2018年10月28日(日)に、国際観光学部 塩路研究室2年生15人が、吹田市千里万博記念公園内にある国立民族学博物館(みんぱく)の見学に行きました。
 みんぱくの常設展示の中で、オセアニア、ヨーロッパ、東南アジア、アメリカ、西アジア、東アジア、アフリカの7チームに分かれて各エリアの展示を観察、調査しました。今回は、各エリアごとに学生が調査し学んだ内容を報告します。

オセアニア

オセアニアの歴史
2年生 沖村 ほのか

 本報告では、国立民族学博物館での文化に関する情報や知識を参考にオセアニアの様々な歴史の中で興味深かった4つの点について紹介します。海がほとんどの面積を占めているオセアニアには、大小数万を超える島々が点在しています。無数の島や陸地が海で結ばれるこの地域に最初に足を踏み入れたのはアジアから海を越えてきた人々でした。オーストラリアやニューギニアでは4~5万年前から人が住んでおり、今から3300年前頃には、根裁農耕文化をもつアジア系の人々が優れた航海技術によりオセアニア全域の島に広がり定住しました。
 まず1つ目の興味深かった点は、伝統的航海術についてです。海世界に生きる人々は、固有の航海術と大型カヌーで大海原をのりこえていました。星や星座の出没位置を利用したコンパスをたよりに、天体や海洋の現象、生物の習性を見ぬいて数千キロの航海を成し遂げました。この伝統的航海術は、サタワルにおける島間航海および、漁撈用のカヌーであるチェチェメニ号の故郷に今も生きています。2つ目は、交易についてです。限られた資源しかないサンゴ島に暮らす人々が、資源の豊かな火山島の住民と交易をおこなう事は、生存のための工夫の一つであり、津波などの災害時にはその関係を利用して生活の復興をしていました。3つ目は、貨幣についてです。オセアニアの一部では、伝統的に貨幣が使われてきました。その素材には、石や貝、鳥の羽根などその地域で貴重とされるものが使われており、現代的な貨幣が浸透した現代でも家屋やカヌーの建築などに伝統的な貨幣が使われています。4つ目は、武具についてです。キリスト教を受容する以前のオセアニアでは、集落間をはじめとして特定の集団間で戦闘が繰り広げられることが珍しくなく、戦闘には棍棒や楯、弓矢などが武器として使われていました。
 実際に国立民族学博物館へ足をふみいれると、世界の地域ごとに区切られ、それぞれ生活用品や衣装が壁一面に展示されており圧倒されました。民族衣装ひとつでさえも、形や素材からそれぞれの気候や文化の違いを感じることができ、館内には、無料で音声ガイド装置を借りる事やビデオを視聴することができました。展示物は、個人の使用に限り、写真、ビデオ撮影が可能だったので、このレポートを作成する際にも参考にする事ができ、オセアニアの歴史について理解を深める事ができました。 

航海知識を生かしたオセアニアの暮らし
2年生 中島 和香

 10月28日に千里万博公園にある国立民族学博物舘に行きました。ここには、世界中の様々な文化の工芸品が置かれていて音楽文化や服装についても知ることができます。民族学博物舘では文字で書かれた案内板だけでなく音声ガイドの説明を受けることも可能です。ホームページから地域分布を調べ、私は西アジアかオセアニアで迷っていました。しかし、海での生活に魅力を感じたのでオセアニアを調べることにしました。

 オセアニアは海が大部分を占める地域で、アジア大陸に近いメラネシアには大きな島が多く、ミクロネシアには小さな島が多く存在します。緑が豊かな島、乾燥した島、氷河のある島など陸上の多様な自然環境があるとともに海底地形も多様です。サンゴ礁の浅海では、大規模な追い込み漁、素潜りによる突き漁のほか筌(うけ)、パンノキやパンダナスの葉製の帆による漁が行われています。女性は小魚をとるために手網を使っていました。外洋での漁業は、カツオやマグロの引き釣りや一本釣りが盛んで男性の仕事とされていました。博物館内に展示されていた中で特に私が興味をもったのがサメとり用網です。まずココナツ殻製のガラガラを海中で鳴らします。サメはこの音を魚群の音と錯覚して、カヌーに近づいてきます。海上に姿を見せたサメの頭部に輪にした網を引っ掛け、木製の棍棒でたたいてしとめるという使い方です。実物は寛容的ですが実際にこれを使いサメを仕留めていたと知り技術や経験が必要な事だと思いました。他にも擬餌針というものがありました。おもにマグロやカツオを引き釣りするために利用されており、軸はクロチョウガイ、鉤(かぎ)はべっ甲製で、イチビの繊維の束を魚の尾に見せかけて使います。同種の擬餌針は、オセアニアのほぼ全域に分布されています。
 海での生活から昔は、今よりも特に男性と女性の役割がはっきりと分けられており、力仕事は男性がするなど危険も伴いながら生活していたことを知りました。また、オセアニア展示にはたくさんの仮面が置かれていました。その中でも特に気になった仮面について紹介します。その仮面の役割は台風などを追い払うために、この仮面をつけて精霊に扮し、儀礼を行うというものです。男女一対の仮面を集会所内に対面するように掛け、戦勝を祈願していました。仮面は人面のものばかりで、主に人々の願いを込めて使っていたのかなと感じました。
 展示を通して、オセアニアの海の生活は、実践的な航海知識と航海技術により成り立っていたのだとわかりました。生活するための知恵として動物の特性を意識した道具や男女の力差を考えたやり方など工夫して生活していたのだと知りました。現在も昔も変わらず、自分たちの技術を向上させることは生きるための大きな一歩になっているのだと感じました。

