2021年度1年生中山ゼミ

  • メリケンパークにて

1.はじめに

 日本は世界でも有数の地震大国である。気象庁のデータによれば、1980年から2000年にかけての年間地震頻度は世界で4位となっており、少し古いデータではあるが、発生頻度は世界の中でも高いと言える。国内の2011年から2020年までの10年間の震度1以上の地震発生回数は表1のとおりである。2011年には1万回を超えているが、この年には東日本大震災が起きている。また、2016年が6千回以上と多いのは熊本地震が起きたからである。
 南海トラフ地震は、文部科学省の地震調査研究推進本部によると、マグニチュード8~9の規模の地震が30年以内に70~80%の確率で発生すると予想されている。そのため、同じ近畿圏で大きな地震を経験した神戸市の震災について学び、神戸の人々や観光客の減災意識を調査することにした。それによって、私たち自身の減災意識を育てていきたい。
 神戸といえば、南京町などがあり賑やかな町として有名である。27年前に大きな地震を経験し、壊滅的な状況になった町というイメージは、そのころ生まれていなかった私たちにはない。しかし、この町は1995年1月17日に死者6,434人、負傷者43,792人という甚大な被害をもたらした阪神淡路大震災を経験しているのである。
 神戸市はその震災以降、防災・減災を掲げており、災害について学べる「人と防災未来センター」を設立したり、震災関連のイベントや震災跡などが観光の対象となったりしている。「神戸ルミナリエ」や「阪神淡路大震災メモリアルパーク」などがその例に挙げられる。いずれも次世代に震災を語り継ぎ、減災意識を引き継いでいこうとするものである。
 ここで「減災」という言葉について簡単に説明しておこう。学習を始める前は「防災」という言葉は知っていたが「減災」という言葉は知らなかった。「減災」というのは災害の被害を最小限に抑えるための備えのことで、災害を未然に防いだり、災害による被害を防いだりする備えという意味の「防災」とは大きく異なる言葉である。これからは「減災」を使っていこうと思う。
 本レポートは、以下の構成からなる。【 】は執筆担当者である。
  
1.はじめに                    【博多琴美】
2.事前調査                    【久保田彩乃】
3.現地調査
3.1 フィールドワークの行程と担当          【田上浩成】
3.2 フィールドワーク先
3.2.1 人と防災未来センター             【田上浩成】
3.2.2 東遊園地 神戸三宮センター街 大丸神戸店   【藤田颯・井口愛菜】※
3.2.3 高架橋震災遺構 神戸旧居留地 メリケンパーク 【水本侑希・小川麟】※
3.2.4 南京町 乙仲通 阪神淡路大震災メモリアルパーク【吉井風花・辻杏爾】
4.おわりに                    【博多琴美】
          ※は2人別々に同じ場所について報告しているため、2回繰り返す。
文部科学省
気象庁
【博多琴美】

2.事前調査

 事前調査は、まず自宅の状況を知るということで、各自でハザードマップと避難所について調べた。また、減災グッズのリストで自宅に準備しているかどうかチェックした。次に、1995年の阪神淡路大震災の概要を調べた。さらに、防災と減災の言葉の違いを調べ、「人と防災未来センター」がどのような場所なのか調べた。その後、ようやく神戸の街にある震災跡や震災に関するイベント、観光地について調べ、そこでどのようなインタビューをするか考えた。というように、盛りだくさんの事前調査を行ったが、ここでは、ハザードマップから神戸の震災の概要と震災に関するイベントまでをまとめ、「人と防災未来センター」や神戸の震災跡や観光地などについては「現地調査」の項で記す。

