炭鉱体験ツアーに参加し、さまざまな体験をしました

 森重ゼミでは毎年、ゼミ生全員による話し合いによってフィールドワークの調査対象地を決めています。今年度はいったん別の場所に調査対象地を決め、研究を進めてきましたが、なかなかうまく進まないことから、改めて調査対象地を選定することにしました。その結果、長崎県西彼杵半島の西方に位置する池島を調査対象地に決定しました。
 池島は人口約100人の離島で、かつては炭鉱のまちとして栄え、最盛期には7,000人以上の人びとが暮らしていたそうです。池島炭鉱は九州で最後まで採炭していた炭鉱でしたが、2001年に閉山しました。現在は炭鉱関連施設やアパート、商業施設などが廃墟として残っており、これらを目当てに訪れる観光客も少なくありません。また、トロッコに乗って実際の坑道を見学できる炭鉱体験ツアーも開催されています。
 そこで、人口減少と高齢化が進む池島でどのような観光振興が考えられるかを検討するため、9月19~22日にかけて現地調査を実施しました。現地調査の様子や調査を通して感じたことについて、これから2回に分けてゼミ生が報告します。今回は炭鉱体験ツアーに参加した様子を中心に報告します。(森重昌之)

当日の現地調査の様子

  • フェリーから見た池島

  • 池島港で集合写真

  • 坑道へ入るトロッコ人車

  • 炭鉱体験ツアーでのガイドの様子

  • 当時の鉱員の格好を体験

  • 往時の姿に再現された団地の一室

参加したゼミ生の報告

池島の現状と抱える問題
 国際観光学部3年 西村虎流

 私たちは9月19日から22日までの4日間、長崎県の離島、池島へ現地調査に行きました。池島は、軍艦島に並ぶもう一つの主要な炭鉱の島として知られています。1959年から炭鉱の産出が始まりましたが、石炭の需要が減り、2001年に閉山となりました。ほとんどの建造物は廃墟となり、現在も100人未満の島民が住んでいるものの、年々人口が減少傾向にあります。このような衰退している地域に新たな観光資源を見つけることが今回の調査目的です。現地に実際に行く前に飛行機、宿泊施設、レンタカー、炭鉱ツアーの予約、あらかじめ現地にあるものをインターネットで調べ、食料調達をどのタイミングで行うのかを決めました。4日間のスケジュールは1日目に大村市で滞在して食料調達、2~3日目に現地調査を行い、4日目に帰宅となっています。ここからは現地調査当日の様子を報告します。
 池島での滞在1日目、私たちは池島の東・港側を調査するグループと、8階建てアパートが並ぶ西側を調査するグループの二手に分かれ、資源調査を行いました。私を含めた4人が担当した港側には石炭船積み機やトロッコ人車、郷地区という炭鉱操業時、島一番の繁華街だった地区が当時のまま残されていました。郷地区の細道には数件のスナックやパチンコ店、私たちが宿泊した施設の周辺にはボーリング場や飲食店などの娯楽施設の建物跡があり、炭鉱で島が栄えていたことがわかる建造物が多く立ち並んでいました。調査の途中、島民の方々に池島のことについて聞き取り調査を行いました。話の中で、池島には今も児童が在籍している小中学校があり、許可を取れば校内を見学させていただけると聞き、私たちは学校にうかがいました。無事許可をいただいて校内を見学させていただき、1日目の調査は終了しました。
 滞在2日目、私たちは炭鉱ツアーに参加しました。ツアーの内容は元鉱員の方が自身の体験を踏まえながら坑内を一つ一つ案内していただき、実際に使用されていた機械に触れることができるといった内容になっていました。今回はオプション付きツアーに参加したので、炭鉱ツアーだけでなく、島内も案内していただきました。また、普段は立ち入り禁止の区域やアパート内にも入ることができました。アパートは最上階の一室が当時の暮らしを再現した造りになっており、実際に中に入って見学しました。
 実際に現地調査を行った結果、当時の暮らしがわかる建造物や島を一望できる展望台、サイクリングコースに適している港側の道路など、観光資源となるものが多くありました。しかし、十分な整備が行き届いておらず、雑草が生い茂り、道も整備されていません。そのため、雑草が多くて景色を眺めることができない、観光スポットに行きつくまでが非常に困難になっている、劣化によってどのような建物か説明がないと識別ができないといった問題がありました。島民の方々にうかがった話によると、炭鉱だけでなく、廃墟や猫を目当てに来る観光客も多いようです。若者の観光客もおり、中にはコスプレをして池島の世界観を楽しむ方もいるようです。しかし、観光客が来ることによる問題もあるようです。立ち入り禁止区域に無断で入る人や、島民は猫の糞害で困っているようで、勝手に餌を与えることもあまりよくないようです。実際に話をうかがうと、観光客が来ることに対して良くも悪くも思っていないという意見が多くありました。しかし、池島に住む方々は、週に1回島に来る移動販売車で食料を調達しています。悪天候時は船も欠航し、調達も容易ではありません。島民にとって本土と池島間を運航する船は生活する上で必要不可欠です。観光客が減少すれば、船便も減少する可能性があります。観光は池島にとって重要ですが、それに伴う問題も数多くあると今回の調査で学びました。今後はこれらのことを踏まえ、池島の今後のあり方について考えていきます。