ヨーロッパ

ヨーロッパの文化に触れて
2年生 日根 美咲

 私たちは、吹田市の万博記念公園にある国立民族学博物館を訪れました。その中でも、常設の地域展示を見学しました。館内は、展示物が多く、映像が流れていたりと資料がたくさんありました。無料で電子ガイドも借りることができ、展示物の説明にはない細かいところまで学ぶことができました。私たちが訪れた日は、小学生も多く、それぞれグループで回っていました。見て、聞いて、実際に体験して学ぶことができるので、小学生でも自分たちだけで楽しみながら理解できるように工夫されていました。世界が、オセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアに分けられていて、館内では、オセアニアを出発して、世界を一周しながらそれぞれの国の文化を学ぶことができます。
 私が特に重視して学んだヨーロッパのブースでは、衣・食・住・生業・宗教と分けて展示されていました。最初に目についた展示物がパンでした。13種類のパンが展示されていました。パンは地域や行事などによって異なり、トッピングなどもつけていました。そして、パンはキリスト教と深いつながりがあります。イエス・キリストが、人類の罪を一身に背負い十字架に張り付けられる前夜、12人の弟子を集めて最後の晩餐が行われていました。その食卓にあったパンを割って弟子たちに自分の肉として与えていました。そのためパンは、イエス・キリストの体の象徴とされています。パンとキリスト教の深いつながりがあることがわかりました。
 ヨーロッパの農業は、麦作と牧畜を軸に行われています。特に、パンを作るための麦作は、秋に麦の種をまき、冬を経て春に農業が再開し、夏に収穫します。この一年のサイクルは、その時々に祝祭をはさみ、現在でも人々の生活に豊かなリズムをもたらしています。
 次に、興味深かったのが、ヨーロッパの変動についてです。単一民族文化を基盤とした近代国民国家を築き上げたヨーロッパは、20世紀後半から大きな転機を迎えています。そのきっかけの一つは、西欧から始まったヨーロッパ統合の動き、EU(ヨーロッパ連合)の拡大です。ユーロ硬貨が展示されていて、裏面は統一されているのに対して、表面は、その国を象徴する絵柄になっていました。もう一つは、旧植民地や紛争地域からの難民、南欧・東欧から中欧・北欧への労働移民の増加です。この二つをきっかけにヨーロッパは大きく転機をしました。移民を受け入れる体制としてエスニックショップでは様々な国のインスタントラーメンが売られていることがわかりました。
 館内は、オセアニアを出発して、最後に日本にたどり着くように構成されていました。世界の様々な文化を知った後に、自国との文化の違いを比較することができました。近い国とは、文化が少し似ているが、離れている国とは異なる部分が多いことがわかりました。そして、それぞれの文化が現在も大切に受け継がれているから、今の生活があるのだと考えました。

世界で一番陽気な墓
2年生 横道 聖香

 今回私たちは吹田市の千里万博記念公園内にある国立民族学博物館、通称「みんぱく」を訪れました。この施設は、世界の諸民族の社会と文化に関する資料を展示する博物館機能と、大学院教育の機能を備えた文化人類学や民族学に関する研究・調査を行う研究所として1977年に開館しました。ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、アメリカ、西アジア、南アジア、東南アジア、中央・北アジア、東アジアの9つの地域に展示ブースが分けられていて、その中でも私はヨーロッパを中心に調査しました。
 ヨーロッパの展示ブースは他の展示ブースより小さく感じましたが、オセアニアの「教会の衣装」のように他の地域でもキリスト教などの展示がありヨーロッパが与えた影響の大きさが窺えました。展示エリアは「生業と一年」、「宗教・信仰」、「産業化とともに」、「変動するヨーロッパ」という4つに分かれていて、16世紀から20世紀にかけてのヨーロッパについて学ぶことができました。その中で私が最も興味を持ったのは亡き村人の生前の姿をユーモラスに絵と物語で描いた「陽気な墓」です。ルーマニアのサプンツァ村の墓地にある一風変わった墓です。黒やグレーが墓石の日本のシンプルな墓とは全く違うと感じました。1935年に木彫り職人のパトラシュ氏が大切な人を失った悲しみが癒えるように明るく陽気な墓標を作ったことが始まりで、現在は「世界一陽気な墓」として知られ村の重要な観光資源になっています。私はポーランドのザリピエ村と似ていると感じました。ザリピエ村は可愛いフラワーペイントが民家の屋外はもちろん室内の壁にも描かれている村です。19世紀末に村の女性たちが煤で汚れた壁にペイントしたことがきっかけで、現在は「ヨーロッパの美しい村30選」にも選ばれるほどの観光名所です。比較的歴史が浅いこと、カラフルであること、村人が始めたことが似ていると思います。

