2010年度カリキュラムにおいて、「都市文化史論(ヨーロッパ・中国・日本)」として科目運用がはじまった。3都市をテーマとする同時限開講の授業。15回の授業内において毎年度2回のシンポジウムを展開してきた。今年度は10回目を迎えた。2018年度にはカリキュラムが一新され「都市文化論」と科目名変更がなされたが、シンポジウムは継続することとなった。
 2019年度、“The 10th Anniversary”をむかえた授業内シンポジウム。松本典昭教授・陳力教授・神尾登喜子教授の3人は、フィレンツェ・西安・京都の3都市をとりあげて様々な角度から比較した。毎年使っている資料でありながら、毎年新たな発見と共に、互いへの質問の交差。
 普段とは異なる授業形態に、受講生たちも熱心に聞き入る姿がそこには見えていた。MCは神尾教授でした。

科目担当者コメント

「都市文化論2019」第1回シンポジウムを終えて

 2019年度で「都市文化論」シンポジウムは10周年の節目を迎えた。都市文化論の中でも、「立地論」は非常に重要なテーマである。今年度の第1回目のシンポジウムはその「立地論」を主軸として、日本・イタリア・中国の3都市の共通点と相違点について話し合う時間となった。シンポジウムは十回目になったが、教員同士の互いの知的な刺激はむしろ強くなっている。異なる研究分野からの知見は自分の研究の栄養素なのだといっても宜しいだろう。
 一方、平成から令和の時代に入ったことで、文化や伝統に対する学生の知的好奇心は高まっているようだ。ネットや教科書の情報や知識を超えて、「研究」というディープなレベルの内容について、学生たちは強い印象を持ち、知的好奇心を楽しんでいるように思う。その根拠こそが、学生たちが記しているコメントである。
今年度2回目は、これまで全く話したことのないテーマなので、新しい知的な刺激のある内容を受講者に提供したいと考えている。
(陳)

 学生の感想を読んでいると、「先生たちが楽しそうに話している」、「疑問があるとお互いに質問をしている」、「先生でもわからないことがあるのがすごい」、「わからないことに向けて研究していると思った」などとあった。楽しんでもらえたようでよかった。その一方で、「先生たちが熱心すぎて、ついていくのが難しかった」、「少しペースを落として欲しい」という要望もあった。次回はゆっくり進めることも心がけたい。
(松本)

 「都市文化論(旧科目名:都市文化史論)」のシンポジウムで、質問の回答に初めて「困った」という事態に遭遇しました。研究を始めて以来、学会発表でもシンポジウムでも、セッションでも、あるいは講演でも、すべての質問に回答してきたことに、自負を持っておりました。が、今回のシンポジウムでは、松本先生から思わぬところからの質問が投げられ、陳先生に助けられました。それとともに、学びも多くあったことは事実です。研究と学び。それは表裏一体のものなのだと改めて感じる10回目のシンポジウムでした。
 次回のテーマは、「君主・皇帝・天皇」という三大噺。発言する自分自身へのプレッシャーも含めてワクワクしています。
(神尾)

「都市文化論(アジア)」第1回シンポジウム・学生コメント

前田 彩桂(国際コミュニケーション学部)

 「都市文化論(アジア)」を履修しているので、陳先生から中国の都市のことを学んでいますが、今回のシンポジウムで新に京都・フィレンツェのことを学び、そこから三都市の共通点・相違点を見つかることで、都市に対する理解が深まりました。三都市ができた時代も場所も違うのに、それぞれにはいくつかの共通点があり、この共通点になる要素は都市を作るにあたって必要なものではないかと考えました。相違点にはその国の特徴(環境・機運・経済・信仰など)がでているのではないかと考えました。
 ヨーロッパ・アジア・日本を学んでいくことで、様々な国の文化やこれまで深く考えたことがなかった都市の作り方、そして歴史をもっと知って理解を深めたいと感じました。阪南大学に入学してから、3つの異なる授業が一緒になってシンポジウムをするなんて初めてだったので、素晴らしいと感じました。たった90分間ではありますが、先生方の対談の内容は記憶に残るものとなりました。
 それぞれの分野の知識を出し合って進めていくからこそ、先生が出す質問は私たち学生が今まで抱いたことのないところを突かれた気がして感無量でした。時に先生方が盛り上がっているのを見て、聞いているこちらも聞き入ってしまうくらい、1人の先生の話をただ聞くよりも面白いものでした。特に今回のシンポジウムでは比較することの大切さを学ぶことができました。
 このような貴重な対談を聞く機会を作って頂いて本当にありがとうございました。

新山 明華(国際コミュニケーション学部)

