2021.8.18

国際観光学部 塩路研究室3年生が吹田まち歩き1

塩路ゼミ3年生が千里ニュータウンをフットパス

2021年6月27日に、国際観光学部 塩路研究室3年生が吹田市と豊中市にまたがる千里ニュータウンでまち歩きを実施し、日本初のニュータウンの成り立ちや現在の状況を学びました。今年も塩路研究室がキャリアゼミで連携している「吹田歴史文化まちづくり協会」の「吹田まち案内人」の方々に、学生たち2チーム(千里ニュータウンと旧吹田村)を案内していただきました。同協会のご協力で、新型コロナウィルス感染予防を徹底しながら無事に6月と7月に実施することができました。2チームは、それぞれ2回ずつ、同じエリアを歩きました。1度目は吹田まち案内人の方に説明をしていただきながら一緒に歩き、2度目はそれを踏まえて、さらに学びを深めるために重点的にあるいは別のルートで自分たちで歩きました。今回は、千里ニュータウンを初めて歩いたチームが報告します。

住みやすい街 ~千里ニュータウン~

3年生 宮本 采芽

 私たちは、6月27日にニュータウンのまち歩きをしました。暑さを考慮し、午前中早めに北千里駅に集合しました。雨が心配でしたが、当日は曇りで気温も暑すぎず、まち歩きするのに最適の日だったと思います。初めて行くということもあり、とても楽しみでした。
 北千里駅に着くと、吹田まち案内人の佐藤さんに北千里駅についてお話を聞きました。世界で初めて自動改札機が設置されたのが北千里駅であったことを聞き、初めてが東京でなく、大阪の北千里駅であったことに驚きました。そのお話を聞いた後に出発し、初めに見た青山台の団地にはたくさん樹木があったり、子供が遊べる遊具があったりと住環境が充実しているという印象を持ちました。建物では、住民が行き来しやすくするためやコミュニケーションが取れるようにと「ピロティー方式」が用いられていました。しかし、強度が弱いため地震などの災害の発生時のことを考慮すると不安になりますが、補強されていて少し不安は解消されていると感じました。そして、幼稚園、小学校、中学校が近くに集まっていて、便利だなと思いました。子供が複数居る家庭でも、3つが集まっていれば送り迎えが楽になると思います。中学生と小学生の子供が居る家庭であれば、一緒に登校することができるなど、安全面においても配慮されていました。
 豊中市と吹田市で異なる点があり、例えば、公園名において、豊中市はナンバーを使用しています。吹田市は動物や植物の名前を使用しています。今回のまち歩きでは、カブトムシ公園を見ました。ユニークな名前やカブトムシの滑り台が子供には魅力的であると感じました。公園のほかにも、車止めも変わっていて、吹田市は普通の物であり、豊中市は芸術的です。私が豊中市側で見たのはウサギの車止めでした。それぞれのこだわりを感じました。
 新千里西町住区には、「千里アートロード」と名付けられたルートがあり、9つの像がありました。個人的に好きなのは、「愛よ永遠に」という名前の像です。名前からしてもロマンティックですが、抱き合っている男女の姿がとても愛おしいです。一つ一つ違った像で、歩きながら見るのがとても楽しかったです。約3時間歩きましたが、歩道の横にたくさん綺麗な花がありました。花がたくさんあったことで、まちが華やかな雰囲気になり、心も癒される空間だと思いました。
 今回のまち歩きを通して、千里ニュータウンの住みやすさを感じ、将来結婚して子供が出来て暮らすには最適だなという印象を受けました。実際に歩いて自分の目で見ることでその町の良さを知ることが出来ました。自然を大切にしつつ、暮らしやすさを考慮したこの千里ニュータウンは成功だったと思います。今回、案内人の佐藤さんの説明を受けながらまち歩きをしましたが、これは普段体験できることではないので、とても貴重な体験をすることが出来たと思います。

