【松ゼミWalker 番外編】 中国延辺朝鮮族自治州での現地調査から(教員 松村嘉久)

 2014年8月4日(月)から13日(水)までの9泊10日で,中国吉林省延辺朝鮮族自治州の州都・延吉市,および国境の街・図們市へ現地調査に行ってきました。この現地調査は,科学研究費補助金(基盤研究(B))「中国東北における地域構造の変化に関する地理学的調査研究」(平成24年度から26年度)【研究代表者・小島泰雄(京都大学人間・環境学研究科・教授)】【課題番号24401035】からの支援を受けて実現しました。
 日本側が8名,中国側が7名参加する日中共同の調査団を編成し,中国科学院東北地理与農業生態研究所および延辺大学の協力を得て,日中双方が同じホテルへ合宿しての大規模な現地調査となりました。
 昼間は日中双方の1名ずつがペアーで,バラバラに散って現地調査へ出かけ,帰ってきてからの夕食や翌朝の朝食で意見交換の毎日。全員集合の写真を掲載しようとすると,会食しているものが中心になりがちですが,各ペアーが情報や意見の交換を行うこの会食の時間がとても重要なのです。
 共同調査団としての日程は8月9日(土)から8月25日(月)まででした。松村はオープンキャンパスやポーランドへの学会出張があったため,誰よりも早く先乗りして,現地で調査団本隊と合流し,先に帰国しました。10年ほど前ならば,日本側の全員が3週間近く,一緒に調査活動できたのですが,最近の大学教員はみんな忙しくて,なかなかそうはいきません。
 さて,私たち教員はこうした海外での現地調査について,帰国してから調査内容をまとめ,報告書を書いたり,学会で発表したりします。

 例えば,9月21日(日)に富山大学で開催される日本地理学会秋季学術大会でも,この調査団メンバーが中心となって,シンポジウム「ポスト満州としての中国東北─フィールド調査に基づく地域像再考─」を行い,「長春における満州国時代の観光資源をめぐって」というタイトルで松村も発表します。
 しかしながら,こうした報告や発表に盛り込まれるのは,現地調査で見聞したことの10分の1か2くらいに過ぎません。本年度の私の調査テーマは,右の写真(国境の街・図們市の駅前の様子)のような,宿泊施設が立ち並ぶ状況,「観光資源と宿泊施設の立地と特性」についてでした。
 ところが,現地に行けば,それこそホテルのロビーで休んでいても,食事や買い物をしても,街を歩いていても,当然,調査に出かけても,極論すれば,寝ている時以外,自分の調査テーマと直接関係の無い情報が数多く集まります。

 1日過ごして疑問に思ったことは,夕食や朝食で中国側の先生方とご一緒する際,「なぜ?どうして?」と伺うと,色々と教えていただけ,知識や地域認識が高まります。例えば,左写真は,延吉市内中心部の様子。中国側の先生に伺うと,このあたりは1980年代から90年代に開発された旧市街地で老朽化が進んでいるため,もう再開発が始まっている,新市街地は郊外にひらけているとのことでした。
 松ゼミWalker番外編では,そうした現地調査のこぼれ話のいくつかを紹介します。こうしたこぼれ話は,「世界地誌学」や「観光景観論」など,大学の講義で語る最新ネタになる場合もあり,大学で学ぶという意義は,こうした現地調査や研究活動の最前線に触れられることにあります。
 私はいつもゼミ生たちに言うのですが,教科書に掲載される内容は,評価が固まった過去のもの,それを読んで将来を展望しようとしても,限界があります。大学の講義のなかでは,将来どうなるかわからない最前線の現場のことを語り,それについてみんなで考えられるよう努めています。全ての講義でそういう訳には行きませんが,それが「大学」という高等教育機関の使命だと信じています。

