【松ゼミWalker vol.173】 11代目ゼミ生との軌跡と奇跡

「地域への謝恩」会はやはりすし寛で

 2015年3月20日(金),今年も卒業式が行われ,ゼミ11代目の卒業予定者12名全員が,無事卒業しました。11代目卒業生や12代目有志は,3月19日(木)15時半,新今宮のホテル中央セレーネへ集まり,新今宮界隈にてみんなで卒業を祝いました。
 ゼミでは地域と深く関って社会的実践を展開してきたので,卒業生たちが「謝恩」すべきは,地域でお世話になり育ててくださった方々。これが従来からの私たちのスタンスです。
 かつてゼミでは,卒業式当日の夜,後輩やすでに卒業した先輩にも広く参加を呼びかけ,お世話になった地域の方々も寄っていただける謝恩会を,新今宮にて開催していました。OBやOGにとっては,久しぶりに新今宮へ来て昔を懐かしむチャンスであり,後輩たちと交流できる同窓会的な側面もあり,卒業式後の新今宮での謝恩会を楽しみにしていた者も少なくありません。わざわざ関東や九州などから,結婚や転職の相談や報告も兼ねて来てくれた卒業生もいました。
 しかしながら,最近は,卒業生と教職員だけで高級ホテルに集う大規模な謝恩会が,半ば公式行事として開催されるようになり,ゼミ主催のオープンな謝恩会が事実上できなくなり残念です。11代目と相談して,せめて,卒業式前日に新今宮へゼミだけで集い,地域でお世話になったお店へ「謝恩」して,卒業しようということになりました。

 集合後,11代目の卒業生たちは,ホテル中央セレーネ9階のドミトリー2部屋へチェックイン。セレーネの福本マネージャーのご好意で,19日・20日の2連泊を最安値で確保していただきました。
 新今宮TICの運営ではセレーネのトイレを使わせていただいていることもあり,福本さんとセレーネのスタッフは,学生たちの活動をいつも見守り続けていただいています。
 11代目たちが「卒業します,ありがとうございました」と福本さんに報告すると,「もう卒業か…,早いな」と応じられていました。福本さんは「わかちゃん(10代目)」「のんちゃん(9代目)」「むっちゃん(8代目)」「丸市君(7代目)」など,何名もの歴代のOBやOGの名前を覚えておられ,「みんな元気にしているんですかね」と懐かしがっておられました。
 19日(木)の私たちの最初の目的地は,動物園一番街の名店「すし寛」。新今宮TICの運営終わりや,まち歩きツアー終わりに,ゼミ生らとよく通ったお店です。西成のエンターテイメントを支援する活動は,11代目がまだ1回生の頃,すし寛の大女将から大衆演劇の前売り券をいただいたことから始まり,現在へと続いています。

 すし寛は団体予約を受けないお店なので,開店する直前の16時くらいに,お店の前にずらっと並び,開店と同時にお店へなだれ込み,カウンターも小上がりも占拠。最終的には,11代目卒業生12名全員,12代目有志3名,松村,と合計16名が集まり,すし寛「占拠」という長年の夢がついに実現しました。
 地域の方々も集うすし寛は,私たちにとって社会人基礎力を育成する場でもありました。この日集まったなかで,ここへ来たことのないゼミ生は皆無でした。
 私は「飲み放題」や「食べ放題」という文化が大嫌いで,宴席で馬鹿騒ぎするのも大嫌い。ちゃんとしたお店で,ちゃんとしたものを,ちゃんといただき,みんなで語り合いたい。これがいわば,ゼミでの「食育」でした。私はそう強く意識していませんでしたが,在学生や卒業生らに言わせると,松村ゼミの「食」へのこだわりは,特筆すべきものだったようです。
 思い起こせば,29日は【肉の日】と定め,毎月のようにすき焼きパーティを行い,普段のゼミ日も,杉本町の「紀月」というお店から,個数限定でゼミ弁当を配達してもらっていました。歴代の卒業生が絶賛し今でも懐かしむゼミ弁当,これを楽しみにゼミへ来る学生もいました。
 さて,すし寛の大将と女将さんは,「卒業式を迎える学生たちが,最後はみんな揃ってすし寛で食事したい,と全員が集まった」と聞いて喜ばれ,色々と特別にサービスしていただきました。女将さんによると,「卒業してからも,ご両親や恋人を連れて来てくれる先輩もいらっしゃるのよ」とのこと。何名かの卒業生の顔が思い浮かびました。

