塩路ゼミ2年生が国立民族学博物館を見学 その1

2021年11月13日に、国際観光学部 塩路研究室2年生が吹田市千里万博記念公園を訪れ、園内の国立民族学博物館を見学しました。本学のキャリアゼミ活動の一環として、吹田市の観光資源を知るために、万博記念公園と世界の民族文化を体験できる同博物館を見て回りました。学生数名ずつが常設展示の世界の各エリアに分かれて詳細に展示を調査しました。今回は、アフリカ、東南アジア、アメリカ、東アジアのチームがその際に感じたことや学んだことを報告します。

表現豊かなアフリカの文化について

2年生 梶田 深友 

 塩路ゼミのフィールドワークで万博記念公園にある国立民族学博物館へ調査に行きました。同期ゼミ生全員で初めてのフィールドワークでとても楽しかったです。民族学博物館、略して「みんぱく」は世界の民族の文化や伝統的な物が展示されており、世界の諸民族の社会と文化に関する情報を人々に提供し、諸民族についての認識と理解を深めることができます。みんぱくは、オセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、西アジア、南アジア、東南アジア、中央・北アジア、東アジアに大きく分けた地域展示と、音楽・言語などの展示があり、それぞれのエリアで雰囲気がガラリと変わり世界一周した気分になりました。
 たくさんの地域エリアがある中、私はアフリカ地域の調査を行いました。アフリカ大陸は約600万年前に人類が発祥した場所と言われています。北アフリカと南アフリカの多くは現在砂漠となっていますが、紀元3000年までは緑に覆われた草原で世界でも最も古い土地の一つです。
 アフリカ大陸のザンビアに住むチェワの人々には昔から行われている死者の喪明けの儀式があり「ニャウ」という踊り手達が仮面を付けて登場します。踊ることで死者が踊っている者の体に取り憑き、ニャウと村人が一緒に楽しむことで死者の霊が先祖の世界に送り込まれます。人の姿をしたニャウの踊り手は、死者が姿を現したと言われ動物をかたどったニャウ・ヨレンバは森の奥からやってきた野生動物とされています。ニャウをする人たちは結社メンバーの男性のみに限られており、これらは男性以外の女性や子供には秘密とされています。しかし、女性は男性がニャウをして踊っていることを知っているそうですが、決して口にはしないそうです。一方、子供たちはニャウを信じています。儀式中に近くへ寄ると鞭で叩かれてしまうので近寄れませんが、ニャウに憧れています。写真はニャウ・ヨレンバの被り物です。
 次にアフリカの文化の継承についてです。アフリカはヨーロッパの植民地でした。植民地化が進む中でアフリカ各地にミシンや自転車などヨーロッパの文化が浸透していきました。アフリカの人々はそうした新たな文物の継承を家の柱や扉の装飾として取り入れていきました。元々は動物や人類の継承が表されていましたが、植民地によりヨーロッパ式の軍服を着た人の装飾が施されています。
 また、植民者や旅行者向けに植民地の風俗を映し出した人形も多数制作されました。これらの人形は「コロン人形」と言われ、アフリカの人々がヨーロッパの文物をいかに取り込んでいったかがよくわかります。コロン人形は色鮮やかでたくさんの種類があり可愛いらしいと思いました。みんぱくには、アフリカの植民地だった頃の文物がたくさん展示してあり国の植民地問題についてもとても考えさせられました。2つ目の写真がコロン人形です。
 みんぱくには世界各国の伝統的な文物が展示されており、本当に世界一周した気分になりました。またアフリカ地域では解説動画を視聴しながら展示物を見ていったので、歴史や文化の事を理解しやすかったです。

