松村レポート & 松ゼミWalker vol.6

松村レポート

 1月26日(月)から2月27日(金)まで開設する観光案内所を拠点として,松村ゼミが中心となり,観光案内所の運営と並行して三つの調査活動を行う予定です。
 
 第一の調査活動では,新今宮界隈の簡易宿泊所(簡宿)の経営者やフロント担当者に広く聞き取り調査を行い,この地域全体で年間どのくらいの外国人個人旅行者(foreign individual tourists:以下はFITと略す)を受け入れているのかを探ります。これまではホテル中央グループ5軒のFITの宿泊統計のみがメディアなどで紹介されてきました。
 ホテル中央グループ以外の簡宿にも,少なからぬFITが宿泊しているが,その実態は全く調査されたことがありません。新今宮界隈の簡宿街が大阪国際ゲストハウス地域として飛躍するためには,他の簡宿のご協力も得て,地域全体としてどのくらいのFITをもてなしているのかがとても重要となります。聞き取り調査は2月中旬から集中的に,地域の簡宿を個別訪問して行う予定です。中央グループのみで年間約5万泊,私は7万から10万泊くらいの数字が挙がってくるのではないかと予想しています。

 第二の調査活動は,簡宿に泊まるFITを対象としたアンケート調査を行い,どのような人々がどのような旅をしているのか,その実態を探ることです。2006年秋に松村ゼミで同様のアンケート調査を行いましたが,その際のノウハウや反省点を踏まえて実施します。アンケート調査はすでに始まっており,ご協力いただいている簡宿7軒のフロントでチェックイン時に配布し,チェックアウト時に回収する方法で,1月26日からの6日間で107枚もの有効回答が得られました。観光案内所の来訪者にもアンケート回答にご協力いただいています。目標枚数は300枚以上ですが,このペースなら充分達成できそうです。(右写真は別件の取材で観光案内所に立ち寄ったNEW23の三澤記者)

 第三の調査活動は,観光案内所の運営そのもので,ここを来訪するFITとのコミュニケーションのなかから,大阪観光の振興や大阪国際ゲストハウス地域の創出に向けたヒントを吸い上げることです。アンケート同様の6日間で51件85名もの利用者がありました。すでにいくつかこの界隈ならではの特徴がうかがえます。例えば,リピーター利用者が多い,「どこか観光するのにいいところを紹介して」といった要望が多い,などである。(右写真はOIG会長の西口宗弘さん)
 と同時に,観光案内所を運営するノウハウを蓄積して,FIT向けの観光案内所の在り方や継続的な運営に向けた可能性や課題も探ります。最初の1週間の運営経験から,人員の確保と配置のマネジメントさえしっかりできれば,学生ボランティアだけで継続的に運営できるとの確信を強めています。
 有機的に連動するこの三つの調査活動の成果が出そろえば,大阪や日本の観光行政や地域づくりに向けて,科学的な根拠を持つ新たな提言ができるであろうと本気で考えています。
(松村嘉久)

松ゼミWalker vol.6

1月26日来訪のヤーコン (レポーター:高橋はるか)

 ヤーコンはフィンランド出身のミュージシャンで身長が高く、長い髪の毛が印象的なシャイな親日家である。東京・名古屋を回り、大阪に来たという。英語がとてもうまい。観光案内所オープン初日の朝10時頃に来て,「明日の昼の飛行機でフィンランドへ帰るが,それまで大阪を観光するならどこがいい」と相談に来た。ボランティアスタッフはまだ不慣れ,ミナミの繁華街か,大阪城か,人権博物館か,鶴橋か,近場の新世界界隈の散策でも行けば…とウダウダの対応。20分ほど観光案内所で我々と話し込んだ後,シャイな彼は「わかった,ありがとう」と出て行った。
 その後,案内所のバタバタが落ち着いたので,松村先生が釜ヶ崎のフィールドワークに行こうと誘ってくださった。案内所を出て西へ歩き,あいりん労働福祉センターの二階を通り抜け,NPO釜ヶ崎支援機構の前で,松村先生から地域の説明を聞いていると,フラっとヤーコンがやって来た。
 私も松村先生もびっくり。「こんなところで何しているの?」「今日泊まる安いホテルを探して歩いている。」「観光案内所の近くに安いホテルがある。」「もっと安いところがいい。」「じゃあ,一緒に探そうか。」
 まずは萩之茶屋の激安宿『ビジネスホテル福助』へ,ここは1,500円から泊まれる。残念ながらフロントが不在で,次のホテル『ダイヤモンド』へ向かう。ここは暖房無しの小さな部屋が1泊1,300円からある。フロントで空部屋を確認すると,「日本語の分からない外国人はちょっと…」と言われた。松村先生が「門限ほか規則をちゃんと説明しますから」とねばると,「ほんなら…ちゃんと説明してくれるなら…」と応じてくれた。
 ヤーコンは「宿は満室?それとも外国人はダメって言ってたの?」と聞かれた。とても複雑である。宿の人も悪気があるわけではなく,「外国人お断り」では決してなく,対応が出来ないからと断っている。このホテルのフロントは親切で,宿泊料金の違う三つのタイプの部屋全てを見せてくれた。「他のホテルも何軒か回ってから決めます」との松村先生の言葉に,嫌な顔ひとつせず「空き部屋はあるから,またどうぞ」と言ってくれた。その後,『ビジネスホテルラッキー』・『ホテル東洋』も一緒に見て回った。
 ちょうど昼過ぎでお腹も減っていたので,「お好み焼きでも食べに行こう」と松村先生が誘ってくれた。ジャンジャン横丁のお好み焼き屋『狐狐(ここ)』へ向かい,三人でお好み焼きと焼きそばを食べながら,会話が弾む。フィンランド人の名前の最後はたいてい「ネン」で終わる,「チャイマンネン」はいないが「パーデンネン」は本当にいる,スキージャンプの選手だったニッカネンの引退後の没落人生,東京と大阪と広島のお好み焼きの違い,フィンランドのとても高い日本食レストランのことなどなど。昼食を終えて松村先生は観光案内所へ帰り,私は通天閣まで彼を案内したところで,「このあたりは面白そうだからひとりで散歩する」と別れた。その日もう一度会うことはなかった。
 翌朝,松村先生が関空に向かうヤーコンと太子の交差点で偶然会ったと聞いた。結局,『東洋』に泊まったらしい。「はる香によろしくと伝えてくれ」との伝言,もう一度私も会いたかったなと少し寂しかった。