国と国との境目で

 今回の現地調査では,日本人がなかなかイメージしにくい国と国との境目,「国境」というものの存在をひしひしと感じました。日本の場合は,陸路の国境は存在せず,海峡や広い海の向こう側が外国です。ところが,延辺朝鮮族自治州には,中国と朝鮮民主主義人民共和国とロシア連邦極東地域の三ヶ国を見渡せる陸路の国境地帯があります。
 左写真の背景で語るならば,中央部の白い建物までが中国領,その右側の河川(図們江)を渡ると北朝鮮領,その左側の湖はロシア領です。記念撮影ポイントは,中国領側にある展望台です。
 バックパッカー時代の若い頃,1980年代半ばから1990年代半ばにかけて,私はいくつもの陸路の国境を通過あるいは見学した経験があります。例えば,香港と中国,中国とパキスタン,インドとネパール,シンガポールとマレーシア,ベトナムとカンボジア,タイとラオス,中国とベトナム,中国とミャンマー,中国とネパールなどなど。驚くほど簡単に通過できたところもあれば,苦労に苦労を重ねてやっとの思いで通ったところもあり,国境だけ見に行ってあきらめて引き返したところもあります。
 一番の絶景は,中国とパキスタンの国境地帯,新疆ウイグル自治区のカシュガルからタシクルガンを経由して,パキスタンのイスラマバードへ抜けるカラコルム街道でした。中国とネパールの国境越えもヒマラヤ山脈沿いの絶景,一眼レフカメラの広角レンズを横に構えても縦に構えても,風景がはみ出て切り取れず,困ったことを覚えています。今にして思えば,20歳代で体力も気力も充実していた頃だからできた旅だった,とつくづく思います。

 不思議なもので,国境を越えると,たとえ同じ民族が連続して住んでいても,街の様子や景観が「明らかに変わった」と感じるものです。なぜそうなるのか。それは国境の内と外では,国家としての制度やシステムが変わるからです。
 2003年に中国とベトナムの国境の街・雲南省河口を訪問した際は,その国境を行き来するトラックや人々の多さに驚きました。左写真(2003年撮影)の「中国河口」と書かれた白色のゲートまでが中国領,間に橋を挟んで,奥のベトナム語表記の茶色のゲートからはベトナム領。国境にかかる橋の上には,中国へ入国する地元のベトナム人たちが行列をなしていました。
 この他にも,1985年に当時のイギリス領香港から中国広州へ入国した際は,冷蔵庫や洗濯機を天秤棒で担いで走る運び屋に驚き,どちらの地域にも同じ広東語を話す人たちが住んでいるのにもかかわらず,香港では繁体字,広州では公式には簡体字となり,街の明るさや華やかさの違いに驚いたものでした。その後,香港は1997年に中国へ返還され,イギリス領香港は中国の香港特別行政区となって中国化が進み,広州も改革開放のもと大発展を遂げて香港化が進んだので,過去の国境内外の差異は,ずいぶんと薄まりました。

 さて,中国・ロシア・北朝鮮との国境地帯は,陸路で抜けられないところでしたが,中国側からロシア・北朝鮮方面を望み,3ヶ国の温度差を感じました。
 中国側は団体バスや自家用車で観光客が続々と来て,国境地帯を見渡せる展望台にのぼり,わいわいがやがやと賑やか。地元吉林省からの国内観光客が最も多いようでしたが,韓国からの観光客も目立ちました。一方,国境の外はロシア側も北朝鮮側も,不気味なくらい静まり返り,人の動いている気配が全く感じられません。
 図們江沿いや陸路の国境沿いには,鉄条網が張り巡らされた高さ2メートルほどのフェンスが延々と続いています。そのフェンス沿いの一部地域には土産物屋や,北朝鮮側をのぞく望遠鏡が並び,北朝鮮で実際に使用されているウォン紙幣や,肖像バッチや勲章の類が土産物として売られていました。