 フィレンツェ・西安・京都は形が似ている点もあるが、異なっている点も多いことを発見した。西安と京都は共通点があるだろうと思っていたが、フィレンツェにも共通点があることは初めて知った。宗教の面では、自国で進行している宗教に加えて、別の国で信仰されている宗教の建物も立てられている点が三都市に共通していることがわかった。そのため、京都は「宗教都市」と言われていた。
 陳先生の授業でも日本の都はどこかを考えたが、改めて日本の都は東京に都を移そうとしたときに詔が出されなかったので、いまだに日本の都は京都だとおもいました。長安のプランは中国純粋のものではなく、中国の文化とシルクロードからきた文化を融合した都市なのだと初めて知った。京都の都市づくりは長安の模倣としていたが、それは表面上だけであり、中身は異なっていた。
 地形の面で京都は北から南に向かってなだらかに低くなる地形になっているのに対して、長安(西安)は山の北川の北では「陽の地」に作られたのではなく、「陰の地」に作られていた。京都と長安は地形の面などほとんど変わらないだろうと思ったので異なっていることに驚いた。都を定めるときに占いをしていたことは聞いたことがあった。面積と人口には比例関係があることがわかった。3つの都市について知らなかったもあったので、今度の学びで共通点・相違点を見つけ出すことができてよかった。

阿部 跳躍(流通学部)

 フィレンツェ・西安・京都。この三都市は遠く離れている。それを比較してみるという「都市文化論」でのシンポジウム。特に、私自身が流通学部所属であることから、この三都市を流れる川や運河に注目をした時間となった。物流のために河川を利用すること。陸路よりもはるかに多くの量を一度に運搬するために自然のインフラを利用する発想に、目から鱗が落ちる思いで聴いた90分間であった。
 三都市が、距離的に離れていることに、比較する対象となることすら当初は懐疑的であった。そもそも、ヨーロッパと中国と日本を比較する意味があるのか。比較できたとしても、国の成り立ちも歴史も文化も異なるわけだから、共通点など見出せるわけがない。私のシンポジウムへの入り口は期待薄の状態から始まったというのが事実である。
 しかしながら、地形や規模は異なれども、そこに人が集住することにおいて設置される設備や機能に洋の東西はないのだといえる。歴史や文化を知ることで、現在がどのように形作られているのか、そして将来的にどうすることが可能なのか、を考えられるという点は、今回の大きな収穫であったように思う。情報と知識は「思考の源」とでも言えそうだ。
 食べてみなけりゃ美味いも不味いも分からない。これが私のシンポジウム満腹感の感想である。

北山 尭啓 (経済学部)

今回のシンポジウムで一番感じたことは、各都市を単体で見るだけでなく、それぞれの都市を比べてみることの大切さです。比べることによってわかることがたくさんあると感じました。例えば、京都は西安を真似て作ったために、似ているところがあるが、自然条件の違いから、形は似ていても中身が全然違うということに驚きました。共通点では、どの都市にも別の宗教が入っており、交流が盛んなことがわかりました。

惣内友美(国際コミュニケーション学部)

三都市はそれぞれ出来た時代が違うが、すべて川のそばという共通点があることが興味深い。ローマ人が川沿いに町を作ったというフィレンツェとアルノ川。その具体的な事例として、ロンドンとテムズ川、パリとセーヌ川の話は分かりやすかった。西安には渭水、京都にも有名な鴨川と桂川がある。都市形成とは、自然地形を有効に活用するという方法を通じて、「その場所」であることに意味と意義を見出させてくれた。そこにはとりもなおさず、都市の形成と存続というロマンを感じる。唐の長安の形は例外的に横長の長方形、南京などは伝統的な縦長の長方形であり、平安京は縦長の長方形で、長安よりもむしろ中国の伝統的な形を受け継いでいることに驚いた。平安京は表面の枠組みだけ中国の模倣をしたが、中身は全然違うというのも興味深い発見だった。

石川真悠子(国際コミュニケーション学部)

日本と中国は地球上で近くに位置しているため共通点は多く、フィレンツェは共通点が少ないと考えていたが、思いのほか共通点が多いことに驚いた。特に興味深かったのは、中国で発祥した文化が日本に伝わった後に、中国ではもう廃れてしまったのに、日本にはまだそれが残っている、という話が出た時でした。また、フィレンツェでは都市の美の原理が、自然や動物ではなく、人間だったというところが、アジアにはない発想だと感じた。

松下  広(国際コミュニケーション学部)

今回のように三人の先生が集まって話を進めていく授業は初めてだったので、新鮮だった。先生が説明をするだけではなく、先生から先生への質問があったり、何時も強気の回答者だと思っていた神尾先生が答えに窮する質問もあったりして、最初から最後まで飽きることなく楽しむことができた。三都市を比較することで理解できることが多く、これは、一都市だけを学んでいると気づかないことなので、意義のあるいい授業だと感じた。