【ゲスト】濱中勝司(2007年3月卒)
【司会】松村嘉久
【聞き手】山田奈々美,持山好,八島彩音,高瀬勇輝(全員3回生)
  • 濱中さんを囲んで

【松村嘉久】
今日は松村ゼミOBの濱中勝司さんをお招きして、現役の松村ゼミ3回生たちからインタビューを受けていただこう、大いに語っていただこう、とお集まりいただきました。濱中さんは見ての通り、松村ゼミのご意見番、生き字引のような方です。
【濱中勝司】
みなさん、こんにちは。松村ゼミOBの濱中勝司です。松村ゼミでは3代目の卒業生です。OBって聞いてたのに、おじいちゃんで驚いたでしょう。君たちは何回生、何代目になるの?
【山田奈々美】
私たちはみんな3回生で20代目になります。濱中さんはおいくつですか、お歳は?
【濱中勝司】
みなさんとは初めてお会いするので、先に自己紹介しておいた方がいいですね。名前は「はまなかかつし」といいます。生まれたのは終戦の年の春、1945年3月、広島県呉市で生まれました。今年で77歳になりました。
広島で大学を卒業してから、製薬会社に就職して、大阪へ出て来て、ずっと営業畑で走り回っていました。その会社を定年退職してから、阪南大学の当時は,国際コミュニケーション学部国際観光学科へ3年生で編入学して、松村先生のゼミへ入れてもらいました。女房も子供も孫もいて、今は夫婦で大阪市平野区に住んでいます。ざっとこんなところですかね。
  • 2008年夏答志島ゼミ旅行でのスイカ割り

【松村嘉久】
濱中さんは広島大学を卒業されたんですよね。それも確か理系でしたよね。
【濱中勝司】
そうです。もうずいぶんと前のことですがね。大学を卒業してすぐは研究職の真似事のようなこともしたのですが、ちょうど高度経済成長期で良い製薬会社と巡り合って,そこに就職して必死に働きました。退職前は病院を回って薬を売り込むのが仕事で、営業成績を伸ばすのに一生懸命でした。現役の営業マンの頃はとても頑張っていたんですよ。
【山田奈々美】
でもどうして、退職されてから、大学に入り直して、また勉強しようと思われたのですか。
【濱中勝司】
定年退職したのがちょうど60歳の年で、まだ若かったし、退職したらもう一度、ゆっくりと時間をかけて教養を身につけたいっていう気持ちがありました。退職して、家にずっといたら老け込むだろうな、面白くないだろうなっていう想いも強かったですね。
社会人として実社会で色々なことを学びましたが、とても忙しくて、学べなかったことも多かったから、退職したら、もう一度、学び直したいって思っていました。若い学生さんらと一緒に学ぶのは少し勇気がいりましたが、実はそれも楽しみでした。まだ残りの人生も長いし、大学へ入ったら、気持ちも身体も若返るだろうなって思ってました。
【山田奈々美】
大学とか、学部とかは、どうして選ばれたのですか。
【濱中勝司】
松原市の河内天美あたりも営業担当エリアだったので、阪南大学の存在はよく知っていて、自宅からも近いので身近に感じていました。それと英語が好きで旅行も好きだったので、その二つを学べる学部がいいなって思っていました。エルビス・プレスリーの歌が好きで、40歳代の半ばから英語を独学で勉強し始めて、TOEICにも挑戦して60歳で530点とりました。私が入学した頃、大阪には観光を学べる本格的な大学が他にあまりなくて、当時から阪南大学の国際観光は最先端でしたから、それも魅力でした。一瞬、国際コミュニケーション学科と迷いましたが、国際観光学科にしました。
【松村嘉久】
受験されたのは社会人枠の入試ではなくて、一般的な編入学試験だったんですか。
【濱中勝司】