国境をめぐって

国境地帯からの帰路,「圏河口岸」の近くで休憩したのですが,この「口岸」という単語が日本語に訳しにくい。「口岸」を単純に日本語訳すると「税関」になりますが,「税関」を中国語訳すると一般には「海関」です。長い国境線には鉄条網が張り巡らされていますが,「口岸」には出入国管理と税関の機能があり,許可を得たものはチェックを受けて通過できます。いわば陸の国境通関地点といったところです。
圏河口岸の中国側には,通関業務が始まるのを待つトラックが列をなし,少数ながらも,北朝鮮側へ行く中国人や外国人が待っていました。
さて,中国は多くの国々と陸路の国境で接しています。ベトナム,ラオス,ミャンマー,ネパール,ブータン,インド,パキスタン,アフガニスタン,タジキスタン,キルギス,カザフスタン,モンゴル,ロシア,北朝鮮。
シルクロードやチベット方面の国境は自然環境が厳しく民族問題も抱えているため,最近では外国人観光客が通過するのはとても難しいと聞きます。逆に,私のバックパッカー時代は,公共交通での移動は困難で,とても疲れる旅ではありましたが,制度的には比較的通過しやすい国境でした。
一方,ベトナム・ラオス・ミャンマーと中国との国境地帯は現在,国境地帯に住む地元住民どうしの往来はとても賑やかで,外国人観光客も許可さえ得れば容易に通過できます。ちなみに,私のバックパッカー時代,これらの国境を越えるのは無理でした。特に中越国境には,80年代終わりでも緊張感が漂っていました。
世界で国境を巡る状況が大きく変わったのは,やはり1989年末のベルリンの壁の崩壊と1991年末のソビエト連邦の崩壊,それに伴う東西冷戦の終焉がおきて以降のことでしょう。

 私が精力的にアジアを旅していたのは,まさにそのさなかの頃で,基本的な状況は,東西冷戦構造のもとなかなか変わらなかったものの,世界情勢の変化の兆しが芽生え育ち始めていました。
現在では,東ヨーロッパ諸国やインドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)も旅しやすくなっていますが,私のバックパッカー時代は,政情が不安定で旅行上の制約も多く,色々と大変でした。逆に,パキスタンやアフガニスタンやシリアなどの国々は,昔の方が旅しやすかったかもしれません。「観光は平和へのパスポート」とよく言いますが,こうした世界情勢の変化には常に関心を持っておく必要があります。
さて,中国と北朝鮮との国境ですが…。中国人が中国から北朝鮮側へ行くのは比較的容易,その逆は厳しくコントロールされているとの印象を受けました。とは言うものの,延吉市や図們市の市街地では,北朝鮮から来た労働者がかなり働いている模様でした。特に写真のようなレストラン,「平壌服務員(ピョンヤンの従業員)」をうたい文句にするところが散見され,北朝鮮から芸術パフォーマンスや労働しに来ているとのことでした。

中国朝鮮族は犬が好き

 この話は誤解されやすく,偏見にもつながるので,冷静に読んで欲しいのですが,これは「愛犬家が多い」という意味ではありません。中国朝鮮族のなかには「犬を好んで食べる人が多い」のです。

 「犬を食べる」というと,たいていの日本人の反応はまず驚き,次に嫌悪感を表します。学生などからはよく,「先生も食べたんですか?」と聞かれますが,「当然」と答えると眉をひそめられ,「で,味はどうでしたか?」との問いに「意外といけるで」と応じると,たいていは「ええー!! 信じられへん。」とドン引きされます。例えば,左写真の卓上にある肉は犬と魚のみ。中国東北地方では,犬肉と度数の強い白酒を一緒に食するのが一般的です。
 しかし,冷静に考えてください。牛や豚は食べてよく,なぜ犬や猫はダメなのですか。鶏(ニワトリ)や鴨(カモ)はよくて,なぜスズメやカナリヤはダメなのですか。日本人はおそらく世界で最も多種多様な海産物を食しますが,外国では蛸(タコ)や烏賊(イカ)を嫌う人は多く,鱧(ハモ)やウツボは何か恐竜みたいだし,海鼠(ナマコ)やホヤ貝やアメフラシなどを初めて食した人はチャレンジャーだったと思いませんか。
 日本人が鯨(クジラ)や海豚(イルカ)を食すことは,伝統的な食文化であるにも関らず,広く世界から批判が浴びせられています。かつては日本でも犬を食べていたようで,つまるところ,お互い様です。

