2018年,松村ゼミは,尼崎市の観光地域づくりに関する実態調査を行い,観光振興戦略の策定に向けて支援することになりました。ゼミ3回生の川村剛生君が,尼崎生まれの尼崎育ちなので,ゼミ生たちは彼が中心となってまとめ,松村も観光地域づくりのプロとして関わります。  大阪市と隣接する唯一他府県の自治体の尼崎市は,実は兵庫県に属するのですが,電話の市外局番が大阪市と同じ06で始まるのは,とても有名な話です。時間距離でも,阪神電車で阪神尼崎から神戸三宮までは20分くらいかかりますが,大阪梅田までなら10分もかかりません。JRを使っても状況は変わらず,神戸よりも大阪へ出る方が圧倒的に便利です。  どこに住む人でも,「私はどこの人である」という地域と絡むアイデンティティは必ず持っています。尼崎市民の場合,その地域アイデンティティは,「尼崎」あるいは「尼(AMA)」にあり,それがとても強固で根強い印象があります。それゆえ,より広義の兵庫県民というアイデンティティは希薄で,選挙など特別な時以外,尼崎の人であることは意識しても,兵庫県の人である意識はほとんど無い様子が伺えます。

 みなさんの身近なところに,もし尼崎で生まれ育ったという友人がいたら,「あなたは神戸と大阪,どちらに親近感を感じますか」と尋ねてください。おそらく,「大阪」と答える人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。
 人口45万人を超える中核市の尼崎市は,尼崎城の天守閣再建をひとつの契機として,観光地域づくりの推進を目標に掲げ,尼崎版DMO組織を創設して受け入れ態勢を整えよう,と動き始めています(尼崎市ホームページ参照)。松村は観光地域づくりの現場に詳しい有識経験者として,2017年6月開催の第2回尼崎市観光地域づくり懇話会に招かれ,大阪市西成区での経験からアドバイスをさせていただきました。その時からのご縁で,尼崎市役所まち咲き施策推進部の観光担当者らと連携を深めてきました。
 尼崎市は阪神工業地帯の中核を担う「工都」で,現在でも多くの工場が元気に操業しています。しかしながら,長い目で見れば,尼崎市にも必ず脱工業化の波が押し寄せ,港湾部工業地帯をどう再生するのか,工場労働者など昼間人口や来街者人口が減り,都心の繁華街はどう変貌すべきなのか,といった課題に直面する,と私は予測しています。これまで経験した変化よりも,これからの変化の方が,もしかしたら大きいかもしれません。

 尼崎市の工場は大規模なものが多いので,ひとつの工場がどこかへ移転するだけでも,その跡地は広大で,雇用者も通勤者も激減して,地域経済に必ず影響が及びます。そうした産業構造や地域構造の転換に備えて,インバウンド時代の到来を見据えながら,今から観光地域づくりを推進しておくべきでしょう。
 その第一歩として,2018年3月10日(土)午後,私ほか,松村ゼミ3回生の川村剛生と大谷ゼミ3回生の織田星也の3名で,尼崎市内の観光資源の現状をざっと把握すべく,阪神尼崎駅から出屋敷,尼崎センタープール前にかけて歩いて回りました。二人の学生は尼崎市で生まれて育った地元民,彼らに地元民の目線で案内してもらいました。
 その後,3月14日(水)午後,尼崎市役所まち咲き施策推進部の観光地域づくり推進担当の職員2名の案内で,私とゼミ生7名が,尼崎市内の観光資源をじっくりと観察して回りました。参加した7名は,川村剛生・岩田鈴・松井昭憲(以上3回生),今西祐莉・岡玲衣奈・北村るみ・本山愛理(以上2回生)でした。
 14日(水)は13時に阪神尼崎駅集合,まずは駅前の「メイドイン尼崎ショップ」を訪ね,『尼崎一家のおもてなし』というパンフレットを入手,尼崎の名産品について学びました(写真参照)。意外だったのが,我が家でも愛用している「ひろたのぽんず」,尼崎産とは知りませんでした。次に,阪神尼崎駅の東南,庄下川沿いで建設中の尼崎城へ移動。尼崎はあまり知られていませんが城下町で,現在,大手家電量販店創業者からの寄付を活用して,尼崎城の天守閣を再建して尼崎城跡公園を整備しています。城下町尼崎の歴史を学ぶため,映画『ALWAYS三丁目の夕日』のロケ地ともなった尼崎市立文化財収蔵庫も見学しました(写真参照)。

 その後は,櫻井神社を経て寺町へ,阪神尼崎駅のすぐ南側に立派な寺町が残っています。櫻井神社の絵馬には,「アイドルグループ嵐のコンサートのチケットに当たって,櫻井さんと会えますように」という願いごとが…(写真参照)。『忍たま乱太郎』でお馴染みの漫画家・尼子騒兵衛は尼崎のご出身,尼崎城や寺町と忍たま乱太郎はとても親和性が高く,上手くコラボレーションしてイベントをできれば面白いよね,とゼミ生らと語り合いました。
 阪神尼崎駅の東から南にかけて歩いてから,私たちは阪神電車に乗って,尼崎センタープール前駅へ移動,公営競技のボートレースを見学しました。訪日外国人旅行者の誘致を考えた場合,尼崎へわざわざ来たくなる素材が必要となりますが,そのひとつはやはりボートレース尼崎でしょう。
 市職員からボートレースの流れや仕組みを説明してもらっていると,近くにいたオッチャンらは「何や,何や」と興味津々,ふと気が付けば,そのオッチャンらに色々と教えてもらっていました。もし若い外国人旅行者をここへ連れて来たら,きっと同じような光景が再現されることでしょう。

 統合型リゾートでカジノの是非が議論されていますが,日本にはすでに,競馬,競輪,ボートレースなどの公営競技があり,パチンコやスロットも実態としてはそれに準ずる存在です。そこへのインバウンド客の呼び込みは,まだ本格的には進んでいないのが現状です。
 ボートレース尼崎からは,歩いて阪神出屋敷駅まで行き,出屋敷駅すぐ南側の「味楽園」で夕食に焼肉を食べました。私も色々な焼肉屋さんを知っていますが,ここはとても美味しく価格も納得。特に塩タンが美味しく,お店の雰囲気も良く,午後5時少し前に入店したのですが,あっと言う間に満席になりました。大阪は焼肉屋の激戦地域ですが,尼崎にも焼肉屋は多く,競争が激しくレベルも高く,絶対に大阪に負けていない,と地元民の川村君は力説していました。
 夕食後は,出屋敷から阪神尼崎まで続く長い商店街を歩いて帰りました。阪神尼崎駅前に着いたのは夜7時頃,そこでいったん解散しました。居残ったのは,松村ほか,川村・松井の男子学生のみ,阪神尼崎駅北側の繁華街を散策してから,吉本新喜劇の島田一の介さんが経営されているお店『Bell』へ入りました。この日は,お店に島田一の介さんほか,吉本新喜劇の若手がいて,とても楽しい時間を過ごしました。
 さて,尼崎の印象ですが…,尼崎は,とてもコンパクトで,カオスで,ファンキーで,懐の深い街でした。西成から新世界にかけての地域と尼崎は,何か,どこか,不思議と似ています。まだ,私は尼崎の初心者,でも色々な可能性を感じる街でした。次は,こうしたフィールドワークの成果を踏まえて,大学の研究室へ尼崎市職員を招いて意見交換し,尼崎へインバウンドを呼び込むための戦略を錬ろうと思います。