塩路ゼミ3年生が吹田浜屋敷でフットパス交流会

2021年11月14日に、国際観光学部 塩路研究室3年生が吹田市浜屋敷で吹田歴史文化まちづくり協会の方々とフットパス交流会を開催しました。交流会では、千里ニュータウンと旧吹田村エリアに分かれて2回にわたって実施したまち歩きを踏まえて、学生たちが発見したこと、考えたことを吹田市民でもある吹田まち案内人の方々、同協会会員の方々に伝え、意見交換をしました。今回は、学生たちが交流と発表を通して感じたこと、市民の方々からの質問や要望を受けて、その後、さらに考えたアイデアなどを報告します。本年度も、コロナ禍中でありながら、本学のキャリアゼミ活動の提携先として、吹田歴史文化まちづくり協会の皆様には、大変お世話になりました。ここに記して感謝申し上げます。

浜屋敷交流会をから考える千里ニュータウンの未来

3年生 寺田 観洋

 11月14日、私たちは浜屋敷で行われた交流会に参加しました。前期に私たちは2回千里ニュータウンを歩き、この交流会で私たちが歩いて実際に感じたことや考えたこと、提案を吹田まち案内人の方々に発表しました。私たちは、1回目と2回目で歩いたコースが異なったため、1つの模造紙に歩いたコースの地図を描き、もう1つの模造紙には私たちが考えたことなどをまとめ、実際に歩いた2つのコースについて説明しました。作業を行っていく中で改めて、千里ニュータウンについて考えることができたように思いました。
 千里ニュータウンは、豊中市と吹田市で12区の住区から成り立っています。私たちは2回に分け、合計6つの住区を歩きました。まち歩きをしていく中で私が最も気になったのは、急な階段が多くあり高齢者にとって不便なのではないかという点でした。開発当時は、近道として階段が利用されていたものと考えます。しかし、近年では高齢になった住民の方にとって不便になり始めているのではないかと思いました。そこで、私は地元にある羽曳が丘の地域形成を参考に、階段の場所を削り緩やかな坂にするか、遠回りでも良い分、滑らかなスロープ状の道を新たに作るといった提案をしました。これが案内人の方から賛同を得たので、私も非常に嬉しかったです。
 

 千里ニュータウンが開発された当初には、近隣センターという、すべての用事を済ますことができる施設がありました。また、公園も多く、子供たちの遊び場もたくさんありました。しかし、近隣センターは大型ショッピングモールの誕生により次第に衰退していき、跡地は学習塾や高齢者施設に変容し、公園で遊ぶ子供たちもいなくなっているという話を伺いました。また、交流会に参加していた方々から千里ニュータウンの活気を取り戻してほしいという意見をいただきました。そこで私たちは、跡地を利用して、レンタルスペースを設置し、イベントなど行い、人々を呼ぶのはどうかと提案しました。しかし、これについては南千里公園に新しくカフェができ、多くの人々が来たため自然が失われてしまったことを事例にあまり良い答えが返ってきませんでした。ここで私は初めて、現地に住む人々の考え方と私たち「よそ者」の考え方が大きく異なるものだと実感しました。同時に、外からお客さんを呼ぶことで活気の溢れた街にするのではなく、現地に住む住民の人たちによって活気溢れるまちにすることが重要なのだと考えました。
 今回、浜屋敷の交流会で、実際に住んでいる方から貴重なご意見やお話を聞くことができました。私達が勝手に意見を出すことは簡単ですが、そこに住まないと分からないこともたくさんあると思います。そのため、今回の交流会で現地の方から得た情報や意見はこれからも地域で受け継いでいかなければならないものだと考えました。その上で、どのように再び千里ニュータウンを活気溢れるまちにしていくかを考えていく必要があると思いました。今回の交流会は私にとって大変貴重な経験となりました。この活動を糧に、私はこれから日本の様々なニュータウンを歩き、研究調査を行おうと考えています。前期から始まったこの吹田まち歩きで学んだこと参考にして、日本のニュータウン形成と変化について調査し、まちづくりに関する理解をより深め、その課題や解決策などを検討していきたいと思います。

