2018.7.17

Plaza de Comunicación(プラサ・デ・コムニカシオン)vol.02

 みなさん、お待たせいたしました。今月のコラムを7件、掲載します。
 今回は、現在4回生が取り組んでいる卒業論文のテーマを軸に、コラムとしてまとめてみました。サッカー、映画、ゲーム、音楽、教育、コミュニケーションなど、ジャンルは色々ですが、みなさんがお気に召すコラムを見つけて頂けたら幸いです。

ヒップホップの歴史

 ヒップホップは1970年代に、ニューヨークのサウスブロンクス地区で生まれたのである。その地域には、貧困でドラックに溺れる人や、ストリートギャングが多い地区であり、古いボロボロの建物が並ぶ町があったのである。1970年代当時、世間ではディスコが大ブームだったのである。しかし、貧困なアフリカ系アメリカ人の若者たちは、ディスコに遊びに行くお金がありませんでした。そこで彼らは公園に集まりパーティーをするようになったのである。パーティーはブロックパーティーと呼ばれ、貧困な若者たちは、お金のかからない公園で遊んだのである。
 ヒップホップにはMC、DJ、ブレイクダンス、グラフィティという四大要素がある。建造物の壁や地下鉄の落書き(グラフィティアート)、アクロバットのようなブレイクダンス、音楽面ではラップやスクラッチなど、貧しい若者たちがお金を使わずに楽しめる娯楽を生み出した。
 アメリカのヒップホップでは貧困育ちや、人種差別、家庭内暴力を受けた人、ギャング出身など様々な問題を抱えたラッパーがほとんどである。銃社会のアメリカではラッパー同士の抗争の末、偉大な方が何人も亡くなっているのである。そのような危険な地域で育ったので、歌詞や言葉、スタイルなどに重みを感じる。アメリカのラッパーは自分の実体験、経験談、そのラッパーの生い立ちなどをよく歌詞に書く。だからこそ、ラップを聞く側の人間はその地域の現状や、生き様、そのラッパーの世の中に対する不満や政治に対しての訴えなどを知ることが出来る。これを知ることによって、アメリカではメディア、テレビや雑誌などが取り上げ、ヒップホップが2000年代にトレンド化され、老若男女が知る音楽ジャンルになった。
 アメリカのヒップホップはとてもカッコ良く、歌をライム(韻)に乗せてラップする。   
 ヒップホップを聞くことによって、自分の今まで生きてきた人生や生活を見直すこともできる。そして、どれだけ自分が裕福な家庭でそだち、学業に専念できているかを知るきっかけになるであろう。〈Y. O.〉

e-Sports革命

 近年日本でもメディアでよく取り上げられているスポーツとゲームが組み合わさった業界(e-Sports業界)が、認知されはじめている。e-Sportsとはエレクトロニック・スポーツ(英:electronic sports)の略で、対戦型のコンピューターゲームを、野球やサッカーなどと同様に、スポーツ競技として行うことである。
 筆者は大学生活の中でe-Sportsに区分されるゲームをプレイし、18歳以上が参加できる社会人向け大会や関西学生大会、全国学生大会に出場し、実際にe-Sportsを体験してきた。そのうえで、まだこの国はe-Sportsが理解されていないと実感している。野球やサッカーのように、現実的にはスポンサーが多くつく環境にまで発展していないため、日本のe-Sportsはまだ市場として成り立つにはほど遠く、いまだに伸び悩んでいる。
 では、アニメ・ゲーム大国である日本が、なぜゲームの分野で海外に遅れを取っているのか。筆者の推測はこうである。日本では一人でコンピューターと戦うゲーム機が流行してしたため、日本人の多くは「ゲームは娯楽」だというイメージが定着している。故に、対人戦となるe-Sports競技に含まれるようなゲームの発展が遅れてしまっているのではないか、と。
 今後日本のe-Sports業界を発展させるためには、このような他国と比較し日本が遅れを取っている部分とその背景を明確にし、問題解決と発展につなげていくべきではないだろうか。筆者はこの時代を生きる一人として、この時代の新しい業界に携わり、この業界を繁栄させる一人になりたい。〈A.O.〉