 まずは、自宅の状況について、私自身の事前調査結果を中心に述べる。
 私は自分の住んでいる自治体のホームページを利用して自宅のハザードマップと近くの避難所を調べた。ハザードマップから内水氾濫や自宅近くを流れる川の氾濫では自宅に浸水被害は出ないことが分かった。また、南海トラフ巨大地震による最大震度は6弱であることも分かった。避難所にはいくつか種類がある。自治体のホームページには、地震、風水害等の災害時に避難する場所である「指定避難所」、避難所生活において何らかの特別な配慮を必要とする方が利用する場所である「福祉避難所」、延焼火災が発生した場合に一時的に避難する場所である「広域避難地」の3種類の避難所が紹介されている。私の自宅近くの指定避難所は徒歩2分の場所にある小学校と徒歩1分の場所にある中学校、福祉避難所は徒歩5分の「障がい者交流促進センター」、広域避難地は徒歩3分の公園及びその周辺であった。
 避難所は災害によって利用する場所が変わってくるということを初めて知ることができた。これらの調査から、自分の住んでいる町のハザードマップや避難所を調べる機会があまりなかったため機会ができてよかった。
 減災グッズ(非常持ち出し袋)については首相官邸のウェブサイトに掲載されており、最低でも3日分の水や食料を確保しておくことが重要だとし、防災のために特別なものを用意するのではなく、できるだけ、普段の生活の中で利用されている食品等を備えるようにしましょうと国民に呼びかけている。私の自宅には水や缶詰などの食料品はあったが、カイロなどの防寒グッズはなかったため、見直しが必要だと考えた。
 次に、防災と減災の違いについて調べてみた。ALSOKは、防災は災害を未然に防いだり、災害による被害を防ぐための備えのことで、減災は災害の被害を最小限に抑えるための備えのことと述べている。災害は未然に防ぐことはできないものなので、防災ではなく減災という言葉を使用するほうが適切だと考える。
 以上が事前調査のための事前調査で、神戸フィールドワークに関する事前調査はここからである。まず、阪神淡路大震災について調べた。阪神淡路大震災は平成7年1月17日5時46分、淡路島北部で深さ16kmを震源とするマグニチュード7.3の地震が発生した。この地震により、神戸と洲本で震度6を観測し、東北から九州にかけて広い範囲で有感となったと内閣府は報告している。この震災による死者は6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792名であった。また、倒壊した建物は住家被害で639,686棟、非住家被害で42,496棟であった。数字を見ただけでは想像しにくいが、被害にあって倒壊した建物の写真を見ると非現実的な光景であった。
 また、震災関連のイベントとして、「阪神淡路大震災1.17のつどい」や「神戸ルミナリエ」などが27年後の現在も続いている。このイベントの課題として、「震災の教訓をどのように次の世代に継承していくのか」が挙げられる。この課題から私たち世代が自ら学び、次の世代に語り継いでいくことが大切だと考えさせられた。
 事前調査を通して、減災という考え方がいかに重要かということや阪神淡路大震災の悲惨さを改めて感じた。震災によって受けた被害を知り、その復興を学び、継続しているイベントに参加する一方で、自分自身の生活における減災の取り組みを実行するなど、自分たちにできることをして、次世代につないでいかなければならないと考えた。

堺市ホームページ.避難場所を知る
首相官邸.“災害に対するご家庭での備え”.食料・飲料などの備蓄、十分ですか?
ALSOK.“HOME ALSOK研究所”.防災と減災の違いの違いは?
内閣府.“防災情報のページ”.阪神・淡路大震災教訓情報資料集
(2021年12月8日最終参照)
【久保田彩乃】







3.現地調査(フィールドワーク)

3.1フィールドワークの行程と担当

 中山ゼミは2021年11月27日(土)に神戸フィールドワークを実施した。この日の行程は以下の通りである。
 9時50分に阪神梅田駅に集合して、阪神電車で神戸の岩屋駅にある「人と防災未来センター」に行き、12時55分まで見学をした。その後、三宮に移動し、神戸国際会館にある維新號點心茶室で遅い昼ご飯を食べた。午後からは以下の順番で神戸の街を皆で回り、減災に関するインタビューをした(この番号と地図上の番号は同じである。「人と防災未来センター」は⓪とした)。

①東遊園地(慰霊と復興のモニュメントと1.17希望の灯り)
②高架橋震災遺構
③神戸旧居留地
④南京町
⑤神戸三宮センター街
⑥大丸神戸店
⑦乙仲通
⑧神戸港震災メモリアルパーク
⑨メリケンパーク

 インタビューは3グループで担当箇所を決めて実施した。インタビューの担当箇所と担当者は次の通りである。

Aグループ:担当箇所・①東遊園地、⑤神戸三宮センター街、⑥大丸神戸店 
担当者・井口愛菜、博多琴美、藤田颯
Bグループ:担当箇所・②高架橋震災遺構、③神戸旧居留地、⑨メリケンパーク 
担当者・水本侑希、久保田彩乃、小川麟
Cグループ:担当箇所・④南京町、⑦乙仲通、⑧神戸港震災メモリアルパーク 
担当者・吉井風花、辻杏爾、田上浩成

 すべてのインタビューが終わり、元町駅から電車に乗り込んだのは18時を回っていた。


 