地方創生に必要なこと

3年生 菊崎 陽登

 11月14日に、私たちは吹田市の吹田歴史文化まちづくりセンター(以後浜屋敷)で交流会を行いました。私たちは、今年の6月から7月にかけて旧吹田村チームと千里ニュータウンチームの2チームに分かれて、それぞれの地域を2回歩きました。気づいた点や資源の新しい利活用の提案などの意見を吹田まち案内人の方達と共有しました。
 私は千里ニュータウンを歩いたのですが、元々この地域は大阪万博が行われた時期に開発され、当時は多くの人で賑わいを見せていたようです。しかし、歩いてみると、今ではその賑やかな雰囲気を感じることはできず、時が止まったように感じました。そう感じた理由として、例えば、当時は近隣センターに多くの店が集まり、そこに住む地域住民の憩いの場の一つになっていましたが、近年郊外に大型複合施設ができたことによって、ほとんどの人がそちらへ流れてしまい、今では廃墟のように建物だけが残っている状態です。
 そこで私たちは、使われなくなった近隣センターを利活用しようと、レンタルスペースとして利用するのはどうかと考えました。レンタルスペースとは、コロナ禍で注目されるようになり、一定の時間を決められた料金で借りることができる多目的室のことで、その形態は様々で「貸し会議室」「レンタルキッチン」「シェアオフィス」などがあります。その中でも「レンタルキッチン」に焦点を置きました。「レンタルキッチン」のメリットとして、1つ目は自宅のキッチンとは全く異なる洗練されたデザインで写真映えし、本格的な設備を利用することができ普段作ることが出来ない料理に挑戦することが出来ます。2つ目は、飲食店のトライアル営業ができます。飲食店をオープンする前に看板メニューだけを提供し、お客の反応をチェックでき、もしくは期間限定の営業にして希少価値を生むことも可能です。
 歩いてみて、もう一つ気になった点は、住宅街の階段が急だったことです。その背景としてそれらの階段は、歩車分離を徹底し、歩行者の安全面を確保するために設けられました。しかし、それが今では高齢者や車椅子の人達にとっては不便に感じる点になっています。一部の地域では坂を緩やかにする工事が進められているようで、住みやすい街になると良いなと思いました。
 最後に、交流会で吹田まち案内人の人たちが、もう一度人が集まり活気のある街にしたいと思っていることを知りました。南千里公園にカフェができて週末は多くの人で賑わいを見せており、地方創生に向けて色々な策を講じていると言えます。一方で、地域住民は外部から多くの人が来ることに嫌悪感を抱いています、開発業者や行政と地域住民との間に目指している街の姿に違いがあるようです。浜屋敷での議論を通して、地方創生をすることはいいことで、日本の地域課題の解決にもなりますが、それと同時に地域住民の合意も必要であり、簡単に解決できない課題だと感じました。

千里ニュータウンの近隣センターの活用

3年生 西井 咲優香

 私たち塩路ゼミは、2チームに分かれ、6月から7月にかけて吹田市でフットパス調査を行いました。その調査結果を報告するため、11月14日にフットパス交流会という形で吹田歴史文化まちづくりセンター・浜屋敷を訪れました。
 まず、旧吹田チームと千里ニュータウンチームの2チームに分かれて、発表の準備作業を行いました。大きな模造紙に地図を描き、1回目と2回目のまち歩きコースと、まち歩きを通して気づいた点やそれを踏まえての提案を書き出しました。地図を描く担当と気づいた点などを書く担当で分かれ、それぞれ作業を行いました。事前に準備していたので、スムーズに進められました。
 両チーム準備が終わり、旧吹田村チームの後に、発表しました。私たち千里ニュータウンチームは、まず、1回目と2回目に歩いたコースを紹介し、次に、歩いてみて気づいた点を発表しました。良いと感じた点として、緑の多い自然豊かな町であることや、道幅が広く、車道と歩道が分かれていて、安全性を感じたことなどを挙げました。気になった点として、階段が急な場所があったこと、街灯が少なかったことなどを挙げました。私は、去年、先輩方の浜屋敷交流会を見学させていただいたのですが、その際にも、街灯が少ないことは挙げられていました。そこでは、ホタルを守るために少なくしているとおっしゃっていたのですが、ファミリー層が住む街では、街灯が少ないと夜道が危険であると感じたので、挙げることにしました。
 