 館内はとても広く、2~3時間程度で全ての地域を見回ることができ、まるで世界一周旅行をしたような気分になりました。また、映像も見ることができる音声ガイドの無料貸し出しやビデオを視聴できるコーナーの設置、実際に民族楽器を演奏できたり、再現された寺院やゲルなどの住居に入ることができたりとハンズオンを重視した施設で、世界の諸民族の社会や文化を楽しみながら深く理解し学ぶことができました。今回はヨーロッパを中心に調査したので、次は違う地域に注目して行ってみたいと思いました。

東南アジア

みんぱくで学んだ東南アジア
2年生 宮村 里沙

 私達は10月28日に国立民族学博物館に行きました。万博公園の中に博物館があることを初めて知り、広い館内にはアジア、アフリカ、ヨーロッパなど世界中の民族の生活の様子や、用具、乗り物などが展示されており、2時間程回った後には世界一周したような気持になりました。沢山の展示物の中から、私は東南アジアを中心に見て回りました。東南アジアの展示物には、人々の生活、農業、芸能、宗教などの展示がされていました。その中で私が注目したのは、「人々の生活」、「芸能」、「宗教」です。
 東南アジアの人々は、焼畑農業でイモやアワなどを栽培しています。その中でもアカ族は、村の入り口に門が作られており、その門が日本の鳥居と似ていると感じました。また、農作業などの仕事は女性が行い、木工と竹細工などの仕事は男性が行うと知り、日本の文化とは反対で面白いと感じました。また、東南アジアは熱い地域のせいか、水筒の展示があるのにも驚きました。
 「芸能」の展示では、東南アジアの国々の芸能で使用される道具が展示されていました。東南アジアでは仮面や人形を用いた芸能が盛んであり、ベトナムの水上人形や、バリの仮面、中でも最も多く展示されていたのは影絵人形です。影絵人形とは、スクリーンに影を映すだけでなく、スクリーンの前でも演技を行い、語り手と伴奏に合わせて物語を演じます。少し怖い仮面や人形もありましたが、日本には無い芸能文化を知ることができ楽しかったです。
 「宗教」の展示では、東南アジアのマレーシアやインドネシアで近年イスラーム化が進んでおり、女性がベールを着用しているマネキンの展示や、タイの托鉢僧のマネキンや僧の身の回りの物や本物のような寺院や壁画などが展示されていました。タイでは、仏教国のため男の子のほとんどが仏門に入ることや、日本では仏様に参拝するだけですが、タイでは仏様だけでなく僧に托鉢をする事で徳を得ることができると言われており、日本と同じ仏教でありながら違う文化を知る事が出来ました。
 今回、国立民族学博物館で沢山の国や文化を学ぶ事が出来、日本からそれ程離れていない国でも全然文化が違うことなど改めて知ることが出来ました。もう一度訪れる際には、東南アジアだけでなく他の国や地域の文化や生活について、より深く学びたいと感じました。

みんぱくで触れた東南アジアの文化
2年生 山本 名桜

 平成30年10月28日に国立民族学博物館(通称:みんぱく)へフィールドワークに行きました。まず、みんぱく内の地域展示・通文化展示ブース全体を全員で見学した後、事前に決めたグループ別で各自選んだ地域のブースを見学し、その地域の文化について学びました。その後、特別展「工芸継承」で数々の工芸品や製法の展示を見学しました。
 私は、地域展示・通文化展示ブースで、東南アジアの文化について学びました。東南アジアでは基本的に焼畑や稲作で生計を立てます。女性は農作業・機織り、男性は木工・竹細工をするのが文化的な生活だということを学びました。展示エリアには焼畑や稲作に使われる道具類や伝統衣装、影絵人形や娯楽品が展示されていました。
 中でも印象に残った展示品は「ジーブニー」と呼ばれる10人乗りの乗り合いバスです。マニラを初めとするフィリピンの都市で見られる乗り物で、きらびやかな見た目に目を引かれました。展示ブースにおいてあるものに実際に乗ることができました。シートが向かい合って2つあり、天井は低いため、日本のバスのように立って乗ることはできません。内装もオレンジや青などの派手な配色で、後部座席からは運転席が開けて見えて、開放的な乗り心地でした。
 また、影絵人形や仮面などの東南アジアの伝統芸能に関する展示品もとても印象深かったです。影絵はタイやジャワから伝わったもので、影絵人形芝居では影絵人形を人形つかいが台詞を言いながら動かし、民話や創作物語を演じるそうです。色鮮やかな影が浮かび上がるよう、人形自体に色がついており、腕も複雑に動くように精巧な作りをしていました。仮面はインドネシア・バリ島の文化であり、これを用いて「仮面舞踊劇」が行われます。音楽と仮面の表情に合わせ、演者がアドリブで動き、役を演じます。この「仮面舞踊劇」は日本の伝統芸能である「能」に通ずるものがあるように感じました。
 東南アジアの文化に触れながら日本の文化と比較することで、より意識的に異文化理解を深めることができたように感じました。また、東南アジアでの生活を想像したり、その文化の魅力を発見したりすることで教養を深めるということの楽しさを見出すことができたフィールドワークでした。今回学んだ東南アジアの文化には日本の文化と類似している点が見られましたが、日本から離れたヨーロッパやオセアニアなどのアジア圏外の地域についても学び、日本文化との比較を図りたいと考えました。みんぱくでのフィールドワークを経て、世界各地の文化への関心が高まりました。

