2020.1.10

国際観光学部 塩路研究室1年生が友ヶ島でフィールドワーク

塩路ゼミ1年生が友ヶ島でフィールドワーク

2019年12月7日(土)に国際観光学部 塩路研究室1年生が和歌山県の沖合の無人島、友ヶ島にフィールドワークで訪れました。1年生の大学入門ゼミでは、前期に大阪でフィールドワークを行い、通天閣や大阪城で外国人観光客へのインタビュー調査を実施しました。今回の大学入門ゼミでの最後のフィールドワークは、学生たちが自ら、どこに行き、何を調査するかを考え、検討して決めました。いくつも挙がった候補の中から友ヶ島が選ばれ、どのようにして現地に行くかという経路から島の歴史や特徴を調べるだけでなく、当日、もし嵐などのため 島に渡る船が欠航した場合の代替案を考え、事前の準備からフィールドワークへの心構えを学びました。今回は、1年生が当日の友ヶ島で体験したことや観光客へのインタビュー調査を踏まえて、わかったこと、感じたことを報告します。

長い歴史を持つ友ヶ島
1年生 宮原 帆乃香

 12月7日に、ゼミのフィールドワークで友ヶ島に行ってきました。友ヶ島はSNS上で「ジブリ映画のラピュタの世界観に似ている」と有名な島です。私はその島に初めて上陸しました。友ヶ島に行くためには、和歌山県の加太駅から加太港まで歩き、そこから約20分かけて小さなフェリーで島まで移動しました。加太港に到着すると、フェリーの乗車券売り場付近に私が思っていた以上に観光客がたくさんいて驚きました。フェリーの中もほぼ満員となっていました。友ヶ島に到着すると、さっそくゼミのみんなで名所探訪コースに沿って歩き始めました。無人島となっているので、孔雀やリスなどの野生の動物を見かけることができ、間近で自然を感じることができました。
 第二砲台跡、第三砲台跡、友ヶ島灯台などたくさんの場所を見て回りましたが、私が最も印象に残った場所は第三砲台跡です。そこには砲台跡だけでなく将校宿舎跡があり、痛ましいくらいの当時の姿がそのまま残っていました。その将校宿舎跡の中を間近で見ることができました。内部は純日本式間取りとなっており、昔の家の間取りとなっていました。数十年前まで実際につらい日々を過ごした駐屯将兵が暮らしていたと考えると、とても感慨深かったです。そんな貴重な建物が時代を超えて今まで残り続けたことに感動しました。  
 そして、「ラピュタの世界観に似ている」と言われるだけあり、とても神秘的な建物や風景がたくさんありました。山道を歩いていると小さな洞窟があちらこちらにあり、当時の兵隊の方々が戦争中に隠れるために使われていたのかなと思いました。また、私が思っていたよりもはるかに友ヶ島は険しい山道ばかりで、各名所を辿っていくことがとても困難でした。私たちのゼミが行った日は、比較的高齢の観光客が多く、道の足場が悪いため、とても苦労しているようでした。
 私が今回のゼミのフィールドワークを通して感じたことは、友ヶ島がこのようにSNSやメディアの影響で観光地化が進むことにより、観光客によるポイ捨て問題や歴史建築物が汚されてしまうことが心配になった点です。実際に私が友ヶ島を散策していると、海沿いにはペットボトルやビニール袋などのごみをたくさん見かけました。観光地化が進むことによって地元の地域活性化にもつながり、加太の地域住民にとってはうれしいことかもしれませんが、時代を超えて残り続ける貴重な歴史的建築物を残し続けるために、これから増え続ける観光客にポイ捨てなどの声掛けをする必要があると感じました。この先も美しい友ヶ島が残り続けるようになれば良いと思います。

