流通学部平山研究室3回生「ホテルのブランド価値探求班」は、7月5日に大阪心斎橋と中之島にあるホテルを訪問し、大阪で求められるホテルのブランド価値に関わる調査研究をおこないました。

 流通学部 平山研究室3回生「大阪で必要とされるホテルのブランド価値探究班」 は、外国人観光客から高い支持を受けている心斎橋のビジネスホテルと、大大阪(だいおおさか)の象徴的なホテルとして、大阪の政財界の声をバックに1934年12月に完成した新大阪ホテルからの歴史を持つ、現在のリーガロイヤルホテル大阪でのフィールド・リサーチを行いました。

ホテル心斎橋ライオンズロック

 最初に訪問させていただいた、ホテル心斎橋ライオンズロックでは、社員の山岡悠史様に、お話を伺いました。ポイントとしては、ここ数年来の爆買いに見られる中国人観光客向けの語学スタッフの採用や外国語で書かれたマップの充実、ホテル内の外国語表記などのサービスの充実に注力してきたこと、周辺商業地の魅力度の高さ、具体的には心斎橋の商店街や家電・雑貨店・ドラッグストアなどの量販店に加え、様々なスーパーやコンビニ店舗の存在など、立地的にも駅近ということもあり、このような数多くの商業施設の真ん中にある大阪心斎橋に宿泊し、観光やショッピングの拠点にするといった思考が彼ら観光客の人たちの、その根底にあるということでした。
 ここで特筆すべきことは、こうした動きに加え、このホテルでは、宿泊客の女性や子供たちから数多くの支持を受けている、「うさぎ支配人ヒロシくん」の存在が挙げられます。2011年3月11日の東日本大震災により関東地域からも多くの外国人が避難してきました。その際、宿泊していた外国人の方が帰国するにあたり、清掃スタッフが入室すると、赤ちゃんのうさぎがおり、結果として部屋にその方がうさぎを置いて出国したということがわかり、当時のスタッフたちがこのうさぎを飼うことにし、その後ホテルの支配人としてデビューさせることになりました。以後、現在までこのうさぎのヒロシくんが支配人を務めるホテル心斎橋ライオンズロックに関わる情報はSNSNで拡散し、うさぎホテルとして人気が沸騰し、現在に至っています。

リーガロイヤルホテル

 一方、リーガロイヤルホテルの歴史を紐解くと、つぎのようになります。1925年に大阪市の人口が211万都市となり、当時の東京市の人口200万人を上回ったものの、内外のお客様をもてなす近代的ホテルが存在せず、これを地元大阪の財界、大阪府知事、大阪市長からも建設に向けての声が高まり、1930年には中之島が建設予定地となり、1931年には名称も「新大阪ホテル」と決まり、そして1932年12月に完成し、翌1935年1月にホテル竣工披露宴が開催され、ここに現在のリーガロイヤルホテル大阪に続く歴史が始まっています(出所:リーガロイヤルホテル大阪ホームページおよび平山弘(2008)「ブランド価値の創造−リーガロイヤルホテルの事例を中心に−」『阪南論集社会科学編』(43−2))。
 いまでは、大阪を代表するインターナショナルなホテルとしてのアイデンティティ(存在感)と、関西の政財界にとっても、大阪のまちに住むものにとっても、誰しも非常に思い入れのある身近なホテルとしての顔も持ちあわせているのです。

【平山研究室お薦めのショップ】(一部紹介)

□「ショコラブティック・レクラ」
 2007年5月オープン。ショコラティエと呼ばれる菓子職人がひとつずつ丁寧に作成し、それを販売するヴァンドゥーズというスタッフもチョコレートに関する専門的な知識を持って消費者に対応しています。
 商品としては、太陽系惑星をデザインした「惑星ショコラ」は芸術性にあふれ、地球をはじめとした惑星一つひとつの特徴がそのビジュアルな装いに具現化され、またその味の確かさに二度感銘を受けます。

□「リーチバー」
 1965年に英国の芸術家バーナード・リーチの着想を再現した大阪の老舗Barです。
 その落ち着いた間接照明の美しさ、内装・調度品の数々、籐の壁材からなる木のぬくもり感あふれる空間に一度足を踏み入れると、深々とした深奥な森の中に紛れ込んだような感覚にさせられます。

謝辞

 リーガロイヤルホテル大阪の関係者のみなさまには大変お世話になりました。有難うございました!またエリアワンエンタープライズ株式会社 ホテル心斎橋ライオンズロック 山岡悠史様には、最近の大阪における外国人観光客の現状について、また大阪で求められるホテルサービスの重要性のポイントなど、非常に貴重なお話を聞かせていただきました。こうしたご厚情に対し、平山研究室一同、心から感謝申し上げる次第です。有難うございました!

 本研究は阪南大学キャリアゼミ活動の一環として、活動しています。