都市文化論シンポジウム2020-君主・皇帝・天皇-玉座とそのシステムー

withコロナの時代を迎え、技術文明の進歩と文化の相互補完性を考える中で実施された「都市文化論2020」第2回目のシンポジウムでした。君主・皇帝・天皇を考えてみることで、そのもとで起こってきた疫病と人はどのように向き合ってきたかが、最終到達地点でした。学生諸君のレポートを拝見していると、私たち科目担当者が「なんだか楽しそうだぞ?!」という研究マジックに入り込んでくれたようで、その点は手放しで喜びたいと思います。その一方で、90分間という制限時間の有効活用を私たち3名はもう少し考えてみないといけないという反省もあります。とはいうものの、先ずは、学生たちの学びへの躍動感が詰まったレポート缶詰をご賞味下さい。

科目担当者コメント

「都市文化論2020」第2回シンポジウムを終えて

松本 典昭:都市文化論(ヨーロッパ)担当

 今回は、3台のパソコンを使ってシンポジウムに挑戦したが、音声に問題があったようである。聞きづらかったというご指摘を多々いただいた。こちらのミスであり(特に松本はマイク・オフでしゃべることがあったらしい)、まずは受講生諸君にお詫びをしなければならない。ところが、そんな聞きづらい状況でも、楽しかった、勉強になった、と感想を書いてくれる学生がいて、少し安堵した。
 私がいうのも変だが、教員3人はとても難しい課題に挑戦していると思う。それぞれ研究分野も研究姿勢も異なる。普通なら話が噛み合わないはずであり、もちろん簡単な答えなど出るはずもない課題に挑戦しているのだ。その難しい課題に挑戦する姿勢を見て、楽しんで、寄り添ってくれる受講生がいるのだ。いっしょに難しい課題を考えていきましょうよ、と励まされているように感じた。「理想の共同体」としての、ありうべき共通の「学問の場」ということを考えさせられたシンポジウムであった。

陳 力:都市文化論(中国)担当

 歴史上、王権は都市とコスモロジーを繋げる存在である。古代日本の平城京・平安京の立地については、「揆日瞻星」・「亀筮相土」・「四神相応」などの記載があり、これを理解するには、まず王権の性格及び王権が文化的な面において如何に都市に影響したかを分からなければならない。
 このような抽象的な問題について、イタリア・日本・中国の状況を分けて話すと、受講生に対して、非常に分かりにくい話題になるかもしれないが、この三つ国の史実を照らし合わせて三人の教員がそれを比較しながら論点を展開すれば、受講生の理解度がより高くなるのではないかと期待していた。
 シンポジウムの後に受講生が提出した課題を見ると、われわれ教員が考えた目標はおおよそ達成できたと思う。今回のシンポジウムで更に教授法の創新の重要性を確認することができた。なお、今回のシンポジウムはリモート方式で実施。音声が途切れるなどのトラブルもあった。新しい挑戦の難しさも痛感する。

神尾 登喜子:都市文化論(日本)担当

 第2回のシンポジウムを運営しながら考えたこと。それは、「実学とは何か?」ということです。基本的に文化研究は、世界経済を動かすわけではありませんし、国と国との利害関係に直接かかわるわけでもありません。その点からすれば、むしろ「虚学」なのかもしれません。しかしながら、そこを知ることによって、未来の予測をすることは意外にもできる、というのが文化研究です。 そこに、今回のテーマの発展的展開があるように思っています。
 受講学生諸君が、シンポジウムの内容を通して自ら学び、新たなリサーチをしてくれることに感謝しかありません。

「都市文化論」第2回シンポジウム・学生コメント

岸本 梨沙(国際コミュニケーション学部1年)

 本日のシンポジウムは初めの方が少し聞きとりづらかったが、途中から聞きやすくなり、すごく集中して授業を受けることができた。授業の最後の話にあったウイルスのことについてだが、人間が生きていく中でこれから一番の課題になってくると私は考えた。
 シンポジウムのような授業形式は、それぞれの国に対して知識を持っている3人の先生が集まって議論をするため、普段では得られない多くの情報を得ることができた。本当に楽しい授業形式だ。新しい発見が多くあり、すごく勉強になった。

平尾 啓順(国際コミュニケーション学部1年)