東南アジアの文化と伝統
2年生 長峯 由季

 私が担当した東南アジアの地域は、フィリピン、べトナム、インドネシアなど亜熱帯雨林の地域です。森と海に囲まれており、暑くない早朝から働き、涼しくなる夕方に買い物や農作業に出かけるそうです。このレポートではこれらの地域について調べたことと共に今回の博物館見学で学んだことについて述べていきます。
 東南アジアエリア展示では、民族の銅鑼の音や民族音楽のような音が鳴っており、博物館内部が薄暗かったので少し不気味に感じました。ガムランが鳴っていたので見てみると、来館者が実際叩いて体験できるように置かれていました。平日に来館したのにも関わらず女性3人がガムランを叩いていて異国の空気感が漂っていました。
 東南アジアの展示コーナーに入ったすぐ目の前にある、金色の仏像が最も私の目を引きました。そこには華やかな加工が施された装飾が周りにあり、タイの寺院を模した展示でした。仏教が盛んな東南アジアの国々では、寺院を学校にしたり病院にしたりと、様々な用途で使われています。真ん中に置かれている仏像は金色で神々しく輝き、見る人の目を引き付けます。
 次に目に留まったのが、目線より上に展示されていた東南アジアの食べ物です。インスタント麺などが博物館に展示されていたので大変驚きました。文化を知る上で食というのは重要な役割を担っていると思うので、展示されることで日本との違いがわかるのではないかと思いました。日本のインスタント麺と比べると他国のインスタント麺はどのような味がするのか興味が湧きました。また、ムエタイの衣装が展示されており、テレビでよく見る物と全く同じで感銘を受けました。また漁用の船や籠など日本の文化と類似している点が多く見られました。
 異国の文化や民族衣装などを博物館で見て、その地域に興味が湧き、知らないことを調べてみるということが異文化を知るために必要な力だと思いました。そして、国立民族学博物館は、他国の人がどのような暮らしをしているかを知るのに活用できる施設だと感じました。

アメリカ

国立民族学博物館から学んだこと ~異文化に触れてみて
2年生 米田 数馬

 今回、大阪府吹田市の千里万博記念公園の中にある国立民族学博物館を訪れました。事前にゼミの中で各自関心のある国の地域に分かれました。私はアメリカの文化について興味があったので、アメリカの地域を担当しました、これから、博物館で学んだことについて説明していきます。
 アメリカ大陸の展示ブースには、主に衣、食、宗教に分かれていました。まず、衣服について、衣服の展示ブースには、アンデス、マヤ、アマゾン、ふんどしの民族衣装が展示されていました。私は、この中でも、アンデスの民族衣装に魅力を感じたので、調べました。アンデスには、主にケチュア族とアイマラ族がおり、カラフルな衣装を現在もまとっています。なぜ、カラフルな衣装をまとっているのかというと、紀元前プレ・インカ時代に、アンデス高原に行くとあちこちで見かけられたという七色の旗「ウィファラ」は、七色の正方形を組み合わせており、まさに、虹を象徴する旗です。これらの色には、大地や農穣、そして時間や思想までを、七色に込めた神聖な虹の色です。この虹の色使いが、ケチュア族やアイマラ族の人々のデザインの始まりとされているからです。
 次に、食文化について、アメリカ大陸には、とうもろこし、じゃがいも、薩摩芋、唐辛子、トマト、南瓜、パパイヤ、カカオなど多彩な食物が、溢れていました。その中でも私が魅力を感じたのは、じゃがいもの種類の多さです。展示ブースには、じゃがいも、アンデスレッド、黒と白のチューニョが展示されていました。私は、アンデスレッドといわれるじゃがいもを見たのは初めてだったので、調べてみました。私が良く目にするのは、男爵芋やメークインなど黄土色の形をした食物ですが、アンデス発祥のじゃがいもは、紅色であり、本来のじゃがいものホクホクとした食感としっとりとした食感が、合わさっています。また、甘味と旨味も合わさっていることが特徴的であると言われています。このことについて、私は、じゃがいもは黄土色をしたものであるという認識があり、紅色のじゃがいもを見た時、驚きました。この時、自分の知識の少なさを痛感し、世界の食文化についての知識を深めようと考える良い機会になりました。
 最後に、宗教について、宗教の展示エリアには、酒場で興じるトランプ遊びをしている骸骨人形、祭壇「パチャママの門」、カーニバルの衣装などが展示されていました。この中から、私が主に調べたのは、カーニバルの衣装です。カーニバルは、キリスト教の行事ですが、ブラジルのリオでは、アフリカ系の人々生み出したサンバ行列行進のリズムであるとされています。
 今回、国立民族学博物館を見学したことにより、普段は、中々見ることが出来ない世界の民族や歴史について学ぶ良い機会になりました。展示物を見て回る中で、展示物と名前だけでなく、発祥した年や国、展示物の詳細について書かれていました。また、音声ガイドを聞きながら展示物を見ることにより、各民族の歴史についても詳しく学ぶことが出来ました。こういった配慮から、国立民族学博物館では、民族文化について詳しく知らない人やこれから世界の民族について学びたいと考えている人にも、楽しく学ぶための工夫がされていると感じました。

