外発的動機のルイとデューク

 ペリー(1996)によると、ジャズ・ジャイアンツたちのジャズ界入門のきっかけはそれぞれ違います。まず、ルイ・アームストロングの場合は経済的な理由でした。生まれてからすぐに両親が離婚し、祖母に預けられて貧しい町で育った彼は、いつも裸足で歩き回り、裾を丸めたお下がりの大人用ズボンや、だぼだぼの半ズボンをはいていたと知られています。彼は、幼い頃から盗みを含む、生きていくための幾つかの手段を身につけていましたが、四重唱団を作って路上で歌い、コインを投げ入れてもらうことも小遣い稼ぎの手段の一つでした。彼の金儲け優先主義は有名で、ニューヨークに彼とともにやってきて、ずっと一緒に活動していたニューオーリンズ出身者たちのバンドと、もっと経済的条件のいい仕事との二者択一を迫られた時、彼は何らことわりもせずに昔からのバンドを一蹴してしまい、旧友から生涯の恨みを買ったこともありました。

 デューク・エリントンの場合は、ルイ・アームストロングとは違って、裕福な家庭で生まれ育ったので、彼のジャズ界入門の動機は経済的な理由ではありませんでした。母親に連れられて習い始めたピアノにもあまり興味がなく、絵画に関心を見せていた彼が音楽に興味を持つようになったのは、ピアノを弾くと綺麗な女の子にもてるからだという、多少不純な動機があったと言われています。その願いがかなったのか、高校時代に早くも幼馴染の女性と結婚して子供が生まれたことで学校を中退します。生活費を稼がなければならなかったデューク・エリントンは、嫌でも作曲やバンド活動を続けるしかなかったようです。

 つまり、ルイ・アームストロングは完全に経済的な理由から、デューク・エリントンには「女とお金」がジャズで生きるきっかけになったわけです。デューク・エリントンの場合、苦境の時にも自分のオーケストラを維持しようと努力したので、必ずしもお金目当てで音楽活動を続けたとは言い切れませんが、少なくとも入門の動機はそうだったということです。

 人間は様々な状況に置かれている存在で、それぞれ違う何かを欲しがる存在です。この人間の欲望が動機付け理論の大きなテーマになります。ルイ・アームストロングやデューク・エリントンみたいに、人間は、お金や遊びなど、外部からの刺激やインセンティブで動機付けられるとするのが外発的動機付け論です。

内発的動機のチャーリーとマイルス

 チャーリー・パーカーの場合は、前述した二人とは違って、偶然の出来事と楽器へ魅了されたのがジャズ界入門のきっかけでした。彼が通った高校にたまたま伝統のあるマーチング・バンドがあり、入団してすぐアルト・サックスという楽器へ強烈に惹かれました。彼は母親に強請って貯金まで崩してもらいボロボロのものではありましたが楽器を手に入れバンド活動にのめり込み、夜勤掃除の仕事に就いていた母親の目を避けて、レスター・ヤングの徹夜ジャム・セッションに通ったりしました。
 そんなある日、彼はジャム・セッションに参加する機会がありましたが、すべての音楽でC音がキーになるはずがないことすら知らないくらい音楽的基礎がなかったため、ソロで大失敗します。大きな屈辱感を味わった彼は、ひたすら12音階の練習に励み独学で全てを習得してしまったと知られています。当時、ほとんどのジャズ・ミュージシャンが3つか4つのキー(調性)だけで演奏したことを考えると、彼の無知と傲慢さが、結果としては彼の並外れたハーモニーの基盤となったわけです。チャーリー・パーカーも15歳ですでに赤ちゃんをみごもっていた女性と結婚したのでお金は必要だったでしょうが、経済的な観念はあまりなかったようです。
 マイルス・デイヴィスはどうだったのでしょうか。歯医者さんの息子として生まれ、他のミュージシャンとは違って裕福な環境で育った彼は、9歳の頃からトランペットに興味を持ち、高校時代まで様々なレッスンを受けながら学校のバンドで演奏するなど、音楽に魅了されていたようです。その彼が本格的にジャズの世界へ突入したきっかけは、つぎのような本人の話から考えると一言で「憧れ」です。

