研究室に所属する遠藤隆恭さん(国コミ3回生)が日本と韓国をつなぐ船旅に参加し、ルポルタージュを執筆しました。

当ゼミでは「旅をして、人に会い、本を読み、そして書く」取材を目指しています。
この旅は株式会社サンスターラインが運航する大阪—釜山をつなぐパンスターフェリーに学生モニターとして参加したものです。この場をお借りして深く御礼申し上げます。
(国際コミュニケーション学部教員 坪井兵輔)

海の上の「国境」見る

「国境とは名ばかりであった」
 日本で暮らしながら、外国と自国を隔てる「国境」を正確に認識できる人は一体何人いるのだろう。海に囲まれた島国に住む日本人、特に本州で暮らす人々にとって実在する国の境を意識することはほとんどない。大海原の国境を船で超える旅。私は国境がどのようなものか、存在を明示する“何か”があるのか気になっていた。だが日本の領海を脱する瞬間が近づいても、船内ではアナウンスもなく、乗客の大半は気にも留めないようだ。
 地図にはしっかり刻まれている国境の通過が迫り、テラスに出るが、そこには何もなかった。どこまでも続く雄大な海は沈みゆく夕陽に黄金色に輝き、行き交う船は一隻もない。
 吹き付ける潮風は冷たく、そして柔らかく、揺れる波音と共鳴し共振する。日本と韓国を分かつ見えない海の国境線。戦後最悪とも報じられる両国を隔てるものは何もなかった。

 2019年の大学2年生の春休み、韓国へ向かう旅にでた。
 飛行機ではなくあえてフェリー。
 日韓を結ぶパンスターフェリーが募集した学生モニターとして釜山へ向かった。値段は船中往復二泊、食事付きで1万円以下。だが、安さだけが理由ではない。今、時代はグローバリゼーション、インターネットや格安航空網の広がりとともに人、モノ、情報は世界を自在に飛び交い、「国境」は溶解へ向かう。自国と他国の結びつきは深まり、国境は軽々と越えられる。だが、本当に他国は近くなったのか。飛行機なら2時間もかからない、最も近い隣国との距離を肌で感じたい。そんな思いが僕をフェリーに誘った。
 夕方、大阪港を出航し瀬戸内海を西に向かう、明石海峡大橋や瀬戸大橋、関門大橋をくぐって玄界灘を目指す。大阪港から釜山まで650km、時間にして18時間半の船旅。古来より日本と朝鮮半島を結ぶ交流と侵略の海路は歴史の証人だ。日本が鎖国した江戸時代も朝鮮通信使が行き交った航路は明治期には植民地統治のための軍艦の進軍路と化した。
 船内ではビュッフェスタイルの宴会場や大浴場、それにショーも楽しめる。船内で飛び交うのコリア語ばかり。乗務員も韓国人や外国人で日本人は一割もいない。船内はまさに異国だ。悠然と流れる時間も外国を醸し出す。カフェでゆったりビールに興じる人、部屋でどんちゃん騒ぎをする人、テラスで海を眺める人、それぞれが時間の流れに身を委ねる。
 飛行機とは全く違った移動のスタイル、就寝するのも部屋がある。
広さはおよそ八畳で、韓国人二人と相部屋になった。一人になるための区分けカーテンはなく「国境」は存在しない。
 「あなた日本人ですか?」と50代くらいの男性が話しかける。僕はうなずいた。彼は少しだけ日本語を話せる。空間を共にするからこそ生じた会話、夕食も一緒に食べた。

 「色んな所に行きましたよ。釜山に慶州、鎮海とササンにも」
 「僕の家ササンにありますよ」
 「そうなんですか。賑わっていて良い所ですね。日本へは何をしに?」
 「観光です。京都と福岡に行きます。美味しいものたくさん食べるつもりです」

 僕は皿を持ち上げて物を口に運ぶ。おじさんは皿を置いたまま箸を進める。異なる文化を生きる二人が食事を共にする姿は、傍から見るとどんな光景だったのだろうか。歴史認識や領土問題で揺れる日韓関係を気にせずに同じ時空間を過ごした。
 船には出会いがあり、他者と共有できる時間がある。これが船旅の醍醐味だ。分かり合えることもあれば、決して分からないこともある。国と国の違いも厳然としてある。だが、インターネットや2時間もかからない飛行機の旅では決して体感できない「交流」を確実に感じることができる。釜山滞在後、僕は再びフェリーに乗り込んだ。

 「国境って何だろう」
  窓際に座り海を眺める。行き交う船、飛び交う鳥、交換される日本語と韓国語。
  ふと気づくと関門海峡大橋の灯だ。
  国境はどこにあったのだろう。


阪南大学 国際コミュニケーション学部
遠藤 隆恭