3.2フィールドワーク先
3.2.1 ⓪人と防災未来センター

  • 人と防災未来センター公式サイトより

 はじめに事前調査で「人と防災未来センター」とはどのような施設か調べた。センターの公式サイトによれば、この施設は阪神淡路大震災で起こったこと、次世代に伝えなければならないことを見てもらう施設である。二度と災害が起こらないように、災害や減災に関する知恵、知識を発信し、災害に強いまちづくり、地域づくり、そして私たち自身の準備に役立つ取り組みを行う施設である。
 まず震災追体験フロアに行った。エレベーターを降り、シアターに入る前の空間に、震災以前の神戸の街並みを切り絵で展示していた。また、シアターの入り口には時計があり、5時46分をさしていた。これは阪神淡路大震災が起きた時間である。1.17シアターで「5:46の衝撃」で神戸の各地の震災が起きた時の映像を見た。実際に大地震が起きると何もできず、逃げる時間すらないように感じた。シアターは2つあり、それが終わると、次のシアターに行くまでの短い通路に、震災直後の街並みがジオラマ模型でリアルに再現されていた。ここで初めに見た切り絵と比較でき、神戸の震災の悲惨さがわかった。次の大震災ホールでは神戸の街の復興の様子と直面する課題をドラマでみた。震災直後の街では、被災者の避難施設と食料問題、被災地の整備などが課題になることが分かった。
 次に震災の記憶のフロアに行った。ここでは震災直後からの復興過程やグラフィックを見ることができたり被災した地に残っていた物を展示したり、実際に阪神淡路大震災を体験した人の話が聞けるようになっていたりする。中でも印象に残ったのは被災者の遺品や災害によって影響を受けたものの展示である。特に被災者の家族の手紙は心に残り、身近に感じられて他人事ではないと思えた。また、阪神淡路大震災からは今後の災害への備えや社会づくりにつながるものが生まれている。例えば、災害ボランティア。また、けがをした人や亡くなった人の半分が家の倒壊や家具の下敷きになった人なので、耐震性のある建物や家具の固定などである。
 それから、減災体験フロアに行った。このフロアの減災ワークショップでは、実験や映像を通して減災に関する実践的な知識を学習することができ、液状化の仕組みや耐震工事の必要性を理解した。また、さまざまな減災グッズを置いていた。
 さらに、オプションで選んだ「こころのシアター」を見た。ここでは東日本大震災発生から1ヵ月後の東北地方太平洋岸の津波被災地の状況をハイビジョン3Dカメラで見ることができた。東日本大震災は神戸の震災と違い津波がひどく、震災の後の映像は街のものが何もかも無くなっていた。また津波が起きた時は上に逃げるのではなく、海から離れるように高い場所に逃げるほうが良いとわかった。
 最後に、ジオ&スカイホールに行った。ここでは台風の発生、マグニチュードや津波の影響範囲など震災についてゲーム感覚で学ぶことができた。
 「人と防災未来センター」では、震災の記録映像を見たり、資料の閲覧や被災者の声の視聴をしたりすることで、「震災が起きてからでは何もできないし、なにも残らない」ということが実感として心に刻まれた。事前学習でハザードマップを確認し、自宅は震災の影響が少ないということがわかったが、これまで用意していた減災グッズの備えでは足りないので、まずできることとして、必要なものを常備しておかなければならないと思った。また自宅はリビングの家具以外は固定していなかったので、特に寝室は家具の固定が必要だと認識した。フィールドワークの最初に「人と防災未来センター」を見学したことで、ゼミ生各自にこのような減災意識が芽生えた。

人と防災未来センター
【田上浩成】

3.2.2 ①東遊園地、⑤神戸三宮センター街、⑥大丸神戸店

●東遊園地

 初めに東遊園地を調査した。神戸市ホームページによると、ここは「阪神淡路大震災1.17の集い」や「神戸ルミナリエ」といった震災に関するイベントを主に行う場所とのことだ。実際に足を運ぶと、「慰霊と復興のモニュメント」や「1.17希望の灯り」が設置されており、「震災当時の思いを忘れぬように」とのことで27年経った今でも続々と人々が訪れている様子であった。
 この場所で特にインタビューしたいと思っていた質問が二つある。一つは「1.17の集いの印象について」であり、もう一つは「今備えている減災グッズについて」である。
 神戸の人にその二つの質問をした結果、「阪神淡路大震災1.17の集い」の印象について「追悼の気持ちが表されている印象が強い」、今備えている減災グッズについては「懐中電灯とラジオは常に備えている」ということだった。この回答を聞いて、改めて自分の減災グッズを見直さなければいけないと思わされた。
 ここでインタビューを行っていた時、別の大学の団体が阪神淡路大震災についての調査活動をしており、まだまだ阪神淡路大震災に関しての当時の状況や悲惨さなど知ることが大切だと実感した。また、この東遊園地は震災の苦しさ、悲しさ、恐ろしさを将来に伝えていくのに必要不可欠な場所だと感じた。
  • 慰霊と復興のモニュメント

