2016.10.31

【趣味経vol.6】 インプロビゼーションとカオス・マネジメント

インプロビゼーションとカオス・マネジメント

前回、ジャズ音楽の大きな特徴の1つとして「インプロビゼーション」を取り上げ、簡単にビジネスの関連多角化に結びつけて話をしました。しかし、インプロビゼーションは、関連多角化のようなビジネスの側面ではなく、むしろ日常的なマネジメントの現場でよく活かせる重要なコンセプトです。常に変化する経営環境に合わせて、経営者は自分の意思決定を見直さないといけないし、実務担当者も常に変わる状況のなかで自分の仕事のやり方やペースを調整していかなければなりません。まさにジャズのインプロビゼーションみたいなことが必要な毎日でしょうが、だからといって、何もかもインプロビゼーションでいいわけではありません。継続的で、堅実な経営を目指すのであれば、組織構成員の誰もが守らないといけない一定のルールが必要になるからです。それは、ジャズ・ミュージシャンがバンドのメンバーたちと連携して素晴らしいインプロビゼーションを行うため、グラウンド・ルールを守ることと同じでしょう。

「お馴染み」と「不完全さ」から生まれるインプロビゼーション

初期ジャズの形成に大きく影響を与えたと言われている「ラグ・タイム(ragtime)」の演奏者(ピアニスト)たちは、おそらく、クラブなどで同じ音楽を長く演奏していたはずです。同じ音楽を繰り返し演奏するうちに楽譜がなくても演奏ができるようになり、多分、退屈にもなったでしょう。あるレベル以上の演奏者であれば馴染みのリズムとメロディーを演奏しながら即興的に新しい部分を追加したりしてその退屈さを凌ぐことができたと考えられます。目を閉じて演奏できるくらいの馴染みの曲であれば、その曲の全般的な構造が頭の中にあり、曲の流れを阻害しない範囲で変則的な演奏ができたはずです。 一方、ニューオーリンズ時代のジャズ・バンドの場合、当時、流通されていた楽譜そのものが、バンド向けとしては不完全であったため、即興演奏は必然的だったのではないかと考えられます。曲の基本的なメロディー・ライン以外に、楽器ごとに役割を分配する体系的な編曲が存在しなかったため、テーマ・メロディーを演奏するコルネットに合わせて、クラリネットなどの他の楽器が各自の音域で即興的に適切だと思われるメロディーを入れたのが当時のインプロビゼーションの実状だったでしょう。要するに、何か新しいものが生まれる背景には、仕方なく何とかしないといけない状況やルーティン作業凌ぎの遊び心みたいなことがあるのではないかということです。

インプロビゼーションのためには既存文法(制約条件)の熟達が必要

即興演奏といってもすべてがその場で新しく作られた音楽ではありません。多くの場合は、演奏者たちに馴染んでいる曲の構造を拡張させていく方法によるものであり、一定の制約条件の下で行われるのが普通でしょう。一般的にジャズ・ミュージシャンの即興演奏のための練習は、多様なコード進行のパターンを想定し、そのコードを構成する音を持って即興的に演奏を進めていく形だと知られています。実際の演奏では、前もって練習しておいたコード進行のパターンを曲に合わせてその組み合わせを変えていくことになります。従って、事前に相当の練習を通じて様々なコード進行のパターンを身につけた演奏者は、初めて演奏する曲であってもすぐに他の演奏者に合わせて即興演奏ができるようになります。もちろん、いくら即興演奏とは言え、何でも演奏者が自分勝手に演奏していいわけではありません。曲に起承転結があるように、自分の即興演奏のなかでもある種のストーリー・ラインを作らなければならないでしょう。如何にして素晴らしいストーリーを作り出すかが演奏者の実力であるとも言われています。つまり、優れたジャズ・ミュージシャンになるためには、普段からストーリーを構成する多様なパターンを準備しておくトレーニングが必要であり、それを即席で変形させ自由に使用できる境地に至るまでの熟達が必要だということです。経営の現場で実務担当者がそれぞれの専門性を高めるために努力することと変わりありません。