日本でラウド、パンクが発展するカギとは

 日本の大衆音楽で好まれるジャンルと言えば、キャッチーでメロディアスなJ-POPだろう。そのなかで、近年では西洋をルーツとしたラウド・ロック・バンド、パンク・ロック・バンドと言った、ヘヴィで攻撃的なサウンドを用い、皆で暴れるようなジャンルも普及してきている。ひと昔前までは考えられなかった、国内の大型フェスに多数出演を果たしているラウド・バンド、パンク・バンドもいる。しかし、日本ではまだラウド、パンクは受け入れられ難い部分がある。理由としては、国民性の問題だと筆者は感じている。
 リズムとメロディのうち、多くの日本人が音楽に対して重視する部分は、メロディだろう。なぜなら、大抵の日本人が幼い頃に聞いてきた音楽のなかに、童謡などの和製音楽があることが挙げられる。この和製音楽の多くは、表拍でリズムを取るものばかりで、日本人は音楽に携わらない限り、中学生の頃あるいは現在でも、裏拍でリズムを取るということをしたことがある人は少ないだろう。つまり日本人は、表のリズムを取ることによって多様なメロディが使われる音楽を身近で聴いてきているため、メロディ主体で作られる音楽が心地よく聴こえるのだと筆者は考える。
 一方の西洋では、宗教に入信している人の多くが教会でゴスペルが歌い、幼い頃からR&Bなどを聴いている。これらの音楽は表拍、裏拍どちらでもリズムを取るグルーヴィな音楽が多いため、西洋の人達はリズムに対して敏感で、どちらかといえばメロディよりリズム重視で音楽を評価している。そしてラウド、パンクといったジャンルは、リズムを重視している西洋人が生んだジャンルであるため、これらの音楽もリズム主体で作られているものが多い。このことが、メロディ主体で育っている日本人には、一般受けし難い音楽になってしまっている要因の1つではないだろうか。
 日本の一部層で盛り上がりを見せているラウド、パンクは、今後日本でどのように発展していくのか。一般受けするためには、どのような要素が必要なのか。日本と西洋、それぞれの音楽のルーツや過去の発展の遂げ方が、カギとなっていくと考えられる。〈大輝〉

変わりつつある映画—「配慮」が及ぼす影響

 今日まで世界中で身近な大衆娯楽のひとつとして楽しまれている映画は、制作当時の年代による影響が出たり、時事的なメッセージが組み込まれたりすることがある。作り手と受け手がいて初めて成立するのが映画だが、今その間に大きなズレができはじめていると考える。
 皆さんは、ポリティカル・コレクトネス(political correctness)という言葉をご存じであろうか。グローバル化そして多様化している現代社会では、思想の違いによる争いや人種、性差別の問題が折に触れて表面化する。ポリティカル・コレクトネスとは、差別や偏見に基づいた表現を「政治的に公正」なものに是正すべき(人種,性,身体障碍など他にもあらゆるもので差別的な表現をなくそう)とするという考え方であり、これが今映画にまでも色濃く反映されている。ただし、このあらゆるものへの「配慮」が行き過ぎてしまうと、作品としての映画の幅をどんどん狭めてしまうだけでなく、かえって間違った影響を与えてしまいかねない。
 たとえば2017年に公開された『スターウォーズ/最後のジェダイ』で、準主役級の扱いであったベトナム系の米国人女優ケリー・マリー・トラン(Kelly Marie Tran)に対する性差別や人種差別的な誹謗中傷により、彼女自身によってインスタグラムの投稿が全削除されるという事態が起こった。実写メインキャラクターとしては初めての非白人女優で、またこの作品自体もかなり賛否が分かれる評価であり、その不満の矛先が彼女にも向いてしまったと考えられる。近年のハリウッド映画では、アジア系俳優の起用も多くみられ、スターウォーズシリーズもその流れに乗ったと考えられるが、それが逆目に出た例であると感じた。
 一方で、成功例として挙げられるのは、2018年に公開された『ブラックパンサー』である。マーベル・コミックス(Marvel Comics)社原作のスーパーヒーロー映画で、アフリカの架空の国を舞台に、メイン・キャストのほとんどが黒人俳優で、公開前から前売り券がヒーロー映画史上最高を塗り替えるなど、期待値がかなり高い状態で封切られた。現在アメリカ映画の宣伝文句にもなり得るほど影響力のある映画批評サイトRotten Tomatoesで同映画は、当初100%fresh(肯定的なレビューが100%)の評価となったり、北米での興行収入がタイタニックを超え歴代3位に入るほどの人気にまで上り詰めた。アメリカでは一大ムーブメントとなり、現在の白人至上主義が台頭するなかで、ある意味でのアンチテーゼ的な役割としても機能したのではないかと感じた。
 トランプ政権のAmerica FirstやMe Tooによる数々のスター俳優や監督の過去の問題が浮き彫りになる中で、ハリウッド映画界が今日ほど世俗社会で現実に起こっている人種差別や性差別をどう表現すべきかが問われている時はないのではないだろうか。 <K.T>

