【松ゼミWalker vol.120】日中韓大学生プレゼンテーション・ビデオコンテストの日本大会に参加して

日中韓大学生プレゼンテーション・ビデオコンテストに向けて (3回生 山下喜央)

 2013年6月16日(日)の13時から,東京都秋葉原のベルサール秋葉原Bホールにて,日中韓大学生プレゼンテーション・ビデオコンテスト(英語名 Trilateral New Wave: University Student Short Video / Multimedia Presentation Contest,以下は日中韓コンテストと略す)の日本大会が開催されました。
 主催は日中韓三国協力事務局,後援は外務省と国際交流基金という,本格的なイベントでした。コンテストのテーマは,ずばり「日中韓三国協力」,参加チームは,日本人,中国人,韓国人で構成することが条件でした。平たく言えば,日本・中国・韓国という三ヶ国の平和や協力について,大学生が考え,ビデオやプレゼンテーションを作成して発表して,その内容を競いあう,というものでした。

 主催者から送られてきた最終案内によると,出場チームは18組,ビデオもプレゼンも発表は10分以内でお願いします,とのことでした。松村ゼミはプレゼンで出場。プレゼンの作成は,弘田愛美(高知出身の3回生),松川和矢(大阪出身の3回生),袁麗萍(上海出身の3回生),許善美(ソウル出身の3回生で慶熙大学からの交換留学生),林宜欣(台中出身の4回生で国立高雄餐旅大学からの交換留学生)で行いました。
 しかしながら,日本大会当日,松川君の都合がどうしてもつかなかったので,私・山下喜央(大阪出身の3回生)が代役を務めることとなり,弘田・山下・袁・許・林の5名が松村ゼミを代表して,日本大会に挑戦することになりました。
 メンバーを選ぶのに際して,台中出身の林宜欣さんをメンバーに加えるかどうか,私たちのゼミでは,中国と台湾の複雑で敏感な関係を松村先生から学んだうえで,色々と話し合いました。
 今回の日本大会は日中韓3ヶ国の枠組みですが,普段のゼミ活動はそんな枠組みは全く気にすることなく行っているし,新今宮TICの利用者に関して言うならば,中国人よりも香港・台湾からの方が圧倒的に多い。松村ゼミの答えとしては,むしろ台湾出身の林宜欣さんに加わってもらった方が,私たちの活動の紹介やメッセージにつながるのではないか,ということになりました。松村先生からのアドバイスで,「何々人という言い方はやめて,国を背負うことなく,どこそこ出身の個人という立場で行こうや」となり,発表者もゼミ生たちも納得しました。

 さて,松川君が中心となって作成した松村ゼミのプレゼンは,表紙タイトルも含めてわずかスライド5枚で,そのなかに,みんなで出演した4分40秒間のビデオを埋め込みました。6月13日(木)のゼミにて,みんなの前で最終のチェックを行いました。発表用の原稿も仕上がったし,何度か通しで練習したので,「これで大丈夫」と安心しました。
 すると,そのゼミの日の夜,松村先生から,「東京へは遊びに行くのではありません。松村ゼミの代表として,日々の活動を発表しに行く自覚を持ってください。…準備不足や想定不足は許しません。」という実にキツイ指導メールが発表者らへと届きました。これで発表者みんなの気持ちが一気に引き締まりました。
 その日の深夜に松村先生から届いた最後のメールでは,「(松村ゼミの)理想・思想を貫いて完璧にプレゼンできたならば,たとえ負けても,(…中略…)胸を張って帰ってきてください,と思っています。ただ負けてもいい訳ではなく,松村ゼミのスタイルを貫いた結果,たとえ評価されなくても問題ない,という意味です。その点を理解してください。(…略)代表みんなで力を合わせて,精一杯,努力してください。努力して,出来なかったこと,かなわなかったことは許します。よろしく。」という熱いメッセージが書かれていました。

東京への道のりと東京山谷地域でのこと (3回生 袁麗萍)

 私たちは日本大会の前日の6月15日(土)に,伊丹空港からANAで東京入りしました。北大阪に住む弘田さんを除く4名は,15日10時に難波のバス乗り場で待ち合わせし,10時20分発の伊丹空港行きのバスに乗り,わずか20分ほどで伊丹空港に着きました。ANAが発着する南ターミナルで弘田さんと合流。私は関西国際空港発着の国際線はよく利用しますが,日本の国内線利用は初めてでした。

