塩路ゼミ3年生が吹田市の正雀・安威川コースをまち歩き

国際観光学部 塩路研究室3年生5人が2019年4月20日(土)に、吹田市の正雀・安威川沿いを吹田まち案内人のガイドで1回目のまち歩きを実施しました。このまち歩きは、本学のキャリアゼミ活動の一環で、塩路研究室がテーマとしている「フットパスをつかった豊かな地域づくり」で連携先である吹田歴史文化まちづくり協会のご協力を得て実施したものです。学生たちは、今回の正雀・安威川コースの他、(新)南吹田駅コース、片山・豊津コースの3チームに分かれて、吹田歴史文化まちづくり協会の吹田まち案内人の方々と歩き、次に自分たちだけでそのエリアを探検して歩いて新しい地域の宝を見つけ、学生目線でコースを提案するというものです。ここでは、学生たちが正雀・安威川コースをはじめて歩いて学んだこと、2回目に5月11日(土)に自分たちだけで歩いて発見したことなどを報告します。

吹田の隠れた魅力から学ぶ
3年生 日根 美咲

 私たちは、4月20日に大阪府吹田市の正雀・安威川を歩きました。吹田市へは万博記念公園や、エキスポシティといった一部にしか訪れたことがありませんでした。今回、吹田まち案内人の古谷さんのガイドを受けながら正雀・安威川を歩いたことで発見した3つの魅力を紹介します。
 一つ目は、名前の歴史についてです。出発地点であった阪急正雀駅は、駅の下を流れる正雀川から因んでつけられました。正雀川は、奈良時代に直線状の流れのために、条里制の線引きの基準となり、「正尺川」と呼ばれていましたが、のちに文字が変わり「正雀」となりました。駅は、摂津市と吹田市の市境を流れる正雀川をまたぐように設置されています。ホームの半分以上は吹田市ですが、駅舎は摂津市に所在しているため、所在地は摂津市になります。そして、岸辺にも様々な漢字が存在していました。元々は「吉志部」が使われていましたが、5つの村の合併や駅創設に伴い分かりやすくするために「岸辺」となりました。様々な歴史や住民の思いなどから現在の名前に変化したことに名前の重要性を感じました。
 二つ目は、町と自然が一体化していることです。安威川堤防へ上がると景色は一変し、広く続く安威川が目に入り、とても気持ちの良い空間へ出ます。冬場は、ヒドリガモ、オナガガモ、ユリカモメなどの水鳥を観察することができます。堤防に沿って設けられた南正雀吹東線緑道は、排水路を埋め立てたものです。歩行者専用の道になっているため、安心して歩くことができます。木が陰となり涼しい風のもと歩くことができるので、夏でも快適に歩くことができます。ベンチも設置されているため、座って涼むことも可能です。次に訪れた隆国寺は、町中にあるにも関わらず、広々とした開放感のある寺で、入ると静かな空間に包まれ心が落ち着きます。昭和9年の室戸台風で亡くなられた人々を供養するため、西国札所寺院会によってこの地に「関西風水害慰霊供養塔」が建立されたことが契機となっています。ご本尊には、聖観世音菩薩が安置されています。境内には桜、ヒトラツツジ、あじさいなど四季折々の花を見ることができます。味舌水路上部遊歩道では、木が道を覆い桜のピンクと緑の二色のトンネルとなっていました。歩いているだけで自然を全身に感じることができる道でした。
 三つ目は、電車についてです。正雀駅は駅北西に阪急最大の「正雀車庫」があります。そのため、入出庫する様々な電車を無料で見学ができるスポットとなっています。JR貨物吹田機関区では、国鉄時代から現在も、修理工場、機関区などの列車の基地として稼働しています。電車が好きな人はもちろん、知らない人も電車の近さに思わず写真が撮りたくなる場所でした。電車を間近で見ることができる隠れスポットだと感じました。
 今回歩いたコースはガイドさんが同行することで発見できた魅力です。古谷さんは行く先々で、「正雀駅は何市でしょうか」「この木の名前は何でしょうか」などクイズ式の案内をしてくださいました。クイズ式なのでみんなで話し合って考えることができたので頭に入りやすかったです。単に一人で歩くといった行動が楽しみながら協力することでみんなで一緒に行動していると実感しました。駅構内や道の植物などにクイズ式の看板などがあれば、多くの人に吹田市のことをより深く知ってもらえるのではないかと考えました。楽しみながらその町を知るということは、フットパスをするうえで最も大切なことだと学ばせていただきました。

