ジャズ100年、経営学100年に寄せて

人間能力の限界と無限大の経営手段

社会主義国家中国に市場経済システムを入れたことで有名になった ドン 小平(ドン シャオピン)の逸話に「白猫黒猫論」というものがあります。「茶色(黄色)の猫でも黒い猫でも、鼠を捕る猫が良い猫だ」と述べたことから由来した話だが、あくまでも手段は手段であり、目的を忘れてはいけないということを明確に示した卓越したメタファーです。企業は目的達成のため様々な手段を動員しますが、その手段は白猫でも黒猫でも構わないわけです。もちろん合法的で、一般社会の倫理や道徳に反しない手段であることが大前提になりますが、要するに経営の現場では何でも活用されるということです。20世紀の大量生産大量消費社会を築いたと言われているフォード自動車のベルトコンベヤーシステムも実は屠殺した豚や牛の足をコンベヤーで吊るす工場から得たアイディアであるという話は有名です。今風に言うと異業種ベンチマークということですね。
限定合理性が作動する世界である経営の現場では情報そのものの限界や当事者の認識能力の限界など、物理的、人間的に制約がある状況のなかで、意思決定をしていかなければなりません。要するに、ある問題に対して企業は様々な制約条件の中で、次善策、あるいは最善と考えられる(満足できる)手を打つ方法しかないのです。制約条件のなかで意思決定を下す人間の知的能力の限界に関しては有名な逸話があります。放射能の研究でノーベル賞を受賞したマリー・キュリー(Marie Curie)夫人は、その放射能がα、β、γの3つの要素で構成されたエナジーであることを知らなかったため、「人間の肉体はエナジーを必要とするから放射能から出るエナジーを体が吸収すると健康にいいはずだ」という漠然とした考えで、上着のポケットに少量のラジウムを入れて生活した結果、癌で死亡したと知られています。当時の知識レベルでは放射能が人体の細胞を破壊し、癌を誘発する力があることは把握できなかったからです。経営の現場ではなるべくこのようなリスクを避けるために様々な分野から知識・知恵を借りる形で手段(道具)を拡張させ、上手く活用してきたと言えるでしょう。

創造経営の台頭とジャズ

科学技術の発達により今の世の中にはこういった道具やスマートな「モノ」が溢れています。企業はどうすれば競争相手と差別化できる商品やサービスを生み出し、消費者から選択してもらえるか必死で努力しています。差別化に役に立つのであれば異業種ベンチマークだけではなく、猫の手も借りたくなる状況でしょう。
経営の現場でますます重要になった差別化の問題は実は競争戦略の基本的なテーマです。他にもコスト・リーダーシップ戦略とか集中化戦略とか言われていますが、それらも結局は差別化戦略に繋がっています。差別化の問題と関連して近年話題になっているのが「創造経営(Creativity Management)」です。ハーバードビジネススクールのアマビール(1998)によって触発された「ビジネスにおける創造性」のイシューは今現在様々な経営の現場で大きなチャレンジになっています。この創造性のマネジメントに関しても様々な分野から示唆を得ることが可能ですが、少なくともこの面においては、世界で一番創造的な音楽であると評価されているジャズ音楽から学ぶところが多いだろうと考えています。

経営の世紀、ジャズの世紀

スチュアート・クレイナー(2000)曰く、20世紀は「経営の世紀the management century」であります。勿論、経営(マネジメント)は、人類の文明が始まった瞬間から存在したと言えるでしょうが、20世紀に入ってからはじめて組織され、分析・検討され、教えられ、公式化されたことも事実です。その多くのプロセスが米国で行われたので、20世紀は米国の世紀であるといっても過言ではないでしょう。そのような米国で生まれた音楽がジャズであり、その意味では20世紀はジャズの世紀でもあります。時期的に多少のズレはありますが、ジャズ音楽の立役者ルイ・アームストロング (1901~1971)と、経営学の立役者であるフレデリック・テイラー(1856~1915)が同時代を生きていたことは単なる歴史的偶然ではないような気がします。
記録上、「テイラーリズム」のバイブル『科学的管理論』が出版されたのが1911年、初めてのジャズレコードだと言われているものが出たのは1917年になっています。残念ながら世界最初のジャズレコードはODJB(Original Dixieland Jass Band)という白人グループによるもので、ルイ・アームストロングのものではないです。ルイ・アームストロングがシカゴに移り、初レコーディングを行ったのは1923年、それまでのジャズとは一線を画したスキャット入りのレコーディングを行ったのは1926年なので、テイラーとアームストロングの活動舞台には十数年以上の時差があると考えられます。100年前にテイラーが学問としての経営学の土台を作ったことと同じく、アームストロングが一つの音楽ジャンルとしてジャズの形成に大きく貢献しました。
いずれにせよ、1917年は記念すべき年であります。ODJBが黒人バンドでないのは残念ですが、その意義は色あせることはないでしょう。それまでに酒場の生バンドBGMに過ぎなかったジャズ音楽がレコードを通じて感想のための音楽として発展することになったからです。あれから100年、2017年を迎える時点で、ジャズ100年の知恵を経営学に照らして考えてみることは、経営学を学ぶことの面白さを学生たちに知らせるいい方法になるだろうし、創造経営に乗り出している経営の現場でも大いに参考になるでしょう。

以上。