2010.2.18

松ゼミWalker vol.15 新世界・あいりん地区のまち歩きレポート

なぜまちを歩くのか?(松村嘉久)

現場から学ぶ

 観光案内所の運営に参加してくれた学生ボランティアに対しては,必ず松村の案内で新世界からあいりん地区にかけてのまち歩きを行い,地域の現状と課題と希望を紹介した。何事もまずは現状をよく理解して,それらを踏まえた上で,自分たちの活動や立ち位置を再確認し,様々な課題の解決に向けた糸口を探らなければならない。現状を理解せずに,偏見や理念だけを掲げて動くことほど愚かなことはない。
 地域を理解するためには,まず何よりも歩いて見て知って考えることが大切である。あいりん地区は特に強い偏見と誤解にさらされてきたところである。人間は不思議なもので,経験の浅い者が良き案内人もなく,自分の住んでいる世界と全く異質な世界に踏み込むと,理解しようとする以前に,本能的に危険信号が発せられ拒絶するようである。大事なことは,好きとか嫌いとは別の次元の問題として,目の前に展開する現状をその背景や事情も含めて,何よりも理解することである。観光という行為の究極は,異文化理解であり異地域理解である。理解できれば単純な好き嫌いではおさまらなくなる。「この部分は好きだけれども,あの部分は大嫌い」となるし,理解がさらに深まれば,好きな所が嫌いになることもある。

私と歩けば大丈夫?!

 私と一緒に説明を聞きながら歩けば,新世界やあいりん地区の異地域理解へすんなりと入門できる。一緒に歩いた学生ボランティアたちが,それを一番実感してくれている,と信じています。新世界からあいりん地区にかけてのまち歩きでは,HP上でなかなか紹介できない話もたくさん出てきます。
 この地域の現状を真摯に学びたいという個人や団体は,「釜ヶ崎のまち再生フォーラム」(http://www.kamagasaki-forum.com/ja/index.html)が実施する「釜ヶ崎のまちスタディツアー」にお問い合わせください。
 まち歩きの時,カメラを嫌う場所や人が多いこともあり,私は基本的にカメラを持ち歩きません。現実をもっと知りたい方は,スタディツアーに参加して自分の目で見てください。
 今回の観光案内所の運営期間に,幸運にも,釜ヶ崎のまち再生フォーラムのスタディツアーに参加したゼミ生がいます。まずはそのゼミ生のレポートをご覧ください。

「釜ヶ崎のまちスタディツアー」に参加して(国際観光学科2回生 松原歩美)

市民社会と釜ヶ崎の架け橋に

 2月14日(土),大阪市西成区役所の方々20名と一緒に,「釜ヶ崎のまちスタディツアー」に参加させていただきました。「釜ヶ崎のまち再生フォーラム」という組織が主催するこのツアーは,釜ヶ崎地域のまちづくり学ぼうという一般市民を受け入れ,市民社会と釜ヶ崎との架け橋となり,相互理解を深めることを目的としています。
 釜ヶ崎で仕事や活動している再生フォーラムのメンバーがボランティアで地域ガイドを務め,このまちに住む人々の暮らしぶり,このまちが抱える様々な問題,その解決に向けた取り組みなど,実際にまち歩きしながら説明してくれます。元ホームレスで現在は生活保護を受けている方が,地域ガイドとして参加されることもあるそうで,今回もひとりの元気なおじいさんが参加されていました。松村先生も再生フォーラムのメンバーで,今回のスタディツアーでは久しぶりにガイドを務めるということから,私も特別に参加させていただきました。

事前レクチャーでの学び

 朝10時に大阪市立大学西成プラザというところに集合して,まずは,ツアーの事前レクチャーを受けます。西成プラザはとてもわかりにくいところにあります。JR新今宮駅東口近くに太子交差点があり,その西南角の南側に百円ショップ『フレッツ』があります。西成プラザはまずフレッツに入って,すぐ右手にある従業員用のドアから3階にのぼったところです。この西成プラザという施設は,ホテル中央グループが地域活性化の拠点になればとの思いから,提供しているとのことです。
 レクチャー会場の入り口には,スタディツアーの資料が並べてあり,事前レクチャーを担当するありむら潜さんが待っておられました。ありむら潜さんは「カマやん」というキャラクターを生み出した漫画家で,あいりん労働福祉センターの職員で,釜ヶ崎のまち再生フォーラムの事務局長でもあります。この事前レクチャーで,釜ヶ崎の労働者の暮らしや野宿の問題や色々な組織のネットワークなどを学びます。

