栗田真衣さんがフィジー・ニューカレドニアで短期留学をしました

サイクロンの上陸で大変な状況の中でも、さまざまな学びを得ていました

 阪南大学では、2月初旬に後期試験が終了すると、2ヶ月近くの春期休暇があります。大学生活とは、ただ授業を受けて知識を身につけるだけでなく、こうした休暇を利用してさまざまな経験を積むことができる貴重な時間です。この機会を利用して、森重ゼミ3年生の栗田真衣さんが約6週間、フィジーとニューカレドニアで短期留学に挑みました。特にフィジーでは滞在期間中に大規模なサイクロンが上陸し、停電が長期間続いたり、語学学校が自由登校になったりするなど、大変な目に遭ったようですが、そこでのさまざまな経験を学びにつなげていました。今回の短期留学を通じた得たことや新たな学びなどについて、栗田さんから報告してもらいます。(森重昌之)

留学先での様子

  • ホストファミリーと

  • 近所の子どもたちと

  • 語学学校の修了式にて

  • ヌメアの様子

  • ウベア島の子どもたち

  • 帰国前の夕焼けの様子

衝撃的な体験と異文化交流
 国際観光学部3年 栗田真衣

 私は春休み期間を利用してフィジー(5週間)とニューカレドニア(1週間)の2ヶ国を訪れました。
 フィジーでは、インディアンの家庭にホームステイし、現地の語学学校に通いました。出発前はこれからたくさんの貴重な経験を積み、澄んだ海を毎日眺めることができるのだろうと心を躍らせていました。しかし、現地に到着すると、30℃以上の暑い日が毎日続き、独特な調味料を使った毎晩のカレーが口に合わず、過酷な日々でした。また、私が滞在していたラウトカという街にはきれいな海を眺められる場所も、街灯もなく、19時以降の外出は控えるように言われていました。
 フィジー生活に慣れるのに時間がかかり、2週間が経過した2月20日に、南半球最大級といわれる大型サイクロン「ウィンストン」がフィジー直撃しました。家には水が流れ込み、家族総出で2、3時間ほど片づけに追われました。これほど大規模なサイクロンを経験したことがなく、異国の地で何をしていいのかもわからず、家族の一員として役割を十分果たせなかったことが心残りです。ホームステイ先は10日間も停電が続き、学校も1週間自由登校となりました。サイクロンが落ち着いた頃、ホストファミリーが島内を案内してくれましたが、今までに見たこともない悲惨な光景を目の当たりにしました。あちらこちらで木が根から倒れ、家屋が倒壊し、街の看板も飛び散っていました。ホストマザーの実家は浸水し、もはや住むことが不可能な状態になっていました。
 通信電波が届かないため、日本へ連絡することすらできず、お湯が使えず、ファンも使えない10日間の熱帯夜が、フィジーで一番の試練でした。しかし、現地の人びとは電気が使えなくても不便さを感じるくらいで、冷静に対応し、大きな問題なく生活している様子で、現在の日本ではきっと耐えられない状況ではないかと感じました。同時に、便利過ぎる環境の中で私たちが生活していることを考えさせられる経験となりました。
 ウィンストンが過ぎ、電気も回復すると、語学学校が再開されました。家から学校までの間には、サイクロンによって飛ばされてきたものが道端に多く落ちており、近所の子どもたちがビニール袋を持って、裸足で瓦礫の山から金属品を収集している光景を、今でも鮮明に覚えています。
 3週間を過ぎた頃から、語学学校やフィジーの生活、気候、食にもなんとなく慣れてきました。語学学校ではEOP(English Only Policy)という英語以外の言語を3回以上話すと退学になるという制度がありましたが、日本人留学生が大半を占めていたため、ゲートを出ると日本語しか話さず、私が思い描いていた留学とは少し違っていました。また、日本人英語が身についてしまい、ネイティブな英語を学ぶための環境が整っていない現実を目の当たりにしました。日本人観光客も多いフィジーでは、留学目的でフィジーに来ている人と観光目的で来ている人との差が、授業を受講するにあたって1つの大きな問題でした。
 そうした環境の中で、できるだけ現地の人びとと交流することを常に心がけていました。現地の人びとはとてもフレンドリーで、気さくに「BULA(こんにちは)」と話しかけてくれたり、日本語で「こんにちは」と挨拶をしてくれたりしたことで、歓迎されているように感じ、現地の人びとの人柄がわかりました。また、現地の子どもたちに「一緒に写真を撮ろう」というと、照れながらもレンズに向かって愛らしい表情を向けてくれました。さらに、フィジーにはたくさんのラグビーコートがあり、学校の帰り道にあるコートは子どもたちでいっぱいでした。フィジーがラグビーの強豪国であることを実感しました。日本人から見ると、遊ぶ場所も十分になく、交通も生活も不便に感じることが多々ありましたが、なぜかフィジーの人びとはいつも笑っていて、本当に皆幸せそうでした。世界幸福度ランキング第1位に選ばれる理由もわかるような気がしました。
 何よりお世話になったのはホストファミリーです。日本人を初めて受け入れたそうですが、私自身や日本の文化を理解してくださったおかげで、とても快適に過ごすことができました。また、最後のお別れの日にはTシャツをプレゼントしてくださったり、涙を流してお見送りしてくださったりして、本当にこのホストファミリーと出会えたことは一生の財産になりました。日本では当たり前のように思っていても、一歩出るとまったく違う世界が広がっており、個性ある異文化を体験することが海外を知る魅力の1つであると確信しました。