日米幼児比較

 幼児期の脳は1ヶ月で大人の10年分の成長をし、人格を80%決めてしまう。しかし、幼児教育の方法は地域によって、国によって多様である。幼児教育がどんな風に影響を与えるのか日米で比較してみた。
 一般的に、日本での幼児教育方法は他の子と同じというのが安心と考えており何かあったら叱り、すごく干渉して育てている。一方で欧米での教育方法は、1人1人の個性を尊重し、ほめて、あまり干渉せず自立させるように育てている。 個性の尊重を重視して考えることはとてもいいことらしく、日本でもそのような考えになりつつあるが、まだ多くの子供達と一緒のほうが安心することが多いようだ。しかし、欧米では1人1人の個性を大切にし、その個性に合わせて能力を伸ばすような教育が重視されており、自主性を重んじるように教育している。 それと同時に、小さい頃から自分が何をどうしたいのか、どう思っているのかなどの自己主張が出来るようにも教育している。 また、子供が失敗すると日本の親の多くは「なんで出来ないの?」と怒ってしまう傾向があり、子供は怒られないように失敗しないようにさまざまなことを身に付けるようになる。一方欧米では、成功した時に思いっきり褒め、そして褒められた子は気分が良くなり、もっと褒めてもらえるようにさまざまなことを身に付けていくようになる。
 このように叱って育つ子と褒めて育つ子で幼児教育は大きく2つにタイプが分かれている。叱って育つと、感情を殺すことを学び、その場に合わせた行動をするようになり、俗に言う空気を読む子に育ち、褒められて育つと、自己肯定感を持つようになるため、自分に自信を持ち安心して新しいことに挑戦し発言する子に育つ。従ってこの幼児教育が国民性にも大きく関わっていると言えるだろう。〈彩乃〉

現代社会の対人関係

 現代社会には、様々な対人関係による問題がある。いじめやパワーハラスメント、セクシャルハラスメントなど、最近ではコミュケーションを取ることが苦手な人による問題が生まれている。
 いじめによる子供たちの自殺も後を絶たない。大人は言う「イジメ、ダメ。ゼッタイ」。いじめにあった生徒の自殺数が増え続けていることから判断すると、学校の先生は本気で取り組んでいないのではないのかとさえ思ってしまう。
 この世に完璧な人間などいない。学校で働いている大人も、もちろんそうだ。彼らだって人を嫌いになることもある。それを表に出さずに、嫌いな人とでもコミュケーションを取ることは容易だ。しかし、なかにはそれをできず、嫌いオーラ全開で接する人もいる。その人が上司になってしまえば、パワハラをされる可能性は十分あり得る。
 大人でも感情をまともに扱うことのできない人間もいるのに、15・16歳位までの子供が感情を正確にコントロールすることができるはずもない。 
 いじめによる自殺は増え続けているが、いじめ自体は昔から存在していた。平安時代中期に書かれたとされている「源氏物語」には、いじめの描写がある。「源氏物語」は創作なので、現実に行われていたかどうかは不明である。しかし筆者は、そもそもその様な陰湿なことが行われていたからこそ、自身の作品に取り入れたのだと考える。
 現代社会はネット環境が普及し、SNSの発展に伴い学生たちは学生同士の多くの情報を入手することができる。そこから妬み嫉み僻みが生まれ、いじめにつながると考える。いじめによる自殺者をなくすことはできないが、減らすことはできる。親や教師が、何も学校がすべてでないと考え、子供たちに逃げ場を作ってあげ、社会復帰をゆっくりと考えればいいのではないか。〈修司〉

Jリーグ経営—未来へ向けての提言

 Jリーグに加盟するクラブへの分配金が増えている。こうしたクラブへの定額分配金のほか、優勝クラブへの配分金を多くし、強いクラブにはより多くの資金を提示できるようになった。
 その結果、各クラブでは自分のチームを強くするための育成費用や外国人選手などの獲得費用に投資するインセンティブが生まれ、リーグとしてより魅力的な試合を目指すことができるようになった。
 Jリーグの運営主体は公益社団法人日本プロサッカーリーグであり、同組織は公益目的事業と収益等事業に分かれている。公益目的事業はリーグ全体の発展、収益等事業はサッカーの権利の商品化ビジネスと表彰に繋がる。2014年に日本プロサッカーリーグ理事長(Jリーグチェアマン)に村井満氏が就任し、Jリーグ経営の未来像が明確となった。リクルート社での人事経験から子会社の経営者となり、外部からの経営者としてチェアマンとなった経験もあり、サッカーリーグ経営を成功させた立役者であると言えよう。
 ところで、リーグとしてのスタジアム統制には明確な基準があり、日本サッカー協会が「スタジアム標準—サッカースタジアムの建設・改修にあたってのガイドライン」を示している。Jリーグクラブ・ライセンス制度では、J1、J2、J3に昇格する際、ホームスタジアムが一定の基準を満たしているかも重要な審査対象となる。
 2018年6月、スペイン1部名門FCバルセロナで伝統の8番アンドレス・イニエスタ(Andres Iniesta)選手の神戸移籍が決まった。ビッグネームの移籍により、観客動員数の増加などJリーグが大きく動きだそうとしている。 〈T・D〉
 今回、ゼミ学生である田原君が本欄のために、看板となるロゴを作成してくれました。完成まで、どのようなものができあがってくるか、とてもたのしみにして居ましたが、いかがでしょうか。今回は特別に、その学生がどのような意図でこのデザインを考えたかを、簡単にまとめてもらいました。以下に、そのまま掲載します。 
 Plaza de Comunicaciónというネーミングがスペイン語由来であるということを聞き、文字は鋭角なデザインで、文字色は阪南大学のカラーである濃い緑をベースに作成しました。コミュニケーション広場という意味から、男女(+猫)が話し合っている様子を当てはめています。
☆☆☆ 最後までお読みいただいて、ありがとうございました。☆☆☆