新たな可能性を感じたまち歩き
3年生 武田 侑大

 4月20日に大阪府吹田市にフットパスに行きました。吹田市は大阪府北部の摂津三島地域に位置する市です。日本万国博覧会の会場として知られています。今回フットパスをするにあたっての目的は元々あるフットパスコースを吹田まち案内人の案内・説明を聞きながら実際に歩くことです。そしてどのようなコースなのかを知り、次回私たちだけで歩く時の下調べをすることでした。私が歩いたのは正雀・安威川コースです。
 JR岸辺駅を出発地点として歩き始めると、正雀川があり川に沿って歩きながら説明を受けました。正雀川の名前の由来は、直線状の流れのために、古代に条里制(土地区画制度)の線引きの基準になり、「正尺川」と呼ばれていましたが、「正尺」がかっこ悪いという理由で「正雀」に変わったといわれています。正雀川は生活排水が未処理のまま流入しているため、基本的に水質汚染が激しいといわれています。また安威川に合流する地点でユスリカという小さい虫が大量発生したため、対策として鯉が放流されたらしいですが、水質汚染のため現在はほとんどいならしく、私が行った際も一匹も確認することができませんでした。
 正雀川沿いを歩いていくと安威川(北摂地域を流れる淀川水系の一級河川)に合流したので安威川沿いを歩いているとテニスコートや公園、大阪学院大学高校があり、その先には隆国寺という本堂の正面の懸崖に仕立てられた立派な松に迎えられ、椿や桜といった季節ごとの花も迎えてくれます。隆国寺は昭和9年に室戸台風で亡くなった方々を供養するために、西国札所寺院会によって「関西風水害慰霊供養塔」が建てられ、これを契機に造られました。ご本尊には聖観世音菩薩が安置されています。私たちが行った際にたまたま住職の方がいて、特別に聖観世音菩薩が安置されているところに上がらせてもらうことができました。次に、天津神社というとても小さい神社がありました。境内の燈籠に「難波吉師霊燈」と刻まれていました。これはこの地を支配したといわれている吉師一族が関わる皇子の悲話につながる記念の燈籠だと案内人の方がおっしゃっていました。天津神社から出発地点のJR岸辺駅に向かい、駅で解散しました。
 6.5㎞の道のりを約3時間くらいかけて歩き学びました。実際に吹田のことを全く知らずに歩くと魅力の多い街だと感じ、少しでも調べていけばより吹田のことをより深く知れたのではないかと感じました。今後、知らない地域に行く際にその地域のことを学んでいけばより自分自身の身になると考えました。