そうです。でも筆記形式のいわゆる入学試験ではなくて、学修計画を提出して先生方から面接を受ける試験でした。退職した仲間にも、家でゴロゴロしていないで,「大学へ行ったらどうだ」って勧めるのですが、やっぱり試験があるし、学費もかかるので、なかなか行動には移せないようです。でも、人生、いい先生、いい人たちと出会うことがとても大切で、そのためには積極的に自分から動こうとしないと、待っていてもなかなか出会えませんから。60歳を過ぎて大学へ通うことで、松村先生はもちろん、若い学生さんらとも出会い、いい経験をしてきました。
  • 2010年秋のすき焼きパーティで2代目から9代目までが集結

【持山好】
国際観光学科に60歳で3年生から編入されて、何か戸惑われるようなことはありませんでしたか。
【濱中勝司】
2005年4月に編入学したのですが、その年の新入生の若い学生さんらと一緒にガイダンスを受けました。若い学生さんらと一緒になるのは、むしろ望むところでしたから、何の問題もありませんでした。ただ、入学していきなり3年生ですから、新入生ガイダンスと並行して、「どのゼミに入るのか決めてください」って言われて、先生方のところへ面接してもらいに行きました。すいぶん後になって聞いたのですが、社会人で60歳の学生が入学したということで、「扱いにくい奴じゃないのか」って、国際観光の先生方もかなり身構えていらっしゃったそうです。二人の先生に面接していただいてから、松村先生のところへ行ったので、三番目の面接でしたが、松村先生とお話ししてすぐ、「この人だ、この人がいい」って感じてそこで即決しました。
【持山好】
なぜ松村先生がいいと感じられたのですか。直感でしょうか。
【濱中勝司】
まあ、見た瞬間の雰囲気、印象ですね。そりゃあ、30年以上も営業の仕事で色々な人たちに会ってきましたから、人を見る目には自信がありました。松村先生は今でもそうですが、飾らない感じで自然体の方なので、年齢がずっと上でもスッと受け入れてくれそうだって感じました。
【持山好】
松村先生はその時どう思われていらっしゃったのですか。
【松村嘉久】
私は自分が大学院生の頃、社会人と一緒に学んで色々と教えてもらった経験があって、社会人学生を受け入れるのは全く抵抗なくて、むしろ大歓迎でした。濱中さんとお話しして、謙虚に学ぼうとされている姿勢がすぐ分かったので、こちらから「ぜひ来てください」という感じでした。ゼミ生は同じ目的のもと戦う戦友やっていつも言っているでしょう。私にも人を見る目がありますから、濱中さんは、一騎当千の戦友になるやろうなと思いました。
【持山好】
つまり相思相愛で松村ゼミに決まったということですね。(濱中、松村、深くうなずく)
【松村嘉久】
濱中さんのような社会人学生がもっと阪南大学へ入って、学び直してくれたいいのになあ。事情があって大学に進学できなかった人も多いと思うんですが、何がハードルになっているんでしょうね。
【濱中勝司】
やっぱり、ひとつは入学試験、もうひとつは学費ですかね。難しい入学試験があるって思っている人が多いのですが、実際はそうでもないですよね。私なんかも面接試験が中心でした。学費はやはりお金にある程度余裕がないと大変でしょうね。でも、同世代の高齢者たちが集まる生涯学習とかと違って、大学へ入学して学べば、若い人たちと一緒なので若返るし、授業でも緊張感があるし、何より本当の学位がもらえますから。お金を貯め込んでいるお年寄りもいるから、もっと自分の成長に投資すればいいのにって思います。
  • 2009年TICのオープン前夜

【八島彩音】
阪南大学で学んだことで、これは面白かった、とても印象に残っている、というここ一番の思い出があればお話しいただけますでしょうか。
【濱中勝司】
それは本当にいっぱいあって、何を話せばいいのか困ります。ねえ、松村先生。
【松村嘉久】 
そりゃそうですね。現役のゼミ生に少し説明しとかなあかんねんけど,濱中さんは,松村ゼミOBでも特別な存在で、大学を卒業してからも、ずっと、松村ゼミの授業にも活動にも参加してくれた人やねん。卒業されたのは確か2007年3月ですよね。