ルール(制約条件)破りのジャズ演奏史

コードとは、「ド・ミ・ソ」みたいに、ある基本音をベースに他の音を垂直的に積み立てて作ったものです。チャリー・パーカーに代表されるビバップ時代の即興演奏の多くはこのコード体系の変形を通じて行われました。コード体系に変化を与えることは、既存メロディーのコードをそのまま使用しながら「テンション・ノート」を追加したり、既存コードの代わりに類似した他のコード(代理コードと言います)を使用したりすることです。テンション・ノートが1つのコードに緊張を誘発するものだとすれば、代理コードの使用は曲の進行に緊張感を与えることになります。ビバップ時代にはこの即興演奏の部分が行き過ぎ、原曲が何なのかわからないくらいになったため、一部の演奏者たちはわざと原曲のメロディーを挿入することもありました。 マイルズ・デイビスなどは、このコード体系の変形からもう一歩進み、既存の長調、短調などの音階(Mode)までを無視した独自の音の配列体系を考え、即興演奏に活用しました。「ドレミファソラシド」の全ての音を基本音「ド」のように使えば、7個の基本音を持つ新たな7個の音の配列が可能になるという考え方です。このような考え方を通じてジャズ・ミュージシャンたちはコード進行という拘束(制約条件)から解放され、より自由な即興演奏ができるようになりました。いわゆる「モダル・ジャズ」の誕生です。コード体系を変形させるビバップ演奏者たちは垂直的で不連続的なコードをイメージしながら演奏をしたとすれば、モダル・ジャズの演奏者たちは水平的に進行される音階の構成音を考えながら演奏をしたと言えるでしょう。 一見すると、原曲のテーマ・メロディーやリズムによる拘束がほとんどなくなり、あらゆる音が許容されるモダル・ジャズやフリー・ジャズの方が、コード重視のビバップやハードバップ時代に比べて、より即興演奏がしやすいようになったのではないかと考えられます。しかし、コード体系のような制約条件がなくなったことは、その分、演奏者の独自の並々ならぬ想像力を要求します。曲の雰囲気を想定することができ、曲の展開方向を決めてくれるコードの役割を無視しながら演奏をすると、聴衆の共感を引き出すことが難しくなるからです。ある程度下書き(デザイン)されているところに色付けだけをすることと、何も書かれていない白紙に絵を描くことを考えてみたら如何でしょうか。想像力の乏しい演奏者たちに与えられたコード体系からの自由は、演奏の陳腐さに繋がり、失敗する可能性が高くなります。

インプロビゼーションの落とし穴

では、経営現場の場合、ジャズのインプロビゼーションみたいなことを限りなく求めていいのでしょうか。もし、企業の中で、組織の公式的な構造や組織の中のルールについて、組織構成員の創造性やイノベーションを妨げるものだと考えて、無視する雰囲気が支配的になるとどうなるのでしょうか。これについて、ショーナ・ブラウンとキャサリン・アイゼンハート(1998)は、「カオスの落とし穴」と言い、次のような3つのシグナル(警告信号)があることを指摘しました。 第一は、「規則を破る組織文化」で、この種の落とし穴にはまる企業は、極端へと走る自由をほしがる人材が多く、そうした組織は定められている規則を破ることを許容するだけでなく、むしろそれを奨励するようになります。 第二は、「組織構造がルーズ」であることで、それらは、受益などの重要な目標に対する責任が不明確であったり、優先順位があいまいであったり、締切り期限に遅れたり、指示がはっきりしないといった形であらわれます。 第三は、「混乱したコミュニケーション」で、組織の中で非常に大量のコミュニケーションが発生しながら、どういうわけか誰も実際には何が起きているかを明確に把握していない状況になります。 要するに、組織の中のインプロビゼーションはプラス面ばかりあるのではないということになりますが、以上の内容をまとめたのが次の図です。
  • 出所:Brown & Eisenhardt(1998)Competing on the edge

専門性の確保とグラウンド・ルールの見直し

認知心理学で「10年法則」あるいは「1万時間の法則」と言われるものがあります。ある分野で専門性を獲得するためには最小限に10年以上の努力が必要だということですが、そのような時間は、多くの場合、有史以来その分野の専門家たちが蓄積してきた既存文法(または文脈)に馴染むプロセスです。我々に創造的な音楽を提供してくれる優れたジャズ・ミュージシャンたちはそのような努力を通じて誕生しただろうし、企業の創造的な成果も、組織構成員たちの長年にわたる努力を通じて専門性(コア・コンピテンシー)が確保され、可能になったと考えられます。 既存文法の不完全性から生まれたインプロビゼーション、そして、既存のルール破りのジャズ演奏史関連の話もしましたが、だからといって、創造的なアウトプットのためなら過去の遺産をすぐに否定してもいいわけではありません。ある組織が全体としての組織力ではなく、組織構成員の想像力だけに頼って勝負しようとする場合、構造化の問題のため、成長していくうちに必然的に限界が現れるはずです。実は、「規則破りの経営」か「制度の中の自由を促す経営」かの問題は、経営者の持つ「フレーム」に関わる問題かもしれません。しかし、いくら創造経営が求められる時代とはいえ、無条件的な規則破りは真の創造経営に繋がらないと思います。自由奔放であるようにみえるモダル・ジャズでも「同じキーの連続使用禁止」などのグラウンド・ルールはあると言われています。モダル・ジャズはその複雑性から創意性を発揮しやすいかもしれませんが、構造化されてない組織と同じく、混沌状況に陥る可能性もあります。また、一般の人には理解しにくい構造なので、より納得できる何かが必要になります。メイカーが誇りをもって出した製品であっても市場から無視されるケースはいくらでもあります。 経営においてジャズのインプロビゼーションみたいな活動を上手く機能させるためにはどうすればいいのでしょうか。まずは、「カオスの落とし穴」と言われている事項について、適切な対応をしていくことが考えられます。変化に適応可能な組織文化を作ることに努力したり、官僚主義に嵌らないように適当な構造化を実現させたり、組織コミュニケーションの活性化を図ることなどがそれに当たります。しかし、当然ながらそれらはそれぞれの組織が置かれている状況によって具体的な施策が違ってきますし、その組織のリーダーのリーダーシップが問われる側面もあります。従って、普段から変化する経営環境に合わせて破るべきルールは何であり、本当に守るべきグラウンド・ルールは何なのかを見極める努力を重ね、組織構成員の専門性を高めながら臨機応変に対応できるリーダーシップや組織能力を構築していくことが課題になります。