実地調査:観光地としての友ヶ島
1年生 福生 和輝

 12月7日、和歌山県にある友ヶ島へフィールドワークに行きました。JR天王寺駅から出発し新今宮を経由して南海線から和歌山県和歌山市の加太へ向かい、そこから友ヶ島行きのフェリーに乗りました。
 加太駅から乗船場へ向かう道の途中にも海の近い港町らしく、天草(海藻)が販売されていたり、海鮮をメインに押し出した飲食店などがありました。私自身が山育ちなこともあり港町の纏う雰囲気が新鮮に感じられました。
 乗船場に私たちが着いた時には、私たちのほかに30人から40人ほどの人々が集まっていて冬の寒い時期であっても友ヶ島へ向かう観光者が一定数存在し、既に著名な観光地へと成長をした場所なのだと思いました。
 またフェリーには浮き輪が常備されていて、その浮き輪にはラピュタ島の文字が書かれているなど、友ヶ島がラピュタに似ていると言われ観光地となっていることが加太の地域にも浸透しているように思いました。フェリーの乗組員の方とお話することがあり、人が加太に来てくれることに対して好意的に思っている様子でした。
 友ヶ島に着いてから最初の印象は本当に何もない場所だと思いました。しかし、島内を歩いて散策し、過去に世界大戦に向けて日本軍が建造した砲台跡や、おそらく敵から身を隠すために掘られたであろう洞窟を発見し、歴史を感じることができました。特に第三砲台跡は火薬などを格納していたはずの巨大な倉庫が地下通路で繋がれていて、とても大きな建築物が島の地下に建てられていました。友ヶ島が本土防衛のための大切な基地であったことが想像でき、大戦中の人々の努力や、戦う決意を感じられました。地下通路は迷路のように入り組んでいて冒険心がくすぐられ、時間が許すならもう少し探索してみたかったです。
 ほかには島内で観光者に向けてアンケートを実施しました。観光者の年齢層は様々で小さな子供から高齢の方まで幅広く、また手話で会話をしていた方々も笑いながら散策を楽しんでいました。アンケート調査で友ヶ島がラピュタに似ていると知っていた方は多く、ほとんどの人は第三砲台跡などに興味があるようでした。また、友ヶ島をどこで知ったか、という質問に対しては、多くがインターネットから知り、ほかには過去に友ヶ島を訪れた友人からの勧めだとわかりました。
 今回のフィールドワークでは今まで知らなかった友ヶ島を訪れて、戦争が残していった遺産に触れ、もっと歴史を詳しく知りたくなりました。そしてアンケート調査からは観光者たちが主にどこから旅行の行き先を見つけているのかを知ることができました。これからの観光の勉強に少しでも得たものを活かして行けるよう努力したいです。

加太と友ヶ島をめぐって
1年生 前田 侑

 12月7日和歌山県和歌山市加太にある友ヶ島に行き、フィールドワークを行いました。友ヶ島には、第二次世界大戦に備えて作った砲台跡や国立公園などがあります。今回のフィールドワークで主に巡ったのは、まるでラピュタのようだと話題の第三砲台跡です。
 和歌山駅から加太駅に移動するときに乗った電車が「めでたいでんしゃ」という電車でした。外装が鯛になっており、また内装は吊り輪が鯛の形になっていて工夫されていました。加太駅では、昔、漁で栄えていただろうと感じることができる街並みがあり、どこか懐かしさを感じることができました。また、今回は行きませんでしたが、温泉などの観光スポットもありました。電車の中に加太スタグラムという広告があった通り、たくさんの写真スポットがありました。
 友ヶ島に着いて最初に気づいたことは観光客のほとんどが日本人であったことです。外国人観光客も多いと聞いていましたが、わたしたちが行ったタイミングが悪かったのか外国人とは一人も巡り合いませんでした。また、第三砲台跡を目的としている人も半分ほどで、キャンプをしに訪れている人が多かったです。第三砲台跡に向かっている人にアンケートをとると、ほとんどの人がラピュタの風景を目的にしている人でした。その中の一人にアニメの聖地巡礼をしている人がいました。
 加太から船に乗り、友ヶ島に着いたあと第三砲台跡に行くまでの道のりは山登りしているようでした。途中で海などもあり、また第二砲台跡や蛇ヶ池など景観良い場所がありました。山登りをしているようでしたが、ところどころ良いスポットがあったので休憩をしながらできよかったです。しかし、海風が吹き寒かったので、春にキャンプをしにもう一度行きたいと思いました。途中でたくさんの穴がありました。戦争当時に防空壕として使われていたのかと推測しましたが、本当のことはわかりませんでした。
 第三砲台跡では、弾薬庫がたくさんあり、かなり手が込んでいました。地上の弾薬庫だけでなく地下に入ると人が入って生活できる程度の部屋がありました。弾薬庫の周りは聞いていた通りラピュタを彷彿とさせる場所でした。
 今回行った加太や友ヶ島はどこかなつかしさを感じられる場所でした。人の多い観光地とは違って、のんびりと観光ができてよかったです。わたしは瀬戸内海出身なので友ヶ島になつかしさを感じたのだと思います。