吹田市正雀ルート
3年生 谷口 彰汰

 私たちは吹田市にある正雀を歩きました。私たちは2度に渡り歩きましたが、私は1回目のまち歩きを取り上げようと思います。私たちは阪急正雀駅に集合し、そこからフットパスを開始しました。そこで私が初めに気になったことは阪急正雀駅が摂津市と吹田市の市境を流れる正雀川をまたぐように設置されており、ホームの半分以上は吹田市域ですが、駅舎は摂津市側に所在していることです。なぜなら、正雀駅の主要な部分が摂津市に入っているため正雀駅は摂津市が所有するものとなっています。
 次に、私たちが訪れた場所は、隆国寺です。隆国寺はとても大きく、たくさんの墓があり、はじめは寺には見えませんでした。しかし、隆国寺のご住職が寺の中まで案内して下さいました。そこは撮影が禁止だったため写真はありませんが、中はとても大きな仏壇があり、その大仏は普通の大仏ではなく片足を地面につけ、もう片方の足を椅子の上に乗せるように作られていました。隆国寺のご住職によると、その座り方は全国的に見ても珍しく、住民に何かあるとすぐに助けに行けるようにといった意味で作られているということで、とても住民思いの寺だと感じました。
 その後、私たちは静かな町を長距離に渡り歩きました。私の初めの吹田市の印象はとても賑やかで車や人が多い都会のような場所だと思っていました。しかし、町の所々に静かな場所があったり、人が多くにぎわっている場所もあったりして素晴らしいと思いました。
 今回、私が感じた正雀ルートの改善点は2つあります。1つは自販機が少ない点です。私たちが正雀ルートを歩いた日はとても暑く、かなりの長距離を歩いたため体力を消費しました。その時に感じたことが、多数の休憩場がありましたが、そこには自販機が少なく水分補給ができないという点でした。そのため、歩きながら少し疲れがありました。自販機を置くことによって観光客だけでなく、地域の方々が気持ちよく歩くことができるのではないかと思いました。
 2つ目に私が感じた改善点は、たくさんの見どころがあるにも関わらず、その見どころを生かし切れていないのではないかということです。なぜなら、私たちは吹田まち案内人という吹田市民の方と一緒に歩くことができたので各場所の説明をしていただいたり、地域のクイズを出していただいたりして、とても分かりやすく楽しく歩くことができました。しかし、その説明がないとわからない部分がたくさんあったので何か説明を書いた看板などを設置することによって気持ちよくまち歩きができるのではないかと思いました。

吹田市での魅力再発見
3年生 宮村 里沙

 私たちは、5月11日に吹田市で正雀・安威川コースの2回目のまち歩きをしました。前回は、ガイドの古谷さんと一緒に歩きましたが、今回は学生だけで前回とは違うコースを歩きました。
 初めに、前回と同じく私たちは阪急正雀駅からスタートし、正雀川沿いを歩き始め前回のコースと違う安威川歩道橋を渡りました。この歩道橋は対岸の吹田・摂津市の両市民の要望で完成し、欄干の曲線が不思議な形で面白かったです。この橋を渡ると、堤防の遊歩道を歩きました。この遊歩道を歩いていると、ジョギングをしている人や近くの学校に通う学生など色んな人とすれ違い、沢山の人が普段からこの遊歩道を通学などに利用していると感じました。また、歩いていると遊歩道の少し下の所に花壇があり、さまざまな種類の花が咲いていて長い遊歩道でしたが、歩いていると景色が変わるので飽きることなく歩くことができました。さらに歩くと、「アドプト・リバー」の看板が立っていました。調べてみると、近くの高校や団体がボランティアで安威川のゴミや雑草を除去するなど河川や河川敷などの美化活動をしている団体でした。改めて安威川遊歩道は地元の方々に大切にされていることが分かりました。
 長い遊歩道を歩き終わると、住宅街に出ました。そこから少し歩いた所に髙濱神社という神社を見つけたのでそこへ向かいました。お参りしたあとに神主さんとお話しさせて頂き様々なことを知ることができました。髙濱神社の歴史は古く創立年代は明らかではないそうですが、建長3年にこの髙濱神社に後嵯峨上皇が御参詣され歌を詠んだことや、神社の境内に、昔数千百年の樹齢の松が沢山あり、これらの松が秀吉により大阪城築城の時に用材として切り取られたとの伝説が残っている歴史ある神社でした。また、境内では御神木の「鶴の松」も見ることができました。神主さんから頂いた資料の中には、「髙浜」は「吹田」の歌枕・吹田の別名と言われており、大日本地名辞典には「吹田一に髙濱という。鎮守を髙浜神社と称す」とあり、吹田市と髙濱神社に密接な関係があると記されていました。このこと以外にも、髙濱神社には春祭りやフリーマーケットなどといった多くの行事があり、地元の人に愛されている神社であることが分かりました。
 神社の次に向かったのは、神主さんに教えて頂いた行列のできる「とり信」というから揚げ屋でした。私たちが着いた時にも、その後も列が途切れることなくとても大人気な店でした。弁当も売っているのですが、私たちは店の人おすすめの骨付きと骨なしの揚げたてのから揚げを食べ、とても美味しかったです。
 今回、2回目のまち歩きをしてみて地元の人に大切にされている場所や店を発見し、住んでいる人々の気持ちを感じることができたことは、吹田市の魅力の1つになると思いました。