アフリカの奴隷について

2年生 福住 未来

 私は11月13申に塩路ゼミ2回生全員で吹田市にある国立民族学博物館へフィールドワークに行きました。展示場で世界一周をし、特に興味を持ったアフリカの奴隷について取り上げることにします。
 初めに、16世紀に西洋諸国が南北アメリカ大陸で経営に乗り出し、アフリカの人々を奴隷として大陸に動員するようになりました。これが奴隷貿易です。こうしてアフリカの5世紀にわたる抑圧の歴史が始まります。「アフリカ=野蛮」という主張は、奴隷貿易を正当化するために、作り出されたものです。このことから、アメリカは当時、労働力が不足していたと分かります。一方、多くの労働力を失ったことがアフリカの近代化を遅らせる原因になったと考えました。また、5世紀という時間はとても長く、残酷な出来事だったと理解できます。
 19世紀になると、西洋諸国がアフリカ各地に植民地を築き、自国の支配下におきました。アフリカの人びとは、さまざまな圧迫を受ける一方で、圧倒的な力で押し寄せてきた異文化を自らの伝統の中に吸収し、独自の文化を生み出していったそうです。このことから、植民地になったからこそ得た知識や経験、技術は大きいと考えます。さまざまな迫害を受けることはとても厳しいことですが、その経験を自らの糧とし独自の文化として発揮していくことは素晴らしいことだと思いました。
 アフリカには部族ごとに様々な人形があるのですが、コロン人形は植民地時代に作られたことに由来するといわれています。各時代の世相や風俗が表現されています。アフリカの人びとがヨーロッパの文物をいかに取り込んでいったかを物語っています。このことから、奴隷として送られた土地の文化をたくさん取り入れていて、技術は学ぶことは多いと思いました。コロン人形を見るとどれだけ奴隷としての生活が厳しかったのか理解することができました。
 「アフリカの年」とよばれたI960年前後に、多くの国が独立しました。一方で、南アフリカのアパルトヘイトの撤廃は、1993年まで待たなければなりませんでした。独立は人びとに喜びをもたらしたそうです。しかし、多民族国家であるアフリカの国々は、国民統合という課題に直面していました。アバルトへイトとは、アフリカーンス語で「分離、隔離」を意味する言葉で、諸関係を規定する人種隔離政策のことです。アパルトヘイトがあることによって、オリンピック出場禁止や貿易禁止などの差別を受けたそうです。そして、1993年に法的に廃止されました。「アフリカ諸国の独立」の写真からアフリカ諸国の独立時期を比較して見ると全体で独立の一番早い場所と遅い場所では、約40年以上もの差があると分かります。アパルトヘイトがあることによって、人種差別が起き、植民地から独立してもまだアバルトヘイトは廃止されず、それが廃止されるまで約30年もオリンピック出場禁止や貿易禁止などほかの国からの差別を受けていたと分かりました。独立しても幸せはすぐには訪れず、奴隷という歴史や偏見などという課題にいまだ向き合っていかないといけないということを理解しました。
 今回、私は、国立民族学博物館へ行って奴隷や植民地からの解放について実際に使ったものなどを目で見て学んで深刻な問題だと理解できました。記録に残る最初のアフリカからの奴隷が北米に到着してから約400年になる現在では「奴隷」というものはほぼゼロに近い状態まで減っていると思います。しかし、アフリカから奴隷が送られた国々では、いまだ奴隷制度や差別などが残っているかもしれません。そして、世界では「黒人差別」というものはまだまだ減っていないのが現状です。肌の色で人の価値を決めるのではなく、同じ人間なので協力し合うべきだと考えます。私たちは奴隷や差別についてもっと学ばなければいけないと思いました。歴史についてもっと向き合わなければいけません。これらを通して、1人の人間としての自分を見つめなおし、他人とどう向き合っていくべきか考えるきっかけとなりました。

