇氏」も一つの豪族であり、蘇我氏を倒して律令体制を作ったと知った。イタリア・中国・日本の3国の中で、どうして日本だけが天皇制が続いているのか、気になる。中国と日本で重要な印鑑だが、ヨーロッパでは印鑑は使われず、サインが重要である。いろいろ疑問に思うことが多かったので、興味深い。

西本晴紀(国際コミュニケーション学部)

 新鮮な気持ちでシンポジウムを聞いた。ヨーロッパの授業だけだったら、ヨーロッパの君主の仕事が「他国の王族との結婚」ということの重要性に気がつかなかっただろう。中国や日本と比べて初めて大きな違いだと気がついた。また三カ国で共通しているのが、「綬」=「紐」の重要性だということに驚いた。そしてそもそも権力者はどうやって権力を持つようになったのか、そのことに疑問を持ち、もっと調べてみたいと思った。

阿部跳躍(流通学部)

 今回のシンポジウムのタイトルは「君主・皇帝・天皇」という三題噺であった。先ずは、イントロダクションを聞きながら、私の脳裡には「宗教」という普段私の日常にはあまり馴染みのない言葉が浮かんだ。君主にせよ皇帝にせよ天皇にせよ、その存在は絶対的であり、権威と権力(Power&Authority)が集約された存在であるのかもしれないという理解に至った。
 「国」として作り上げていく中で、『日本書紀』という国の歴史書や天皇氏の家伝としての『古事記』、国土の状態の報告書である『風土記』、そして国に秩序を作り上げていくための「律令」といった書物が編纂されることの重要性。文字によって国が姿を現してくるという発想を、今回のシンポジウムで改めて理解できたように思う。その陰ではいつの世でも、国のトップを動かす存在が蠢いているのだろう。「漁夫の利」という言葉があるが、国を動かすにあたっては、常にこの利益を獲得するものがいる半面で、搾取される民もいる。いずれにせよその頂点に立つのが、君主であり皇帝であり天皇なのだ。
 2019年11月半ばに執り行われた天皇が即位した年だけに実施される「大嘗祭」。この話の中で、アオウミガメの甲羅を焼いてその結果甲羅に入ったひび割れによって、大嘗祭で使われるコメの採取地が決定するという話があった。私はこれを聞きながら、アオウミガメの甲羅を使う理由を知りたいと思った。と、同時にその甲羅のひび割れの読み取り方について、どのような法則があるのかが分かれば、もっと古代以来の占いの意味が明確になるのではないかというところにたどり着いた。