吹田のルーツを探る
3年生 本城 優喜

 塩路ゼミ3回生は吹田市の3つの地域をフィールドワークで調査しました。私たちのチームは正雀・安威川コースの6.5㎞を2回歩きました。4月20日の1日目は阪急正雀駅→正雀川→安威川→隆国寺→味舌水路上部遊歩道→JR吹田工場→天津神社→大阪学院大学→JR岸辺駅の順に既存のコースを案内人の古谷さんと共に歩きました。5月11日の2日目には私たち自らでコースを決めてフィールドワークを行いました。今回はその報告文をします。
 スタート地点は1回目と同じく阪急正雀駅を出発します。正雀駅は吹田市と摂津市に跨っていますが、駅長室が摂津市にあるため、住所は摂津市になっています。正雀という地名は正雀川が条里制の線引きの基準となっていたため、元々「正尺」と言ったらしく、後に阪急が改名したそうです。
 まず正雀駅を通る正雀川を南に沿って歩きました。正雀川はユスリカという害虫の駆除のために鯉が放流されていましたが、千里ニュータウンの生活排水による水質汚濁が原因で、今や鯉は見る影もありません。
 本来のコースでは正雀川と安威川の合流地点で西へ進みます。しかし2回目では橋を渡り、対岸を西へ進みました。安威川は大阪市と吹田市の境になっているのですが、大正時代に掘られた川であるため、対岸の一部は吹田市になっています。電柱に記載されている住所でもそれが確認できました。安威川では引き潮の際に浮島と葦原の周りに広大な干潟が出現するらしく、調査を行った際にも干潟が見られました。また安威川では正雀川で見ることができなかった鯉を発見し、川釣りを行っている人もいました。
 安威川沿いを歩き、阪急相川駅の付近でまた対岸へ渡りました。そこから直進した先にある髙濱神社へ向かいました。髙濱神社では主神の素戔嗚尊(スサノオノミコト)の他に様々な御祭神が祀られています。昔の髙濱神社の境内には千数百年の樹齢をもつ松がたくさんあり、後嵯峨上皇も歌を詠まれました。しかし、大坂城の築城の際に豊臣秀吉によって伐採されたとの伝説が残っています。高浜は吹田の歌枕であり、吹田の別名であるそうです。その昔、次田連(スイタムラジ)の一族が住んでいたことから、次田(スキタ)という地名になり、その誤字が吹田であるそうです。また髙濱神社は次田連の氏神神社であるそうで、吹田の古くからの歴史に密接に関わっていることがわかりました。 
 次に社務所の方に周辺のおすすめスポットとして紹介して頂いた「とり信」という唐揚げ・若鶏の専門店へ向かいました。JR吹田駅南側の旭通商店街にあり、唐揚げの購入客で列ができていました。店主によると骨付きの方が骨無しより人気があるそうで、食べ比べてみることにしました。このように現地の人とコミュニケーションをとり、地域ならではの情報を得ることの楽しさを学びました。
 そのままJR吹田駅に向かい、2回目のフィールドワークを終了することにしました。コースを当日に歩きながら決めたにもかかわらず今回のような発見があったことに関して、今回全く歩いていない吹田の街を調査すると、隠された魅力をまだまだ再発見できるのではないかと感じました。また、実際に歩いてみることの重要性と、案内人やインタープリターのような豊富な知識を持った人物の必要性を感じました。