 今回のシンポジウムは先生の会話が重なり聞こえづらいところがあった。前回のシンポジウムと比べてエコーや音声の問題があると感じた。
 3つの大きな都市について、君主や皇帝、天皇などの異なった権力者、およびそれらの役割についてシンポジウムを進めていたので、ヨーロッパの都市とアジアの2都市を比較することができた。やはり、相違点もあれば共通点もあって、いろいろ学ぶことができた。
 また、3人の先生のこれまでの経験や生の意見をシンポジウム内で聞くことができるので、いつもの動画を視聴する以上に、楽しく理解しやすく、知識を得ることができた。
 シンポジウム後半の神尾先生のイナゴとコロナの関係についての話が、これまでの人類と疫病の歴史と似ている部分があって、コロナ以後の世界の状況も歴史を振り返ることで予測ができると感じて、とても面白いと感じた。

新山 明華(国際コミュニケーション学部3年)

 イタリアは君主がいた、中国は皇帝がいた、という過去形だが、日本は現在も天皇がいる、という現在形になっていることを理解した。三都市の共通点として、即位の際に、神から力を受け取り、神格化されている点が挙げられるのではないかと感じた。
 ヨーロッパでは、黒死病が流行したとき、絵画に弓矢による傷跡を描き、黒死病の黒い斑点を表していたが、これは疫病の流行が収まるようにという願いの表れであることを理解した。また、この時代には、死を題材とした作品が多く登場するようになり、死と隣り合わせてもこの世を楽しもうという社会状況と心性の変化が分かる点がおもしろいと感じた。日本では、即位礼正殿の儀において天皇は黃櫨染御袍を、立皇嗣宣明の儀において皇太子は黄丹袍を着用するという決まりがあり、色によって立場が区別されていることを初めて知った。
 中国では、栄養失調によって病気となると思われており、政治に関係のない疫病は記録されることがないと知った。疫病に関して、三都市では異なる対応をしていたが、現在ではグローバルな時代となったからこそ、各国で協調して疫病に真摯に向き合い、共同の対策ができるようになってほしいと切に感じた。

廣瀬 美来(国際コミュニケーション学部3年)

 少し聞き取りづらい部分もあったが、今回のシンポジウムも面白い内容だった。日本で生まれ育っているが、日本の天皇について学ぶ機会がほとんどなかったので今回のシンポジウムをきっかけに調べて、他の人にも教えたいと思った。国によってトップの呼び方が違うのは私にとって面白い学びであった。日本の天皇は外国ではemperorと表現されていることを初めて知った。EmperorとKingの違いも初めて知った。多くの日本人が知らないのではないか。
 また、疫病との共存は人類の課題であると思った。これまでも世界では黒死病や天然痘など多くの疫病と戦ってきた。矢が刺さった聖セバスティアヌスの絵画は衝撃的だった。しかし、絵を見て病人たちが回復の祈りを捧げていたということに驚いたし、納得した。美術品は、誰が作品を見ていたのかを考えることが重要である。そうすることでその当時の世相や社会情勢が分かるということが面白いと感じた。
 そして、2019年12月、アフリカでバッタが大量発生しており、それが今回の疫病の前兆だったのではないか、という話は初めて聞いた。歴史から学ぶことはたくさんある。世界のそれぞれの国で今何が起こっているかを知ることは、グローバル時代を生きる私たちには必要不可欠なことであると思った。

越智 遼人(経済学部3年)

 イタリアの君主・中国の皇帝・日本の天皇については今までは何となく知っているつもりだったが、今回のシンポジウムを聞いて、以前知らなかったことを発見して細かく理解することができてよかった。
 ヨーロッパの教皇・皇帝が聖・俗があり、君主制と共和制の変移もある。それぞれ制度が違う。中国では皇帝が王の時代の後にできたことや皇帝制度発生のきっかけを知ることができた。日本の天皇と大化の改新の相関関係や、律令制によって天皇号が規定されていくことをはじめて知った。
 国によって君主・皇帝・天皇の即位礼も異なっていたなどを理解できてとても勉強になった。日本とヨーロッパと中国を研究する先生が話をし合って、各国の文化的背景や時代的背景を知り、各国を比較しながら学ぶことができてよかったとおもう。

坂戸 那奈佳(国際コミュニケーション学部2年)