歩いて学ぶニュータウンの歴史と変遷

3年生 寺田 観洋

 6月27日に私たちは吹田まち案内人の方に千里ニュータウンを案内してもらい、吹田市、豊中市内の4つの住区を歩きました。ここでは実際にニュータウンを歩き、案内人の佐藤さんの話を聞き、私が感じたことや考えたことを報告します。
 最初に、阪急の北千里駅から交差点を通り、合歓の木道を通り青山台の団地を歩きました。この合歓の木道について少し調べてみると、道に並ぶ木々は「ナンキンハゼ」のようで名前の由来は青山台センターの陸橋の脇にネムノキがあるということからこの名前が付いたということです。ナンキンハゼは秋になると紅葉が楽しめるということから、機会があれば秋にもう一度訪れて、自分の目で見てみたいと思いました。合歓の木道から団地に入ると、各棟がアルファベットと番号で振り分けられていました。私たちが歩いた団地は「C」のアルファベットと数字がかかれており、これはURが経営している団地という意味だと佐藤さんから教えてもらいました。また、ニュータウン開発のPRとして当時有名だった女優を起用し、宣伝していたことも教えてくれました。以前に別の授業で団地について学び、1960年代の講義映像を見ていたため、映像で見た建設当時の面影が残っているように感じました。そして、佐藤さんの話によると建設された当時は団地に住む希望者があまりにも多かったということでした。青山台からは少し歩くと阪急北千里駅があり、そこから一本で大阪の都市圏へ行ける面などから人気だったのではないかと考えました。
 次に、青山台から古江台住区を歩きました。古江台は青山台とは違い、マンションより一戸建ての住宅が多いように見えました。また、そこに止まっている自動車も外車や高級車ばかりで高級住宅街であるということがすぐにわかりました。そんな住宅街を歩いていると林に囲まれた神社があり、これは古江稲荷神社と呼ばれニュータウン開発が行われる前にあった集落の暮らしを伝えていると佐藤さんから聞きました。古江台住区は昔から歴史を持つ町であることを理解しました。
 最後に、新千里東町・西町住区を歩きました。この二つの住区を歩いて私が感じたことは、私の地元にある「羽曳が丘」という地域に似ていたことです。羽曳が丘は大阪府羽曳野市にあり、小・中学校の周辺の山を削って建てられたマンションや住宅が立ち並んでいます。公園も新千里住区にあるカブトムシ公園のような大きなものはありませんが、千里ニュータウンのように、たくさんあります。さらに地域と地域の線引きも、千里ニュータウンでは緑地帯で、羽曳が丘では大阪府が経営し、植物園や散歩コースが設けられている緑地センターで羽曳が丘地区と私の住む西浦地区が区切られていて、本当に似ていることに驚きました。唯一違う点はすぐに駅に行けない点です。新千里西町・東町住区は近くに千里中央駅がありますが、羽曳が丘は山を削ったということから、駅から住区までかなり離れていてバスが主な交通手段となっています。もちろん、新千里住区の方が歴史は古く羽曳が丘は2005年頃の地域再開発でこのような立地なったので、羽曳が丘の再開発には、新千里住区を参考にした点があると考えました。そのため、今度地元の公園にある案内センターに行き、調査してみたいと思います。
 今回、千里ニュータウンを歩いて、地域の歴史や成り立ちなどを佐藤さんから教えてもらい、その地域について知ることができ、貴重な経験となりました。近年、ニュータウン地域における建て直しなどで人口が増加していることから、ニュータウンはさらに発展していくものと考えます。特に新千里地域では、北大阪急行が箕面市への延伸工事を行っている最中であり、より一層発展していくのではないかと考えます。これから、2回目のまち歩きがあります。今回まち案内人の方から学んだことを糧に、さらに日本のニュータウンについて調査し、理解を深めていきたいと思います。

歩いて気づく吹田の魅力

3年生 市村 まい

 6月27日、私たちは、大阪府吹田市に位置する千里ニュータウンへまち歩きに行きました。約3時間かけて阪急北千里駅から青山台、古江台、新千里東町、新千里西町の4つの住区を通り千里中央駅まで歩きました。その日は天候に恵まれず、時折、雨に降られながらのまち歩きとなりました。以下では、実際に千里ニュータウンを歩いた中で感じたこと、気づいたことを述べていきます。
 まず、ニュータウンとは、大都市の郊外に計画的に開発された街を指します。その先陣を切るようにして日本で最初に千里ニュータウンが誕生したそうです。そして、新しい駅や学校、ショッピングセンターなどが建設されていきました。計算し尽くされてできた千里ニュータウンには緑の木々がたくさん育ち、道路も綺麗に補装されており、誰もが住みたいと思うような住宅街が広がっていました。
 私が特に印象に残っているのは団地です。団地といえば殺風景な白色の建物を思い浮かべますが、千里ニュータウンの団地は個性的でカラフルな団地が多いと感じました。階ごとに壁の色が違ったり、ベランダにはタイルでモザイクアートのような施しがされていたり敷地内には千里ニュータウンの特徴でもある植物や木も豊かでした。この日は天気が悪かったからか、住民の方をあまり目にしませんでしたが、晴れた日には敷地内の遊具で子供達が遊ぶ様子が容易に想像できました。それぐらい広々としていて全体的に明るい印象を持ちました。
 次に、「コミュニティカフェ」についてです。コミュニティカフェは元々お菓子屋さんだったのを人々が集まって交流を図るためにつくった場所です。しかし、徐々にコミュニティカフェで集まる人が固定されてくると、新しく来た人や若い人が入りにくいというデメリットが出てきて結果的には成功しなかったそうです。高齢の方や若いお母さん達などそれぞれの組織が出来上がってしまい、コミュニティカフェは全世代が交流できる場にはならなかったのです。今は無くなってしまったそうですが、このような地域住民がコミュニケーションを取れる場があったことで、吹田市が住民同士のコミュニケーションを大切にしているというこだわりが見えました。
 私は吹田市といえば万博記念公園やエキスポシティの印象しかありませんでした。今回のまち歩きでは地域の清潔さやどこを歩いても鮮やかな植物が育っていているのが特徴的でした。また、団地やその敷地内の公園、駅周辺の病院やショッピーセンターなど、電車移動をせずとも日常生活が滞りなくできる街だったので、高齢者にも優しい町だと感じました。今回は雨で住民の姿は少なかったので、晴れた日の公園や団地で住民が過ごす風景を見てみたいと思いました。