池島の炭鉱を後世に伝えていくためには
 国際観光学部3年 福田壮吾

 私は、大学のゼミ活動の一環であるフィールドワークで、長崎県に位置する九州最後の炭鉱の島「池島」に現地調査に行きました。調査目的は、かつて炭鉱の町として発展し、約8,000人が暮らしていた池島ですが、安価である海外の石炭の台頭によって競争力を失い、閉山となり、人口が100人弱にまで減少した池島が今何を求めているのか、また新たな観光資源を発掘することとしています。そこで、現地に赴いて得た調査結果をまとめます。
 まず、私たちが池島に行くための事前準備として、現在池島が行っている観光政策を調べたり、池島の自治会長に聞き取り調査のアポイントメントを取ったりするなど、各グループに分かれて準備しました。
 現地調査1日目は、会長に話を聞きに行くグループと、池島の東側、西側に分かれて資源調査を行う3つのグループに分かれて調査を行いました。2日目は、全員で池島が行っている観光政策の1つである池島炭鉱体験ツアーに参加しました。
 炭鉱ツアーは、はじめに池島で石炭採掘を行っていた当時の映像を鑑賞し、地下から石炭を運搬する方法、採掘方法などを学びました。その後、ヘルメットを着用し、当時採掘していた方の話をうかがいながら炭坑の内部に入りました。内部に入る際、当時使っていたトロッコやレールを観光用につくり替え、それに乗って内部に入っていきました。
 実際に採掘で使っていたドラムカッターを動かしたり、岩石を破壊するために熱や衝撃を与えると爆発する「TNT装置」を動かしたりするなど、普段経験することができない体験をしました。その際、ガイドの方と貴重なお話をたくさんさせていただきました。1日目の資源調査でも池島に実際に住んでいる方々にお話をうかがいました。
 調査結果として、池島の方々は「観光客が増えてほしい」、「新たな観光資源が欲しいわけではなく、炭鉱の技術と知恵は少しでも残していきたい」、「このまま廃れるまで見守る」といった意見が多かったです。それは決して悪いことではなく、それが池島のあり方なのかなと感じました。また、池島炭鉱は日本人に伝えていくだけでなく、東南アジアなどの海外の研修生を受け入れ、炭鉱の技術を後世に残していこうという活動をしていたことを知り、日本でも海外でも池島炭鉱の技術を残していければいいと思いました。
 以上の調査結果から、今池島に住んでいる方々の意思を尊重し、観光客を増やすのではなく、池島に訪れている観光客により深く池島の魅力や、炭鉱の歴史や技術を伝えていくお手伝いをしたいと考えています。
 今回の現地調査を通して、観光は自分たちが一方的に行うのではなく、現地の人びとが観光についてどのような考えを持っているのか、単に観光客を増やすのではなく、少人数となってしまった観光客にマンツーマン形式で池島の魅力や炭鉱の技術を伝えていきたいという現地の人びとの意見に耳を傾ける必要があると感じました。今後、島にとって観光の何がメリットで、デメリットであるかを考えていきたいと思います。