 飛行機は定刻通り12時に離陸し,13時10分に羽田空港へ着陸しました。私たちはその日から2連泊する予定の「ホテル明月」のある南千住駅へと移動しました。当初,南千住駅から近く,松村先生もお薦めの「カンガルーホテル」での宿泊を予定していたのですが,残念ながら満室。山下君が色々と探してくれ,ホテル明月を予約してくれました。羽田空港から南千住駅までの運賃は680円,1時間弱で到着しました。
 南千住駅周辺は通称・山谷と呼ばれる地域で,私たちが活動している新今宮TICのあるあいりん地域(通称・釜ヶ崎)と,とてもよく似ています。元々は日雇い労働者が全国から集まった街だったのが,今では生活保護と外国人旅行者の多い街に変貌しています。労働者向けの簡易宿所から,外国人や国内観光客向けのホテルへ転業したところが多いのも,あいりん地域とそっくりです。南千住駅は,JR・つくばエクスプレス・地下鉄日比谷線が乗り入れていて,交通はとても便利なところで,特に,秋葉原へのアクセスは,つくばエクスプレスでわずか8分240円と絶好の立地です。

 ホテル明月は南千住駅から隅田川の方向へ歩いて10分くらいのところ,民家が立ち並ぶ道の奥にありました。ホテル1階は回廊状になっていて,シャワー室が2室あり,大浴場,台所兼コインランドリー室(写真参照),男女別のトイレがあります。共同スペースにはパソコンが2台あり,無線LANやWi-Fiも無料で使え,部屋のベッドやお風呂も清潔でした。
 ホテル明月の予約は,阪南大学松村ゼミの名前で行っていました。フロントでチェックインする際,ホテル明月の伊藤肇支配人から,「阪南大学の松村先生があいりん地域で色々な活動をされていることは,私も知っています。みなさんが観光案内所をやられている学生さんたちですか。」とわざわざ声をかけていただき,「松村先生によろしくお伝えください。」とお名刺もいただきました。
 私たちが泊まったのは,二段ベッドが2つあるグループルーム(女性4名使用で1室8,000円),シングル(山下君1名で3,000円)でした。新今宮界隈のホテルはベッド数が100を超える規模のところが多いのですが,このホテル明月は満室になっても30名収容くらい。規模は小さいのですが,その分アットホームな感じがしました。宿泊客で多いのは,やはり外国人だそうです。
 宿泊料金は同じクラスの客室で比べると,新今宮よりはやや高めですが,ここは東京の真ん中,大阪との物価の違いを考えると,納得のお値段です。部屋にテレビと小さなテーブルがあり,狭いながらも寝るだけなら十分でした。あいりん地域の簡宿は個室化が進み,今回女性たちが宿泊したグループルームのようなドミトリー形式の相部屋は,ほとんど残っていないのですが,東京の山谷地域には割と残っているそうです。
 大阪に帰って松村先生から色々と伺ったのですが,ここ数年,松村先生は毎年,東京の山谷地域や横浜の寿地域へ足を運び,ホテル経営者や観光まちづくりを志す人たちとの交流を深め,あいりん地域との連携の可能性を探っていらっしゃるとのことでした。ホテル明月は南千住駅の北側の隅田川近くにあり,落ち着いた住宅街のような雰囲気でした。松村先生によると,「山谷地域でホテルの多いのは,南千住駅の南側。泪橋の交差点からもっと南側の一帯や。」とのことでした。

日本大会前日のプレゼン練習と高まる緊張感 (4回生 林宜欣)