世界一周できる国立民族学博物館

2年生 小池 亜依

 11月13日に、ゼミ生全員で初めてのフィールドワークに行きました。国立民族学博物館に行く目的で、大阪府の吹田市にある千里万博記念公園を訪れました。私は、大阪府で生まれ育ちましたが、千里万博記念公園に行ったのは初めてでした。千里万博記念公園は、私が想像していたよりも広く、国立民族学博物館やバラ園、サイクルボート、日本庭園など、他にも沢山の施設がありました。実際に行ったのは、国立民族学博物館とバラ園のみですが、一日中遊ぶことができるような場所だと感じました。
 そこで、私たちの訪れた目的である国立民族学博物館について紹介します。国立民族学博物館は、文化人類学・民族学の研究活動と、その成果を展示公開する博物館活動を一体的に行う博物館を持った研究所です。調査や研究の成果に基づき、世界各地の民族の社会と文化に関する最新の情報と知識を学ぶことができます。それにより、異なる文化についての理解を深めることに繋がります。また、この博物館には、諸民族の生活を知る衣食住などの生活用具をはじめとする標本や、レコード、DVD、テープ、フィルムなどの映像・音響、文献図書など様々な資料があり、それらの一部が公開されています。
 まず、私たちは、オセアニア地域から日本まで世界各地の展示を見学しました。様々な国の民族について資料が集まる中で、今回、私は東南アジア地域について調査しました。東南アジア地域は、インドネシアやマレーシア、フィリピン、タイ、カンボジアなどのアジアの南東部を指します。国立民族学博物館では、「東南アジアの1日」をテーマにした展示がされていました。
 東南アジアは、森や海に囲まれた熱帯・亜熱帯の気候です。そんな地域で暮らす人々は、早朝の涼しい時間から働き始め、40度近くに達する日中は屋内で昼寝などをして暑さをしのぎます。森と海の豊かな地域なため、農作物や材料となる木を集めるのに使用する道具、狩猟採集する道具から、漁猟に使用する道具、船などがありました。それも、一つ一つ種類が沢山ありました。それぞれ地域や年代によって少しずつデザインが違っており、見ていて面白いと感じました。また、東南アジア地域では、日本で俗にタイ米と呼ばれる粘り気の少ないインディカ米が多く栽培されています。日本では粘り気のあるジャポニカ米という種類の米が主食ですが、同じように米を主食としている国もあります。他にも、餅をつく道具もあり日本と似ているものがありました。
 夕方、熱帯特有の、にわか雨をともなった疾風であるスコールが通り過ぎた後は、少し暑さは和らぎ、人々は買い物や農作業に出掛けます。日が落ちて涼しくなると、東南アジアの人々は、友人や家族と屋台に出掛けたり、演劇を見たりして余暇を楽しみます。東南アジア地域の芸能や娯楽はとても種類が多いと感じました。仮面や操り人形、影絵人形、水上人形、木彫り人形などを用いた芸能が盛んで、様々な行事や儀礼にともない上演されます。それらの公演の実際の映像を博物館で見ましたが、どれも映像越しでも迫力があり生でみてみたいと思いました。同じ仮面や人形でも使い方やデザインが地域によって違っていたりして東南アジア地域だけでもこんなに種類があるのかと驚きました。
 また、民族衣装もそれぞれの地域で中国風のデザインであったり、光沢のあるドレス風であったり、狩猟民族らしい腰巻きの衣装など、様々でした。農耕や食に関わる道具などは、日本と同じような木でできたシンプルなものが多かったのですが、民族衣装や乗り物、アクセサリー、芸能に使用するものなどは、全体的にカラフルで煌びやかな印象でした。東南アジア地域と一括りにされているけれども、それぞれの地域によって文化は異なることを改めて実感しました。
 国立民族学博物館では、有名な国からあまり知られていない国についてまで知ることができ、新しい発見がありました。そして、半日ではすべて見尽くすことができないくらい、興味深い展示で溢れていました。多くの人がこの国立民族学博物館を訪れて、様々な国の文化に触れて、異文化を理解するきっかけになればいいなと感じました。今回は、東南アジア地域を詳しく調査しましたが、他の地域についてもさらに時間をかけて見て、調べたいと思いました。