【濱中勝司】
そうです。もう15年も前になります。これは自慢ですが、3年生で編入して2年間でめいっぱい単位をとって、卒業式では国際観光の総代に選ばれました。
【持山好】
総代って、一番成績のいい人が選ばれるんですよね。
【松村嘉久】
そう。総代に選ばれたのもすごいけど、濱中さんが偉いのはそっから。卒業してからも学び続けたいということで、聴講生としてそれから毎年、阪南大学へ通い続けはってん。
【濱中勝司】
残念ながらコロナで2020年、2021年は外出をひかえて、大学にも行けませんでしたが、卒業した2007年から2019年まで、週に二日くらいのペースで大学へ通い、松村先生のゼミにもOBとして参加させてもらっていました。
【松村嘉久】
君たち20代目は2020年度の入学やから全く被ってないけど、濱中さんは卒業してからもずっと、松村ゼミのご意見番として、ゼミに参加してもらっててん。
【八島彩音】
ゼミに参加ということは、普通に、専門演習の授業とかフィールドワークにも来られていたということですか。2007年からずっと…。
【濱中勝司】
そうです。ゼミ旅行とか課外活動、ボランティアなんかにもくっついていきました。一応、松村先生からご許可をいただいて、聴講生として講義を受けるだけでなくて、全てのゼミ活動にも参加させてもらっていました。
【松村嘉久】
だから普通のゼミ生やったら、2回生後期から4回生にかけての2年半のお付き合いやけど、濱中さんは、2005年から2019年までずっとゼミ生。松村ゼミで言うなら,2代目から18代目まで、歴代のゼミ生全員が濱中さんのことを知っています。現役の3回生、20代目と、4回生、19代目が重なっていないだけ。だから、「阪南大学でここ一番の思い出は」ってなると、十数年間の経験から選ぶことになるから、そりゃ大変やろうと思います。
  • 2010年夏頃のTICリニューアルオープン

【八島彩音】
では、まず、ゼミ活動について伺いたいのですが、どのゼミ活動が印象に残っていますか。
【濱中勝司】
それはやっぱりTIC、新今宮でいちから立ち上げたTourist Information Centerの活動ですね。元々は何もない倉庫だったところへ、みんなで色々なものをかき集めて、本当に最初からつくりましたから。あれは2009年でしたね。
【松村嘉久】
そうです。2009年春に試験的にやって、2009年夏から常設運営しました。でもこのコロナで2019年末に閉鎖したので、今の現役ゼミ生らは,TICの活動を全く経験してないんですよ。
【濱中勝司】
それは残念ですね、TICの運営は本当に楽しかったよ。色んな国から外国人旅行者がたくさん来てね、英語の勉強にもなったし、まち歩きツアーとかもやっていたから国際交流もできたし。TICで英語をたくさんしゃべって通じたので、それで自信がつきました。
【持山好】
まち歩きツアーとか、私たちもぜひやってみたいです。
【濱中勝司】
そうか、このコロナで、まち歩きツアーもやってないんだ。それは残念。でも今年中にはできるようになるんじゃないですか。
【松村嘉久】
いや、今の3回生、20代目は本当に可哀そう。2020年4月入学ですから。コロナのど真ん中。1回生、2回生の頃はオンライン授業が中心で、いつもなら当たり前のゼミ活動をできなかったので、本当に可哀そう。松村ゼミは緊急事態宣言の合間を縫って、よう動いた方やけど、それでも通常の5分の1くらいかな、活動量は…。
  • 2008年の北京・バンコクゼミ旅行@北京

【八島彩音】
さっき、ゼミ旅行にもついていったとおっしゃっていましたけど、どんなところへ行かれたのですか。
【濱中勝司】