なくなってもなくならないもの
 国際観光学部3年 宮本柚人

 私は9月19日から22日まで、長崎にある島民が100名弱しかおらず、徐々に人口が減っていき、無人島になる可能性があると言われている「池島」という離島を訪れました。観光資源を探し、PRし、観光客を呼び込むということが調査目的です。今回は池島にある「炭鉱体験ツアー」のオプショナルツアーについてまとめます。
 オプショナルツアーでは、炭鉱ツアーとは別に、廃屋の中に入ったり、元鉱員の方がいつも持って行っていた弁当を再現した弁当を食べたり、島内の歴史ある場所を案内していただいたりします。炭鉱体験ツアーが終わった後、炭鉱体験ツアーのガイドとは別の方が来てくださいました。ガイドさんは池島生まれの方で、冗談を交えながら自分の昔話やさまざまな思い出を話し、一緒にバスに乗って廃屋が多くある場所に着きました。そこでは、思い出話とは別に、「池島では昔何があったのか」、「炭鉱の仕事ではどのようなことが行われていたのか」、「この店にはどんなことがあったのか」など、自分の体験を踏まえたさまざまな知識を話してくださいました。また、崩れて名前も見えない廃屋一つ一つにも住んでいた人、やっていたこと、そこでの思い出があるという「歴史」などを、体験したことのない私でも、あたかもその時代にいたかのような気分になる巧みな話術で、オプショナルツアーの参加者を楽しませていました。廃屋の他にも、普段は入ることができない公園や駐車場、女神像が置いてある場所などへ行き、その地ならではの歴史や知識を教えていただきました。ガイドさんは本当に楽しそうに昔の自分や池島のことを話しており、逆に日に日に島民が減っていく池島の現状を悲しそうに話しておられました。
 正直、私は炭鉱や池島にまったく興味がありませんでした。そのため、炭鉱で有名なこの池島をPRすることは、興味を持ってない私にとってはとても難しく、観光客を増やすことができるのかどうか不安がありました。しかし、このツアーを通し、池島の数多くのさまざまな歴史や思い出を知り、池島も炭鉱もなくなってはならないとても大切なものであり、何とか守っていきたいと感じるようになりました。そこで、私は池島の魅力を最大限に引き出した写真や動画を使って短いPR動画をつくることで、まず池島を知ってもらい、興味を持ってもらうためにSNSに投稿することを提案します。SNSに上がった動画を通じて池島を知る人が増え、興味を持ってもらうことができれば観光客が増え、炭鉱ツアーに来る人も多くなり、池島の歴史を多くの人に知ってもらえると思います。
 私はこのオプショナルツアーを通し、「なくなってしまったものの大切さ」がわかりました。今はもう崩れてしまった家々や、使われなくなった炭鉱にもさまざまな思い出や歴史があり、なくなったからと言ってその価値が失われることはなく、その人の中に今も残り続けています。本当にとてもすばらしく、楽しいツアーでした。