 これらを踏まえて、スロープなどの設置や、街灯を増やすことを提案しました。また、使われなくなっていた近隣センターの再利用を提案しました。近隣センターは、身近な拠点として、長年住民の暮らしを支えてきましたが、居住者のライフスタイルの多様化や社会状況の大きな変化などにより、近隣センターの商業環境は変化し、店舗数の減少などセンターの衰退が進んでいました。そこで、身近な拠点として住民の方にまた利用していただけるように、①喫茶店を作る、②新規事業を始めたい人や住民の方々に利用していただけるレンタルスペースをつくる、の2点を提案しました。
 まず、喫茶店の設置です。近隣センター周辺には、飲食店がありません。そこで、喫茶店をつくることで、年配の方だけでなく、若者も呼び込むことができると考えました。最近では、若者の間で「レトロ」が流行しており、その一つとして喫茶店に行く人が増えています。それを利用し、住民の集いの場としてだけでなく、若者に人気の喫茶店として、高齢化の進む千里ニュータウンに新しい風を吹かせることができるのではないかと考えました。
 次に、レンタルスペースの設置です。近年、新型コロナウイルスの影響で、家で友達と集まることができにくくなっていると思います。そこで、テーブルやイス、キッチン、テレビなどが揃うレンタルルームのようなスペースを設置することで、近所の方々で集まって交流できる機会につながるのではないかと考えました。また、リモートワークをする場としても利用してもらえるのではないかと考えました。さらに、パン屋やケーキ屋などを開業したい人や、新規事業を始めたい人に期間限定で貸し出しすることで、人が集まるだけでなく、吹田市に店舗を構えたいと考えるきっかけになると考えました。期間限定で貸し出すことで、時期によって近隣センターのテナントが変化することになり、多様な住民の方々に利用しつづけていただけるのではないかと考えました。以上の2点を提案したのですが、言葉足らずで上手く伝わらなかったのが悔しいです。
 今回は、フットパスとして歩いてことで、まちづくりについて、どのように地域活性化できるかを考える貴重な経験となりました。交流会を通して、まちづくりの難しさを感じたとともに、改めて吹田市をより良い街にしたいと感じました。

浜屋敷の交流会を終えて:活気を取り戻す方法

3年生 宮本 采芽

 私たちは、11月14日に吹田市浜屋敷でフットパス交流会に参加しました。この交流会では、旧吹田村チームと千里ニュータウンチームに分かれて、2回のフットパスを通して気づいたことや良かった点などを吹田のまち案内人の方々や浜屋敷関係者である吹田市民に向けて発表しました。私は去年、今の4回生の先輩の交流会を見学しました。先輩方の発表はとても分かりやすく質問の受け答えも出来ていたので、今回私たちもいい発表をして、上手く伝えることが出来るかとても不安でした。
 私たち千里ニュータウンチームは、まず、地図を書くグループと、気づいた点や提案などをまとめるグループに分かれて、模造紙にまとめました。使われなくなった近隣センターの活用案をどうしたら上手く伝えられるかを考えました。私たちは、「若者からお年寄りの方まで利用できる」をポイントにして考え、「喫茶店」と「レンタルスペース」の2つを提案しました。若者に流行していて、年配の方も入りやすいレトロな喫茶店が出来たら、住民の方の憩いの場にもなると思いました。レンタルスペースとは、キッチン・テーブル・カウンターなどある程度設備がそろった場所です。そこでは、パーティーやこのコロナ禍ではテレワークやリモートワークができるので、私たちは住民が気軽に利用できる場所があったらいいなと思いました。取り壊すのはもったいないので、建物がなにかしらの形で残されて使われてほしいからです。活気のある近隣センターを取り戻すためには、様々な案を出し、そこから需要にあった活用方法を見つける必要があると思いました。
 実際に発表してみて、使われなくなった近隣センターの活用案で若者からお年寄りの方まで使える活用方法を考えたつもりでしたが、吹田まち案内人の方に上手く伝えることが出来なくて残念でした。自分たちの発表の改善点は、もう少し具体的な説明だと感じました。吹田市民の方は、あくまで「フットパス=道」であって、留まるところではなく、観光客用に作られた町ではないから、たとえカフェが増えてもうるさくなるだけだとおっしゃっていました。しかし、新しい人を呼び込むためには、喫茶店等の憩いの場があると、遠出をしなくても近場で食事ができたり、ティータイムができるので、私はあってもいいのではないかと感じました。若者目線だけでなく、自分が地元の人だったらということも考えながら、まち歩きをしたり、交流会で案を出しましたが、やはり、地元の人との考え方や見方は違っていて、ギャップを感じました。自分たちの発表に対して市民の方々からの率直な意見や考え方を聞けて、今後の発表に活かせる良い経験が出来ました。

吹田のまち歩きから学ぶ

3年生 荒川 和音

 7月4日に旧吹田村チームで二回目のまち歩きをしました。一回目のまち歩きでは時間の都合上行くことができなかった場所を訪れました。まず初めに、阪急吹田駅を出発して、一回目のまち歩きの時に、まち案内人の丹羽さんが口頭で教えてくださった片山神社と片山公園に行きました。片山神社は、陶芸の祖神であり、方除け・災難除け・火防の守護神である素盞烏尊を祀り崇敬を集めていたのが、片山神社の創始です。片山神社は厄払いでも有名で、昔から災難が多く、行いを慎む年と言われ人生の節目でもある厄歳の方が、神社に参拝して、災い福に転ずるために厄除のお祓いを受ける神社でもあります。そのため、神社には厄払いだけでなく、方位除けなどの様々なお守りがありました。片山神社は、地域の人たちの心のよりどころであるため、この地域になくてはならない場所であると感じることができました。
 