 今回のシンポジウムは自分が知らないことばかりで、内容が少し難しく理解に時間がかかる内容もあった。でも、知らないがゆえに「あっ面白い!」と感じることもあったし、知識が増えて充実した時間になってよかった。
 今回の内容で特に面白いと感じたのは、中国と日本が使用していた印鑑と、ヨーロッパの絵画である。一つ目の印鑑について、今でもずっと使われているということや、仕事として判子を押すのも、その内容によって判子が一個一個異なっているというのがすごいと思った。と同時に、いろんな仕事があるんだと感じたし、判子を押す人はややこしくて、失敗してはいけない押し間違いは起こらないのかなと思って話を聞いていた。やっぱり真似をされないように、複雑文字や模様が描かれるなどの工夫をしていて、真似をされないということは本当に大事な事なんだと納得をした。
 また、中国の皇帝の時の判子には持つところにいろんな動物がいたり、その動物の部分には紐を通すための穴があり、権力や立場を表すひも(綬の一部)が通してあるのが面白いとも思った。そのひもは作るのに時間がかかると聞いて、丁寧に特別に作っていたんだなと思った。
 二つ目に、絵画にはその時代の背景や、多くのものを意味していると知って、今の時代にまで伝わり続けているのがすごいと思った。私は有名な絵画ぐらいしか知らないし、先輩が絵画を好きで、絵画を解析する本を読んでいたり、知り合いの人が美術館に行ったりしていて、正直何が楽しくて行くのだろうとずっと思っていたけど、彼らの気持ちが少しわかった気がした。比率や、描かれているものにはそれぞれ意味があって、それを知っておくだけで、絵画を見たときにより面白さが募るんだろうなと思った。今回のシンポジウムで絵画の面白さが少しわかったような気がするから、機会があれば行ってみたと感じることができた。
 最後に、14世紀に流行したペストは戦争に匹敵するくらい多くの犠牲者を出しているから、少し怖いと思った。今回のコロナはここまでいかないことを願うけど、自分も気を付けて生活をしていこうと思った。

中山 学斌(国際コミュニケーション学部1年)

 私は今回のシンポジウムで特に感じたのは、「なぜそうなった」や「どうしてだろう」といった疑問を持ち、またそれの答えを導き出すことです。例えば、君主・皇帝・天皇は一体どういった仕事をこなしているのか。
 答えとしては、君主の場合、要塞・港・運河の建設だったり、産業の復興だったり、他国の王族との結婚などの仕事がある。続いて皇帝は、任命や召喚をする際の判子をしたりする。また、天皇は、国民の幸福、国土の安寧、社会への奉仕がある。
 これらはシンポジウムの授業があるからこそ知れたことであり、この授業への関心が深まった結果が、より一層「もっと知りたい」という感情を生み出したと考える。

水野 柊太(経済学部4回生)

 今回、内定先の研修でシンポジウムは受けられませんでしたが、今後もこのような授業が継続されることを願っています。事前に配信された資料を拝見しながら国の君主・皇帝・天皇のことについて勉強しました。それぞれ時代や背景があることから面白さを感じ、シンポジウムを聞きたかった、というのが感想です。シンポジウムを通して、国の歴史や文化、世界の時代の流れが詳しく知れると思いました。私は経済学部というのもあり歴史について学ぶ機会も少ないので、この機会で歴史・文化について学ぶことができているので良い機会となっています。

田中 美穂(国際コミュニケーション学部3回生)

 1回目の遠隔とは違い、対面でのシンポジウムは、すごく頭に入ってきてよかったです。声も聞き取りやすくて3人の先生たちご自身が楽しんでいる風景に、感動すら覚えました。その中で、疫病は根底から覆す危機でもあるが、今は細菌やウイルスを見つけることができ、マイナスだけではないという最後の言葉にとても共感しましたし、今だからこそ前向きになることの重要さがわかると感じました。

原 理恵(国際コミュニケーション学部3回生)

 前回はリモートでのシンポジウムでしたが、やはり、今回の対面の方が理解しやすいと感じました。日本以外の2か国は過去で日本は現在も天皇が存在していることが改めてすごいと思いつつ、かつての日本は、中国から学ぶことの多い日本だったこともさまざまな要素から理解が深まりました。また、最後の方に疫病についても触れられており、過去の疫病と現在世界中に蔓延している新型コロナウイルスは共通することがあると考えることができた。過去よりも現代の方が科学も発展しているのだから、先生方がおっしゃっていたように世界が協力をすればいい方向に事が進み、新型コロナウイルスも落ち着けばいいなと思う。