 私たちはホテル明月で一休みして,16時半頃,全員そろって浅草へと向かいました。松村先生は,「山谷から東京スカイツリーも,富士山も見える。山谷から浅草の浅草寺へは十分歩ける距離で,途中に吉原があるので面白い。」と伺っていました。しかし,つくばエクスプレスを利用すれば,南千住から浅草へは3分160円で着くので,私たちはそれを利用しました。
 浅草寺界隈は新今宮と同じで夕方になると,早くシャッターを下ろすお店も多いのですが,シャッターに歌舞伎や相撲の絵が描かれていて,とても日本の情緒が漂う街並みでした。浅草寺でおみくじを引き,その近隣の商店街を散策してから,東京スカイツリーが良く見える隅田川の川辺まで向かいました。
 しかしながら,気になるのはやはり明日の日本大会。日が暮れかかる19時過ぎ,明日のプレゼンの練習をするため,観光気分は早々に切り上げ,食べ物と飲み物を買ってホテル明月へ帰りました。
 ホテルで休憩してから,夜の21時,全員でグループルームに集まり,明日のプレゼンの練習を始めました。許善美が持参したパソコンで,パワーポイントの動きを確認しながら,一人ずつの発表時間を計りました。明日の大会現場の状況を予想して,マイクの受け渡しやパワーポイント操作なども考えて,プレゼン時間も微調整しました。真剣に取り組んでいたからか,あっという間に時間は過ぎ,気が付いた時には深夜24時を過ぎていました。

 明日の日本大会,出場するのは18チームで,私たちはそのなかの最後,18番目の発表だということはわかっていました。しかし,どこの大学がどのような話題で出場するのか,それは全くわかりませんでした。他大学の色々な発表を見てから,私たちの発表となるので,それがプレッシャーとなるのか,有利に働くのか,それも全くわかりませんでした。
 ただし,全員集まってのこの3時間を超えるプレゼンの練習で,明日の発表のイメージがわき,チームの結束も高まりました。私たちは翌日の出発時間を決めて,この日の予定の全てを終えました。
 日本大会当日の早朝,松村先生から「最後の指導」というメールが届きました。「国と国の関係とは違い,人と人の関係でつながる」重要性を強調すること,「質疑応答に備えて誰が中心に対応するのか決めておくこと」などの後に,「健闘を祈っています」と結ばれていました。6月16日(日)は阪南大学のオープンキャンパスだったので,松村先生は当然そちらに参加,東京には駆けつけたくても来られない状況でした。みんなでもう一度,松村ゼミの代表として,しっかりとプレゼンしよう,と出発前に確認し合いました。

日本大会当日の様子 (3回生 弘田愛美)

 大会当日,会場へ入って大会出場18チームの概要がわかりました。私たち阪南大学以外の参加校は,早稲田大学・東京大学・慶応大学・東京造形大学・法政大学・日本大学・明治学院大学・一橋大学・千葉大学・立命館アジア太平洋大学・静岡県立大学・国際教養大学など,関東地方の有名校がほとんどでした。私たちは最後の発表だったので,他のチームの発表を聞き,どのような流れなのかをつかんで本番に挑むことが出来ました。
 会場へ入って予想外だったのは,一般の観客や応援団がほとんどいなくて,ほぼ関係者ばかりのなかでの日本大会であったことです。松村先生からは社会人基礎力育成グランプリ全国大会の様子を伺っていたので,審査員よりも観客を意識しなければと思っていたのですが,その必要はありませんでした。

 さて,私たちは昨夜,ホテルで何度もプレゼンの練習をしていたので,発表直前まであまり緊張しなかったのですが,舞台に上がる瞬間が近づくと,やはりとても緊張しました。不安を解消しようと,私は何度も自分の原稿を読み直してから舞台へ。ところが舞台に立ちマイクを持つと緊張は一挙にピークへ。危うく頭が真っ白になりかけましたが,昨夜の練習のおかげで,何とか予定通りにプレゼンを行えました。他のメンバーも,緊張しながらも,しっかりとしゃべれていました。
 私たちのプレゼンは,普段から新今宮で行っているゼミ活動,新今宮TICのことについてでした。松村ゼミは日中韓だけでなく,台湾やミャンマーからの留学生も一緒に活動する,とても国際色豊かなゼミです。新今宮TICで私たちが対応する外国人旅行者は,まさに世界各地から日本へ来られた方々です。国際観光交流は,国と国との関係ではなく,人と人との関係で行われるものであり,「観光は平和へのパスポート」,そこに国境なんか存在しない,というのが松村ゼミのプレゼンのメッセージでした。