 片山神社を参拝した後、すぐ近くにある片山公園に行きました。片山公園は、子どもたちに「タコこうえん」という名でおなじみの、ピンクのタコ型滑り台が大人気です。ほかにも地下水を利用したせせらぎやジャブジャブ池、桜や平和のバラ園など、みどころもたくさんあります。私たちが訪れた時には見ることができなかった平和のバラ園は、広島で被爆者の治療に尽力した広島市名誉市民の医師、故原田東岷さんが「地上をバラでいっぱいにし、争いのない世界を」との願いを込めて、世界の人々に広島の名をつけた新しい品種のバラ作りを呼びかけて作られました。中でも「メイ・ピース」は、平成9年(1997年)に広島から贈られたバラの新種に公募で命名し、このバラ園に植栽したものです。バラ園は広さ約800平方メートルで、平和のバラである「レッド・ヒロシマ」、「メイピース」、「ヒロシマ・チルドレン」、「ヒロシマ・スピリット」、「ヒロシマ・アピール」など7品種約80株のほか、「天津乙女」、「あけぼの」、「エスメラルダ」など、約50品種のバラ約320株が植えられています。見ごろは5月中旬です。
 その後、旭通商店街を散策しました。コロナの影響でしまっているお店も多々あり、あまり賑やかとは言えませんでした。しかし、普段から商店街に行くことがない私でも、また行きたいと思えるような飲食店がありました。また、普段スーパーで野菜や肉を買っている私からすると、八百屋や精肉店は珍しいと感じました。そして、商店街があるのとないのとでは、ただ夕飯の買い物のためだけにスーパーだけに行って帰る生活スタイルから、夕飯の買い物ついでに商店街の他の店をみて、コミュニケーションをとったり、さらに商店街でゆっくりコーヒーも飲める生活スタイルに変わるような気がしました。
 二回目の旧吹田村のまち歩きを通じて、吹田という町全体で見た時の、旭通商店街のシンボル的役割や若い世代が遊べる場所のような、一回目では知ることができなかった旧吹田村の魅力を、より一層深く知ることができました。吹田のことを知れば知るほど、吹田という地域が好きになり、住んでみたくなりました。

若い世代から見た吹田

3年生 國方 勇成

 11月14日に吹田まち歩きを経ての交流会がありました。旧吹田村のまち歩き計2回を通して私たちが感じたことや今後、吹田という町をどのように改善すると活気ある素晴らしい町になるのかを吹田まち案内人の方々と話し合いました。
 まず、吹田を歩いてみて私が感じたこととして、旧吹田村は歴史ある建物や場所がたくさんあり、かつ若い世代が遊べる場所もたくさんあり、とても魅力あふれる町だと思いました。昔ながらを残した旭通商店街もあり、地域の人たちとコミュニケーションがとれる場所が多くある町だという点です。そんな旭通商店街は、吹田まち案内人の方々によると、今では昔のような商店街の活気がなくなってきており、このままだと昔から商店街にある店がなくなってしまう可能性があります。そこで旭通商店街を昔みたいに活気ある商店街にするためにはどうすればいいか案内人の方々と話し合いました。最善の提案はできなかったのですが、若い世代かつ吹田に住んでいない私たちから見た商店街のイメージをありのまま伝えることで、少しでも地域活性につながればいいと思いました。
 旭通商店街は対面販売を主流としています。しかし、時代の移り変わりとともに対面販売はなくなってきているように思います。対面販売のメリットとして、お得意さんとのコミュニケーションが図れ、買い物の幅が広がることがあります。しかし、ネットの普及やコロナの影響で人と会う回数は減ってきました。今の若い人たちはネットで食べ物を買ったりして、実際にその場に行くことがない傾向にあります。そこで、その場に行くことでしか食べられないもの、買えないものを商店街に取り入れることで、「そこでしか買えない」という付加価値を生み出せるのではないかと考えました。実際に私たちが意見した理想をやるのは難しいとは思いますが、若い世代の人たちに商店街に来てもらって盛り上げてもらわないと、この先、旭通商店街をはじめ全国の商店街はますます無くなると思います。とはいえ、若い人向けの店を増やし、昔ながらの店を減らすのは違うと思います。老舗と新しい店をうまく組み合わせることで商店街は生き残ることができると考えます。
 今回の交流会で吹田まち案内人の方々が吹田をもっとよくしたいという思いや活気ある町にしたいという気持ちを強く持っていることを感じることができました。吹田に住んでいない私たちから見た吹田という町についてお互いに考えていることを交流会で話し合えたことはよかったと思います。今回は吹田について取り上げて、まち歩きをしましたが、今後は自分が住んでいる地域についても考え、盛り上げていかなければいけないと感じました。