堀之内 陽向(国際コミュニケーション学部3回生)

 前回のリモートシンポジウムより今回の対面実施の方が、話も聞き取りやすく先生方の徐々に上がる熱意も感じとることができ良かった。君主・皇帝・天皇についての話はもちろん興味深く、聞いていて楽しかったが、授業後半の疫病に関する話はもっと聞きたいと思ったのは私だけではないはずだ。西洋の黒死病と絵画の関係性や戦争と疫病による死者のランキング。中国の歴史書に見いだされる鳥インフルエンザを表す絵図。どれもが興味深いものだった。神尾先生が授業の最後に、「天皇は世界にメッセージを発信しても良いのでは?」という発言には、確かにその通りだと思えた。日本の象徴である天皇からのお言葉の発信そのものに意義があるのだ。最後に、毎回のことながら議論に熱中し、時間が足りない!しかしこれは言いたい、だけど……、と葛藤する先生方の姿を拝見しながら、いつか時間を気にせず話し合ってほしいと思うと同時に、研究への終わりなき憧憬を見たような気がした。

大森 愛子(国際コミュニケーション学部1回生)

 今回のシンポジウムで、私はヨーロッパの分野がとても興味深かったです。ヨーロッパのルネサンスの頃にはペストが流行っていたということは知りませんでした。それでも私たちがルネサンスにどこか明るさを感じるのは、困難から脱することに懸命だった人々の存在があったからなのではと思いました。またサン・セバスチャンの絵画を見て、誰が見ていたのかを考えることにより当時の世相や社会情勢がわかるということも興味深かったです。これからは物事を客観的に捉えて視野を広げようと思うきっかけになったシンポジウムでした。

松内 大和(国際コミュニケーション学部1回生)

 「国は違えど国を治める者は何かしらの共通点があるという発見ができた」というのが今回の感想である。仕事や存在の意味は国によって様々だが、国が危機に陥った時、神に祈りを捧げるという行動は共通しているといえる。神に祈るという行為は、現代でも厳格なしきたりとして残っている。また、一般レベルでもこの文化は根付いている。コロナウイルスが世界中で流行した際に、日本では国民の間でコロナウイルスの終息を願いアマビエという妖怪に祈りを捧げることがブームになっていた。危機に陥ると人ではないものに救いを求め、祈りを捧げる。これはいつの時代も世界共通で行われてきたことがわかるシンポジウムであった。

是井 望見(国際観光学部1回生)

 印鑑は文化なり。シンポジウムが終了した瞬間に私の脳裡に思い浮かんだのはこの言葉でした。ヨーロッパの羊皮紙文化の中での封蝋に対して、中国日本では印鑑文化です。紙の代わりに使われていた竹に印鑑を押す際には、朱肉ではなく泥を使っていたとのこと。そこから私は、情報の集積回路のような漢字文化圏だからこその印鑑文化なのだ、と思えました。さらに、シンポジウムは「疫病」に話が進み、「疫病である時代が終わり、疫病でまた新たな時代を迎える」と仰っていたことが印象的でした。何よりも、過去と同じように、現代社会も国家や都市を根底から危機にさらす疫病と向き合っていることを実感しました。西洋絵画に祈りをささげることや、日本の社寺でお守りやお札に願掛けをすることを通して、疫病から救われようとする人の行動に洋の東西を問わない現実があるように思いました。

森田 容平(国際観光学部1回生)

 共和制VS君主制。しかしながら、同じ君主制にもいろいろな形があることが面白かった。今回は判子や天皇が身に着ける装束などの原型が、大陸文化だと紹介された。前回のシンポジウムにもあったが、日本が中国から影響を受けた文化はまだたくさんあると感じた。さらに、備後國風土記逸文が紹介されたが、調べると三重県の伊勢の七五三飾りには「蘇民将来子孫」と書かれていることがわかった。旅をしているのはスサノオノミコトだったが、蘇民将来の物語がいろいろな土地の無病息災を願う人々に広く知られていることがわかった。他にも同じような事例がないか調べてみたい。