色々と行きましたよ。国内だと、金沢とか、三重県伊勢志摩の答志島とか。海外だと、台湾にも行ったし、北京・バンコクにも行きました。北京・バンコクは面白かったなあ。卒業旅行シーズンだったので、北京は真冬でマイナス10度くらい、その後のバンコクは常夏で30度くらい。北京ではダウンジャケットを着てて、バンコクへ行ったらTシャツでも暑い、地球って広いなあって実感したゼミ旅行でしたね。
【松村嘉久】
あれは確か2008年の2月ですね。完成間近の北京オリンピックのメインスタジアムとか見に行きましたよね。
【濱中勝司】
そうそう。松村先生の案内で北京のスラムも歩きました。北京の世界遺産も見て回ったのですが、そんな旅は誰でもできます。スラムを歩く旅なんか、松村先生の案内と解説がないと絶対に行けない。バンコクではバックパッカーの聖地、カオサンにも行って、少し調査もしましたよね。
【松村嘉久】
よう覚えてはりますね。あの頃は、北京のスラムの研究をしてたから、一緒に歩いて回りましたね。あの頃の中国は、まだゆるかったから…。カオサンはこのコロナで大打撃を受けているようです。
【八島彩音】
とても羨ましいです。私たちもゼミ旅行とか、絶対に行きたいです。
【濱中勝司】
そうでしょうね。みんな観光が大好きで入ってきた学生さんでしょうから。本当にコロナの世界は異常です。早く日常、通常に戻さないと。でも、北京のスラムのトイレは本当に凄まじかった…ドアどころか壁がない…。
  • 2008年の北京・バンコクゼミ旅行@アユタヤ

【山田奈々美】
阪南大学に入られてから、研究とか授業とかで印象に残っているのはありますか。
【濱中勝司】
研究ならやっぱり、新今宮で外国人旅行者にインタビュー調査したことかな。新今宮のゲストハウスにアンケート用紙を置いてもらって、ゲストハウスのコミュニティスペースへ入って、暇そうな外国人旅行者を見つけては、色々と英語で話を聞きました。全部で50人くらいはインタビューしたかな。日本に来る外国人観光客はまだ団体ツアー客が多いけど、新今宮に泊まっている外国人はほとんどがバックパッカーで、旅の仕方とか行動パターンとかが独特。そうしたバックパッカーの旅の実態をアンケートとインタビューで明らかにしたっていう感じです。その研究は松村先生に手直ししていただいて、学会でも発表していただきました。
【松村嘉久】
覚えてますよ。2008年秋、長野県であった日本観光研究学会ですね。あの時は濱中さんも一緒に行く気まんまんでしたけど、確か初孫が生まれそうだ、ってことになって…。
【濱中勝司】
いやあ、初孫の出産予定日と学会の日程が近かったから、さすがに学会へ行くとは言い出せなくて断念…。連名の発表だったので、松村先生にお任せして発表していただきました。
【山田奈々美】
授業の方はどうですか。たくさん単位を取得されたって伺っていますけど、どの授業が面白かったですか。
【濱中勝司】
一番面白かったのは「哲学」ですね。
【山田奈々美】
ええ、哲学ですか、意外ですね。
【濱中勝司】
いや哲学は大切ですよ。人間はなぜ生きているのかとか、学ぶとはどういうことなのかとか、知るとはどういうことなのかとか。ものごとの根っこのところの問題を真剣に考えるなんて、社会人の頃はやらなかった。哲学の講義を聞いてから、世の中を表面だけで捉えないで、根っこのところを考えるようになりました。
  • 社会人基礎力育成グランプリ西日本大会にて

【高瀬勇輝】
松村ゼミに長くいらっしゃったということですが、昔のゼミ生で印象に残っている人はいますか。
【濱中勝司】
やっぱり、ゆうちゃん、松川君あたりかな。あと留学生の周さんとか、キキちゃんとかもよく頑張ってたな。みんなTICやらまち歩きツアーとかで大活躍してましたよね。
【松村嘉久】
いやあ、懐かしい名前ですね。現役の君らは知らんよな。ここ数年はOBやらOGらと一緒に集まる機会もなかったから、しゃーないね。