次は新世界のBAR BABYへ

 すし寛の常連さんにご迷惑をかけたら申し訳ないので,さっさと注文してさっさと食べ,17時半過ぎにはお店を出ました。次に向かったのは,新世界の老舗BARのBABY。BABYの看板に灯りがともるのは,いつも18時半少し前。ゆっくりと歩いて開店わずか前のちょうどいい時間に到着しました。
 実のところ,ゼミが新世界と協働するようになったのも,TICでの活動がたびたびメディアから注目されたのも,「すし寛」や焼肉の「原軒」の存在を知り通うようになったのも,西成警察署との協働が進んだのも,全てBABYのマスターのおかげでした。色々な人たちが夜な夜な集い,楽しくお酒を飲みながら語り合い,知り合ってはつながっていく…,BABYはとても不思議かつ貴重な空間です。
 BABYは会員制なので,本来,若い大学生など絶対に入れてもらえません。私はいつも,常連さんが来る前のお店に迷惑がかからない時間帯に,学生らと一緒に入り,さっさと飲んでさっさと帰ります。そんななかでマスターに顔を覚えてもらった学生は,卒業してからも数名,出入りが許されているようです。
 この日はすし寛と同じく,BABYでも開店するや否やお店へなだれ込み,長年の夢であったBABY「占拠」を実現しました。BABYの定員は16,私たちは16名,文字通りの満席でした。

 BABYのマスターはいつも,「社会へ出たら大事なことやから,あんただけには言うといてあげるわ…」と,ほぼ全てのゼミ生に社会人としての「常識」や「マナー」を教えてくれました。お酒を飲み楽しむ場所での暗黙のルール,上司や先輩におごってもらう時のマナー,横に座った人や周囲の人への気遣い,お酒の上手な断り方,お洒落で素敵な大人のお酒の飲み方などなど。学生たちにとって,BABYこそ社会人基礎力を育成する貴重な場所であった,と私は確信しています。
 私は社会人になる前に,お酒の飲み方や酒場での色々な対処方法も学ぶべきだ,と真剣に思っています。ゼミでの酒席のルールとしては,お酒の注ぎ合いはせず誰でも手酌,飲みたくない人には飲まさない(お酒がもったいないから),飲みたい人は飲みたいだけ飲めばいい(ただし絶対乱れてはいけない),と決めています。
 大人の酒場の魅力は,お酒を飲めなくても楽しく語り合い,気持ちよく仲間と交流し,知り合いを増やし,明日への活力や新しい発想を得ることです。お酒を飲まないBABYのマスターは私の思いに賛同して,いつも行くたびに,大人の酒場のあるべき姿を見せ続けてくれています。
 大人の酒場で長居は野暮,常連さんがボチボチ来られる20時少し前,私たちはBABYを出ました。その後は,ホテル中央セレーネまで戻り,「明日は卒業式の準備やらで,朝早くから大変やろうから,もう解散しよう」と,20時過ぎ,いわゆる「西成タイム」で解散しました。

11代目ゼミ生たちとの軌跡と奇跡

 翌20日,卒業式は無事終了,南キャンパスにて11代目卒業生のひとりひとりへ,私から卒業証書を手渡しました。その後は14時前にいったん解散。そのままご両親らと帰宅する者,ホテルでの謝恩会へ参加する者,それに参加しない者と三つに別れて行動。