住みやすい街をつくるために

3年生 里田 裕理

 私たち塩路ゼミは11月14日に吹田歴史文化まちづくりセンター(浜屋敷)で行われた吹田フットパス交流会に参加しました。2度に渡り、千里ニュータウンを歩いて、良かった点や改善した方が良いと感じた点などを模造紙を利用して発表しました。
 私は昨年、先輩方の発表を実際に見に行かせてもらいました。そのとき吹田まち案内人の方々の鋭い指摘や厳しい意見が飛び交う場面を目の当たりにしたので、私たちが歩いて気になった点を改善するために参考になるような提案をしようと班で決めていました。
 実際に千里ニュータウンを歩いた時、公園や学校が多く、病院などの施設も充実していて住みやすそうな印象を受けました。しかし、坂や階段が急であることやスロープが少ないところが気になりました。急に坂を緩やかにしたり、スロープを作ったりなどは難しいですが、少しでもそれらが改善されることでさらに住みやすい街になるのではないかと発表を踏まえて感じました。
 そして、近隣センターなどは少子高齢化やスーパーなどができたことにより老朽化したままであるということについて、例えば、その土地を利用して期間限定でカフェやフリーマーケットなどを開くのはどうだろうかとグループで考え、期間限定でキッチンつきの場所を提供するサービスを提案しました。SNSを利用して情報を発信し、「期間限定」という言葉に反応して訪れる若者は沢山いるだろうと考えたからです。しかし、これは街の経済面において活性化させようとしているだけであって、住民が暮らしやすい街とは違うのかなとまち案内の方々の意見を通して気づくことができました。そして住民が暮らしやすいことを前提として、住民に迷惑をかけずに、住民を含めて外からの人間も招くことで、街を活性化させるということは本当に難しいことなのではないかと感じました。
 昨年、先輩方の発表を見た時、街灯が少ないという意見が出ていました。しかし、それは街灯をつけることでヒメボタルがいなくなってしまうからであるとまち案内人の方々が話していました。自然をとるか、住みやすさ、安全面をとるかです。私は街灯をつけて安全面を大切にした方が良いと感じましたが、こちらも難しい選択であると考えました。発表時も
全てが良い方向で進むためにはどうすれば良いのか考えましたが、全く思いつくことができませんでした。やはり、何かを達成するためには何かを諦めないといけないのかもしれません。
 住宅街にある、人が多く集まる場所には「大きな声を出さないで下さい」などの張り紙がされているのをよく見ます。これから千里ニュータウンに何らかの観光スポットができた時、例えば検温・消毒の案内と同時に「騒ぎすぎないように」と口頭で注意を喚起したり、張り紙をすることで少しずつ住民に迷惑をかけないという課題は改善されていくのではないかと私は考えます。

交流会で感じた吹田市の現状

3年生 平山 聖翔

 11月14日に私達は吹田歴史文化まちづくりセンター(浜屋敷)で6月と7月の2度にわたって行った吹田市のまち歩きの報告を兼ねた交流会を行いました。会場に入ると、吹田まち案内人の方々と再会を果たすことができました。挨拶を済ませると旧吹田村グループと吹田ニュータウングループのふたつの班に分かれて発表の軸となる模造紙の作成と実際に歩いた吹田の街の地図を作成する作業に取り掛かりました。余計な情報を入れすぎないことと重要な箇所をわかりやすく目立つように意識して作成しました。
 フィールドワークを行った日から時間が経っていて、忘れてしまっている部分も所々ありましたが、
実際にまち歩きしたコースを地図に書き始めるとその時の景色や案内人の方々のお話を思い出してきました。少しずつですが、吹田市の魅力に気づき学びを深めることができているのではないかと感じました。
私は旧吹田村のグループで、その中でも興味をもったアサヒビール吹田工場と泉殿宮の部分の発表を担当しました。これまでもこの2箇所に関しては特に深く調べてきたつもりでしたが、今回の交流会を通してまた新しい発見ができ、さらに深掘りできるのではないかと感じています。
 発表の内容は、もう少し自分たちの意見や吹田市に対しての改善点などを入れることができればよかったという反省点はあると思いますが、少ない時間の中でコンパクトにまとめて良い発表ができたと思っています。とくに印象的だったのは発表後の質疑応答の時間です。吹田まち案内人の方々の目の色が変わり、本気で私たちの意見を求めてくださっているのがわかりました。それだけ吹田市に愛情を抱いていて、危機感をもっていることがわかり、少しでも力になりたいと思いました。
 公園の数や使い方、レンタルルームの再利用などもっと改善策を考えることができるのはないかと思います。SNSの活用や若い人からの協力など必要なものは見えていても現状を打破する具体的なアイデアを出すことができませんでした。この経験を通してもっと学びを深めたいと思いました。まち案内人の後継者が不足している問題や商店街の衰退化などまだまだ問題は山積みだという印象を受けました。今回の活動を通して街を活性化させる難しさや行動する大切さを学ぶことができたと思います。また、吹田まち案内人の方々の姿をみて、自分が住んでいる街の歴史や現状などをより知りたいと思いました。コロナ禍の中、この報告会ができたことに感謝したいです。