多くのことを発見した友ヶ島
1年生 寺田 観洋

 12月7日、私は和歌山県の友ヶ島でフィールドワークを行いました。事前調査で初めて友ヶ島という場所を知り、事前学習でジブリ映画の「ラピュタ」のモチーフとなった場所ということや、第二次世界大戦の戦場となったことを学びました。そして現地で友ヶ島を訪れていた人たちにアンケートを行いました。本来は外国人アンケートを実施する予定でしたが、私達が訪れた時には外国人がほとんど見受けられませんでした。その代り、多くの日本人観光客が見られ、その中で私が驚いたのは年配者が多く訪れていました。若い人も少し見受けられましたが、山を下ってくる人たちの多くが60歳以上の年配の人々だったというイメージが強かったです。その中の1人にアンケートを実施しました。その人は奈良から友ヶ島に訪れており、始発の電車で3時間半ほどかかったと聞きました。また、家族旅行で友ヶ島に来た家族にもアンケートを実施しました。その家族は以前に「ラピュタ」の映画を見て、そのあと友ヶ島がモチーフになったこと知り訪れたと話してくれました。
 第三砲台跡や灯台、「ラピュタ」のモチーフになった場所を実際に訪れて、歴史を感じることができました。友ヶ島についての事前学習で見た写真と比べ物にならないぐらい大きく感じました。そしてその砲台が残酷な戦争の跡を残しているようにも思いました。そしてラピュタに出てくるような池の周りなどを訪れてみるとかなり似ていると思いました。砲台など以外にも多くの洞窟を見つけることができました。それらの洞窟は、もしかしたら、戦争での防空壕として使われていたのかなど様々な考えが浮かびました。
 私は最初、友ヶ島は単なる陸の孤島と思っていましたが、実際に訪れると険しい山道があり、その分かれ道から砲台や灯台に辿り着くことができました。山道は舗装工事されておらず、石が多く歩くのに苦労しました。しかし、苦労した分辿り着いた多くの場所で魅力的な建造物や絶景を目にすることができ、感動を得ることができました。
 友ヶ島から帰った後、友ヶ島に行ったことがあるという先輩と話を共有しました。その先輩も砲台を見たとき、その大きさに驚いたこと、そして洞窟以外にも私たちが見つけられなかった地下壕もあったという話を聞きました。地下壕の目的は先輩も分からないと言っており、私は戦争当時の兵士の避難壕なのかと考えました。
 今回、私達が訪れた友ヶ島で、ゼミのメンバーで協力する力、現地での歴史、魅力、そして戦争の悲惨さという多くのことを学ぶことができました。これらの身に着けた力を次年度以降の国際観光学部での勉学の糧にしていこうと思います。