東南アジアの日常

2年生 宇野 萌花

 先日、万博記念公園にある国立民族学博物館に行きました。そこで私は、興味があった東南アジアを中心に見学しました。東南アジアは森と海に囲まれており、熱帯・亜熱帯の気候で暮らす人々は、早朝の涼しい時間から働き始め、40度近くに達する日中は屋内で昼寝などをして暑さをしのぎます。夕方、スコールが過ぎた後は、少し暑さが和らぎ、人々は買い物や農作業に出かけます。日が落ちて涼しくなると、友人や家族と屋台に出かけたり、演劇を見たりして余暇を楽しむそうです。国立民族学博物館では、東南アジアで暮らす人々の一日がうかがえるような展示物が沢山ありました。
 日が高くなり暑くなってくると、村人たちは野良仕事などの労働を一段落させ、家に戻ってくるそうです。家族で食事をし、その後片付けが済むと、ようやくくつろぎのひと時を迎えます。各家族が手仕事を行うのも主にこの時間で、特に農閑期、女性たちは布を染め、機を織ります。男性はラタンや竹を組みます。冠婚葬祭や儀礼も、昼から始まることが多く、親族や村の人が着飾って行き来しあい、飲食をともにし、情報をやり取りし、喜怒哀楽を分かち合うそうです。
 私が印象的だったのは、「食」についての展示です。台所は囲炉裏の周囲に鍋釜、刃物、水瓶を配置し、火棚の上には竹やラタンによる組み物が置かれていました。タンイ族の台所は囲炉裏には鍋や釜をつるすための自在鉤はなく、土に埋め込まれた3つの石が五徳の役割を果たしています。家の改築で囲炉裏を解体することはあっても、この3つの石は世代から世代へと引き継がれ、家族の食事を支え続けています。台所の展示では、食を支えることだけでなく、囲炉裏で寒い日に暖をとり、座ってくつろぐ一家団欒の様子がうかがえました。
 東南アジア展示で最も印象的であったのは、非常に華やかな寺院でした。昼間の仕事を終えた人々は夜に芸能や娯楽を楽しみます。大陸部では、信仰の場である寺院の境内が芸能や娯楽の場にもなっています。大陸部の上座部仏教が盛んな国々では、ある程度の大きさの村には必ず寺院があるそうです。寺院は僧が修行生活をおくる場所であるとともに、俗人が儀礼に参加し、寄付や布施によって公徳を積む場になっています。学校、病院、集会場など、現在でも寺院は様々な役割を果たしており、上座部仏教社会では徳を積めば、現世か来世において幸福になれると信じられています。その中でも最上とされるのが寺院の建立や修繕ですが、賽銭箱へお布施を入れるのも徳を積む方法の一つで、入れられたお布施は、寺院の電気代や水道代に使われることが多いです。人々が幸福を得る代わりに寺院の修繕や維持に貢献できることは信仰者からしても非常に光栄な事なのだろうと感じました。寺院にはろう人形が展示されており、そのあまりの精巧な作りに驚きました。僧のろう人形はタイで人気が高く、実物大の高僧増が寺院によく展示されているそうです。
 東南アジアの展示を見て、人々が暑さが和らいだころに出かけるなど、天気の変化に応じて行動しているように感じました。また、東南アジアの中でも各国により異なる文化があることがよく分かりました。他にも、芸能に用いられる人形が身につけている衣装、乗り物など非常に鮮やかなデザインのものという印象を受けました。国立民族博物館は想像以上に広くすべてを見尽くすのには数時間では足りないように感じました。次はじっくりほかの地域の展示も見に行きたいと思います。