プレゼンテーション資料&ビデオ

 プレゼンの結果,残念ながら,私たちは特に何の賞もいただけませんでした。しかし,松村ゼミのメッセージは伝えられたと思うので,悔しさは残りますが,このような機会を与えていただき参加できたことに,心から感謝しています。プレゼンについても確かな手ごたえはありました。プレゼン終了後,他大学の教授が,新今宮TICの活動について,色々と詳しく尋ねて来られました。
 最優秀賞を獲得されたのは,6組目の明治学院大学と東京造形大学で編成された,DROWというチームでした。このチームは,日中韓のいずれの国でも使用するお箸に注目して,それぞれの国で形や色に違いがあり,その深層に文化や考え方の違いがある,というプレゼンでした。この日本大会で色々なチームの面白い発想やとても優れたビデオを見て,本当に良い経験を積めました。
 日本大会の結果発表が終わった後,出場者全員で記念撮影をしてから,懇親会へと向かいました。懇親会会場では他大学の学生たちと色々な会話をしたのですが,多くの方が新今宮TICの活動に興味を持って下さっていました。松村ゼミの先輩方から代々受け継がれてきた新今宮TICの活動が,関東方面でも知られていて,とても嬉しく誇りに感じました。発表者は全員,参加証明書をいただき,私は代表者だったのでLeadership証明書もいただき,本当に参加させていただいて良かったと思います。

日中韓大学生プレゼンテーション・ビデオコンテストに参加して (3回生 許善美)

 日中韓大学生プレゼンテーション・ビデオコンテストの大会会場に到着して分かったのですが,18チーム中の半分近くが早稲田大学と東京大学で,関東地方以外からの参加チームは3,4チームくらい,というアウェイな状態でとても緊張しました。
 私たちの発表は最後の18番目。ゆっくりと15時頃から会場入りしてもよかったのですが,他のチームの発表も聞きたかったので,私たちは早くに会場入りして大会の開始を待ちました。大会は主催者の日中韓三国協力事務局の開会挨拶,続いて,日中韓の外務省や大使館からの審査員たちの挨拶で始まりました。主催者を代表して挨拶された松川るいさんは,とても理知的で美人な方でした。
 以下,18チームのプレゼンテーションの概要を紹介していきたいと思います。

 最初のチーム「Go! Go! 法政」は,大学の教室で,日中韓の大学生が初めて出会ってから友達になる過程を紹介しました。続いて2番目のチーム「Archers」は,若者たちが最も関心を持つ恋愛話について,3ヶ国間のスタイルの違いなどを紹介しました。
 3番目の「Cooperation in Asia (CIA)」は,早稲田大学の女子学生たちで構成されたチームで,私は有力な優勝候補だと思いました。このチームは日中韓各国のお互いの認識の違いと理由について,歴史や領土問題などから迫り,審査員特別賞を受けました。
 4番目の「APU」は,発表者たちがとてもユニークで発表も面白かったので,とても印象に残りました。キャンパス内で偶然に出会った女子学生を好きになった男子学生たちが,日中韓3ヶ国の友人たちの助言を受けて,その彼女と付き合うようになる,というプレゼンでした。5番目の「3 Arrows」は東京大学の学生たちで,各国の就職活動がどのように違うのかについての発表でした。

 6番目の「DRAW」のテーマは,日中韓の三ヶ国が共通して使っている「お箸」についての発表でした。お箸という文化は共通ですが,各国の文化や風習が異なるため,お箸の形や使い方が微妙に異なり,そのような微妙な差を理解することが,お互いの国の理解につながるのではないか,という発表でした。私もこの発表を聞いていると,「その通り!」と思うことがたくさんありました。結局,このチームが最優秀賞を獲得しました。
 7番目のチーム「W.S.P」は,3ヶ国の関係を良くするために必要なことは何か,と話題で学生たちにインタビューした内容を発表しました。8番目の「Eco-Marine.」は,海洋生物に関心がある学生たちが集まったチーム,3ヶ国の海洋生物の保護について比較していました。
 9番目の「Media of Student in East Asia (MSE)」は,メディアコンテンツを通じて3ヶ国の協力を図り,価値観の違いを認め合おうと主張していました。10番目の「Waseda SILS」は,3ヶ国の歴史認識問題を解決するためには,3ヶ国が協力して一緒に歴史教科書をつくらなければならない,という内容の発表でした。