  • 1.17希望の灯り

●神戸三宮センター街

 続いて神戸三宮センター街を調査した。神戸新聞によると、センター街は数多くの店が並ぶ商店街だったが、阪神淡路大震災の影響により、商店街のアーケードが崩落するなど壊滅的な被害を受けたということだ。ここで聞いてみたい質問は、実際に阪神淡路大震災が起こった時の状況についてである。その理由として、一軒家に比べ数多くのお店が並ぶセンター街では計り知れない被害を受けていたのではないかと考えたからだ。
 センター街の一つ目のお店で伺ったところ、「置いてある道具や商品はすべて倒れ、屋根がボロボロになり、倒れたものによって身動きがとれなかった」とのことだった。その経験からそのお店の人は「絶対にもう油断しない」と固い決心を表明していた。二つ目のお店では「道具や商品がすべて倒れ、皿が割れてしまい、恐怖を感じた」ということだった。

●大丸神戸店

 最後に大丸神戸店を調査した。事前調査では、朝日新聞によると、レトロな雰囲気の外装を残しつつ、阪神淡路大震災の経験から震災に強い構造に改装したということである。震災から2か月後の4月9日に一部開業した時点では約5万人、2年後の3月3日全面開店時には12万人もの来客数を記録したということであり、これほど地元から愛され、開店を待ち望まれた百貨店もないのではないかと思えた。そんな場所で聞いてみたいと感じたことは、将来地震が再び起こった際にお客様への対応はどうするのかということである。その理由として、こんなにも来客数が増えている大丸百貨店で地震が発生した時、大混乱に陥ると考えたからだ。
 大丸百貨店関係者に伺ったところ、「事前に大丸で起きた時どうするか指示を受け、何度も訓練を重ねている。」と答えていた。

 以上のことから、私自身は被災経験があまりなく、地震に対して危機感が全くなかったので、現地の人たちの話を聞き、地震がどれほど脅威的な存在で恐ろしいものかを知り、震災は深刻なものだと考えるようになった。マグニチュード8~9クラスの地震の30年以内の発生確率が70~80%(2020年1月24日時点)と言われている。事前に来るとわかっていることなので、家の耐震を調べたり、地震が起きた時のための減災グッズを備えたりするなど、自分にできる数多くの対策を「今」すべきだと実感した。

神戸市
朝日新聞 1995年4月9日 朝刊
朝日新聞 1997年3月3日 朝刊
国土交通省
【藤田 颯】

●東遊園地

 東遊園地は神戸の中心部に位置する公園である。1868年に神戸居留地の外国人が使う、日本初の西洋式運動公園としてその歴史が始まった。1995年の阪神淡路大震災以降はルミナリエの会場となり、また「慰霊と復興のモニュメント」や「1.17希望の灯り」が設置されている。ルミナリエは阪神淡路大震災の記憶を次の世代に語り継ぐ、神戸のまちと市民の夢と希望を象徴する光の芸術で、多くの人が集まるイベントである。「慰霊と復興のモニュメント」の下には空間があり、犠牲者たちの名前が刻まれており、「1.17希望の灯り」は、被災10市10町を巡って運んだ種火と47都道府県から寄せられた種火を一つにした灯りが灯されている。1月17日に発生した阪神淡路大震災を忘れることなく、震災を記憶し、復興の歩みを後世に伝え、犠牲者の慰霊と市民への励まし、大規模災害に対する世界的規模での連帯による復興の意義をアピールすることを目的としている。
 この東遊園地で一人にインタビューした。その人は須磨区から来た人だった。「阪神淡路大震災1.17の集い」についての印象は、「追悼の気持ちが表れていると思います」とのことだった。減災グッズは所持しているか尋ねると、「懐中電灯、ラジオは持っています」と返答があった。自宅ハザードマップは見たことはないが、津波や海防の情報はスマホで受信しているそうだ。