アメリカ大陸の食文化と農具について

2年生 杉尾 愛実

 11月13日、吹田市の万博記念公園内にある国立民族学博物館(みんぱく)へ見学に行きました。みんぱくでは主に世界中の国の文化や歴史を学ぶことができ、展示物だけでなく、色々な言語で書かれた絵本や、童話を再生出来る機械もありました。また、最先端の音声ガイドシステムは、展示物に近づくと端末に解説動画が再生され、それを視聴しながら展示物を見学することでより理解を深めることができました。
 私の担当地域はアメリカ大陸全般です。アメリカというと、アメリカ合衆国を思い浮かべがちですが、展示は北アメリカ大陸と南アメリカ大陸が対象です。アメリカとは1492年10月12日にクリストファー・コロンブスによって発見され、徐々に植民地化が進みました。ヨーロッパ文化に侵食されたことで、さまざまな問題も起きましたが、イースターやバレンタインデー、サンバのようなダンスなど新たな文化の誕生へと繋がりました。先住民はインディアンと呼ばれ、トウモロコシやかぼちゃ等を栽培して暮らしていました。そこで、ここでは、アメリカ大陸の食文化や農具について述べていきます。
 まずは、先に述べたトウモロコシについてです。原産地は中南米で、先史時代にアメリカ大陸に広がったと言われており、南米では食物だけでなく酒の原料にもなりました。次に、カボチャは野生で実が小さく苦いので、アメリカ大陸の人々は品種改良を繰り返し、現在のカボチャへと変化を遂げました。後にカボチャはアメリカ合衆国で民間行事のハロウィンとして定着し、現在も存在しています。最後に、ジャガイモは、今や全世界で定着しているポテトチップスもニューヨーク州が発祥です。南アメリカ大陸のアンデス高地では、寒さに強いジャガイモしか栽培できない土地もあり、主作物でした。
 耕作が発展するにつれ、農具も発展を遂げました。写真にもある通り、鋤だけでも国や地域によって形や特徴が違います。アイマラ民族の踏み鋤は、下部分に横向きの棒がもう一本つけられています。これは、ジャガイモ畑に使われている堅い土を掘り起こす時に、力を込めやすいようにです。他にも、臼や土鍋、かまどなどの調理器具も使用されていました。
 今回のフィールドワークでは、今まで勉強してきたものより、さらに深くアメリカ大陸の文化を知ることができました。ここには食文化と農具についてしか書いていませんが、みんぱくには服飾や楽器、宗教などの展示もあります。文字や写真で見るより少しだけ世界を身近に感じられます。世界中を回ることは難しいかもしれないですが、みんぱくで旅行気分を味わうこともできました。