人と友ヶ島
1年生 兼松 優作

 私が友ヶ島に行って感じたことは、友ヶ島の山、海、自然はとてもきれいですが、海岸はかなりゴミが目立っていて、きれいな景観だからこそもったいないということです。また、友ヶ島は戦争の跡地なので観光や楽しむ気持ちだけでなく、学ぶ気持ちも大切にして観光することが大切だと感じました。しかし、跡地を訪れたときは、感動して思わず写真を撮りたくなるほどでした。
 友ヶ島の各地にある跡地を自らの足で歩いて回ることで当時の景観や、戦争の恐怖を想像して行くことができました。また、友ヶ島はジブリの映画の「ラピュタ」に似ているともいわれています。そのため、フィールドワークに行く前に、ゼミで「ラピュタ」を一度見たおかげで、友ヶ島で想像するのがたやすくなりました。友ヶ島には、確かにラピュタに似ている部分が多くあり、円形になっている池などは特にラピュタのワンシーンに似ていました。そして私が友ヶ島の中で最も驚き、迫力を感じ、感動を受けたのは、やはり第三砲台跡です。第三砲台跡は、範囲も広くて、中は迷路みたいになっていました。中はかなり暗くて、まさに冒険しているような感覚を味わうことができました。また、中には大きな虫が集まっていたり、広い範囲で虫が広がっているところもありました。私は、少し気持ち悪いと感じましたが、少し嬉しさも感じました。なぜなら、虫がたくさんいることは自然がしっかり残っているということだからです。
 友ヶ島に行くまでに感じたことは、人が少なく、若い人もあまり見ることができなかったことです。友ヶ島は海も綺麗で、自然も豊かで、日本人観光者や外国人観光者が感銘を受けるような遺産や歴史があると思いました。しかし、あまり友ヶ島をアピールすることが出来ていないのではないかとも感じました。戦争は自分が体験していなくても忘れてはいけないものだと思っています。その、戦争の跡地になる友ヶ島をもっとアピールして、若い人から高齢者まで幅広い人たちに、知ってもらえれば人がたくさん訪れると思いました。
 乗船場の近くには、おいしい鯛めしやしらす丼を食べることが出来ます。私が食べたのはしらす丼です。加太で有名なのは「しらす」と事前に調べていましたが、加太のしらす丼のしらすは大きく、ふんわりしていて、とてもおいしかったです。友ヶ島を歩き回り疲れた後に一息つく場所にはもってこいだと思いました。

友ヶ島へ行こう!
1年生 白崎 葵

 私たちは、12月7日に友ヶ島へフィールドワークに行きました。ここはあの有名なジブリの「ラピュタ」のモデルにもなったところでもあり、観光客もいました。行き方は、まず電車で加太駅まで行き、駅から加太港まで歩きます。駅からは、数十分くらいで着きました。友ヶ島行きの船は100人乗りで、友ヶ島汽船乗船場には、70人ほどの観光客がいて、船を待っていました。地元の駅から約3時間かけて友ヶ島に着きました。観光客のほとんどが日本人だったので、外国人観光客にはあまり知られていないのだと感じました。アンケートを取ってみるとやはり、外国人観光客は一人もいませんでした。訪れる観光客は割と近場から来た人が多く、特に近畿地方が多い印象がありました。そのため、外国人観光客に来てもらうためにも、外国人観光客の人が友ヶ島に興味を持ってくれるような工夫が必要だと感じました。
 友ヶ島に着いて初めに、案内の看板を見ました。そこで何があるのかを確認し、友ヶ島の散策を始めました。道中には、野生のクジャクやリスなどの動物がいて驚きました。まず、第2砲台跡へ行きました。柵より先(砲台跡内)は立ち入り禁止ですが、外から眺める砲台跡と海外線の景色が人気のスポットです。戦争の大砲の跡や、洞穴の中から敵の侵入がわかる場所が生々しく残っていたので、戦争の恐ろしさを鮮明に感じました。
 次に、友ヶ島灯台に行きました。この灯台は、明治5年(1872年)にできた洋風建築の灯台です。現在も稼働中でした。灯台に昔の象形文字みたいなものが描かれていて、とても興味深かったです。
 最後に、ラピュタのモデルになった第3砲台跡に行きました。自然に囲まれていて、落ち着いた雰囲気が心地よかったです。ここのトンネルの中は入れるので、実際に入ってみると、中は暗く、ライトを照らさないと歩けませんでした。トンネルの中には、たくさんの虫(特にクモ)がいて少し怖かったです。険しい道が多く、かなり苦しかったけれども、友ヶ島の魅力を堪能できました。
 今回、友ヶ島のフィールドワークで多くのことを学び、歴史を感じ、友ヶ島の様々な魅力を発見しました。友ヶ島を訪れる観光客は、日本人がほとんどであったので、外国人観光客にも、来てほしいと感じました。そのために、友ヶ島の魅力を世界に発信していくことが、必要だと思います。今回のフィールドワークでの経験を、これからの大学生活に活かしていきたいと思います。

