2020.12.21

大阪の歴史を学ぶフィールドワークを実施しました(前編)

大阪の近世・現代を感じる観光資源をめぐりました

 国際観光学部1年生が受講する大学入門ゼミでは、フィールドワークの基本的な手法を学びます。森重ゼミではここ数年、大阪の近世、近代、現代を感じる観光資源を学生自身で探し、調べる現地調査を通して、フィールドワークの手法を学んでいます。例年はグループに分かれて一斉に調査しますが、今年はコロナ禍でのフィールドワークでグループごとに教員の同行が必要になったため、グループによって日時を分けて実施せざるを得なくなりました。
 今回の前編では、12月12日(土)に万博記念公園、マヅラ喫茶店、ピース大阪を訪れた現代チーム、12月13日(日)に大阪くらしの今昔館、お初天神、造幣博物館をめぐった近世チームに参加した学生が、当日の様子やフィールドワークを通して学んだことについて報告します。(森重昌之)

フィールドワーク当日の様子

  • (現代チーム)EXPO'70パビリオンでの調査の様子

  • (現代チーム)喫茶店マヅラのサンドウィッチ

  • (現代チーム)ピース大阪での調査の様子

  • (近世チーム)大阪くらしの今昔館で解説を聞く様子

  • (近世チーム)お初天神での調査の様子

  • (近世チーム)造幣博物館での調査の様子

参加した学生の報告

大阪の戦後復興について
 国際観光学部1年 是井望見

 12月12日に万博記念公園とマヅラ喫茶店、ピース大阪にフィールドワークで訪れました。このフィールドワークでは、大阪の戦後以降の「現代」にクローズアップし、空襲で焼け野原にされた大阪のまちがどのようにして復興していったのかを調べ、自分の考えを深めることが目的でした。
 戦時下の大阪の住宅は、木造で平屋または二階建て長屋が一般的だったため、燃えやすく、空襲に弱いまちでした。その弱みに付け込み、アメリカ軍は8度に及ぶ、焼夷弾による空襲を行いました。これらの空襲で10,000人以上の一般市民が死亡したと言われています。1945(昭和20)年7月26日には、大阪市東住吉区田辺に模擬原爆が投下されました。この爆弾で死者7人、重軽傷者73人、被災者1,645人と大きな被害が出ました。私は、空襲についてフィールドワークの事前学習で調べ、知っていたが、模擬原爆が全国に49発落とされたうちのひとつが、大阪の地に落とされていたと知りませんでした。最後の空襲は8月14日に行われ、「あと1日生き延びれば戦争から解放されたのに」との言葉の重さに、戦争の恐ろしさを改めて感じました。
 一方、万博公園ですが、「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、吹田市で行われた日本万国博覧会は、入場者数6,421万8,770人(うち外国人約170万人)、経済効果は約3,500億円と、データからもわかるように大盛況でした。当時の日本人は海外旅行をすることはもちろん、外国人と接する機会が初めてという人がほとんどでしたため、各国のホステスにサインを求める人もいたそうです。外国人に言語なしでも伝わるようにできたピクトグラムも、ブルガリア館に本場のヨーグルトがあると聞きつけた明治乳業が1年後に完成させた日本初のプレーンヨーグルトも、この万博がきっかけだったそうです。このように、当時の日本は高度経済成長期で、万博で見るものすべてが珍しいもの、また初めて見るものばかりで心を弾ませていたと思われます。また、ここから今まで深くかかわりがなかった国との交流のきっかけ、新しい文化を取り込むなどの良い機会にもなったと考えます。そして、高度経済成長期のこの一大イベントが大阪にとどまらず、日本の復興と技術進歩を進めたともいえます。
 私は小学生の頃に一度、ピースを訪れたことがあり、今回が2度目でした。前回は戦争の恐ろしさや怖いという感想だったと記憶しています。この年齢になって今一度戦争について知る、学ぶと、前回と感じるものが違い、知らないことが多くありました。もちろん恐ろしさはひしひしと伝わってきましたが、それだけでなく私たち若い世代がこの戦争から真剣に学び、深く考え直す、そして戦争を経験していない私たちがどのように次世代へ伝えていくのかが重要だと感じました。誰もが世界平和を願う中、今の日本は唯一の被爆国で、世界中に戦争の恐ろしさを伝えなければならない立場のはずが、核兵器禁止条約に不参加のままです。国民一人一人、またこれからの日本をつくる私たち若者が主体となり、戦争や平和、この条約について考えなければならないとフィールドワークを通して強く感じました。
 2025年には大阪でもう一度万博が行われます。前回の万博開催時に比べてグローバル化が進み、また技術進歩のおかげで世界中の人たちといつでもつながれるようになったため、さほど心弾むようなことや前回以上の経済効果が期待できるか、そして何より開催できるかが不安視されますが、日本の未来を世界の未来を考える良いきっかけになればと思います。