アメリカの気候と衣服について

2年生 井上 歩夏

 南極から北極にわたる広大なアメリカ大陸には、雪と氷の地、乾燥した砂漠、草原や森林地帯、湿潤な熱帯雨林まで、さまざまな自然環境が見られます。人々は、南極を除く全てのそれぞれの環境に応じた衣服を身にまとい生活を営んできました。
 一方で、ヨーロッパによる征服と植民地の歴史を経験したこの地には、日常生活のあらゆるところまで外来の文化が浸透していきました。ここでは、国立民族学博物館で最も印象に残ったアメリカ大陸の気候と衣服に焦点を当て、アメリカの多様性と歴史について書いていきたいと思います。
 初めに、広大な南北アメリカ大陸では、さまざまな環境がみられます。カナダの極北の寒冷地に適応するイヌイットは、カリブーの毛皮で作られた防寒着で「アマウティク」と呼ばれた衣服を身につけることで、寒さから身を守って生活を営みました。北アメリカの大平原地域に住むクローは、ロッキー山脈の東側にある現在ではモンタナ州になっているあたりで、色とりどりのビーズの装飾がある革製の衣装を身につけ、バッファローや鹿を狩猟しながら生活を営んでいました。
 また、アメリカ合衆国南西部に住むナバホは、腕輪、ネックレス、バックルなどの銀細工が有名です。この町の人々は1800年代の半ばにメキシコ人から銀細工のやり方を習い、発展させていきました。現在でも、ナバホの銀細工はお土産品としてだけでなく、貴金属ピンとしても高い評価を得ています。
 次に、グアテマラの西部高原にあるトドス・サントス・クチュマタンという町に住むマム・マヤの人々が着る衣装は、腰機(こしばた)と呼ばれるものを使っています。その衣装は、ヨコ糸1段につき、模様糸を5〜6段入れる片面縫い取り織りという特殊な技法で織られています。現在でもトドス・サントスでは、男女ともに伝統的な衣装を保持しています。
 最後に、ペルーやボリビアのある中央アンデス高地は熱帯に属していますが、朝晩は非常に厳しく冷え込む地域です。「チュリュ(チュヨ)」または「ゴロ」と呼ばれる耳あてのついた毛糸の編みの帽子は、頭部や耳を寒さから守ってくれます。耳あての先についているひもを顎の下で結んで耳を覆います。
 南米のウカヤリ川流域のペルーでは、人々は湿潤な熱帯雨林の中での生活に適した衣服を身にまといます。シピボは、男性は「クシュマ」と呼ばれる貫頭衣、女性は既製品の布で作ったブラウスに、刺繍や描き染めを施された巻きスカートを履きます。さらに、腰には豊かさの象徴として、町の店で購入したビーズをたくさん使った帯状の装飾品を身につけています。
 このように、アメリカ大陸ではそれぞれの環境に合わせた衣服を身にまとい生活しています。また、植民地時代や他国からの文化の伝来などによる影響から、アメリカ合衆国南西部に住むナバホの銀細工のように生まれた新しい文化もあります。アメリカ大陸に関わらず、衣服はそれぞれの文化と歴史の象徴であり、視点を変えて学ぶと非常に興味深いと感じました。

 

みんぱくで学んだ東アジアの多様な文化について

2年生 澤井 悠

 11月13日、ゼミのフィールドワークで吹田市にある国立民族学博物館を訪れました。本館の展示は、地域展示と通文化展示に分かれています。地域展示では、オセアニアから東回りに世界を一周する形で、その地域に関する豊富な実物や模型から歴史や文化について、また、通文化展示では言語や音楽文化について学ぶことができます。地域によって異なる人間の生活を、五感で知ることのできる素晴らしい場所でした。特に私は、展示地域が変わる瞬間がとても印象的です。一歩前に出るだけで、さっきまで見ていた世界とは全く別物の空間が広がっているからです。同じ地球でも、文化・価値観は数え切れないほど存在するということを、感じ取ることができました。
 今回、私が担当した地域は、東アジア地域です。少し日本に似た雰囲気を感じることができる空間でした。東アジア地域は、朝鮮半島、中国地域、日本、アイヌと大きく4つに分類することができます。この中でも私は、朝鮮半島と中国地域に注目しました。朝鮮半島の人々は、有史以前は東シベリアの諸民族から、その後は中国から影響を受けつつ、文化を独自のものに再編し、高度に統合してきました。日本で製作されている漫画の多くが、韓国語に翻訳されて販売されていたり、「うどん」や「オムライス」といった日本発祥の食べ物が日本と同じ発音で流通していたりすることから、日本と朝鮮半島の強い繋がりを感じました。日本が韓国を植民地化するなど、朝鮮半島の侵略を何度も試みていた過去から、現代でもはっきり良好な関係性であると言い切れない両国ですが、このような一面を見ると少し嬉しく思いました。また、朝鮮半島の衣服、特に折衷様式の婚礼衣装がとても印象に残りました。白と黒で統一された華やかな衣装は、皆が見入ってしまうほど綺麗なものでした。韓国の結婚式では、西洋式のウエディングドレスと伝統衣装である韓服・チマチョゴリを着用します。
 中国地域では、広大な面積と高低差のある地形が生み出す多様な自然環境のもと、様々な民族文化が育まれてきました。13億人と言われる中国の人口の90%以上を漢族が占めるなか、チワン族やチャン族、パイワン族といった少数民族の貴重な生活用品も沢山展示されていました。言語や慣習の地域差が大きい一方、年中行事などの基盤にある知識体系、生育観念、父系制度などは共通しているというのが、この地域の特徴です。今回、中国地域の展示を通して、私は何と言っても赤をメインとした煌びやかな装飾、天井に展示された大きな龍に圧倒され、それを作り上げる中国の裁縫技術は、他地域と比較しても非常に高度なものだと思いました。
 このフィールドワークでは、多くの地域の魅力を学ぶことができました。地域ごとに自然環境や価値観によって衣食住の全てが異なります。しかし、共通することもあります。人々が互いに協力し合ってより豊かな生活を求め、試行錯誤してきた結果です。みんぱくでは、様々な地域の歴史・文化に関する知識を学んだことで、異文化への理解を深めることができました。

