こんにちは。阪南大学経済学部金融キャリアパッケージに所属し、「金融論1・2」「ファイナンス論」を担当している王です。今回は、大学と高校での学びの違い、そして、大学で学ぶことの意味について、専門分野の角度から自分なりの考えを高校生の皆さんに伝えます。進路を考える際に少しでも参考になれば幸いです。
 高校までの学習は、多くの場合、問題が定式化されており、あらかじめ定められた正解と解法があります。しかも、正解が一つしかないケースがほとんどです。教科書に書いてある内容をよく理解できれば、大体、唯一絶対の正解にたどりつくことができます。
 大学は「知」を創出・伝授する場所とされています。つまり、真実を追究するための考え方・分析手法などを学び、今まで知られていなかった新しい知を生み出すところです。そのため、大学での学びには、唯一絶対的な正解とは相容れない部分が多いです。
 自分の専門分野から言いますと、経済情勢や市場動向は日々刻々と変化する不確実な状況のなか、市場参加者の間で解が存在するかどうかのコンセンサスすら得られない時もあります。また、金融・ファイナンスは多くの学問分野に関連していますため、多様な解が存在することもよくあります。
 例えば、われわれは毎日当たり前のように使っているお金ですが、なぜ人間社会に生まれたのでしょうか。標準的な金融教科書はそれについて、物々交換では「欲求の二重の一致」(取引参加者の互いの欲求を満たすこと)の実現が難しく、貨幣という交換の媒介によって、物々交換に伴う制約が緩和され、社会的な交換の可能性と効率が向上できると解説してあります。ところが、この解に異論を唱えた人々がいます。人類学者は、交換の便利さや効率を求めて貨幣が発明されたのではないと指摘し、別の見方を提示しています(興味のある方はGraeber[2011]を読んでください)。
 このように、大学における学問は、唯一絶対の正解が得られるような単純なものではありません。どのように考えるか(自分ひとりで考える場合と、他人と一緒に考える場合の両方を含めます)、どのように分析するためのフレームワークを構築・応用するかなどの内容は、大学での学びのなかで重要な位置を占めています。
 複雑で目まぐるしく変化する世界にどのように対応すれば正解なのか、誰も知らないでしょう。しかも、現代における溢れんばかりの情報社会において、認知バイアスを引き起こし、人間の認知メカニズムまでも歪めうる偽情報・誤情報や断片的な情報も多く存在しています(興味のある方はCarr [2010]を読んでください)。だからこそ、複眼的かつ柔軟な視点から物事を深く考える力を涵養することが大切です。
参考文献
  • Carr, Nicholas [2010] The Shallows: What the Internet Is Doing to Our Brains. W. W. Norton & Co Inc.
  • Graeber, David [2011] Debt: The First 5,000 Years. Melville House.