●神戸・三宮センター街

 神戸三宮センター街は神戸の交通網が集まる中心地に位置し、地元の人々から愛されてきた。最新のトレンドや様々なショップが集まり、多くの人々が神戸や神戸周辺から訪れる。
商店街内は客の流れが早く、歩いている客にインタビューすることが出来なかったため、店でインタビューした。
 まず陶器屋で、実際に地震が起きた時の状況を尋ねると、「店の陶器が全部棚から落ちた」とのことだった。お店に減災グッズを置いているか尋ねると、「自分の分だけ防災グッズを置いている」という答えだった。
 次に小物屋で、震災が起きた時の状況を尋ねると、「商品が全て棚から落ちて、屋根がボロボロになり、お店の上の階が落ちてきて火事が起きて怖かった」ということだった。減災グッズを置いているか尋ねると、こちらも「自分の分だけ用意している」とのことだった。

●大丸神戸店

 大丸神戸店は神戸市中央区に位置する百貨店である。インタビューでは、震災が起きた時のお客様への対応を尋ねると、「お客様には大丸の指示通りに動いてもらい、スタッフは定期的に訓練している」ということだったが、減災グッズについては私たちが聞いたお店では「準備していない」との回答だった。

 フィールドワークでのインタビューを通して、震災を経験した人と震災を経験していない私との間に意識の差は感じられなかった。私が自宅で用意しているものは懐中電灯と水のみで震災を経験した人よりも少ないと考えていたが、減災グッズを用意しているかという質問には用意していない、または自分の分だけという結果になり、意外だと感じた。

東遊園地
神戸市
神戸ルミナリエ
神戸三宮センター街
大丸神戸店
【井口愛菜】

3.2.3 ②高架橋震災遺構、③神戸旧居留地、⑨メリケンパーク

●高架橋震災遺構

 まず高架橋震災遺構で調査をした。Guide to Japanによると、国道2号線の歩道には、損傷した浜手バイパスの橋脚や接合部材などのモニュメントがある。高速道路と同様に、国道でも高架橋などで大きな被害が出た。「安全で災害に強い道づくり」を推進するために、被災の姿を忘れぬようにと兵庫県国道事務所が設置している1)ということである。
 しかし、実際訪れてみると立ち止まる人はほとんどいなかった。そして道を歩く人にインタビューをしてみても知っている人は少なかった。実際そのものを見たときには震災の被害がどれほど大きかったか感じることが出来た。これから阪神淡路震災を経験していない人が増えても、震災があった事を忘れないようにするためにこのモニュメントはとても大切だと考えた。
  • 高架橋震災遺構

●神戸旧居留地

 次に神戸旧居留地で調査をした。事前調査からは神戸旧居留地は神戸港の開港とともに建設され、外国人が住み、働く場所であった。が、阪神淡路大震災が突如発生し神戸旧居留地内にあった106のビルは、大小さまざまな被害を受け、うち22棟は解体を余儀なくされた2)ということがわかった。
 実際に訪れてみると範囲が広く建物も多かったため、歩くのが大変であった。外国を感じさせるような建物や国指定重要文化財などが多くあった。震災があったとは思えないほどきれいな街並みで震災前から建っている建物もあり、丈夫な建材で出来ているのだと感じた。ここでは3つの店の人にインタビューを行った。1つ目の店はセコムに減災セットを用意してもらっている。自宅のハザードマップは知っているがこの付近のものは知らないとの事であった。2つ目の店は、この建物は震災前から建っているもので、減災グッズは食料や水などを備蓄しているとのことであった。3つ目の店では減災グッズは水などを置いている。やはり震災があった地なのですぐ対応出来るようにしている店もあるのだと感じた。
  • 旧神戸居留地十五番館

●メリケンパーク

 最後に訪れたのはメリケンパークである。神戸公式観光サイトでは、「神戸ポートタワー」や、「神戸海洋博物館」、「BE KOBEモニュメント」など、神戸を代表するフォトジェニックなランドマークが揃うメリケンパーク・ハーバーランドは、神戸観光に来たらまず訪れたいエリア。一日中いつ来ても港町・神戸らしい雰囲気を味わうことができます3)と紹介されている。
 実際に訪れてみると、友達同士や親子連れが多く、有名な観光地になっていると感じた。ここでは2組にインタビューを行った。1組目は家には水や缶詰などの減災グッズを置いてあり、家付近のハザードマップはしっている。しかし震災関連のイベントには参加した事がないとの事であった。2組目は家には水などの減災グッズは置いているが家付近のハザードマップは知らない。そして震災関連のイベントにも参加した事がないとの事であった。この事から減災についてはきちんと対策をしている人が多いが、震災については人々の関心が薄いと感じた。
 メリケンパークの中に阪神淡路大震災メモリアルパークがあり、震災被害を受けた所がそのまま保存され、コンクリートが割れている様子や街灯が曲がっている様子が見られた。メリケンパークは人も多く観光地として賑わっていたが、メモリアルパークは訪れる人がまばらであった。
  • メリケンパーク 神戸公式観光サイトより