人のいない友ヶ島
1年生 原 恵

 12月7日に塩路ゼミのみんなと一緒に友ヶ島に行きました。河内天美から加太駅まで途中何回も乗り換えして、とても遠い島でした。そして、加太駅に着いてから、20分ほど歩いて、港に向かいました。初めて日本で船に乗りましたが、小さい船だったので、揺れがひどかったのが印象に残りました。
 友ヶ島に着いた時、みんなが感動している間、乗り物酔いがひどくて、なにも感じませんでした。着いた頃に同じ船に乗っていた人がたくさんいましたが、少し時間が経ってからも、ほぼ同じ人にしか会うことができませんでした。海の家みたいな場所の近くでみんなはアンケートを無理とりました。最初に行った場所は、蛇ヶ池でした。行く途中にトイレ行きました。友ヶ島のトイレはバイアニクストイレ(自己完結型循環式水洗トイレ)で、四か所に設置されています。トイレの水が茶色だったのは、汚水ではないそうですが、私は見たことがなかったので面白かったです。トイレの前で鹿に会いました。
 次に、砲台跡に行きました。第二砲台跡には感動しました。全く修繕されていない歴史の気配がある遺跡がとても気に入り、頭の中で戦争していた時の場面を考えました。砲台跡に行ってから、子午線広場に向かいました。広場と言っても、なにもありませんでした。しかし、パンフレットを読むとそこは日本の最南端子午線の場所だとわかりました。人生に一回いけて、満足でした。その近くに、地下通路がありました。先輩たちと一緒にいってみたら、大量の虫が現れ、入ったばかりの時には気づいてなかったので、壁を見ない方がいいと言われた時に、好奇心で見てしまいました。女子の皆が叫び、友ヶ島に入ってから最も怖かったポイントとなりました。
 途中から、体力がついていけなかったので、先生たちと後ろでゆっくり歩きました。ゼミの他の人が若いなーと思いながら、必死に歩きました。山を登っている途中のどこかで、いくつか洞窟があって、皆で中に入りました。私は絶対に虫がまたいると思ったので、入りませんでした、結果的に私が正しく、入った人が叫びながら出てきました。あとから聞くとやはり虫がいたみたいでした。
 今回行ってみて、友ヶ島は本当に無人島だとわかりました。意外にもたくさんの観光客が訪れていて、お年寄りだけではなく、若い人や家族連れもいました。外国人が本当に一人もいなかったので、友ヶ島という面白い島はまだまだ知られていないと気づきました。

ラピュタ島
1年生 竹内 良輔

 僕たち塩路ゼミは和歌山県和歌山市の友ヶ島にフィールドワークに行きました。天王寺に集合した後、電車を乗り継ぎ、約2時間かけて友ヶ島に向かいました。途中に加太さかな線という観光列車に乗ったのですが、めでたいが溢れる町を走る電車ということで、電車の側面や車内には、めでたいに因んだ鯛が描かれていました。加太に着くとすぐに港に向かい、揺れる船に乗って、友ヶ島に到着しました。
 友ヶ島は第二次世界大戦の時に作られた島ということで、戦うための砲台や、現在も稼働中の灯台などがありました。太いクロマツが立ち並んでいる芝生の広場には、シカやあまり見ることがないクジャクなどがいました。
 他には、友ヶ島が「ラピュタ」に似ていると言われるきっかけとなった第三砲台跡があり、実際に行ってみると、写真では味わえない臨場感や歴史がそこにはありました。第三砲台だけでなく第一から第五砲台まであり、すべてに個性というか、それぞれの良さがありました。
 島というだけあって、歩きにくい道を歩いたり、傾斜がかなりある階段を登ったりしながら島中を回ったのですが、思っていた以上に山登り感があり、行きたいと言っている友達には、心していくようにと忠告することに決めました。しかし、疲れを一気に取り払ってくれるような景色がたくさんありました。
 僕たちは友ヶ島に外国人アンケートを行いにいったのですが、行ってみると外国人がまったくいないという結果に終わり、日本人の観光客に質問することにしました。僕がアンケートをとった観光客の方々は、近畿圏内から来た人が多く、日帰りで帰る人ばかりでした。加太は、しらす丼が有名ということで、このあと食べるか聞いたところ、島にいた人々はみなもう食べた後でした。僕たちは友ヶ島がラピュタに似ていることがきっかけで行くことにしたので知っていたのですが、観光客の方々に聞くと、意外と知らずに友ヶ島を訪れている人が多かったのが印象的で、当日のパンフレットで知ったという人もいました。ちなみに僕はしらす丼は食べず、加太の地元でとれた鯛丼を食べて帰りました。
 今回のフィールドワークで学んだことは、その場所に行ってみないと何もわからないということです。写真ではわからない友ヶ島の一面や臨場感が伝わってきて、フィールドワークの大切さを改めて実感することができました。