池島の炭鉱ツアーで自分だけが体験できたこと
 国際観光学部3年 松本真宏

 今回の長崎県池島のフィールドワークでは、炭鉱に興味がある人にとってはとても羨ましがるような炭鉱ツアーに参加しました。誰でも参加できるツアーで、おそらくこのツアー以外に池島には何もないので、今回のフィールドワークの中で一番楽しみにしていました。私はオプション付きツアーにも参加したかったのですが、今回はオプションがつかない方になったので、このツアーについて詳しく紹介します。
 この炭鉱ツアーの目的は、恐らく島民の減少に対する対策や炭鉱について興味を持つ人を少しでも増やすために行っていると感じました。私たちもこの炭鉱ツアーが少しでも集客に利用できるのではないかと思い、参加しました。坑内は外部よりも気温が低く、地面が不安定な状態であることを知っていたので、私は少し厚めのシャツで、靴も歩きやすいものにしました。体験する時間にもよりますが、昼食などは自分たちで用意した方がよいと感じました。
 ツアー当日に集合場所に着くと、森重ゼミ以外に6人ほどの参加者がいました。そして、少し炭鉱についての映像と炭鉱に入った時の注意事項などの確認がありました。その後、炭鉱でつけないといけないヘルメットをそれぞれ着けました。体験に来ている参加者は想像していたよりも平均年齢が低く感じました。
 ツアーではまず、炭鉱に入るためにトロッコに乗りました。そのトロッコが最後の1台ということを前日の林自治会長への聞き取り調査でうかがっていたのですが、雨が降っていてもシーツなどで覆っていない様子を見て、結構頑丈なのかなと感じました。炭鉱に入ると、事前に聞いていたようにかなり気温が低かったです。そして、足場も雨が降った後の森のように不安定でした。最初にガイドから解説していただいたことは、真っ暗な場所でどのように真っ直ぐに掘り進めるかというもので、「振り子のように天井から紐を垂らし、少し離れた場所から指示をする」という古典的なものでした。10cm程度のズレは気にしなかったようで、真っ直ぐ見ると少しずつずれていました。他に、高速で穴を開けるドリルの操作や、緊急事態が起きた時に地上から空気を供給しながら安全を守るような巾着などの体験がありました。
 そして、タイトルにあるように、私は当時の鉱員の格好を体験させていただきました。まず、体験ツアーで被っているヘルメットは体験用につくられたものであり、実際は1kgくらいある電池とコードでつながっている、ライトがついたヘルメットでした。そして、美容師のような工具が大量に入ったウエストポーチを身につけ、安全靴を履いた状態で、そこからさらに両肩に、それぞれ3kgくらいある火薬や水などの入ったカバンをかけました。かなり動きを制限される状態で移動していたことがわかりました。他にはダイナマイトの紐の巻き方と着火のさせ方なども体験させていただき、とてもわかりやすかったです。
 わかりやすかったと書きましたが、後半のツアーに参加したグループに聞くと、鉱員の作業着の着用はなかったと言っていました。また、ダイナマイトも説明だけで体験はしなかったと聞き、ツアーのガイドによって体験できる場合とそうでない場合があったようです。もしかすると、私たちが参加したことで、後半のツアーは普段引率しないガイドだったのかもしれません。しかし、後半のツアー参加者の話を聞いても同じことを言っていたので、どちらの場合にしても炭鉱についての理解は深まるように感じました。
 今回の池島のフィールドワークでは、初日の林会長の聞き取り調査で炭鉱ツアーがより価値のあるものと感じました。まず、炭鉱ツアーは池島の島民が希望しているものではなく、長崎市役所が主体で行っていること、ツアー自体も元炭鉱会社が受託しており、会社自体もあまり乗り気ではないと聞きました。しかし、炭鉱ツアーについては、さまざまな体験をさせていただいたり、細かく説明していただいたり、乗り気ではないにしてはかなり良いサービスだと思いました。今回のフィールドワークで島の方々や行政の考え方の違いなどを感じたので、そういったものも解決できるように池島について考えていきたいと思いました。