4班に分かれて出発

 隣に座っていた松村先生は,「事前にあらかたの話を聞いとかな,理解しにくい街や。路上で説明しにくいことも多いし…」とおっしゃっていました。ありむらさんの話のなかで,08年末以降は日雇仕事が激減していること,アルミ缶の買い取り価格が暴落したこと,などが印象に残りました。労働者もホームレスも,生活費を稼ぐのが大変だと思いました。
 事前レクチャーの後は,4班に分かれフィールドワークに出発しました。私は松村先生がガイドする南回りコースのD班に入りました。私以外は全て西成区役所の職員で,ケースワーカーや戸籍担当の方々でした。ケースワーカーとは,生活保護を受けている人たちや様々な問題を抱えている人たちと最前線で関わる仕事だそうです。「何や,釜ヶ崎とも関わりの深い人らばっかりですね」と松村先生。職員の方々は,「担当地区や部署が違えばほとんど知らないのが現状ですから,釜ヶ崎のことはほとんど何も知りません。」とおっしゃっていました。
 最初の立ち寄り先は,私たち松村ゼミが運営している観光案内所です。この近辺には簡易宿所が多く,外国人個人旅行者も多く滞在しています。簡易宿所と外国人個人旅行者を活かしたまちづくりについて,松村先生が説明されました。
 次に太子の交差点から堺筋を南へ歩き,飛田墓所の石碑を見て,大阪市立更生相談所・あいりん銀行・簡宿転用の福祉マンション・紙芝居劇集団むすび・旧飛田遊郭・今池平和寮などについての説明がありました。3時間コースだと,山王地区や飛田とかも見て回るそうですが,今回は2時間コースなので行きませんでした。

いよいよ釜ヶ崎の核心部へ

 そして,いよいよ萩之茶屋地区へ。堺筋沿いにあるスーパー玉出を西へ入り,阪堺電車の高架をくぐると,釜ヶ崎の銀座通りへ出ます。北へ行けばすぐ西成警察署,南へ行けば三角公園です。三角公園で日中を過ごすホームレスは多く,まち歩き当日が土曜日だったこともあり,三角公園内で炊き出しが行われていました。生まれて初めて見る光景に驚きました。公園内には街頭テレビや舞台があり,焚き火がたかれていました。三角公園では毎年夏祭りが開かれ,松村先生の友達でラッパーのSHINGO☆西成さんがパフォーマンスをするとのことでした。
 「かつて公園にブルーテントがたくさん張られた時,「不法占拠や」と非難する市民もたくさんいました。しかし,大阪市に限らず,大きな公園はたいてい緊急避難場所に指定されてます。阪神大震災の時,たくさんの被災者が公園や学校の校庭で避難生活を送ったが,それを非難する人はいなかったでしょう。ここに今いてる人たちも,他に行くところがないからここにいるわけやから,緊急避難民です。これから4月にかけて,派遣切りや雇い止めの影響で,一般市民がよく利用する公園にも,緊急避難する人が増えるんちゃうかなあ。」と松村先生。いわれてみれば,確かに…。
 三角公園の南側にはホームレスのためのシェルターがあります。シェルターの整理券は毎日夕方にあいりん労働福祉センターで配られ,その運営は夜間のみで昼間は門を閉じていました。三角公園の横を通る道は,実は紀州街道だったと知り驚きました。

特別清掃事業とNPO釜ヶ崎支援機構

 三角公園から西へ向かうと,NPO釜ヶ崎支援機構の事務所があります。ここは大阪市からの委託で特別清掃事業などを運営しているそうです。特別清掃事業では55歳を超える2千人以上の登録者から,毎日約200名が順番で大阪市内の清掃の仕事が当たります。単純計算で10日に1回のペース,日給5千円くらいなので,これだけで生活はとてもできません。
 松村先生によるとこういう仕事が「公的就労」と呼ばれるそうで,不況時には失業対策事業としても重要な意味を持つそうです。早朝のJR天王寺駅周辺で,蛍光塗料を塗った揃いの作業上着を着て,ゴミを拾って歩く集団をよく見かけます。その人たちが特別清掃事業で仕事が当たった人たちだったんだと,今日初めてわかりました。