地域の声の大切さ

3年生 横井 香穂

 11月14日に、私たちは6月26日と7月4日に訪れた旧吹田村の一回目と二回目のまち歩きで学んだことをまち案内人の方々に向けた報告会を行いました。旧吹田村のまち歩きを振り返ると旧吹田村には一つ一つに深い歴史があり、一つ一つ繋がりがあると感じました。泉殿宮で湧き出た水がアサヒビールに使用され、アサヒビールができる理由となったり、アサヒビールの工場のレンガを参考に旧西尾家住宅の一室の床がレンガになっていたりと、街の中での繋がりを感じます。
 旧吹田村には、歴史がある神社や公園、神崎川の前に立て看板の説明板などが設けてられています。説明板には、写真と当時の情景や、その場所に関わる歴史上の人物などの詳細が書かれています。これがあることで何気なく通っている人にも旧吹田村の歴史を知ることができるきっかけになると感じました。実際に歩いてみて、歴史深い街ということもあり、落ち着きがある静かな街並みと、道も砂利道のように舗装されていて、古風な街並みを感じることができます。教えて頂いた街の歴史と街並みが合っていて昔の生活を想像することができました。

 旧吹田村はこのような取り組みやまち案内人の方などのおかげで今まで歴史が残り、伝承され、住みやすい街になっていると思います。報告会の時、まち案内人の方から昔のように商店街を賑わいのある、人が集まる場所にするにはどうすれば良いか、公園の利用者を増やすにはどうすれば良いかなど質問があり、まちを盛り上げるための討論が行われました。私はインスタ映えするような店や、飲み屋を増やすと人が増えるのでないのかと思いました。しかし、北千里など吹田には自然も大切に維持されています。カフェでの行列や人が増えることで車の待機や、ゴミが増え、野鳥が来ず、カラス、ハトなどが増えます。そして近くに住んでいる住民の方にも騒音被害が増えます。地元の人だから知っていること、些細な変化に気づくことができます。街を維持するには外部の人の声だけでは良さを失ってしまう可能性もあると思いました。
 今回、旧吹田村でのまち歩きや浜屋敷での報告会を通して吹田の良さを実感しました。私は旧吹田村について何も知りませんでしたが、何気ない街に深い歴史と面白さがありました。まち案内人の方のように街を更に活性化させたい、守りたい、良さを伝えたいと活動する方々がいる吹田は素敵な街だと思いました。地域の方の声を聞くことができ、自分の中で新しい視点が生まれ、視野を広げるきっかけとなりました。今回学んだ吹田の良さを他の人達に広めることができたらと思います。