朝鮮の半島の歴史について

2年生 福井 亜沙美

 11月13日に私たちは、初めて2回生全員でフィールドワークに行きました。場所は、万博記念公園内にある、国立民族学博物館(みんぱく)です。ここでは、オセアニアやアメリカ、ヨーロッパ、アジア、アフリカなどのエリアに分かれて、伝統的なものが展示されているだけでなく、日本のアイヌ民族などの文化に加え、音楽や言語などの歴史も学ぶ事ができる作りになっています。今回、私は東アジア地域を担当しました。
 まず、東アジア地域は朝鮮半島、中国地域、アイヌ、日本と4つに分かれて展示されています。以下では、朝鮮半島について述べていきたいと思います。朝鮮半島は、日本から一番近い国であるのにも関わらず、両国の関係は決して良いものとは言えません。しかし、箸を使用する文化や同じような文法など、日本と似たようなところもたくさん存在する事がわかります。
 「食の文化」のブースでは、味の素の宣伝活動の様子や、看板、缶、新聞広告の展示があり、その横にはうどんやオムライスが展示されていました。19世紀末から日本の影響が強かった朝鮮半島は、1910年から45年間、植民地となり、植民地時代以降では、日本食だけでなく、洋食などの外国料理の普及が活発に行われていたことがわかりました。現在人気の韓国料理もこのような歴史から成り立っていることを知ることができました。
 その隣には「衣の文化」があり、朝鮮半島の学生服が展示されていました。昔の学生服は何も言われなければ、朝鮮の制服と分からないくらい日本の制服と同じ見た目で、ここにも植民地の名残があると感じました。韓国ドラマでよく見る学生服や、子供が一歳になった際に着用する衣装がありました。その中でも、現代の結婚式で新郎新婦がお色直しする際に着用する、西洋式と伝統式の折衷様式の花嫁衣装がとても可愛くて着てみたいと思いました。
 韓国では、日本の大衆文化を国内に流通させる事が禁止されていた時代がありましたが、海賊版が不法に流通しました。しかし、1987年に韓国が万国著作権条約に加盟したことにより、正規のルートで翻訳されるようになりました。今ではマンガだけでなく、日本の書籍は韓国の作家にも影響を与えているそうです。
 その他にも私が印象に残った言語エリアを紹介したいと思います。このエリアに入ると様々な言語で書かれた『星の王子さま』と『はらぺこあおむし』がずらっと並んでいました。色々な言語で『はらぺこあおむし』を読み聞かせてくれる機械や、その国のカードをかざすとその国の言葉で「ありがとう」と言ってくれる機械があり、母音と子音を繋げて単語を作り、機械の上に置くと発音してくれる機械など、実際に耳で聞いて言語を体験することができ、多様な言語の音を楽しむこともできました。
 国立民族学博物館を訪れてみて、様々な国の生活様式や文化などの歴史を学び、自分が今まで学校で教えられてきたことはほんの一部だという事を知ったと同時に、私たちと異なる文化について理解を深めることができました。これからも多様な異文化に触れたいと感じました。