アメリカ大陸の文化と国立民族学博物館
2年生 大林 一貴

 10月28日、私たち塩路ゼミ2回生は吹田市万博記念公園内にある国立民族学博物館を訪れました。私は、集合時間よりも早くついてしまったので、コンビニで昼食を買って、初めて訪れたエキスポシティを少し散歩していました。その後はゼミのみんなで公園の敷地内で昼食をとり、民族学博物館に向かいました。この施設は、世界の民族の文化や衣食住や宗教などに関する資料が展示されています。ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、アメリカ、西アジア、南アジア、中央アジア、北アジア、東アジアの大陸に分かれており、館内は私が思っていたよりもはるかに広いが、受け付けのところで音声ガイドを借りることが出来、館内の説明がイヤホンを通じて聴けることが出来るようになっているためとても分かりやすかったです。
 私は、今回アメリカ大陸に焦点を置き、アメリカ大陸の展示エリアで衣、食、宗教を見学してきました。広大なアメリカ大陸には、極地から熱帯雨林まで、様々な自然環境が見られ、人々は、自然環境に適応するため、極北の寒冷地に住んでいるイヌイットは毛皮を利用し、大平原地域に住むクローは革製の衣装を身に着け、シピボは湿潤な熱帯雨林の中での生活に適した衣服をまとっています。一方で、ヨーロッパ人による征服と植民の歴史を経験した土地でもあり、様々な移民によって出来ている国です。ヨーロッパの植民を受けていたこともあり、ヨーロッパの文化が先住民社会に浸透しています。先住民族が身に着けているいわゆる伝統的といわれる衣装や装飾品の中にも、よく見るとヨーロッパ起源のものがありました。例えばアンデスの衣装ですが、本来アメリカ大陸には、帽子をかぶる習慣はあまり見られず、布や帯で頭を覆うことがほとんどでした。他にも弦楽器であるチャランゴもヨーロッパが発祥の地だという事が展示物からわかりました。
 今回のみんぱく見学を通じて初めて知ることが出来た知識が多くあり、衣、食、宗教の分野でも民族によって大きく違っていたり、自然環境や歴史も大きく関係していることが分かり、アメリカ大陸についての知識が深まりました。これをきっかけに、これからはアメリカ大陸だけでなく、他の国や大陸についてももっと詳しく学びたいと思いました。

西アジア

世界を知ることができるみんぱく
2年生 本城 優喜

 塩路ゼミ2回生は10月28日に吹田市の千里万博記念公園内にある国立民族学博物館へ向かいました。この博物館では世界の民族文化を地域別に分けて展示されています。まず全員で全ての地域を回りました。自分が元々興味のあった展示や、大学の講義で出てきた内容などが多くありました。博物館の係の方が音声案内ガイドの付いたデバイスを貸し出して下さったので、展示の標記以上の情報を補完することができました。
 アメリカ展示では、大航海時代にヨーロッパ人がアメリカ大陸を征服し植民地支配した際の航路や歴史の変容についての記載がありました。アメリカ大陸の言語分布図を照らし合わせると、植民地支配されていたことがよくわかりました。
 ヨーロッパ展示では、ユーロ圏外の国・ユーロ導入前の国の紙幣と硬貨の展示が気に入りました。紙幣には偉人の肖像を採用している国が多いことが分かりました。ユーロ硬貨の裏面は各国共通ですが、表面のデザインが異なっていることも判明しました。また、三角貿易の際の航路と貿易の内容の展示がありました。「ヨーロッパの世界遺産」の塩路先生の担当回に出てきた内容でもあったので、再度インプット出来たと感じています。
 中央・北アジア展示では、ロシアの二月革命からソ連崩壊に至るまでの社会主義国家の成立や、レーニンに関する展示がありました。また、ゲルというモンゴルの移住用テントや馬頭琴という楽器の実物を見ることができたので、感慨深かったです。
 東南アジア展示では、インドネシアのバリ島のバロンダンスで使われる大きい被り物の実物がありました。こちらも塩路先生の「観光人類学」の講義で出てきた内容であり、今日のバロンダンスは観光客向けに改編されて時間を短縮されているものではありますが、長時間被りながら演技することは体力が必要であると感じました。
 その後、後日の発表に向けて各々の地域を重点的に調べることになり、私は西アジア地域の展示を調べました。西アジアではユダヤ教・キリスト教・イスラム教が混在した地域であり、非常に宗教の色が濃いと感じました。また、乾燥した気候であるため、移住する人々が多いとされています。移住にはラクダのような運搬用の動物が不可欠らしいです。また、移住で使うテントはモンゴルで使われるゲルとは異なった形をしています。西アジアはシンドバッドの冒険・アラジンと魔法のランプ・アリババと40人の盗賊などの物語の発祥の地ともされ、明治時代以降に日本に伝わったとされています。イスラム圏では女性は頭部を覆い隠す風習があり、巻き方などによって名称が異なっています。
 世界の言語や文字にまつわるコーナーもあり、自分の担当地域のみ調べたのですが、西アジアの言語はアラビア文字や象形文字が多く、ギリシア文字やラテン文字のようなアルファベットが使用されていなかったことが判明しました。