 再び集まれる者だけで合流したのは,謝恩会の終わった21時過ぎ,ホテル中央セレーネ9階のドミトリーでした。そこに帰ってきた9名の卒業生らと,深夜まで語り合い,最後は涙をこらえて別れました。
 さて,私は「ゼミ生は戦友」という感覚で,一緒になって社会的実践を積み重ねてきたので,卒業生に対しては,「おめでとう」よりも,「ありがとう」という感謝の気持ちが先に立ちます。11代目ゼミ生12名は,個々の力はそう強くないものの,絶妙のバランスと優れたチームワークで,地域社会の発展に大きな貢献を残しました。当然ながら,先輩たちが残した功績の上に乗っかり,12代目の応援を得てのことですが,11代目が中心となって行った仕事には以下の諸点が挙げられます。
 1:西成から浪速にかけてのエンターテイメント(特に西成ジャズ)の支援
 2:阿倍野区の放置自転車問題の解決に向けた調査と提言
 3:南海電鉄やJR西日本などと協働してのモニターツアーの実施
 4:西成アート回廊プロジェクトの支援
かつての【松ゼミWalker】のバックナンバーを読み返していただければ,彼・彼女らの活躍がどれほどのものだったか,みなさんにもご理解いただけることと思います。11代目が活躍した2013・2014年の松ゼミWalkerの記事は,ゼミ活動に直結するものだけで,文字数にして実に20万字を軽く超えました。上記の2や4の活動は新聞やテレビでも紹介され,阪南大学の存在を広く世間へアピールできました。

 これらの活動の合間をぬって,台湾へも何度か調査へ行ったし,対外的な発表会にも何度か出場して結果を残したし,新世界の夏祭りや学術学会の運営も手伝った。それらに加えて,何よりも,毎週土日および長期休暇中のTICの運営と,外国人向けのまち歩きツアーを当たり前のようにこなしてきました。
 夢中で走り続けながらそのプロセスや成果を発信し続けて来た訳ですが,ふと後を振り返ると,驚くほどの「軌跡」と「奇跡」が並んでいました。わずか2年余りでこれだけの成果を残せた背景には,歴代のゼミ生たちが地域で社会的実践を積み重ね,確かな信頼を獲得してきため,色々な活動を実行し易い環境になっていることがあります。しかしながら,何よりも,11代目が真摯かつ前向きに努力したからに他なりません。
 11代目のゼミ生たちは,先輩たちから地域の課題をしっかりと引き継ぎ,11代目独自の活動を展開して地域の発展に大いに貢献し,次の世代へしっかりとつなげたと思います。本当に素晴らしい。みんなよく頑張りました。11代目にしかできなかった成果ばかりです。
 みなさんへは私だけでなく地域の人たちからも,たくさんの感謝の声が寄せられました。山田理事長,西口さん,ありむらさん,英範さん,松田兄貴,荘保さん,多賀井さん,二戸さん,友園の金沢さん,南海の矢野さん,インプリージョンの森さん,SHINGO★西成さん,臣永さん,などなど本当になかなか尽きません。どうか,胸を張って,自信と誇りを持って,社会へ出てください。私は,胸を張って,自信と誇りを持って,送り出します。

11代目へ「贈る言葉」

 11代目ゼミ長の松川和矢君ほか,副ゼミ長の橋田翔子さんと弘田愛美さん,池田千紘さん,山下喜央君の5名は,1回生から,いや,入学前の高校時代からの長い付き合いでした。11代目のゼミ生は,この5名に,袁麗萍と関伽緒里の2名を加えたわずか7名の精鋭でスタートしました。
 左の写真には,1回生の頃の11代目と,10代目,9代目,8代目が一緒に写っています。これは新今宮で何か活動があり,その後にすき焼きパーティをした際の記念撮影ですが,1回生で写っているのは,松川君,橋田さん,弘田さん,山下君,他には森重ゼミへ入り活躍した岡村綾佳さんと小山明日香さんも見えます。
 ゼミ長の松川和矢君は優しく思いやりがあり,とても目配りよく,みんなを励ましながら引っ張っていける貴重な人材でした。11代目のチームワークの良さは,松川君のリーダーシップがあったからに他ならないと思います。優しいだけでなく,頼れるゼミ長でした。松川君が中心となって,よく仕掛けた「サプライズ」,私は苦手でしたが,ゼミ生らの仲間意識を高めたと思います。
 思い出すのは,第2回西成ジャズ夢の祭典の打ち上げパーティ。この日がたまたま誕生日だった松川君は,超豪華な女性ボーカリスト陣から,バースデイソングを贈られたのですが,これを私だけでなく多くの西成ジャズファンがいまだに,「あり得ん話や」と嫉妬しています。
 プライベートではLCCを駆使して,海外へバックパッカー旅行を繰り返した旅好き。私の知る限りでも,韓国・台湾・インド・インドネシア・香港・ベトナム・タイなどを歴訪し見聞を広め,旅の経験値を飛躍的に高めました。国際観光学部での学びを満喫し,その成果をゼミ活動に活かしてくれた功労者です。