●阪神淡路大震災高架橋震災遺構

 最初に阪神淡路大震災高架橋震災遺構に行った。事前調査で高架橋震災遺構は地震で被災した阪神高速道路の鉄骨コンクリートの橋脚などが当時のまま残されているモニュメントだとわかった。僕は、高架橋を初めてみた。 モニュメントは高速道路の下にあった。あまり大きくなく普通に歩いていたら気づかないくらいだった。モニュメントに興味がありそうな人にインタビューしようとしたが、ほとんどの人が興味なさそうで、たまにチラッとモニュメントを見ていた人でも、聞いてみると、興味がない人ばかりだった。頑丈そうな鉄骨が曲がっていたのですごい地震だったのだと思った。

●神戸旧居留地

 次に神戸旧居留地に行った。神戸旧居留地は、江戸時代の終わりごろに外国人に開かれた場所の一つで日本人と外国人の紛争を避けるために兵庫の市街地から離れたところに建設された。その建物の多くが震災の影響を受けた。店にインタビューすると、ほとんどの店で食料や水などの減災グッズを持っていた。15番館のレストランのソムリエさんによると、セコムが減災グッズを用意しているそうで、減災への意識の高さが分かった。歩いている人にインタビューをすると、神戸の人じゃなくても減災グッズを持っていた。お店も、店のことや客のことを考えて減災グッズを取り入れていた。インタビューをしていると、ほとんどの人がハザードマップのことを知らなかった。でも、僕も急にハザードマップを知っていますか、と言われても、何のことか分からないだろう。自分たちのグループが、インタビューした人の中には、災害時の家族の集合場所を決めている人がいた。時間があまりない人でもしっかり対応してくれて嬉しかった。

●メリケンパーク

 最後に、メリケンパークに行った。メリケンパークには、若者に人気のBE KOBEモニュメントや 阪神淡路大震災の被害を伝える神戸港震災メモリアルパークがある。僕は、メリケンパークに初めて行った。神戸ポートタワーが見えていい場所だと思った。着いたときには寒すぎてゼミのみんなは帰りたそうにしていたけれど、BE KOBEモニュメントで、写真を撮りたい人たちがたくさんいて、寒い中、順番待ちで行列ができていたのは驚いた。
 インタビューした一組目の人たちは、減災グッズもハザードマップも知らなかった。二組目は家に減災グッズを置いており、ハザードマップは見たことがないが、Yahooのアプリを入れていた。
 フィールドワークの前日僕は、しっかりと天気予報を見ていなくて、まさかあんなに寒くなると思っていなかったので、ダウンなどの厚めの服を持って行っていなくて失敗した。
 今回のフィールドワークを通して、震災のことを詳しく知り、少し興味を持った。震災が起きた時に、減災グッズを持っていることの大事さが分かったので、減災グッズを準備したい。

東京坂道さんぽ
神戸旧居留地ホームページ
Feel kobe神戸公式観光サイト

【小川 麟】

3.2.4 ④南京町、⑦乙仲通、⑧神戸港震災メモリアルパーク

●南京町

 事前調査によれば、南京町は横浜中華街、長崎新地中華街とともに日本三大チャイナタウンの一つに数えられる。中華食材、雑貨、料理など多彩な店舗が軒を連ねる人気の観光エリアであり、見るからに賑やかそうで、訪れるのが楽しみだった。阪神淡路大地震発生により、全壊8戸、半壊と一部損壊は全体の5割、長安門も半壊し、兵馬俑は全壊した。幸いなことに死者はいなかった。その後は、南京町一帯が神戸市の区画整理事業の対象となったことから、商店主たちが「南京町を復活させよう」と南京町商店街振興組合を設立。かつての繁栄を取り戻すために中華街としての町づくりをスタートさせた。名称を「南京町(なんきんまち)」に統一し、ハード、ソフト両面にわたって整備を重ね、今の「南京町」を作り上げた。 2014年には南海トラフ巨大地震に備えて、観光客らが迅速に避難できるように避難する方向や海抜などを記した標示板を設置している。
 実際に訪れてみると、雰囲気は賑やかで震災とは無縁なような空間であった。多くの人が足を運びたくなるような美味しそうな食べ物が売られていて、まるで中国にいるような空間で幅広い年齢層が訪れており、兵庫県の観光業を盛り上げるために観光客を呼び込める、いい観光スポットであった。
 ここでは、土産物屋の女性に聞いた。お店自体は減災に取り組んでいないとのことだった。ただ、彼女自身は避難所は家族と場所を決めてあり、津波が起こった際は、とりあえず上に上がると考えているそうだ。防災グッズは笛・消火器を準備していて、震災関連のイベントについては「5時46分希望の光のイベント」に参加したことがあると言っていた。また、阪神淡路大震災メモリアルパークを訪れたことがあり、震災や減災について関心がありそうだった。
 次に、観光客の女性3人組に減災の取り組みについて聞いた。その人たちの地域では小学校など学校の耐震工事を行っており、避難場所は近所の中学校と家族で決めているということである。避難時の食事などは避難用のリュックを用意しているそうだ。震災関連のイベントには参加したことがないとのことだった。
 土産物屋の女性は南京町で店を経営しているだけあって、神戸に関わりが深いので個人的には減災意識が高いと思ったが、店に関しては何もしていないことが意外であった。観光客の女性3人組は南京町観光を目的として神戸を訪れていたが、減災意識は高いと感じた。
【吉井風花】