センターのなかへ

 その後,四角公園・わかくさ幼稚園・西成市民館を経て,かつての暴動の影響から監視カメラが多いまちだという話を聞きながら,萩之茶屋小学校へ向かいました。松村先生は,「萩之茶屋小学校周辺では,校庭のすぐ横の道沿いにあったホームレスのテントが強制撤去されたことが契機となり,地域住民も巻き込んだまちづくり運動へと発展していった。」と説明されていました。「OIG委員会の西口宗宏会長は,この近くでサポーティブハウスも経営してはって,このあたりの町内会長もやってはんねんで。それに再生フォーラムのメンバーや。」と私だけに教えてくれました。ありむらさんや松村先生もそうですが,このまちで活躍している人は,色々な方面で活躍されていてます。
 そしてありむらさんの職場でもあるあいりん労働福祉センターに到着し,1階から3階へとあがりました。ここでは,建設関係の日雇労働を中心に,相対紹介・窓口紹介を行っている。3階はがらんとしていて,飯屋さんがいくつかあり,あちらこちらに段ボールを敷いて労働者たちが寝転がり身体を休めている。このほかに,労働者のスキルアップのための技能講習会の受け付け,日雇い労働の失業保険の受給窓口,付属の医療施設もある。
 1階におりると,労働条件の書かれたボードをフロントガラスに張り付けたワゴン車が2台,並んでいた。案内所近くの簡宿の前にも同じようなワゴン車が停車していたが,これが建設労働の相対紹介で,労働者たちが集まると,そのワゴン車にのって建設現場に向かうらしい。この日はセンター1階でも炊き出しが行われていた。

シェルターのなかへ

 次に,特別清掃事業の詰め所に向かいました。その奥はシェルターが設置されています。今回は特別にシェルターのなかも見学させていただきました。プレハブ小屋のなかに,たたみ1畳ほどの大きさの二段ベッドがずらりと並び,ベッドには番号が書かれています。夕方にセンターで配られる券に,ベッドの番号が書かれていて,18時から翌朝5時まで利用できるとのことでした。こうしたシェルターがあるということや,ここのベッドを求めている人がたくさんいることを初めて知りました。
 「シェルターがあるから路上で夜を過ごす人や駅・公園のブルーシートが減ったことは事実。しかし,シェルターはあくまでも緊急避難する場所で究極のセイフティネットのひとつ。今後は派遣切りや契約なんかの雇い止めで,シェルターのような施設の需要が高まるやろうなあ。シェルター生活から脱却する色んな道筋が用意されないと意味がない。シェルターを用意してそれで終わりやったらあかん。」と松村先生は説明された。

サポーティブハウスの内部を見学

 最後の訪問先は,センターすぐ横のサポーティブハウス「コスモ」で,オーナーの山田尚実さんが対応してくださいました。サポーティブハウスとは,簡易宿所転用型のアパートのことです。入居者のなかには元々野宿生活をされていた方も多く,現在は生活保護の受給を受けて入居されています。サポーティブハウスはただのアパートではなく,入居者が安心して暮らせるよう,必要に応じて相談や支援を行います。
 施設内部を見学させていただきましたが,お風呂場や廊下にも手すりが付けられ段差のないように工夫されていました。入居者どうしの交流を深めるため,談話室があり,そこでモーニング喫茶や季節ごとの行事なども行われます。その他,希望者に対しては,金銭管理や服薬支援なども行っているとのことでした。折しもバレンタインデーだったので,山田尚実さんは入居者の方々に「もうチョコもらった」と声をかけ,まるで家族のようにコミュニケーションをとっておられた。一緒に参加したケースワーカーの方々も,これまでサポーティブハウスの内部を見学するチャンスに恵まれなかったようで,熱心に見回り質問されていました。
 今まではこの地域について,マイナスの悪いイメージしかありませんでした。しかし釜ヶ崎のまちスタディツアーに参加して,たくさんの人たちがこのまちを何とかしようと活動していることを知り,見方は大きく変わりました。私たちの観光案内所の運営が,このまちの再生に向けた活動として位置付けられていることにも驚きました。