吹田フットパス交流会を経て得たこと

3年生 宮原 帆乃香

 11月14日、浜屋敷にて吹田市民であるまち案内人の方とフットパス交流会を行いました。私たちは千里ニュータウンチームと旧吹田村チームの二つに分かれ、私は後者のチームで夏に行ったまち歩きをもとに発表を行いました。
 当日は、発表のための資料作りから始まり、吹田市民の方の助言と共に完成させていきました。歩いたスポットの歴史を詳しく教えてくださり、そこから得た知識を発表に活かすよう、多くのメモを取りました。特に印象に残っている話は、泉殿宮とアサヒビールの繋がりです。泉殿宮は、吹田の三名水の中の一つであり、古くから霊泉として知られていました。この泉の調査を行った際に、ビールに適しているとされ、そこからアサヒビールが誕生したようです。現在は枯渇してしまい、ビールの水としての利用は不可能となっている為、アサヒビール各工場が各地の水道水の水質を均一に変えて利用しているそうです。このように、まち歩きだけでは得ることのできなかった知識を加え、発表に挑みました。また、まち歩きをしていて気になった点や疑問に感じた点は率先して質問し、わからないことが一つも無い状態にするよう心掛けました。
 発表をする際に、メンバーで話す内容の分担をし、歩いた順番で説明を遂行しました。発表を通して反省点が二つあります。一つ目は、スムーズに発表を進めることができなかったことです。資料作りに多くの時間をかけてしまい、発表の練習を一度もしませんでした。予め事前準備をより綿密に行い、資料をどのように作るのか形だけでもある程度話し合い、メンバー全員が認識しておくことが必要だと感じました。二つ目は、まち案内人の方が求めているものに対して、明確に答えることができなかったことです。まち案内人の方は、吹田市をこれからどのように発展させていけるか、若者の視点で案が欲しいと言われました。一方で、私たちは、まち歩きを経て感じたことや気づいたことを述べ、質問に対して改善点や提案などを明確に提示することができませんでした。
 吹田の商店街にどのような工夫をしたら昔のような活気がとり戻せるのか案が欲しい、と発表後にもまち案内人の方から意見を頂きました。しかし、どのように答えればいいのか、どのような案がいいのか、その場で導き出すことができませんでした。そんな中でも、メンバーの横井さんを中心に意見を発信してくれて、とても助かりました。発表を聞いてくださる相手が何を求めているのかを予め自分たちで目星をつけて資料まとめに取り掛かるべきでした。この発表を通して、初歩的な部分の見直しが必要だと感じました。
 今回の交流会を経て、吹田市に関する知識を深めるとともに、反省点をいくつか見つけることができ、とても良い機会となりました。そして、まち案内人の方は私たちの質問に対して何度も優しく分かりやすく答えてくださいました。これらで得た知識や反省点は、今後取り掛かる英語のパンフレット作成に活かしていきます。

交流会での学び

3年生 市村 まい

 11月14日、私たちは吹田の浜屋敷にて吹田まち案内人の方と交流会をしました。発表内容は、私たちが2回にわたって吹田のまちを歩いて気づいたことやまちの活性化に向けての提案をするというものでした。私は、昨年も交流会に参加したので、そこで感じたことを思い出しながら今回の交流会に臨みました。
 まず、交流会前に行ったまち歩きの際に感じたことを書きたいと思います。私たちは千里ニュータウンを歩きました。そこは閑静な住宅街で、公園や緑地が数多くあるファミリー向けの地域という印象でした。歩き進むにつれて緑が多く、落ち着ける街であることがニュータウンの魅力だと感じました。病院やスーパー、郵便局といった生活に必要な施設が揃っており、電車やバスの本数も多いので一見改善するところがないように見えました。しかし、そのなかでも私たちが気になった点について交流会で挙げていきました。
 ひとつは街灯が少ない点です。駅前はコンビニや飲食店、スーパーなどが立ち並んでいるので、人通りがあり、あまり気にならないかも知れませんが、住宅街に入ると細い道もあったので夜になると女性や子供が1人で通るには安全面が不安だと感じました。しかし、まち案内人の方からすると街灯はたくさんあるとのことでした。ここで地域の方と私たち外部の者の考え方のギャップを感じましたが、確かに、街灯を増やすとなると北千里の雰囲気や自然を維持するのが難しくなってくるだろう思いました。住民が「暮らしやすいまちづくり」と「環境を守るためのまちづくり」は同じようで違うことに気づきました。
 次に、千里ニュータウンの近隣センターの活用方法についてです。もともと、商業施設が集まっていた近隣センターは、地域の方のコミュニケーションの場となっていたそうですが、今はほとんど利用者がいないとのだったので、私たちは活用方法を提案しました。それは施設をレンタルスペースとして提供して誰でも簡単に喫茶店やショップを営業できるように貸し出す場所にすることです。しかし、私たちが提案した内容は頭では分かっていてもそれをより具体的に説明するのが難しく、まち案内人の方々に上手く伝わらなかったように思います。全てを伝えきれず、完全には自分たちの主張を理解してもらえなかったので、私は不完全燃焼でこの交流会を終えました。
 今回の交流会は北千里の魅力や課題を学んだだけでなく、自分の考えを人に伝えることの難しさを実感しました。心残りはありましたが、今後、就職活動等で自分のことを話す機会には今回の学びを糧にしたいと思いました。