ラピュタの世界『友が島』
1年生 西井 咲優香

 私たち塩路ゼミは、和歌山県和歌山市加太にある友が島に行きました。友が島は紀淡海峡に浮かぶ無人島群の中の一つです。島内には第2次世界大戦まで使用された5か所の砲台跡など戦争の跡地が残っており、ジブリ映画「ラピュタ」の舞台にもなったといわれています。
 友が島までは、まず加太駅から徒歩20分のところにある加太港に行き、フェリーで20分ほどで着きました。フェリーは一日に4船出ています。友が島は無人島ですが、かなり大きいです。途中で乗った南海加太線は「めでたい電車」といって椅子の柄が鯛、つり革も鯛、床も鯛、電車の色も鯛、鯛尽くしでかわいかったです。調べたところ青色の「めでたい電車」もあるみたいです。
 友が島に着き、まず第2砲台跡に行きました。海岸線の景色がとてもきれいで瀬戸内海を一望できます。次に友が島灯台に行きました。明治5年にできた洋風建築の灯台で現在も稼働しています。そのあと、第3砲台跡に行きました。第3砲台は島内の他の第1砲台、第2砲台、第4砲台、第5砲台とともに、明治政府が紀淡海峡防備のため、由良地区(淡路島)、友が島・加太・深山地区(和歌山市)に築造した由良要塞の一つの砲台で、最大の規模です。
 友が島に行ってみて、観光地になっているとはいえ、足場が悪く、坂も急で体力が必要でした。船着き場に唯一開店していたカフェのメニューもそこまで多くなかったのでお昼ご飯は持っていくことが必要です。帰りに、私たちは加太港のすぐ近くにある飲食店に行き、名物のしらす丼を食べました。しらすがとても新鮮で今まで食べた中で最もおいしかったです。
 私たちは今回、友が島で観光客にアンケートを取りました。年齢層は広く、20歳から60歳代の人までいました。アンケートのなかにはラピュタの舞台だと知っていたかという質問がありましたが、意外と知らない人が多かったです。
 私たちは、友が島に行く前にどこが舞台になっているか発見するためにも「ラピュタ」を見ました。友が島について調べたとき、友が島といえばラピュタの舞台になったとどの記事にも書かれていたので、世界のラピュタファンが集まっているのかと思っていました。しかし、実際は、外国人は一人もおらず、ラピュタの恰好をした人も見かけませんでした。
 友が島は、景色がとても綺麗なので映える写真が撮れると思います。今回私たちは時間の関係で見られませんでしたが、友が島からの夕日が綺麗に見えると思うので、今度行く機会があれば見たいと思います。