 11番目の「Panda Mask」は,日中韓の3ヶ国に大きな影響を与えている黄砂の原因と被害について発表しました。12番目の「AIU Movie Makers」は,全然話通じない3ヶ国の大学生が,高野山の頂上で偶然に出会い,友だちになる過程を撮影していました。実際に高野山で行ったと思わるビデオ撮影は,本当に素晴らしいと思いました。
 13番目の「HIBIKI TO KODAMA」は,韓国のテアン石油流出事故,中国の四川大震災,日本の東日本大震災での三ヶ国の協力について語り,これからも三ヶ国の友好関係を築こうというメッセージを伝えていました。発表も洗練されていて,日本人発表者はまるでアナウンサーのようで,このチームが3位に入りました。
 14番目の「University Student Voices (USV)」は,同じ家に住んでいる日中韓3ヶ国の学生たちが,日常生活で感じる苦労に焦点をあてたプレゼンで,とても面白かったのですが,少し展開が早くて理解しにくいところがありました。
 15番目の「Society for Inspiring Asia」は2位になりました。発表の内容は,3ヶ国の敬語についてで,絶対敬語を使っている韓国人の立場から,実に共感できる発表でした。16番目の「しずけん」は,日中韓の大学生たちが一緒にご飯を食べる場面で,3ヶ国のマナーの違いについて発表しました。私も初めて日本に来たばかりの頃,日本人の食文化やマナーが理解できなかったことを思い出しました。

 17番目の「Team Gentleman」は,審査員から特別賞をもらいました。このチームは,同じ寮に住んでいる学生たちの友情について発表しました。
 最後が私たち「Funny Company of Shin-Imamiya Tourist Information Center」の発表でした。当初の予定では17時頃からの発表だったのですが,私たちの順番が来るまでに,1時間以上も予定が遅れていました。どのチームもプレゼンの時間はしっかり10分以内で終わっていたのですが,発表前の自己紹介や発表後の質疑応答が長かったような気がします。松村先生からはいくつもの発表が続き,大会が長時間になると,審査員の方たちも疲れてくるから,最後の発表は印象には残るけど大変だ,と伺っていました。時間が遅れたこともあって,その心配が現実のことになりました。
 さて,実際に舞台へあがると,私だけでなく発表者全員が本当に緊張していました。でも,昨夜の練習通り,新今宮TICでの活動を紹介しました。賞こそいただけませんでしたが,私たちの発表は,普段から実際に行っている活動を紹介した,という点で他のチームとは違っていたと思います。実際,新今宮TICの窓口には,中国・香港・マカオ・台湾や韓国からの旅行者も来られ利用されています。
 大会が終わって審査を待っている間,何名かの学生や先生から声をかけていただき,私たちの活動を褒めてくださる方もいて,本当に嬉しかったです。受賞こそできませんでしたが,心地よい緊張感を味わえ,良い友達もたくさんできたので,本当に良い経験になりました。

松村先生からのひと言

 今回のメンバー,まだまだ未熟な点も多々ありますが,よく頑張りました。総務課職員の井上敦友さんが東京まで応援に駆け付けてくださった,と学生たちから報告を受けました。感謝いたします。
 以前にも同じようなことを話したかもしれませんが,私は常々,「代表」という肩書を背負う重みを感じられる人物になって欲しい,と願っています。個人戦ならば負けても「しゃーないか」となりますが,何かの組織やグループを代表すると,その背後で選ばれなかった人たちのためにも,「絶対,負けられへん」となり,「負けるとしても,みんなが納得する負け方をせな,帰られへん」となります。結果として,とても重いプレッシャーがかかりますが,そのプレッシャーが人間を真剣にさせ,成長させてくれる,と私は信じています。
 それはさておき,今回,学生たちに同行できなかったのが残念です。山谷地域を私の案内で歩いて回れば,新今宮TICの重要性が再確認できたことでしょう。浅草でゆっくりする時間はなかったかもしれませんが,浅草は新世界とよく似ているところです。浅草・東京スカイツリーから山谷にかけての地域と,新世界・あべのハルカスから釜ヶ崎にかけての地域は,色々な意味で類似点が多々あります。浅草には学生時代から東京へ行けば必ず行く,美味しい煮込み屋さんがあってんけどなあ…。そこのスジ煮込みとモツ煮込みは本当に絶品…,ぜひ学生らにごちそうしたかった…。またの次の機会があるんかなあ…。