交流会で感じた住民と地域外の人の視点の違い

3年生 白崎 葵

 私たち塩路ゼミは、11月14日に、吹田歴史文化まちづくり協会の方々と浜屋敷で交流会を行いました。初めに、千里ニュータウンチームと旧吹田チームに分かれ、それぞれこれまでに行ってきたことを模造紙にまとめる作業をしました。私のチームである千里ニュータウンチームは、まち歩きを2回行ったことを活かして、模造紙の1枚目に千里ニュータウンの地図を描き、2回歩いたルートを色分けして違いが分かるように工夫をしました。もう1枚には、千里ニュータウンを2回歩いてみて、それぞれのルートで発見した違いや、現在千里ニュータウンが抱える課題を浮き彫りにし、まとめ、意見を述べました。
 発表を終えたあと、吹田まち案内人の方の質問や意見を聞くと、私たち地域外の人間と実際にそこで住んでいる住民との視点の違いが気になりました。例えば、今は廃れてしまった近隣センターの活用法として、レンタルルームやカフェとしての活用というアイデアを提案しました。

しかし、吹田まち案内人の方々の意見は否定的で驚きました。その意見を深く聞いてみると、近隣センターを観光客向けの施設にしてしまったら、人が押し寄せて、住民が困ってしまうということです。その意見を聞き、確かに地域活性化として観光施設を作るのは良いが、オーバーツーリズムで起こるようなリスクが挙げられると感じました。このように、私たち地域外の人間は、千里ニュータウンを盛り上げようと、観光客が訪れるようなことを考えます。一方で、住民は、千里ニュータウンを活発化させたいが、観光施設などを作ることで起こる様々な問題点が気になることがわかり、双方の視点の違いを感じました。私たちだけでは気づくことができなかった視点を知ることができて、視野を広げることができました。
 今回、交流会を行って、今までの千里ニュータウンでの活動をしっかりと発表することができて良かったです。自分達の考えたことや感じたこと、アイデアの提案などを相手に伝える難しさも痛感し、伝え方の工夫を凝らす必要性を学ぶことができました。次回から発表するときは、その部分も意識していきたいです。また、吹田まち案内人の方々と意見を交換し、自分たちだけでは気づけなかった新たな視点に触れることができ、非常に充実した時間を過ごすことができました。今回の交流会を糧にして、今後のゼミ活動に生かしていきたいです。

旧吹田村の活性化に向けて

3年生 竹内 良輔

 11月14日、私たちは12時半に旧吹田村の浜屋敷に集合して、会場の設営をし、地域の方やガイドをしてくれた方と交流会を行いました。まず全体的な内容としては、1時から資料の作成、3時頃から集まってくれた方々に対して旧吹田村、ニュータウンの2グループに分かれて発表させてもらいました。私は旧吹田村チームですが、実際にまち案内をして頂いたときと、自分たちでもう一度歩いたときの感想や改善点などを伝えました。そして、この問題はどのようにしたら解決するか、良い方向になっていくだろうかといったことに、自分たちができる限り答えるといったものでした。
 この報告では、吹田の町の発展のために改善点を2つ書きたいと思います。まず1つ目は、商店街の営業のあり方です。これは交流会の時にも同じチームのメンバーが発言したことですが、出来るだけもっと商品を店の前に置いたり、見えやすくしたりすることで、「こんな商品を売っています!」「これがおすすめです!」とお客さんに伝わりやすくなり、興味を持ってもらえると思います。もう1つは、店員さんの頑張りも必要だと考えました。仕事を怠けているという意味ではなく、もっと店員さん自らが前に出て、お客さんに呼びかけてみたり、コミュニケーションを取ることで、店のことや商品のことを知ってもらうきっかけとなり、商品の購入に繋がると思ったのです。
 

 例えば、「マックカフェ」を挙げて説明します。私は現在そこでアルバイトをしています。マクドナルドと併設している名前の通りのカフェですが、その店舗数自体少なく、知名度も高くはありません。最初は物珍しさで来店してくれるお客さんも、良さを感じてもらえなければ、再来店してくれません。そこでマックカフェで意識していることは、お客さんとコミュニケーションを取ることです。商品や店の良いところを知ってもらうことで購入してもらうだけでなく、会話も弾んで笑顔で帰っていただくことができます。そのお客さんが帰って近所の人や友達に話をして興味を待たれると、その人たちもまた来店してくれるといったように、人々にマックカフェの良さが広がっていくことになると思っています。その点、商店街だと他の店も多いので、全体が活気づくように思いました。
 2つ目は、SNSをもっと活用するべきだと思いました。吹田には人が多く集まる「エキスポシティ」があります。他府県からの訪問客も多い場所です。自分自身も出かけたとき、ご飯をどこで食べようかと迷ったらインスタで調べたりします。インスタ映えを狙ったおしゃれな店などを作ることができたら、エキスポシティ帰りの人や若者を中心に、より多くの人が来てくれるかもしれないと考えました。最初は知ってもらうことに時間がかかったりと厳しい期間があるかもしれないですが、何もしないよりは前に進むと思います。