 その後、フランス領のニューカレドニアへと移動しました。フランス領であるため、公用語はフランス語です。店に入ると「ボンジュール」と声をかけられ、恥ずかしがりながらフランス語で返事していました。また、フィジー同様に、道を歩いていると微笑みかけてくれたり、挨拶をしてくれたりと、とても清々しい気分でした。私が宿泊したヌメア周辺は観光客も多く、英語も使うことができました。さらに、日本人観光客も多いため、日本人オーナーの店や日本語メニューのあるレストランも多数あることに驚きました。現地の旅行会社へ行って、離島へ行くための予約を行いました。海外でツアーを申し込むことも初めての体験で、不安ばかりでしたが、丁寧かつ迅速な対応で、親身になってサポートしていただき、心強かったです。
 「天国にいちばん近い島」と称される美しい島「ウベア島」の出発日は、大雨のため6時間も空港で足止めとなりましたが、現地に着くと晴れていて安心しました。本当に今まで見たことのないクリアブルーの海とパウダーサンドの真っ白な砂浜に感動しました。いくら写真を撮っても撮り足らず、現地へ行かなければこの感動は伝わらないと感じました。あっという間に時間が過ぎてしまい、寂しくなりました。離島は英語が話せない人も多く、少し苦労をしましたが、同じ宿に泊まっていたオーストラリア人に助けていただき、充実した2日間を過ごすことができました。本当に優しい人びとばかりで、人生でもう一度訪れたいと思う場所になりました。
 最終日は毎朝多くの店が出ている朝市「マルシェ」に立ち寄ってみました。ニューカレドニアならではのお土産や食べ物など、さまざまなものが並び、現地の人から観光客まで楽しむことができる場所でした。また、この日は休日であったので、朝市周辺の店はほとんど閉まっていましたが、街の雰囲気を存分に味わうことができました。旅の最後は夕日で締めくくりとなり、本当にあっという間の1週間でした。
 海外は、私自身が成長する貴重な経験・出会いの場であり、固定観念を打破して知識や視野の拡大につながる学びの場であると実感しました。将来、母国である日本や海外の魅力を発信する国際的な仕事が私に合っているのかなと自分自身と向き合う時間にもなり、意義のある留学生活となりました。