蜘蛛のトンネル「友ヶ島」
1年生 荒川 和音

 12月7日に、私は大学入門ゼミのフィールドワークで友ヶ島に行きました。朝早くから集まりフェリーに乗っていきました。紀ノ川駅から加太駅までの南海加太線の車内には魚がたくさん描かれていて、とても「インスタ映え」スポットになっていました。加太駅について徒歩20分ほど歩きフェリーに乗り、20分で友ヶ島に着きました。
 島に着くと、まず初めに、クジャクとシカに会いました。子供がいて動物園にいる気分になりました。次に山をひたすら歩いて蛇が池に着きました。山を登った先だったので上からの眺めがとてもきれいでした。そこで記念撮影をして、次に第二砲台跡に向かいました。山を登っている途中で28歳ぐらいの男性組が歩いてきたのでインテビューをしてみたらとても親切な方々で兵庫からきたと言っていたので、観光客は関西圏の人が多いのではないかと思いました。そして第二砲台にも広い池があり眺めもとても良く、ジブリ映画「ラピュタ」で飛行機が飛ばされて最初にたどり着いた場所のような雰囲気でした。
 次に、第一砲台跡に向かう途中で洞窟のような小さな「ガマ」のような穴があり、探検している気分になりました。そして第二砲台に着き、そこは入れませんでしたが、階段があり煉瓦で組み立てられたトンネルがありました。トンネルの前には柵があり牢屋のようでした。
 最後に向かった第三砲台跡の弾薬庫は友ヶ島で最も有名な場所で、掩蔽地で上から緑に囲まれ、レンガ造りの弾薬庫の情景が、時代に取り残された雰囲気で、まるで、「ラピュタ」の世界観を生み出しているかのような場所でした。そこで真っ暗の細い今にもお化けが出てきそうなトンネルに行くと集団で固まった蜘蛛がたくさんいて気落ち悪かったです。そこから歩き頂上の地点にたどり着き、周りを見渡せば海と山で眺めは絶景でした。歩きすぎて疲れたので景色を見ると、リラックスしました。
 帰りの船でカップルがいたのでインタビューしてみると、また関西の方だったので友ヶ島は日帰りの近場で行くにはとても適した場所なのだと思いました。そして最後にみんなが楽しみにしていたシラス丼を食べました。おなかが空いていたのでとても美味しかったです。
 事前にSNSやパソコンで調べた時よりも、実際の友ヶ島は独特の雰囲気で「天空の城ラピュタ」の世界に入り込みながら島を満喫できて本当に来てよかったと思いました。ゼミの授業でフィールドワークの目的地を決める際は、たくさんの案が出た中、友ヶ島に決まりました。そして、フィールドワークに行くまでに、どのように行くかという交通面や島の歴史、雨天の場合などを調べ話し合い、みんなで協力できたと思います。不安の声もたくさんありましたが友ヶ島に着くといつもよりみんなと中が深まり、良い思い出になりました。

友ヶ島探索
1年生 國方 勇成

 僕達のゼミでは和歌山県の友ヶ島に行ってきました。友ヶ島は瀬戸内海国立公園で第二次世界大戦に備えて作られた場所でした。とても空気が美味しく自然が豊かでした。友ヶ島に行った目的は、友ヶ島がジブリに出てくる「天空の城ラピュタ」に似ているのか確かめるためと友ヶ島にある戦争で使われたであろう砲台を見るためでした。
 寒い時期にもかかわらずたくさんの観光客が訪れており、カップルからお年寄りまで幅広い観光客が友ヶ島に来ていました。船を下りると、太いクロマツが立ち並んでいました。メインの第三砲台跡は島内にある第二次世界大戦まで使用された5カ所の砲台跡の中でも最大級の規模でした。友ヶ島灯台は現在でも稼働中で、明治5年(1872)にできた洋風建築の灯台でした。とても景色がよくて眺めが最高でした。友ヶ島灯台西側の広場で日本標準時子午線が通る広場の子午線広場がありました。第二砲台跡は柵より先(砲台跡内)は立ち入り禁止ですが、外から眺める砲台跡と海岸線の景色が人気のスポットでした。タカノス山展望台は眼下に紀淡海峡を見下ろし、はるか四国・六甲・和泉・葛城方面の山々も望めました。友ヶ島には深蛇池という池があり、ヒトモトススキ・テツホシダなど湿地性の植物群落が生い茂り、和歌山県の天然記念物に指定されています。
 南垂水キャンプ場も友ヶ島にはあり、芝生に覆われた広場でキャンプやレクリエーションに好適です。僕達は名所探訪コースで友ヶ島を回りました。まさかあんなにも歩くとは知らず、とても疲れました。朝が早くて大変でしたが、行った甲斐がありました。
 最寄りの加太駅周辺は恋愛成就で人気の高い淡嶋神社や美肌効果のある温泉など観光スポットの多い地域でした。また、他にもスイーツや港町ならではの海の幸が堪能できる店、とっておきの写真スポットなどが充実していました。路地裏に行くと、レトロなまち並みが広がるところもありました。美味しいシラス丼も食べることができて、とても嬉しかったです。また、乗ってきた電車がとても面白く、「めでたい電車」と呼ばれて車内が縁起のいいモチーフやしかけがいっぱいでした。ピンク色のお母さん「さち」と水色のお父さん「かい」、赤色の子供「なな」。可愛いとめでたいが詰まった「めでたい電車」に乗ることができてよかったです。とても疲れたフィールドワークでしたが、最高の仲間と最高の場所に行けたことにとても満足しました。