スペインとアルゼンチンのカップル(レポーター:茶谷みなみ)

 観光案内所が始まって2日目の27日の午前中,スペイン人の男性とアルゼンチン人の女性のカップルが案内所へ来てくれました。その時いたメンバーのほとんどが案内所初仕事で,対応に慣れていない私たちはどうしてよいのか分からずバタバタしていました。とりあえず椅子に座ってもらい話を聞いてみると,高野山へ行きたいとのことでした。案内所が新今宮にあるので,『You can take NANKAI train』(南海電車で行けますよ)といってみたのですが,もちろんそれだけでは通じない。
 今から高野山へ行きたいということはよくわかり,案内所にボランティアスタッフがたくさんいたので,松村先生と一緒にカップルを連れて出て,歩きながら会話を楽しみつつ,南海電車の新今宮駅まで案内しました。案内所でウダウダと下手な英語で説明するよりも,人手が足りている時で近くの案内なら一緒に行った方が,案内される方も喜んでくれるしこちらも楽しい。
 あっという間に南海の新今宮駅に着いたが,この駅がとても複雑。日本語がしゃべれず読めない外国人は大変。私たちとカップルはJRとつながり駅員のいる切符売り場へ。そこで駅員から,高野山までの切符とロープーウェイや高野山拝観料がセットになったお得なチケットを教えてもらい,そのことを伝えるとものすごく喜ばれていました。駅員に声をかけて私たちも駅のなかに入り,ホームまで案内して別れました。『Thank you very much! Muchas gracias!』との感謝の言葉に,『Adios amigos!』とかたい握手で別れました。
 このカップルはこの翌日に天橋立へ行く予定で,また明日の朝,案内書に立ち寄りたいと言ってくれました。私は京都出身なので大阪の観光地への行き方などはあまり知りません。しかし,今回せっかく観光案内所のお手伝をさせていただけるので,この機会に大阪の観光地や行き方を勉強しようと思いました。最終日の案内所の日にはスラスラ答えられるようになるのが私の目標です。これからももっと様々な言語での『アリガトウ』を聞けるようにがんばります。

案内所の醍醐味 (レポーター:丸市将平)

 今回観光案内所の開設に際して,設営から開設一週間の運営に携わらせてもらい,様々な人々の旅をサポートできるという喜びを,この一週間で実感することができました。
 その中で特に印象的だった旅行者は,31日に案内したオーストラリア人の20歳前半の男4人と女1人の5人組で,約一カ月かけて日本を旅するという,いかにもオージーらしい陽気なグループでした。
 開設からの一週間で多くのオージーを案内してきて,この円高の時期にあえて夏のオーストラリアから冬の日本に来るようなオージーの底なしの陽気さにひどく感心していましたが,特にこの5人組は陽気で,お喋りが絶えず,自分の拙い英語にも理解を示してくれたおかげで会話も弾み,本当に楽しい時間でした。一応,パン屋へ行きたいや両替・キャッシングがしたいという要望に応えて,新今宮から天王寺へ出て案内していたのですが,途中から彼らもショッピング気分になりだし,自分も友達といるような感覚になって,寄り道したり,雑談したりして気づいたら案内し始めてから1時間以上経過していました。
 彼らはその後ミナミへ行きたいと言っていたため,JR天王寺駅まで案内し,いよいよお別れ。改札を入るときには一人一人からお礼の言葉をいただき,握手を交わしました。
 改札越しに「明日の朝また行くよ!!」と言われた時はほんとにうれしかったのですが,それもつかの間,翌日は案内所が休みという現実を思い出し,その旨を伝えました。すると改札を逆流してきて「じゃあこれでお別れだ。」と一緒に写真を撮り、別れを惜しみました。この行動には駅員さんは困惑気味で,自分も若干驚きましたが,それ以上に別れというものは寂しいものでした。
 “別れの後に出会いあり”というように,この別れがあるからこそ,またこうして良い出会いがあってほしい,と案内所の活動にもどんどん力が入るような気がします。そんな当たり前のことを実感できる良い出会いでした。