西アジアの全て
2年生 堀内 和真

 私たちは10月31日に大阪府吹田市にある国立民族学博物館に行きました。近くには万博記念公園があり、平日でしたが、子供連れの人々で賑わっていました。今回は二人一組のチームに分かれてそれぞれ地域を決めて調べました。私のチームは西アジアを調べることになりました。
 行く前は西アジアにどの国があるかあまりわからなくて、調べると聞いたことがある国が多くありました。サッカーではワールドカップのアジア予選で有名なカタールやサウジアラビアなどありました。最近では安田順平さんが3年4か月監禁されていたシリアやアメリカからの経済制裁を受けているイランなど、政治的な動きが激しく、今でもたくさんの地域で内戦が起こっています。この地域の言語にはペルシャ語やアラビア語などほかにもたくさんの言葉が使われていました。他にもイスラム教やキリスト教の聖地であり、宗教も多様であり民族が分かれているため戦争が多く勃発しているとわかりました。
 西アジアの気候は暑く、砂漠もありラクダが活用されています。ラクダは乳、肉、毛などが生活物資に利用される用畜と、農耕や運輸などで使用される役畜にわけられます。ラクダは代表的な役畜であるとともに、実際にはその乳や肉も資源として価値は高く評価されています。ラクダは所有者の富を象徴する存在になっています。アラブ遊牧民をあらわすアラビア語の「バトウ」という言葉は、「砂漠にさらわれる人々」をもともと意味しており壁に囲まれた町の人々をさす「ハダリー」というアラビア語と対応しています。
 砂漠に暮らす人々の衣食住には、厳しい自然をいかに利用していくかという知恵があふれているそうです。そこには家畜を追って移動する遊牧生活が育んだ人間と自然との深い関係がみられました。西アジアでも日本でいう昔話みたいなものがあり全世界で有名になり映画などになっている『アラビアンナイト』という物語があり、『千夜一夜物語』といわれています。童謡の「月の砂漠」に代表される日本人の中東幻想を形成するうえで決定的な役割を果たしています。
 頭部を覆い隠す風習はイスラーム以前からありました。コーランでは、女性は美しさを身内以外には見せないようにとされたため、その習慣はムスリム女性のたしなみとなりました。被り物の名称や形は地域によってさまざまで、覆う範囲や巻き方には個人差や流行もあります。
 今回、国立民族学博物館で西アジアについて学んだことで、政治的な動きが激しいのは宗教や民族が入り混じっているからだと考えました。