 橋田翔子さんは堅実でどっしりとした安定感がある一方で,どこか不思議とぬけたところもあり,そのバランスが絶妙でした。2010年のオープンキャンスの時,国際観光学部開設記念事業「観光まちあるき・まちづくりを体験しよう」というイベントがあり,私が案内役を務めたのですが,これに当時高校3年生だった橋田さんが参加していました。
 それ以来,入学してからも,ずっと,大学生活ではゼミ活動を最も重要だと位置付けてくれていて,私が誘ったフィールドワークやまち歩きによく参加してくれました。
 右上の写真は11代目が2回生の頃の住吉・堺まち歩きツアーの記念写真,橋田さんが写っています。
 地域に貢献できる活動をやろうという思いが,とても強い橋田さんは,自分の周囲や全体の動きを見渡して,「ほんなら私はこれを担当します」と,状況に合わせて自らを活かす能力に長けていたと思います。海外旅行で松川君が不在の際は,副ゼミ長としての役割をしっかりと果たしてくれました。
 弘田愛美さんは11代目のなかで唯一,1回生から台湾台北市での夜市調査や宮崎恋旅モニターツアーなどを経験し,9代目や10代目の先輩たちが大切に育て,ゼミ入りを強く勧誘した人物です。弘田さんに関しては,阪南大学へ入学してから,ずっと見守り続けてきたような気がします。

 左写真は弘田さんが1回生の際の台北夜市調査の記念撮影,この調査は9代目の活躍でとても大きな成果がありました。
 フィールドワークの記録係を担当すると,とても詳細かつ分かりやすくデータを記述するため,授業のなかで,良い例として彼女のフィールドノートを紹介した記憶があります。
 私は同行できなかったのですが,日中韓大学生プレゼンテーション・ビデオコンテストでの活躍も記憶に残っています。私が主催した海外での調査や旅行に皆勤したのは,おそらく弘田さんだけだと思います。ただ,一度寝入ったら震度5の地震が起きても熟睡している…との噂もありました。
 池田千紘さんは日本語でのコミュニケーション能力が優れ,まわりとの調和をとりながら楽しい空間を生み出せる人物でした。明るく姉御肌の性格からか,先輩からは「チロ」,後輩からは「チロさん」と呼ばれ,誰からも親しまれるムードメーカー。顔立ちのはっきりした派手な外見から,やや誤解されがちでしたが,実に繊細で思いやりがあり,礼儀をわきまえた女性でした。
 大阪市福島区の商店街まち歩き,南海との協働で実施した高野山へのモニターツアーなどで活躍しましたが,協働した地域や企業の関係者から特に評判の良かったのが池田さんでした。就職の決まったサービス業で,ゼミで培った能力を発揮してくれると思います。
 山下喜央君は物静かで慌てず,目立たないけれどもいつもそこにいる,というタイプの人物。冷静沈着なのと無頓着なのは実のところとても判断がつき難く,山下君はまさにそんな感じでした。しかしながら,「ここで誰か人がいなければ成り立たない」という局面は,いつも山下君がいたような気がします。11代目の連絡係は山下君が担当しましたが,とても反応が早く助かりました。
 同郷で同高校出身の松川君とのコンビで,バックパッカー経験もたくさん積み,充実した学生生活を送ったことと思います。池田さんと山下君はゼミ活動に時間や労力を注ぎ過ぎ,一時,卒業が危ぶまれたのですが,何とか無事卒業できたことも良かった。