 基本的に,生命を有するものから生命を奪って食することに変わりはなく,何を好んで食すのか,何をどういう理由で食さないのかという現象は,好き嫌いや是か非かという問題ではなく,文化そのもので,真面目に「食文化論」のお話となります。
 犬食文化は現代アジアに広く存在します。中国国内では,東北部や,南部や西南部でも,犬食文化が広がります。地域名で言うなら,広東省,福建省,広西壮族自治区,貴州省,雲南省,吉林省あたり,民族で言うなら,主なところでは,朝鮮族,客家(ハッカ),ハニ族,ミャオ族あたりでしょうか。犬食文化圏に住む漢族も,犬食に抵抗はありません。中国朝鮮族とルーツの同じ韓国でも,香港や台湾やベトナムでも,犬肉は食べられています。写真は今から20数年前,貴州省の市場で私が撮影したもの…,決して犬を散歩させているのではありません。養豚ならぬ養犬を市場へ売りに来た人です。
 日本のイメージで言うと,「牛や豚が無いから犬肉を食べるのでは」という感覚でしょうが,それは間違い。これらの地域では犬肉の方が高級で,健康にも良いと信じられているから,好んで犬肉が食されるのです。当然,これらの地域では,犬肉が市場でずらっと並んで売られていて,私も犬食文化圏外に人にはグロテスクにしか見えない写真を何枚も持っています。
 牛肉の場合,「松阪牛は…,近江牛は…,佐賀牛は…」と日本人が語るよう,中国朝鮮族は「南方産の犬肉は…,やっぱり東北産の犬肉は…」と犬肉の味や質を,産地や飼育方法から語ります。

 四字熟語に「羊頭狗肉」(羊の頭を掲げて犬肉を売る)があり,これは「見せかけは立派だが,実際には粗悪な品を売る」というマイナスの意味で広がっています。この熟語はおそらく,犬食文化を有さない羊食文化に属する人が作ったものでしょう。犬食文化圏の人が熟語を作ったならば,「狗頭羊肉」になったことでしょう。
 世界を旅していると,色々な食文化と出会い,驚き,戸惑い,時に怖気づきもします。しかし,私はいつも,「郷に入れば郷に従え」で臨みます。私には宗教的な制約もアレルギーも特にないので,地元の人が好んで食しているものは,基本的に全て食し,美味しいものは素直に「美味い」と賞賛し,口に合わないものは「すいません,無理です」と泣きを入れることにしています。
 写真は,2003年に中国雲南省南部のハニ族の集落を訪問した際,「遠く日本から友人が来てくれたのだから,ぜひご馳走を食べて欲しい」と,おもてなしの心から,わざわざ蜂の巣を採りに行って,その幼虫を取り出しているところ。これが野菜と炒められて食卓に並び,当然,私は美味しくいただきました。
 大切なことは,食して経験して,自分で判断する,ということです。
 ところが,最近の学生には,特にアレルギーもないのに食わず嫌いが多く,安易に「嫌いです」「食べられません」と言う者が多いような気がします。食べる前に怖気づき,食べることを嫌がり断る。旅に出ても,マクドナルドやスターバックスを見つけてははしゃぎ,吉野家を見つけては狂喜する。それでは成長しません。

 現地のものを食べてみる好奇心と,美味いかまずいか,口に合うか合わないかを,しっかりと自分で見極める感性を,若いうちから磨くことがとても重要です。
 写真は2008年のゼミ旅行で北京へ行った際の観光屋台街の串焼きメニュー。並んでいたのは,コオロギ,サソリ,何かの幼虫などなど。地元の人々が恐る恐る食べているようなゲテモノの類を無理して食べることはありません。しかし,地元の人々が当たり前に食し,当たり前に美味しいと思っているもの,それはぜひとも試してみるべきです。
 学生たちのドン引き覚悟で,私の好みを。納豆は大好き,クサヤは物による,琵琶湖の鮒寿司は苦手,犬はまあまあ,猫はまずい,蛇は基本的に美味い,ザリガニは上手く泥抜きすれば間違いなく美味しい,カタツムリもカエルも美味い,孵化しかけのアヒルのゆで卵もグロテスクですが確かに栄養満点,サソリやタガメは食感が嫌い,でも食べられる,カブトムシなどの幼虫の類は火を通せば食える,が嫌い…,となります。
 郷に入れば郷に従え,異文化を理解するための通過儀礼です。