東アジア

東アジアの歴史と文化
2年生 谷口 彰汰

 私たち塩路ゼミ2回生は、10月28日に大阪府吹田市にある国立民族学博物館に行きました。そこで私たちは、オセアニア、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、東アジアのグループに分かれ、私は東アジアの文化について調べました。
 東アジアは、中国文化、朝鮮半島の文化、アイヌの文化、日本の文化と4つの文化エリアがありました。中国文化では、中国の歴史的な民族衣装やチワン族という人口約1690万人を有する中国最大の少数民族の高床式住居が展示されていました。他にも、四合院という漢代のころから伝えられてきた中国の伝統的な住居形式の模型がありました。この四合院は、都市部の住居として発展しており、北京には、清代の四合院建築が多数残っているそうです。その中には、現在も利用されている建物がありとても興味深いものでした。
 次に、アイヌの文化です。アイヌとは、アイヌ語で「人間」を意味する言葉です。アイヌは北海道を中心に、本州北部や千島列島、樺太(サハリン)南部に住んでそれぞれの環境に適した文化を築き、となりあう民族と交わりながら歩みを続けてきました。アイヌ文化は北海道で縄文文化を担った人々の子孫が、その後、独自の文化を形成ました。水稲耕作をせず、おもに採集・狩猟・漁労によって生活に必要なものを得て、交易も行っていました。考古学や歴史学などの研究により、その成り立ちは明らかになりつつあります。
 次に、日本の文化です。日本の文化エリアでは様々な祭りや、現代でも使用される縄や綱や民家などについて調べました。例えば、青森県弘前市で行われるねぷた祭りです。ねぷたの起源には諸説はあるが、古くは「ねむた流し」や「ねむり流し」などと呼ばれており、眠り流しの行事と、北陸から東北にまたがる日本海岸部の灯籠行事の双方の系譜につらなる。地域によって、呼び名や形態に違いがある。青森周辺では「ねぶた」といい、横に広がる組ねぶたが特色ですが、弘前周辺では「ねぷた」という呼び名が使われ、扇の形に特色があります。この扇の表には武者絵、裏の見送りには美人画を好んで描かれます。また、縄と綱では縄目や結び目に呪術的な威力を込めようとする考えは、しめ縄をはじめ、様々な縄と綱の造形を生んだと言われています。それを飾ることは、聖域の証であるといわれており、競技や芸能の扮装にこれを用いるのも、超人的な力の表現であったといわれています。
 今回、東アジアの歴史について学びましたが、私たち日本人の文化に最も似ている地域にも関わらず、祭りや民家、住居形式について全く知らなかったことがたくさんありました。特に、日本の祭りに関しては私の地元にもねぷた祭りのような歴史のある祭りがあると思うので、他の地域の祭りを学習するのももちろんですが、地元の祭りについても調べ、学習したいと感じました。

東アジアの文化・習慣
2年生 武田 侑大

 10月28日に万博記念公園内にある国立民族学博物館に行ってきました。民族学博物館は1974年に創設され、1977年に開館されました。博物館にはアジアやヨーロッパをはじめ、世界各国の文化に関する展示品などが飾られています。また、展示されている作品の説明を行ってくれる「みんぱく電子ガイド」という小型の展示解説装置を借りて館内を回ることもできます。日本語だけでなく英語、中国語、韓国語でも説明を聞くことができます。私たちは班に分かれ色々な国について学びました。私は東アジアについてとくに調べました。民族学博物館は東アジアのエリアが最大で、朝鮮半島、中国地域、アイヌ、日本の4つに分けられていました。今回は日本の文化以外についてまとめました。
 朝鮮半島エリアには、宗教について多く展示されていましたが、それよりも印象深かったのは日本語から翻訳された漫画本でした。韓国では文化保護のためなどにより日本の文化を流通させていませんでしたが、1987年に万国著作権条約に加盟したことをきっかけに流通し始め、1998年からは日本で製作されたものも放映されるようになりました。私は最近から流通しはじめたと思っていましたが、以前から朝鮮半島と交流していたことに驚きました。

 中国地域エリアでは、中国の少数民族チワン族の高床式住居の再現が展示されていました。チワン族にとって高床式住居は伝統的な住居でしたが、経済発展とともに木材だった家はコンクリート・ブロックの家に変化していき、急速に減少し、景観が変化していったそうです。ここでは、国の経済状況によって伝統であった建築の工法が変わることを学びました。
 アイヌとはアイヌ語で「人間」という意味で、北海道を中心に独特な文化をはぐくんできた先住民族です。現在でもアイヌ民族として自己認識している人は数万人以上いると考えられています。アイヌの展示エリアには「チセ」という伝統的家屋の再現がありました。この家屋の特徴は東西に長い長方形の一間づくりで、東壁に1つ、南壁に2つの窓があり、南壁の窓ごしに、屋外のクマ檻を見張れる作りになっています。文化の違いは、家のつくりまで変え、文化が人に与える影響に驚き、文化というものの威力を感じました。
 昔から国ごとで文化が発達し、朝鮮半島では、日本の作品が韓国の若者の漫画家や美術家に影響をもたらし、その結果が現在の韓国のアニメ界などに影響を与えていると考えました。中国地域では、地域の経済状況で家のつくり方や材料にまで変化を与えていました。アイヌでは、アイヌ独特の家の構造でした。アイヌの家はその地域で生き抜くために作られた独特な構造になっていました。住居のつくりが経済状況や生活するために必要な作りになっていました。ここでは報告できなかった構造も多くあり、東アジア地域だけでも様々な作りがありました。今回、国立民族学博物館に行って、多くの異なる文化や習慣を知りました。私が知っていることやモノもありましたが、知らないことのほうが多く、学ぶことがたくさんありました。さまざまな文化の昔のことを理解し、現在にどのように受け継がれているのか学びたいと感じました。