池島出身のガイドによる島内ツアーの意義
 国際観光学部3年 廣内晴翔

 私は9月20日から22日の3日間、長崎県の池島に訪れ、現在の観光利用の状況と観光資源の発掘、PRの方法について調査しました。現在、池島では島民の高齢化や施設の劣化などによって人口が減少しています。しかし、池島は歴史的にも貴重な炭鉱施設の跡が多く残る島です。この炭鉱施設跡や島で発見した魅力を活用し、観光地としてPRすることを目的としています。
 9月21日に池島炭鉱坑内体験ツアーに参加しました。このツアーは池島炭鉱で働いていた炭鉱マンガイドの案内で実際に使用されていた炭鉱に入り、解説を交えながら炭鉱を体験できるものです。この坑内体験ツアーで感じたことは、炭鉱で使われていたものを触って体験させてくれることが多かったことです。この体験は、炭鉱内でどのような環境でどのような働き方をしていたのかということを、解説だけでなく、実際に体験することでとても身近に感じることができました。
 この坑内炭鉱ツアーの後、オプションとして島内観光ツアーに参加できました。この島内観光ツアーは池島出身の方によるガイドで、島内各所の解説を聞くことができ、普段は入ることのできない第二炭鉱にも入ることができます。坑内炭鉱ツアー終了後、私たちは島内を走るコミュニティバスに乗って島の中心部に移動しました。この場所には炭鉱に携わった方が住んでいた団地が当時のまま残っています。池島出身であり、炭鉱の仕事をしていたガイドの方から、この場所の当時の風景や今は閉まっている店の話など、池島での生活のさまざまなことをうかがうことができました。
 このツアーでは、一般では入ることのできない団地に入ることができました。団地の一室には当時の生活が再現され、当時は珍しい水洗トイレ、テレビやピアノなど、最新の設備が揃う住居でした。この団地にはツアー用に屋上へ向かう階段が設置され、団地の屋上に上がることができました。屋上からは神浦港に向かう道にある3つの橋の話、ガイドの方が働いていた場所の話を聞くことができました。屋上から見えた3つの橋はそれぞれ青、白、赤の配色であり、これは外海地方の教会でさまざまな事業を行ったド・ロ神父の遺徳をしのび、フランス国旗の配色となっているそうです。
 団地の見学後は池島に残る飲食店跡や映画館の当時の状況などの話を聞きながら、第二炭鉱に向かいました。ここには大きな立抗の跡があり、この立抗での体験をガイドの方から聞くことができました。この立抗の前には炭鉱で働く人の安全を祈った女神の像があり、この像の向く方向に坑道が続いていたそうです。
 この島内観光ツアーで気づいたことは、ガイドの方は島の歴史の解説より、この島で体験した経験をたくさん話してくださったことです。歴史の解説は池島出身の方以外でもできます。しかし、島での生活や炭鉱での話は、実際に池島に住んでいた人にしかできません。このツアーでは、ガイドの方が島での生活や自身の体験を交えて説明していただきました。ガイドの方から貴重なお話をうかがうことができ、ツアーを通じて池島を深く知ることができました。

観光客が観光地の歴史を知るために重要なこと
 国際観光学部3年 藤井励

 今回、私は長崎県の池島の炭鉱体験ツアーについて調査しました。ここでは、その場所について目的や、私がとった行動、感想などを6つの項目に分けて説明していきます。
 まず、調査の目的ですが、池島は炭鉱として稼働していたことから、池島の歴史や当時の様子、炭鉱の採掘のしくみを知る、その魅力を観光地にする意義があるのかを探るため、炭鉱体験ツアーに参加しました。ツアーに参加するまでに事前に準備したことは、炭鉱ツアーが何時から始まるのか、いつ行われているかを事前にインターネットで調べ、予約をすることでした。
 当日の炭鉱体験ツアーは、小さなトロッコに乗って実際の坑内まで進み、そこからガイドの方と一緒に歩きながら、石炭を採掘していたしくみや歴史を教えていただきました。また、作業していた方々の体験を炭鉱の機械や作業着を用いて説明していただきました。
 調査を通して私が気づいたことは、2つあります。1つ目は、炭鉱で働いていた方々が安全に仕事できるようなしくみづくりです。坑内で火事になった際の避難方法が1つだけでなく、さまざまな方法で労働者が避難できる方法がありました。また、疲労による事故を防ぐために、マンベルトという労働者を機械で運ぶしくみもありました。もう1つは、参加者に理解してもらうための工夫をしていたことです。実際に参加者が機械に触れたり、肌で感じたりする機会があったため、参加者が興味を抱きやすいようなツアーになっていました。
 池島の炭鉱体験ツアーは、参加者によりその島の魅力を伝えたいという思いがあるように感じました。理由として、ガイドが参加者にわかりやすいように、話の中に冗談を交えながら炭鉱の話について説明していたからです。また、炭鉱で実際に使われていた機械の実物を用いて説明し、参加者にも触れてもらう工夫も見受けられました。
 私が今回の調査で学んだことは、参加者にわかりやすく歴史について興味を持ってもらうには、参加者自身が行動したり、考えたりすることが重要であると感じました。なぜなら、私が今回の調査に行く前に現地の歴史について調べていた際、あまり理解できず、当時の様子をイメージすることが難しかったからです。しかし、現地でガイドの説明を聞いたり、住民の話などをうかがったりすると、当時の様子を理解することができました。これらを踏まえ、観光地の歴史を観光客に伝える際、実際に現地を訪れ、ガイドの話を聞くこと、現地の様子を思い出させるような物を残すことが大切であると感じました。