【留学レポート】アデレード・南十字星の光をたよりに(6)

 神尾ゼミナール2回生の平石加奈です。阪南大学ではテストも終わり、春休みに入ったみたいですね。オーストラリアでは1月にAustralia Dayという休日があり学校が1日休みでした。そこで、アデレードに住んでいる各国の人々が市内を練り歩くというイベントへ足を運びました。地元の人たちは家でBBQをするのがAustralia Dayの過ごし方。
 さて、それでは今回のレポートです。

平石加奈、Australia Dayに行く!

 1月26日はAustralia Dayで国民の祝日。私はアデレードに住んでいる、世界中の国の人がそれぞれの民族衣装を着て、踊りながら練り歩くというイベントを訪れました。
 「オーストラリア人であること」を祝うAustralia Dayは、歴史的、白人から見ると「植民地が始まった日」。一方で4万年前から住んでいるアボリジニから見れば「イギリス人が侵略してきた日」と、考えさせられる日でもあります。

そもそもAustralia Dayって何?

 ということで、その説明から始めます。
 1788年1月26日にイギリス艦隊がシドニーに上陸したのを記念した日です。当時は約100万人ものアボリジニがいましたが、今は30万人ほどに減少しています。この数字はオーストラリア全人口の2%です。
 なぜこれほどアボリジニが減少したのかというと、イギリスによる侵略で、アボリジニを人間としてではなく猿とみなして扱い、狩り、子供達を親から無理やり引き離し、毒殺や襲撃、虐殺という残酷なことがあったからです。
 オーストラリアの歴史背景や、アボリジニについてはほとんど知識がなかった私にとって、衝撃的でもありました。知っているのはアボリジニという民族名のみ。さらに、Australia Dayと言っても「建国記念日」としか軽く思っていました。
 調べていくうちに、私が軽々に言うのはオーストラリア人にとってもアボリジニにとってもすごく失礼で、恥ずかしいことなのだと思いました。
 ネットで「アボリジニにとってAustralia Dayとは」という動画を見つけ、彼らについて知っていくうちに心が苦しくなりました。彼らはではなく、「Survival Day」と呼んでいることがわかりました。動画の中では、26日に祝うということについての彼らの苦しみ悲しみが語られています。関心があれば一度ご覧ください。

平石加奈、アボリジニについて調査!

 ホストマザーにAustralia Dayについて聞いてみると、「みんなAustralia Dayを祝うけど、この日は喜ぶべき日ではない」と言っていました。
 この言葉をきっかけに、詳しく調べてみると、1月26日ではなく違う日にするべきだという運動や動向も、さらにはデモまでがあるということが載っていました。私が当日にイベントへ訪れた時、イベント自体はいろんな国の人がそれぞれの国に分かれて伝統衣装を着たり催し物を引くながら練り歩くというものでした。
 そのイベントの後に、人数約100人未満の白人がこの日は祝うべきではないとしてデモをしているのを見ました。さまざまな団体がストリートを練り歩く一方で、別のイベント会場では、アボリジニの団体も参加していました。
 彼らはアボリジニではあるものの今では肌も白く、違いを見分けることは困難です。彼らがアデレードの市内や公園で生活しているのをよく見かけます。

アボリジニの困難な現状

 彼らは、未だに人種差別され、働くのは厳しく、家や食べ物、お金が十分にありません。ある日、私がバスに乗ろうとした時にバスの後方からお金が無いと叫び声のような泣きまねをしていました。実際に泣いているのではなくお金や食べ物を他の乗客から貰おうとしているのです。
 私は少し怖く感じたので比較的安全な運転手の後ろの席に乗りました。すると彼らが急にバスの前方へやってきて英語ではない彼らの言語で運転手に対して、攻撃的に話していました。
 中にはFワードと言われる「言ってはいけない」言葉も聞こえてきました。彼らは私の真横に立ち止まり、腕を掴みました。彼らの言葉の圧迫感と経験したことのない恐怖で震えだしました。
 降りる予定のない次のバス停で降りようと友達と話し、バスから降りた途端泣いてしまいました。今回だけで無くバスの中や街で、治安の悪さを実感しましたが、歴史的背景を俯瞰すると2017年の今において、過去と共存する難しさを実感しました。
 Australia Dayという1月26日。過去は変えたくても変えられません。しかし、未来に向かってオーストラリア人であるアボリジニにとってもAustralia Dayを心から祝える一日に変わるよう願っています。