アフリカ

アフリカ大陸の歴史
2年生 市川 達哉

 私は千里万博記念公園の国立民族学博物館に行きました。そこでアフリカ大陸の歴史や文明について学びました。そこで私が最も興味深かったことについて報告します。アフリカ大陸は、世界でも早くから農耕や土器製作が始まった土地で、人類が初めて誕生したとも言われています。アフリカの人々は、他の大陸の人々と交流しながら、各国家の歴史を築いてきました。その背景には「文明の誕生」「王国と交易」「奴隷貿易」「植民地経験」「解放への闘い」などがあります。
 まずは、文明の誕生についてですが、アフリカ大陸の中でも、特にサハラ砂漠やカラハリ砂漠と、その周辺の乾燥地帯には多くの岩絵が残っています。これらは狩猟や牧畜などを生業としていた数千年前の人々の生活と、当時の豊かな自然環境を今に伝えるものとして残っています。これについて私は、数千年前から農業や狩りが行われたいたことを知り、この時代から比べると現在は人々が住みやすい時代になっていることがわかりました。
 次に国家が誕生し王国と交易も栄えました。サハラ以南のアフリカで国家が成立したのは、7世紀以降のことです。西アフリカでは、ラクダによるサハラ縦断交易、東・南アフリカではインド洋交易と結びついて、農業と商業が発展し、強大な国家が誕生しました。またこの時の交易に使われていた貨幣は岩石で、それとともに必要な物を交換していました。
 16世紀、西欧諸国は南北アフリカ大陸で農園経営に乗り出し、アフリカの人々を奴隷として大量に動員するようになりました。こうしてアフリカの5世紀にわたる抑圧の歴史が始まりました。アフリカ=野蛮という主張は、奴隷貿易を正当化するために作り出されたものでした。またこの奴隷貿易ののちに植民地の取り合いがありました。その2つの事件を乗り越えて、現代のアフリカに繋がって来ます。
 現在、アフリカ各地では、都市への人口の流入が爆発的な勢いで進み、2015年の時点で、アフリカの全人口の40パーセントに当たる人々が都市に居住するようになっています。都市への人口の急激な集中は、住環境の悪化や環境汚染、電力不足、失業者の増大など、多くの問題を生んでいます。その一方で、都市生活の中から活気とユーモアにあふれたアートや文化が生み出されています。アフリカの都市は、今も豊かな生活を求める人々を引きつけ続けています。アフリカ大陸には壮大な歴史があり、そこには涙、感動、奇跡があったのだと思いました。

アフリカの文化
2年生 山崎 拓実

 10月28日に万博記念公園の中にある国立民族学博物館に行き、そこで私は、主にアフリカについて調べました。ここでは私が興味を持ったアフリカの歴史について紹介します。まず1つ目にニャウ・ヨンバレという儀式についてです。ニャウとは、死者の喪明けで、ハイエナやカモシカ、カメなどの動物の仮面が使われています。喪明けの儀礼では、死者の家の前で徹夜で旋回し、そうすることによって死者を祖先の世界に送り届けることができるそうです。男性、女性、子供の性別や年齢によって教えられる内容が違っており、男性にはニャウは人間が仮面を被ったものでかぶれるのは男性だけでその仮面をかぶって踊ると、死者の霊が踊っているものに取り付く、と教えられています。一方で、女性や子供には、ニャウは森の奥からやってきた野生動物だと教えられています。日本の葬儀は、死者との別れを偲ぶ会とされ、死者を送りだすため、また残された者のために行われています。いわば、ニャウとは、日本の葬式に似た意味があると感じましたが、雰囲気は異なっていて、祭りのようだと思いました。
 儀式にはニャウ・ヨレンバだけでなくムカンダという儀式があり、それは少年たちが10歳前後になると大人になるための儀式でもあります。ムカンダとういう儀礼にマキシがつかわれているムングリ(ハイエナ)チクザ(少年たちの折檻役)カニェンゲニャンゲ(ペリカン)でこの儀礼に参加できない女性や子どもには森に住む妖精と教えられていて、アフリカの儀式には男性しか参加できないという傾向が見られました。日本と比べてアフリカでは男女差別が根強く残っているのだと感じました。
 2つ目は、アフリカのアートです。アフリカには昔からアート、芸術に触れている文化があるとわかりました。なぜなら、約2万5000年前に書いたと言われる岩絵が残っているからです。そこにはキリンや人間、ゲムスポックという動物などが描かれていてその当時を表した絵が描かれていました。現在のアフリカはアメリカやヨーロッパに憧れていて、アメリカやフランスなどのヨーロッパで流行りの髪型などが取り入られており、例えば、それが床屋の看板などにもアートとして施されています。絵を描くだけでなく、平和をねがって拳銃などの武器の部品などを使って、犬、人、自転車を作ったりと、とても芸術的な文化だと思います。こういったアートで伝えたりする文化も大昔の岩絵からきているのではないかと私は感じました。
 全体としてアフリカには何かの区切りとして儀式を行うのだと感じました。また、日本の文化には「ひらがな」のように平安時代頃からの文字文化がありますが、アフリカのアートは今から約2万5000年前に遡ることを考えると、日本の「ひらがな」などの文字文化は最近のものだと感じました。