●乙仲通

 事前調査によれば、乙仲通の由来は以下の通りである。この通りは昭和初期より海運業者で賑わっていた。政府が海運業者を「乙種海運仲立業」に分類したため、海運業者のことを「乙仲さん」と呼ぶようになった。それがきっかけで、海運業者の多いこの通りを「乙仲通」と呼ぶようになったのである。 
 神戸は阪神淡路大震災でかなりの建物が失われたが、乙仲通は全国的にも残存率が高いらしい。洋館なので、燃えやすい木材が材料ではなかったことが残存率が高い一要因だと思われる。現在は、その建物のおかげで昔にタイムスリップしたかのようなレトロな町並みになっている。              
 実際に乙仲通を訪れると、南京町などに比べ、観光客は少なく、訪れた時間が少し遅かったせいか、店じまいが始まっており、通りを歩く人もそれほど多くはなかった。しかし、おしゃれな雰囲気のカフェ、雑貨屋などは若者が一度は訪れたいと感じる場所であった。私はこの授業で初めて乙仲通の存在を知ったので、地元の人には知られていても、全国的にはまだ知名度が低いと思われた。
 ここでは、洋服屋の店員の女性二人に聞いた。減災については、減災グッズとして消火器を店内に用意しているが、その他の対策は特に行っていないということだった。震災関連のイベントの参加経験については、参加したことはないが参加してみたいと話していた。また、自宅の減災には取り組んでいるとのことであるが、店の減災に関してはあまり関心がなさそうだった。

【事前調査:吉井風花・現場調査:辻杏爾】

●阪神淡路大震災メモリアルパーク

 事前調査によると、阪神淡路大震災メモリアルパークは、発災した5時46分を体験できるよう、メリケン波止場、および神戸港の被害の様子がそのまま保存されている貴重な場所である。また、震災から復興までの様子をおさめた映像が見られるようになっている。
 実際に足を運んで震災遺構を見ることで当時の地震の恐ろしさを肌で感じ、これからの地震に対する防災意識を高めるきっかけになる。実際、地方から訪れている観光客がたくさんおり、人々を引き付ける力があるのだと感じた。今の若者は、地震の恐ろしさをわかっていない人がほとんどであると思うので、実際に足を運ぶことで地震について考えさせられる教育の場であると感じた。
 ここでは、2組の観光客にインタビューした。2組とも神戸の人ではなく、県外から訪れていた。
 広島県在住の夫婦は、避難場所は近所の小学校と決めており、また、災害が起きた時はどこに医療センターがあるのか、確認している。そして、減災グッズは1週間分の水や食料の用意をしており、震災関連イベントの参加経験については、東遊園地にある「5時46分希望の光のイベント」に参加したことがあるという回答であった。
 岡山県在住の2人組の女性は、避難場所は近くの中学校と決めており、避難食についてはお菓子などの簡易な食べ物を家に用意してあると言っていた。震災関連のイベントには参加したことはないが、震災に関して「実際に体験したことがないと、その人たちの気持ちはわからないと思う」ということであった。
 この2組はいずれも県外からの訪問客であったが、隣接するメリケンパークではなく、震災跡であるメモリアルパークを熱心に見ていたので減災に関心があることが分かったし、また、インタビューの回答からも窺えた。

 以上、私たちがインタビューをした限られた人数の中ではあるが、減災の取り組みをしている人は多く、震災についても関心がある人が多かった。インタビューをしたほとんどの人は自宅の減災に積極的に取り組んでおり、減災意識は高かった。しかし、職場先の減災については取り組めていないように感じられた。災害はいつ、どこで起こるかわからないものだから自宅だけでなく、客が来店する職場先でも取り組むべきだと思った。