 右写真は,いつもゼミ弁当を届けてくれる「紀月」で懇親会を開こう,と11代目が3回生の頃に集まった際のものです。
 袁麗萍さんと関伽緒里さんとは,1回生の頃は,私とほとんどコンタクトなし。この二人が「松村ゼミへ入ります」と言ってくれた際は,とても嬉しかった。
 袁麗萍さんは,中国語,上海語,広東語,英語,日本語,大阪弁を駆使でき,歌を歌うのがとても上手な才女。多彩で豊かな才能があるにもかかわらず,表に出してアピールしない控えめな人物でした。私がカラオケ嫌いなので,歌を聴くチャンスは一度だけでしたが,本当に上手。ジャズのナンバーも練習して,西成ジャズでデビューすることを真剣に勧めました。
 TICの運営や新世界との協働では,歴代ゼミ生のなかでも,抜群の功績を残してくれました。人工透析の必要なマカオから来た若者がTICへ駆け込んだ際の対応は,袁さん以外では決してできないものでした。まるで演歌に出てくる女性像のような,忍耐力と自己犠牲の精神の持ち主で,ゼミで活躍できる高い資質を備えていました。
 海外留学経験のある関伽緒里さんは英語が得意で,ゼミで最も大変なTICのシフト係を務め,英語リーダーとしても活躍してくれました。他の先生が主催するフィールドワークにも参加するほど,活動的な女性でした。あまり目立つタイプではないのですが,これまでのフィールドワークやまち歩きツアーの記念写真を見ると,そのほとんど全てに関さんが写っています。おそらく皆勤に近かったのでは。

 左写真は,11代目が3回生の頃,9代目の卒業旅行を兼ねた台北調査の際の写真。11代目は,松川君,橋田さん,弘田さん,池田さん,関さんが参加。この日は,台北リピーターで台北を熟知する9代目らとは別行動で,私と10代目ゼミ長の大宅和佳の引率で,11代目と12代目候補を連れて,台北のベタな観光スポットを巡りました。
 特定の話題がツボに入ると,関さんは話が止まらなくなり,一生懸命説明してくれるのですが,分からないことも多く戸惑いました。ジャニーズの話題にはほとんどついていけませんでしたが,若い人たちが好む音楽のコンサートやイベント情報などに詳しかったので,TICでも活躍してくれました。
 11代目のゼミは当初,この7名で活動する予定だったのですが,ここへ編入学してきた山中彩帆里さんとキム・テギョン君,原田雪帆さん,武石彩芳さん,休学から復帰した江畑知恵さんが加わり,一挙にパワーアップしました。
 山中彩帆里さんは,高校を卒業してからアメリカのシカゴのカレッジで学び卒業し,3回生から編入学。とてもおっとりとした女性で,日本語では無口で単発の返しが多いのですが,英語でしゃべり出すとなぜかとても饒舌。英語でのコミュニケーションにストレスを感じないためか,世界中に友達がいてラインでコンタクトを取り合い,ゼミ旅行の際も別行動で友達に会いに行っていました。韓国語も学びハングルが読めた山中さんは,ゼミで一番グローバルな人材でした。
 カメラを向けるといつも動きを止めてくれるため,私が撮影したゼミ活動の写真では,山中さんが最も多く写っているはずです。タイで初めて海外ゼミ旅行へ参加したのですが,ちゃんと適応し楽しんでいました。
 キム・テギョン君も3回生から阪南大学へ編入学。同学年よりもかなり年上だったので,兄貴分的な存在でした。日本語だけでなく英語も積極的に学び,TICの運営やまち歩きツアーでは,率先して外国人とコミュニケーションをとっていました。TICのスタッフが足りず探していると,キム君がわざわざ予定を空けて,「僕が入ります」と言ってくれることもたびたびありました。控えめだが真面目で男気のある人物でした。海外へのゼミ旅行へ一緒に行ったことはありませんが,国内でのまち歩きツアーはよく参加してくれました。
 原田雪帆さんと武石彩芳さんは,3回生の途中から松村ゼミへ加わりました。おそらく二人とも不安だったと思いますが,私たちは当然大歓迎,二人ともあっという間に適応して,まるで1回生からゼミにいたような存在感を放っていました。