知られざる大阪
 国際観光学部1年 宮﨑新一郎

 このレポートでは、大阪の現代の歴史について、フィールドワークを通してその場所の歴史やどのような文化があったのか調査したことを報告します。
 最初に訪れたEXPO’70パビリオンでは、日本万国博覧会の歴史に着目して調査しました。当時開催された万博のテーマは「人類の進歩と調和」であり、なぜこのようなテーマになったのか知ることができました。それは、文明の進歩とともに、矛盾やひずみにも目を向け、より高次の知恵を発揮してこそ、真の人類的幸福を追求できるという信念に基づいたものでした。また、万博の後に日本で広まった食文化についても目を向けました。今ではほとんどの家庭で食べられているヨーグルトの歴史や缶コーヒーの歴史にも触れました。ヨーグルトの歴史は、万博のブルガリア館に本場のヨーグルトがあることをスタッフが聞きつけ、会場で試食したことが開発の新しい契機となっていました。1年後、本場の味を再現した商品が完成し、日本初のプレーンヨーグルトとして家庭に広まったそうです。また、缶コーヒーの歴史は1969年、上島珈琲がコーヒー牛乳にヒントを得て、日本初のミルク入り缶コーヒー「UCCコーヒーミルク入り」を発売し、万博会場で飲んだ人から注文が殺到し、爆発的に売れるようになったといわれています。
 次に訪れたマヅラ喫茶店は、1947年に創業して、現在も営業している歴史あふれる喫茶店です。大阪万博が開催された1970年に移転オープンし、宇宙をイメージした店内は「生きた建築ミュージアム・大阪セレクション」に選定された人気の喫茶店でもあります。フィールドワークでは、マヅラ喫茶店の昔ならではの雰囲気や店内設計を楽しめ、食事を提供する皿も含め、どこか懐かしい気分を味わうことができました。
 最後に訪問したピース大阪では、大阪大空襲の恐ろしさを実感するとともに、戦後の教育や食糧難について学ぶことができました。大阪大空襲は約1万5000人の犠牲者を出した痛ましい出来事です。館内には実際に使用された爆弾や、生き延びた人が当時の光景を描いた絵画や言葉が記載されており、1枚1枚の写真や絵画がその悲惨さを物語っていました。戦後すぐの学校教育は非常に厳しいものでした。また、焼けた校舎での教育は困難な状況でした。ガレキを片付けて青空の下で机を並べた青空教室や、かろうじて戦災を免れた校舎や体育館を間仕切りした教室で授業が再開されました。また、食糧難は配給の遅れや取りやめが生じたことが原因であり、人びとは住む家も食料も十分ではない状況下で、助け合って暮らしていたということが記されていました。
 このフィールドワークを通して、主に大阪の戦後以降の歴史について知ることができました。私は、万博から広まった日本の文化や長年の伝統を守り続けてきたマヅラ喫茶店の魅力、そして大阪大空襲後の子どもの教育や暮らしのあり方について学びました。今後も伝統、歴史、文化のある施設をたくさんの人に知ってもらうために、SNSを活用して広げていければよいと思いました。