南京町
Feel Kobe
熱烈歓迎 南京町
産経新聞
乙仲通
朝日新聞デジタル 2016年2月29日
mite kobe
神戸の定番おしゃれエリア栄町の雑貨屋さんめぐり/乙仲通(兵庫県神戸市)
海運賃取扱業者が軒を連ねていた町並み
Feel Kobe
【辻 杏爾】


4.おわりに

 今回フィールドワークで神戸市に行き、阪神淡路大震災の恐ろしさを学んだ。
 「人と防災未来センター」震災追体験フロアの1.17シアター「5:46の衝撃」で7分間の上映を見て、衝撃を受けた。地震に遭遇した際に家族と離れた場所にいたら、もう会うことが出来ないのではないかと思うほどだった。家族と災害が起きたときにどうするか冬休みの間に話し合いをするつもりだ。「人と防災未来センター」ではシアター以外にも震災直後の街並みや復興過程、グラフィック、被災者の遺品や災害によって影響を受けたもの展示を見ることができた。阪神淡路大震災の被害が分かりやすく伝わってきた。
 その後、神戸市内の震災跡や観光スポットで訪問客(観光客も含む)と店の人にそれぞれインタビューを行った。
 まず、店の人へのインタビュー結果について述べる。実際に阪神淡路大震災を体験している人に話を聞くことができたが、物が倒れてきたり、建物が燃えたりする怖さがあったとのことで、油断してはいけないと思った。神戸旧居留地ではほとんどの店が減災グッズを準備しており、減災セットや食料、水なども備えている。中にはセコムに準備してもらっているという店もあった。その他の地域の店ではあまり準備しておらず、準備していても消火器だけだったり、自分の分だけだったりした。
 一方、客へのインタビュー結果は次の通りである。震災跡に来ていた訪問客・観光客は数人にしかインタビューすることはできなかったが、全員が減災グッズを準備していた。震災跡に来ている人は減災意識が高いと言えるのかもしれない。また、観光スポットに来ていた訪問客・観光客に同じ質問をすると、半数以上の人が災害に向けて準備していることが分かった。避難場所を家族で決めたり、避難用リュックを準備したりしていた。
 阪神淡路大震災が起きた神戸だが、減災意識は店も人もそれぞれだった。減災グッズやハザードマップなどを用意している店や人もいれば、していない店や人もいることがわかった。もちろん限られた時間内での数少ないインタビュー結果なので、この結果をもって一般化することはできないが、この結果も現実の一部を反映していると思われる。27年という歳月はあれほどの震災の記憶すら薄れさせるものなのだろうか。
 私自身は今回のフィールドワークで、「人と防災未来センター」や震災跡に行ったため、阪神淡路大震災の恐ろしさを知り、減災・防災の意識が高まった。現在の神戸は賑やかな観光地だが、もっとたくさんの人に観光地だけでなく、「人と防災未来センター」や震災跡に足を運んで災害の恐ろしさを知ってもらい、減災意識を広めた方が良いと思う。災害は必ずやってくるものだが、被害を最小限に抑えるためにも自分自身ができることはすべきだと強く心に刻んだ。
【博多琴美】

最後にゼミ担当教員から・・・

 2022年1月に27年目を迎えた「1.17の集い」では「忘」という灯りの文字が闇夜に浮かび上がった。「忘れない」「忘れないでほしい」という思いが詰まった一字である。2021年11月下旬に神戸に出かけた学生たちは、あの震災の衝撃と風化する震災の記憶を垣間見て、一人一人が自分たちにできることをしなければと感じたようである。南海トラフ地震が現実的なものになりつつあるのではないかと不安に思う昨今の地震状況を見ても、いつ来るかわからない地震に備えることは非常に大切なことであり、そういう考えを持った人間が地域や組織にいることが減災につながる。1年生の彼らが将来どこで働くことになるかはわからないが、家庭だけでなく職場でも、自分の身を守るだけでなく、客や同僚など、周囲の人々の身を守るためにはどうしたらいいか、ということを考えることのできる存在であってほしいと願う。
 今回のレポートは、9人で分担して執筆し、15,000字を超えるものとなった。卒論は1人でこれだけのものを書くのか、と少しだけ実感したようである。
 
 最後になりましたが、人と防災未来センターをはじめ、インタビュー等でお世話になった
方々に御礼申し上げます。