2018.11.16

国際コミュニケーション学部 都市文化論シンポジウム2018を開催しました

10月31日(水)、831教室で今年度第1回目の「都市文化論シンポジウム2018」を開催しました。国際コミュニケーション学部では、「都市文化論(都市文化史論)」の日本、アジア、ヨーロッパの3科目が同一曜日同一時限に配置されています。担当者は日本(京都)が神尾登喜子教授、アジア(西安)が陳力教授、ヨーロッパ(フィレンツェ)が松本典昭教授です。シンポジウムという普段とは異なる授業形態に学生たちも熱心に聞き入りました。

2018年度第1回シンポジウムを終えて

 2017年度に国内研究で休んでいた松本教授が帰ってきました。そして改めて、2018年度のシンポジウムは松本教授・陳教授、そして神尾の3名でのシンポジウムに戻りました。2010年から始まったこのシンポジウムも、9年目を迎えます。受講学生諸君のさまざまな感想を書き記してきましたが、学生のみならず、科目担当者の私たち教員のほうが驚きと発見の9年間であったように思います。(神尾)
 毎度のことながら、話すべきことがいっぱいありすぎて、時間が足りなくなって、説明不足になったのではないか、と危惧します。ともかく、学生の皆さんには比較という学問的アプローチを学んでほしいと願っています。優劣や好悪ではなく、どこがどう違い、どこがどう似ているかを粘り強く探求していくと、遠く離れたものや反対に思えるものにも共通性があることを発見できます。それが学ぶ楽しさです。(松本)

学生コメント

和田 知樹(国際観光学部)

 国家体制の違いや「国」「都市」の捉え方が異なることで、都市形成の方法が大きく変わることを学びました。その意味では、「国」がつく「国境」「国家」「国益」など改めて考え直すべき表現がちりばめられているように思います。大枠は似ているけれども、その本質的な考え方や、文化形成の方法等決定的に違う現実があります。僕は、昨年度に引き続き、3度目のシンポジウム出席となりましたが、毎回新たな発見と、考察するべき事柄に出会います。西洋と東洋。この間に大きな違いもあれば、根底でつながっていることもある。それを体感するシンポジウムでした。

小林 秀(国際コミュニケーション学部)

 フィレンツェ・西安・京都。どこをどのように切り取れば共通性が見えてくるのか。シンポジウムが始まるまで、僕には予想がつかなかった。だが、ひとたびプレゼンテーションが始まれば、差異性も同質性も独自性も見えてくること限りなし、という表現が一番的確だろうと思える展開でした。中身の濃い、というよりもギュウギュウ詰めの稲荷寿司のような90分だったというのが一番いいのかもしれません。「アジアにあるヒエラルキーは、イタリアにはありません」という松本先生の発言は、都市のヒエラルキーとは何か?を考えさせるきっかけを与えてくれました。3人の先生が、命がけで自分自身と戦っているようにも見えた2018年度第1回シンポジウムは、第2回目にはどのような進化系を僕たちに見せてくれるのだろうか。

山田 沙樹(国際コミュニケーション学部)

 他の授業では複数の先生が前に立って話し合いながら授業をするということがないので、今回のシンポジウムという形式は新鮮でとても楽しかったです。また、話し合いのなかで新たに生まれた疑問をぶつけ合っていたので、台本どおりにいかない緊張感が先生方からすごく伝わってきて面白かったです。

山地 聖菜(国際コミュニケーション学部)

  初めは三都市が集まって何を話すのだろうと疑問に思っていましたが、三都市の特徴や歴史を一つずつ比較しながら聞いていくと、似ているところ、違うところがあって面白かった。淡々と説明をしていくのではなく、三人の先生の掛け合いや相互の質疑応答があり、聞いていて飽きなかったし、とても楽しかった。三都市を比較することで、それぞれの都市のことがより理解できるし、何よりすごく勉強になる内容であった。これは、ぜひ毎年してほしいことだなと感じた。

国広 朝雄(経済学部)

 今まで授業を受けてきたなかで、三人の先生が同時に授業を進め、お互いに意見を言い合う授業は初めてだったので、とても楽しかったです。また、一つの都市だけでなく、他の二つの都市と比較できたので理解しやすかったです。最後に、先生方も多忙で授業時間のご都合もあると思うのですが、私は今回のようなシンポジウムをもっと回数を増やしてほしいと思いました。

孫 海航(国際観光学部)

 本日の授業を通じて、都市文化に関する様々な知識を勉強できました。フィレンツェ・長安・京都の3つの都市は違う国にあって、遠く離れていますが、都市の建設において考え方や選択は結構類似点があります。特に政治・経済・交通に関わる考えは、似ている点が多いとわかって、知的な好奇心を刺激されたと感じました。このような授業にはもっと参加したいです。

吉野 迅義(国際コミュニケーション学部)

 普段触れることのない三都市について比較しながら学べたのは、大変有意義だった。私がとても意外に感じたのは、フィレンツェの立地の選定の理由である。理由が全くないわけではないようだが、あまり重要視されていなかった。このことから、同時のヨーロッパの人々がフィレンツェをどうとらえていたのかが気になった。
 また、フィレンツェではあまり階級が重視されていなかったことも踏まえると、住人の性格はとても大らかだったと考えられる。一方、京都では階級が重視されていたことから、日本の縦社会を体現しているように感じた。この風潮は、現在の上司と部下の関係に名残として残っているともとらえられる。
 西安においては、規模の大きさに大変驚いた。中国の王朝の力の強大さを実感した。当時の中国の戦いにおいては、60万人規模と世界的に見ても非常に大規模であることもわかった。当時の中国がどれだけ発展していたかが伺える。