 俺の人生の最高の瞬間は…、ディズとバードが一緒に演奏しているのを初めて聴いた時だった。ちゃんと憶えている。1944年、ミズーリ州セントルイスだ。ミシシッピ川を挟んで、ちょうどイリノイ州東セントルイスの反対側。俺は18歳で、リンカーン高校を卒業したばかりだった。“ミスターB”のバンドでディズとバードを聴いて、俺は叫んだ、「ワア、これは何だ!?」。ものすごすぎて、恐ろしくなったほどだ。あの“B”バンドが、オレの人生を変えてしまったんだ。その夜、オレは決心した。セントルイスを出よう、こんなすごいミュージシャンがいるニューヨークに行こうってな。(自叙伝、後藤(2010)からの引用)

 つまり、チャーリー・パーカーとマイルス・デイヴィスのジャズ入門動機は、お金など何らかの外部的インセンティブではなく、やってみたい、あの人のようになりたいという、憧れや夢見ることという、自分の内部からの欲望でした。このように、人間は報酬などのためではなく、知的好奇心や向上心などを持っていて、楽しいから自発的に一生懸命になるというのが内発的動機付け理論です。

動機付け理論のビジネスへの適用

 組織行動論で、モチベーションとは、「何かをしようとする意志であり、その行動ができることが条件付けとなって、何らかの欲求を満たそうとすること」として定義されております。ここで、欲求とは、生理的あるいは心理的な欠乏のある状態を言います。経営学の世界でこのようなモチベーションの問題は、マズローの欲求5段解説、マグレガーのX・Y理論、ハーズバーグの2要因理論、期待理論、目標設定理論、強化理論、職務設計理論、公平理論などの理論的発展とともに様々な議論がなされてきました。以下では、そのなかでも内発的・外発的動機付け理論についてみていきます。
 これに関しては、ダニエル・ピンクが2009年のTED Talksで行った短いスピーチが非常に説得的です。彼は、1945年に心理学者カール・ドゥンカー(Karl Duncker)によって考案された「ロウソクの問題(The Candle Problem)」を題材にして面白い説明を行いました。ロウソク問題とは、次の<図>の(a)のように、ロウソクと、画鋲と、マッチを渡され、「テーブルに蝋がたれないようにロウソクを壁に取り付けてください」と言われると、多くの人は画鋲でロウソクを壁に留めようとしますが、正解は(b)でみるような画鋲箱を使うことです。最初に画鋲箱を見て、単なる画鋲の入れ物だと思ったら駄目で、ロウソクの台にもなることを認識しないといけないということです。

<図>ロウソク問題

  • (a)

  • (b)

 ダニエル・ピンクは、このロウソクの問題を使った他の関連実験を紹介しながら科学と企業現場の乖離を指摘しました。つまり、金銭的報酬を提示されたグループがそうでなかったグループに比べて平均で3分半余計に時間がかかったという実験結果をベースに、人々により良く働いてもらおうと思ったら報酬を出せばいいという、米国のビジネスの世界での常識を強く批判したわけです。勿論、金銭的な報酬が機能するケースもあります。別の実験ですが、箱に画鋲が入っていない状況で同じ条件を提示したら、インセンティブを与えられたグループの方が断然勝ったということです。箱に画鋲が入っていなかったら問題はバカみたいに簡単になるからです。少し長くなりますが、以下ではダニエル・ピンクの生々しい話を引用しておきます。