千里ニュータウンのこれから

3年生 菊崎 陽登

 私達は6月26日に吹田市と豊中市に広がる、千里ニュータウンの12地区の内、吹田市側2住区(青山台・古江代)と豊中市側2住区(新千里東町・新千里西町)の計4住区へフィールドワークに行きました。
 まず初めに、スタート地点であった阪急北千里駅に集合しました。同駅には、世界で初めての自動改札機が設置されたそうです。私は、東京駅が始まりだと思っていたので、まさか大阪初だと思っていませんでした。
 それぞれの住区にある団地にはA(OPH)・B(大阪府営)・C(UR)・D(民間・官庁職員住宅)と分類されていました。URの団地には他の建物と変わった構造にされている棟が2種類ありました。1つ目は、「スターハウス」と呼ばれている建物です。この棟は芸術性に優れており他の棟より惹かれますが、耐震に関しては低いそうです。2つ目は「ピロティ構造」です。特徴としては、1階部分は柱だけにし、2階以上を部屋にする建築方法です。1階は柱だけの空洞になっているので、駐輪場として使用したり、住人のコミュニケーションをとる場所として活用されています。しかし、このピロティ構造もスターハウス同様に、地震には弱いですが、津波には強いと言われています。
 千里ニュータウンには、各住区に近隣センターが設けてあります。近隣センターには商業施設などが入っており当時はニュータウンに住む人たちで賑わっていましたが、近年の少子高齢化や郊外への大型スーパーなどの出店により、当時の賑わいは薄れ、今では老朽化したまま建て替えられずにいる所が多くなっているのが問題となっています。学校にも特徴があり、低学年の校舎は1階建てで、高学年になると2・3階建てとグランドが備わっていました。
 新千里東町の特徴としては、一戸建てはなく、マンションが建てられていました。そのマンションの外装もそれぞれ異なっていて、こだわりを感じました。新千里北町と新千里東町の境を通る道路は、歩道用と車道用と2つに分かれており、安全性は高いものの、道幅が広すぎて2つの街を完全に分ける形となり、その結果、北町と東町のコミュニケーションが困難になったそうです。
 最後に行った新千里西町住区にあった、カブト虫公園には大きなカブトムシの滑り台がありました。私は、虫をモチーフとした遊具を見たのは初めてだったので、公園の遊具にも他の町との違いやこだわりを感じました。この新千里西町住区には千里緑地と呼ばれる場所があります。ここは千里丘陵に広がる豊かな自然を保全することを目的に作られ、準絶滅危惧種に登録されているヒメボタルを見ることができます。そしてもう1つの目的として、古い町とニュータウンを区別するための線引きのために作られたとも言われています。
 この1日を通して千里ニュータウンの4住区を歩いた感想として、坂が多く、元々山だった場所を開発したことを強く感じました。そしてまちづくりとして、当時は万博にあわせて多くの団地を作り、ニーズにあった開発を行なっていた事が分かりました。一方で、現在は、千里ニュータウンは時代に追いつけていないのかなと思いました。一部はデザインにこだわって自分自身も住んでみたいと思うようなところもありました。しかし、多くは古い建物のため惹かれなかったので、まちづくりはその時代にあった特色を汲んで、住民と共に行う必要があると思いました。そのためには住人同士がコミュニケーションを取りやすいように、大きな広場や、商業施設など、住人が快適に暮らしながら意見を発する機会も設ける必要があると思いました。