ホテル新今宮の客室を見学

 スタディツアーは現地解散。松村先生と私は,レストラン・タカラで昼食を食べてから観光案内所に戻り,午後は案内業務を手伝いました。
 店じまいして皆で記録ノートを整理している時,ブラジル人のカップルが入って来て,「バス・トイレ付のツインで安い宿はありませんか」と尋ねました。松村先生が対応されたのですが,簡宿でバス・トイレ付のツインがあるのはホテル中央くらいで1泊6,500円,ブラジル人カップルは「もっと安いところはありませんか?」と困っていました。「ホテル新今宮やったらあるかも。電話番号調べて。」と松村先生。電話で確認すると,和室と洋室のツインでバス・トイレ付があるとのこと。他のスタッフはその後の予定があったので,私と松村先生とで道案内して同行することになりました。
 ホテル新今宮は午前中に見学したセンターのすぐ前にあり,フロントの方が丁寧に対応してくれました。「どうぞご自由にお部屋をご覧ください。」ということで,全てのタイプの部屋を見せていただきました。バス・トイレ付のツインは,和室が4,600円,洋室が5,700円と破格の安さ。2008年末にオープンしたばかりとのことで,部屋はとても綺麗。ブラジル人カップルは4,600円の和室ツインを選びました。松村先生は事情を説明して,フロント係の方にちゃっかりと聞き取り調査をされていました。「2階の和室シングルからセンターがよう見える。早朝のセンターの様子を観察するには最適のホテルやわ。近々泊まろう。」と松村先生は別の理由で気に入られたようでした。

ついでに飛田も…

 ホテル新今宮を出ると松村先生が,「今日はこの後,暇か?」と尋ねられました。バイトも入っていなかったので「暇です」と答えると,「ほんなら午前中行かれへんかった山王から飛田方面を回って,飯でも食べにいこか」とのこと。ゼミ仲間から飛田フィールドワークの話は聞いていて興味があったので,行くことにしました。動物園前一番街を通り,途中で東へ行き山王2丁目へ。このあたりには,戦前期に出来たまちの構造と長屋住宅が残っています。
 夕方5時過ぎ,いよいよ山王3丁目,かつての飛田遊郭へ。「こんな格好で若い女の子を連れて歩くと,私服刑事かやくざに間違われることがようあんねん。」と松村先生はおっしゃっていました。確かに怪しい二人組でした。街並みを見ながら飛田百番へ向かい,上町台地の上の再開発地区へ抜けました。松村先生には遊郭の研究をしている後輩がいるらしく,とても詳しく説明していただきました。
 その後も歩き続けて阿倍野の中華料理店へ。「バレンタインの夜に,二人で食事するのも何やから,誰か寂しい仲間を探そう。」ということで,松村先生と私で電話作戦。意外なことに丸市君がひっかかり合流。その後は,新世界の松村先生の「隠れ家」へタクシーで行き,楽しい時間を過ごしてから,帰宅しました。

松村先生からの一言

 私個人の案内と,再生フォーラムのまち歩きと,コースや説明はほとんど変わりません。ただ,私個人の案内の方では,どのくらいの時間があるかにもよりますが,飛田・山王ほか新世界にも行きます。新今宮界隈の良き案内人はたくさんいて,私もそのうちの一人です。
 ひとりでまち歩きすることも大事ですが,新世界からあいりん地区にかけては,ひとりで歩いて目に見えているものだけで判断すると,かなり誤解することが多いところです。どのレベルで理解するのかということも大きな課題となります。表面的な理解はかえって偏見を助長しかねないので,注意する必要があります。
 松村ゼミに入ったら,この地域のまち歩きは必ず経験します。4月からの3回生,第7代目ゼミ生たちは,もう全員が経験したことかと思います。私はアジアのスラムをよく歩きますが,大阪での経験から,理解するのと順応するのがとてもはやいらしい。
 一点突破。ひとつのことを極めると,色々なことに応用が効くものです。
 わかったか!?