 成功報酬的な動機付け「If Then式に、これをしたらこれが貰える」というやり方は、状況によっては機能します。しかし多くの作業ではうまくいかず、時には害にすらなります。これは社会科学における最も確固とした発見の1つです。そして最も無視されている発見でもあります…。ビジネス運営のシステム、つまりビジネスの背後にある前提や手順においては、どう人を動機付け、どう人を割り当てるかという問題は、もっぱら外的動機付け、アメとムチにたよっています。20世紀的な作業の多くでは、これは実際うまくいきます。しかし21世紀的な作業には、機械的なご褒美と罰というアプローチは機能せず、うまくいかないか、害になるのです…。報酬というのは視野を狭め、心を集中させるものです。報酬が機能する場合が多いのはそのためです。だからこのような狭い視野で目の前にあるゴールをまっすぐ見ていればよい場合には、うまく機能するのです。しかし本当のロウソクの問題では、そのような見方をしているわけにはいきません。答えが目の前に転がってはいないからです。周りを見回す必要があります。報酬は視野を狭め、私たちの可能性を限定してしまうのです…。ホワイトカラーの仕事には、このような(サルでも分かる)種類の仕事は少なく、このような(本当のロウソクの問題のような)種類の仕事が増えています…。(翻訳文の出所:www.aoky.net)

 しかし、筆者の経験からすると、成果主義に走っている経営の現場でもこういった科学的研究の結果を否定しているわけではないと考えられます。では、なぜビジネスの現場では報酬などの外発的動機付け手段が依然として強く支持されるのでしょうか。そこには幾つかの理由があります。

 まず、第一は、わかりやすくて、比較可能だからメンバー同士の競争心や向上心を引き出しやすいことです。貨幣で与える報酬は、細かい単位で分割できるため、社員個人の貢献度に合わせて分配できるメリットがあります。個人ではなく、組織の中の人間は、自分のインプット・アウトプットと同僚のそれを比較するようになるため、「やった」という自己満足でだけでは終わらないのです。

 第二は、企業の管理システムがまだ個別管理に対応できてないということです。人々の欲求は本当にそれぞれなので、企業が従業員の欲望すべてを察して満たせることは不可能に近いでしょう。人間は場合によっては誰にも知られたくない内密な動機で働く場合もありますのでなおさらです。特に、日本や韓国企業のように、新卒採用が多く、入社同期別の集団管理体制が定着している場合は、個人は見えないのです。大卒の入社同期でしたら初任給何万円という一律評価で、企業の中ではみんな同質的な人間として扱われている状況を考えてみてください。もし、会社側が従業員個人の欲求を察して、それぞれ対応可能な管理体制を作ったとしても、上手く機能するかどうかは疑問です。内発的な満足感がお金のように明確に区別できない限り、分配における公正性問題があるからです。

 もう一つ考えられる理由は、労働市場との関係です。徹底した成果主義を標榜している会社には当然ながら野心満々な能力のある人材が集まる可能性が高いでしょう。

 企業は、どんなに綺麗なキャッチコピーを掲げていても、根本的に利益追求を第一の目的にしている集団です。従って、お金などのインセンティブなしで、内発的動機付けだけで一生懸命に働いてくれることを期待するのは理にかなってない話です。もちろん、企業も人間集団なのでお金以外の部分も無視できないですが、だからといって企業の経営者が従業員に内発的動機付けや自己実現などを強調するのもおかしい話のように考えられます。

 しかし、営利追求集団としての企業とは違って、そこで働く人間は、目先の利益だけ考えて仕事をしているわけでもない複雑な存在です。仕事に興味を感じ、楽しくやっている人にご褒美を用意すると、ご褒美をもらうことが目的になり、自発的な努力が減る現象も報告されています。ダニエル・ピンクも指摘したように、クリエーティブな仕事の場合、外部からのインセンティブがその仕事を阻害する場合もあるでしょう。

 実際に、多くの企業は、金銭的インセンティブ以外にも従業員の内発的動機を少しでも満たせるよう様々な工夫をしています。担当の仕事にやりがいを感じるよう仕事そのものを見直したり、仕事をするプロセスが楽しくなるように工夫したりします。行き過ぎた成果主義で過度な競争状況に陥らないように工夫する企業もあります。