ゆうは7代目のゼミ長です。濱中さん、ゆうはやさしい旦那を見つけて、もう2児の母ですよ。松川は11代目のゼミ長。転勤で東京勤務になったけど、まだ独身で旅行会社にいて、今でもよく連絡をくれます。周さんは上海からの留学生で4代目。卒業してから日本国籍をとって、男前のポルトガル人と結婚して1児の母。子どもが生まれてからも、社長秘書として働いていると聞いてます。キキはミャンマーからの留学生で8代目。キキも日本国籍をとって、語学力を活かして働いてます。キキはミャンマー語、英語、中国語、日本語を話せんねんで、すごいやろう。日本語はバリバリの大阪弁やで。
【濱中勝司】
いやあ、本当に懐かしいですね。そうですか。みんな活躍されていますね。またみんなと会いたいですね。コロナが終息したら、またぜひ、すき焼きパーティをやりましょうよ。
【高瀬勇輝】
それって、伝説のすき焼きパーティですか。ゼミのOBらも集まってやるっていう…。
【松村嘉久】
そう。コロナ前まで年に何回かすき焼きパーティをやってて、数年に一度くらい,OBやらOGにも広く声をかけて盛大に集まっててん。11月29日とか、年度初めに日にちを決めて。いい(11)肉(29)の日とかに。でも,このコロナで16代目、17代目、18代目と、三年連続で卒業式の後、お別れの懇親会もできずに終わってるからなあ。すき焼きパーティも、もう丸2年半、コロナで封印してるからなあ。
【濱中勝司】
もうコロナもおさまるでしょうから、おさまったら、ぜひ、やりましょうよ。私もお手伝いしますから。現役のみなさんも、すき焼きパーティって聞いたらワクワクするでしょう。美味しい肉をみんなで買い出しに行ってね…。
(学生一同、大きくうなずく)
【高瀬勇輝】
現役のゼミ生らに何か伝えたいことってありますか。
【濱中勝司】
授業では絶対寝ないこと。先生の話をよく聞いてメモすること。これは当たり前すぎますね…。
松村ゼミのみなさんに伝えるなら…そうですね…。人生色々なことがありますけど、逃げてはダメ。出来ないって、簡単にあきらめてしまってはダメ。挑戦して乗り越えるんだっていう前向きな気持ちが、やっぱり大切だと思います。あと、いつまでも学習し続けるっていう姿勢も大切。たとえ挑戦して失敗しても、謙虚に学習し続けていると必ず成長しますから、次につながります。自分が成長すれば、例えば20歳の時に見ている景色と、30歳の時に見える景色が全然違ってきます。先生とか、先輩とか、家族とか、自分よりも先に色々な経験をした人のアドバイスを聞くのも大切です。学習をすればするほど、経験を積めば積むほど、成長もするし見える景色が広がり深まります。みなさん、「学生」なんだから、しっかり学んで生きなきゃ。コロナで色々と、ゼミ活動とか、旅行とかもやりにくくなっているとは思いますが、チャンスがあったら積極的に参加してください。とにかく何かやり始めないと、自分から動かないと、何も始まらないし変わりませんから。(学生一同、静かにうなずく)
あと、松村ゼミのこれまでの活動は、大阪の観光を変えるようなインパクトがあるやつが多くって、いつも注目されてきました。色々と大きな賞も受賞しましたから、社会人基礎力育成グランプリとかJTBのやつとか。これからも松村ゼミの活動は、注目され続け、期待され続けると思いますので、みなさんもそこに積極的に参加して活躍してください。そうしたら必ずみなさんも大きく成長できると思います。(学生一同、静かにうなずく)
【松村嘉久】
濱中さん、ありがとうございます。今日はいいお話を聞かせていただきました。懐かしい話もありました。コロナがおさまったら、必ずすき焼きパーティをやりますし、ゼミにもまた復帰してください。今年の3回生、20代目はなかなかいいメンバーが集まりましたから、ぜひ見に来てください。
【濱中勝司】
こちらこそ、ありがとうございました。現役のゼミ生のみなさん、コロナなんかにめげないで、頑張ってくださいね。人生は一回、悔いの残らないよう、学びも仕事も遊びも楽しみましょう。