近世大坂の人びとの暮らし
 国際観光学部1年 伊藤奈生

 12月13日に、近世の大坂について調べるためにフィールドワークを行いました。行き先は、当時の人びとの暮らしの様子を調べるために「大阪くらしの今昔館」、実際にあった事件を調べるために「お初天神(露天神社)」、通貨の歴史を調べるために「造幣博物館」を訪れました。
 大阪くらしの今昔館は、当時の大坂の町並みを忠実に再現している博物館です。薬や髪飾り、刀の部品などの多様な専門店があり、商人の町という印象を受けました。当時は火事が多かったため、持ち家を持つ人は少なかったようで、ほとんどが借家でした。家先に「水入用」という札がかかっており、飲水が容易に手に入る時代でなかったため、水売りから水を買っていたということに驚きました。また、まちの門は夜間閉ざされ、出入りできないようになっていました。店や家も木造で、施錠も現代より簡易的であったため、犯罪防止のためにまちの門を閉め、まち丸ごと施錠していたのではと考えました。ショートムービーやからくり式の展示があり、イヤホンガイドサービスを使わずとも、音声での解説を聴くことができ、大坂のまちなみの移り変わりを視覚ではっきりと感じることができました。
 お初天神(露天神社)は人形浄瑠璃の演目、「曽根崎心中」にゆかりのある神社です。曽根崎心中という話は、江戸時代に実際に起こった心中事件を題材につくられたものです。お初天神という通称は、その物語の主人公2人のうちの女性側の名前が「お初」であることに由来します。2013年にNPO法人地域活性化支援センターが定めている「恋人の聖地」に選定されました。ハート型の絵馬掛けがあり、そこにはたくさんの恋に関する願いが書かれていました。最終的には心中してしまうけれど、強く愛し合っていた2人は確かに恋人たちや恋する人に勇気を与える存在になっているのだと感じました。
 造幣博物館は、日本最古の貨幣である富本銭から現在製造、流通している貨幣まで、日本の貨幣にまつわる歴史を網羅した博物館です。本物の金を含む金貨が通貨として使用されていたことがわかりました。現在は貨幣の製造工程にさまざまな偽装防止技術を用いた加工が施されていますが、昔はその技術も低く、貨幣の材料そのものに高価なものを使用することで貨幣の価値を保っていたのではないかと考えました。
 このフィールドワークでは、主に近世の大坂の人びとの暮らしについて調べました。当時の人びとは今の私たちの暮らしとはかけ離れた生活で、モノが少ない分、手間の多い空間で過ごしていたのだと感じました。このフィールドワークを経て、当たり前に過ごしている日常にありふれた便利さを実感しました。そして、500年ほど前から現在までの大阪の暮らしの変化を知ったことで、近世の大坂を必死に生きてきた人びとの努力が現在の大阪につながっていることに感謝しなくてはいけないと感じました。また、このような思いにさせられること、つまり歴史を知ることの大切さも体感できました。

大阪の原点
 国際観光学部1年 塩田琴美

 12月13日大学入門ゼミの活動で、江戸時代に大坂に住む人びとがどのような暮らしをしていたのかを知るべく、フィールドワークに行きました。今回は、近世、近代、現代のいずれかの時代の大阪について調査するというテーマが出題されました。その中から選ぶ時に、近代や現代の暮らしは何となく想像がつきますが、江戸時代の人びとは何をしていたのかほとんどわからなかったので、興味・関心があったこと、そして文楽が有名になった大阪のルーツを知りたいということから、江戸時代(近世)の大坂を調べることにしました。
 今回のフィールドワークでは、3ヶ所を訪れました。1ヶ所目は「大阪くらしの今昔館」です。ここでは、江戸時代の大坂に住む人びとがどのような生活を送っていたのか、映像資料や紙資料などで学ぶことができます。また、実際にその時代の街並みが実寸大で再現されていて、街の中を歩いて観察することができます。現在、新型コロナウィルスの影響で来館者が少なく、賑わいこそなかったものの、館内にいるスタッフの方に瓦の大きさの違いや屋根から吊り下げられている小さな木札の意味、火災時には火の見櫓という櫓にある鐘を使って、火災が起きている場所との距離感を周囲に住む人びとに伝えていたということを丁寧に教えていただくことができました。
 2ヶ所目は、「曾根崎心中」という人形浄瑠璃の舞台になった「露天神社」に行きました。近松門左衛門が書いたこの話は、実際にあった「お初」と「徳兵衛」という男女の心中の話で、この2人が愛を誓い合った地が露天神社であり、通称「お初天神」として知られています。現在は、この2人が永遠の愛を誓い合ったことから、恋人の聖地としても知られています。江戸時代に起こった悲劇でしたが、数百年もの時を経た現在、恋人達のパワースポットになっていることを知り、いつか彼女たちの分まで幸せにならねばと思いました。
 3ヶ所目は造幣博物館です。ここでは、各時代の貴重な貨幣が数多く展示されています。造幣博物館だけにしか展示されていない貴重な貨幣もあり、無料で見学できることに驚きでした。造幣博物館では、江戸時代にどのように貨幣(小判)がつくられているのかを学ぶことができました。その中でも衝撃だったことは、江戸時代に小判をつくっていた人びとが退勤する際には男女ともに裸になって、ちょんまげの中も金べらで確認され、足と足の間に小判を挟まれないように、帰る時には竹をまたいで帰らせるという徹底ぶりだったことです。男女ともに裸で同じ部屋で待たされるなど、今の時代では有り得ないし、江戸時代の厳しさを知ることができました。それが今の日本の国民性にもつながってきていると感じます。
 今回3ヶ所の江戸の大坂に関する場所を周ったことで、今の大阪の始まりを見ることができた気がしました。大阪は背割りと言って、下水の通る道で区切りがあり、それが今でも残っているそうです。また、文楽面では曽根崎心中の公演が今でも行われているそうです。こうして江戸に始まったものが数多く今の時代にも残され、活用されていることがとても多く、新たな発見につながりました。今の時代も残されている文化や伝統は、これからも守っていくべきものだと思いました。