 原田雪帆さんは,中国北京の対外経済貿易大学での留学から帰国して,ゼミへ加わりました。英語だけでなく中国語もしゃべれたので,ホテルへの就職がすぐ決まり,4回生でのゼミ活動はほぼ皆勤で参加してくれました。2014年春の台湾高雄での調査旅行にも松川君・関さんと参加,現地で中国語を使って活躍してくれました。
 武石彩芳さんは,あまり多くは語らないがやる時はやる不言実行の人。黙々と動き,黙々と食べ,黙々と動き,黙々と食べ…。武石さんは,ゼミの「食育」に最も馴染んでくれた学生かもしれません。城崎温泉へ行ったモニターツアーでも,黙々とカニを食べていたのを覚えています。【肉の日】を除いて,飲み食いだけを目的に集まることは,決してないゼミなので,食べている姿が印象に残っているということは,すなわち,必ずしっかりと働いた後だということです。
 原田さんと武石さんはタイへのゼミ旅行にも参加,二人ともゼミに馴染もうと,ゼミでの活動やイベントには,本当に積極的に参加して助けてくれました。
 海外での経験値を高めるため1年間休学した江畑知恵さんは,色々な意味でパワーアップしてゼミへ復帰しました。そもそも能力も身長も,歴代のゼミのなかでも抜群に高く,復帰後は,すぐに和田アキ子さんのような「ゴッド姉さん」の地位を築きました。ゼミ活動ではここ一番のイベントやまち歩きツアーで,圧倒的な存在感を発揮してくれました。

 左写真は2014年,今から1年前の桜ノ宮での花見の後の記念撮影。原田さん,武石さん,江畑さんほか,11代目が参加しています。
 さて,ゼミ11代目はこの卒業式を終えた12名のほかに,私のなかではあと3名の交換留学生たちがいます。韓国の慶煕大学からの許ソンミ,大邱大学からの洪アルム,台湾の国立高雄餐旅大学からの李家伶の3名です。交換留学生として11代目と時間を共有したこの3名は,いずれもすでに母国へ帰り,それぞれがそれぞれの道をしっかりと歩み,11代目とも心の奥底でつながり,卒業式に際してメッセージも贈ってくれました。韓国も台湾もすぐ近く,気軽に日本へ遊びに来てください。その際は,必ず私に連絡してください。

最後に…「ここから いまから」

 最後にみなさんへ言っておきたいこと…,それは西成アート回廊プロジェクトでSHINGO★西成さんからいただいた言葉「ここから いまから」。あの壁画を描き終えてから,私とSHINGO★西成さんとで,何か歌を作ろうと動き始めました。まだ実現するか分かりませんが,歌のもとになる原詩「ここから いまから」を私が書きました。その一節をみなさんに贈ります。

 ここから世界へ いまから始まる
 いまから未来へ ここから始める
 ここから始まる いまから始める

 遅すぎることはない 怯えることもない
 みんなで生きている世間やからこそ
 誰かとぶつかる こともあるって
 それをビビッてたら 何も変わらへん
 しくじってもええ やらんよりはまし

 ここから始まる いまから始める
 転ぶんやったら 後ろよりも前 やろ
 じっくり自分の足元を見つめ
 まずは一歩 踏み出そうや

 生まれて来たのは みんな偶然
 でもいつか死ぬのは 残念やけど必然
 だから生きるのは 当然やから毅然
 だからこどもたちへ 夢をつなごう

 この詩に込めた思いは,どんな時でも真摯かつ前向きに,「ここから いまから」「始めよう 変えよう」という気持ちを持ち続け,「毅然」とブレないで生きていく心意気の大切さです。過去を振り返ってばかりではあかん,過去を活かすためにも,未来を見据えて歩み出すことが大切です。
 でも,たまには振り返りたくなる時もあるでしょうから,また,そのうち,集まりましょう。その際は,11代目だけでなく,全てのゼミOB・OGに声をかけます。みなさん,ご卒業「ありがとう」。
 そして,今までの卒業生にも,改めて「ありがとう」。ゼミOB・OGで連絡がつかなくなっている人もいます。この記事を読んだら,OB・OGはまず知っている同窓へ拡散してください。そして,この記事を読んだOB・OGはぜひ私へ,近況報告をしてください。よろしく。そのうち,声をかけます。