大阪市内の身近な場所を観光のまなざしで捉える実習を行いました

 大阪市内にある淀屋橋、心斎橋、道頓堀はいずれも有名なところですが、これらの共通点が何かご存じでしょうか。これらにはいずれも人名がつけられています。
 森重ゼミでは、地域資源の価値や魅力を探り、観光による地域社会の再生を考えることを研究テーマとしています。3年次の専門演習では本格的なフィールドワークを行いますが、2年次の基礎演習ではその練習として、大阪市内で簡単な現地実習を行っています。12月21日(土)、大阪市内の身近な場所を観光のまなざしで捉える実習を行いました。現地実習を行うにあたり、事前に淀屋や岡田心斎、安井道頓などの経歴やゆかりを調べました。こうした歴史的な経緯などを調べることで、同じ資源を見ても多面的に捉えることができるほか、離れた場所でも関連づけて資源化できるようになります。
 今回は道頓堀に関連して安井道頓について、現地実習を行った福田くんが現地実習の様子やそこで得たことを以下で報告します。(森重昌之)

当日の現地実習の様子

  • 大阪城での実習の様子

  • 安井道頓・道ト紀功碑

道頓堀ではないのに安井道頓を現代に伝える地

国際観光学部2年 福田龍之介

 私は12月21日に基礎演習のフィールドワークの一環として、杭全神社と大阪城で調査を行いました。この2つの場所に共通しているのは、ともに現在の道頓堀を開拓した安井(成安)道頓に所縁のある地として知られていることであり、現在も道頓とのつながりが残っているのか、そして今はどのように使われているのかを調査しました。
 まず、杭全神社は大阪市平野区にある、主に学業や金運アップなどのご利益のある神様が祀られています。神社最大の特徴として、日本に唯一現存する連歌のための建物であるという点です。境内に「杭全神社連歌所」と文字の彫られた石柱があり、その周辺には過去に連歌所に関連した人びとの名前がずらりと並んでいました。
 この連歌所と安井道頓に関連があり、道頓の親戚にあたる成安栄信を追善供養する連歌が天正13年にうたわれていました。それだけでなく、境内の花台も栄信によって寄進されたものであり、また栄信は大阪初の学問所である「含翠堂」の設立メンバーであったことからも、連歌との関連性が感じられます。実際に連歌所の石柱も残っていたほか、花台も現存していました。栄信を通じてですが、成安家の面影が今も杭全神社に残っていることがわかりました。
 次に、大阪城へ行きました。大阪城は豊臣秀吉が天下統一を果たした時期に建立された、日本全国の城の中でも非常に大きなものであり、観光地としても有名です。その大阪城と安井道頓との一番の関連は、道頓が秀吉の直属の部下であったということです。道頓が道頓堀を開拓したのも、秀吉の指示によってなされたものでした。大阪城には敵からの侵入を防ぐ堀があり、そこに水を引いてくるために道頓堀の開拓を指示したのだといわれています。このことから、道頓堀と大阪城はつながっていたと考えられますが、現地調査を行ったところ、そのような水路は確認できませんでした。現在はつながってはいないと考えられます。
 もう1つ、大阪城と道頓には関連があります。それは、道頓の墓に使われている墓石に表れています。道頓を奉る墓(記念碑)は現在の道頓堀から少し外れた日本橋北口にありますが、その墓石はもともと大阪城の石垣に使われる予定であったものが使われているそうです。何らかの理由により石垣には使用できないと判断された石、通称残念石を秀吉は臣下であった道頓のために使ったといわれています。
 今回のフィールドワークを通じて、杭全神社にはまだ安井家の面影が残っており、大阪城には現在は道頓堀とはつながっていないという新たな発見もありました。普段行き慣れている場所でも歴史を知ることで、その場所についてさらに深く見聞を広めることができました。