【松ゼミWalker vol.155】ポーランドでのストリートアートとの出あい(教員 松村嘉久)

クラクフで出あったストリートアート

 西成アート回廊プロジェクトと絡んで,2014年に入ってから何度か,ストリートアート(Street Art)の日本人アーティストと直接お話しする機会がありました。彼らのストリートアートへかける情熱や想い,西成や釜ヶ崎へのリスペクトを聴いて,私は感銘を受け,ストリートアートそのものにも興味を持ち始めました。
 そもそもストリートアートとはどういうものなのか,賑わいを創出して地域の人たちを勇気付ける手段となり得るのか,むしろ逆に,貧困な弱者を地域から追い出すきっかけづくりとなるのか。少し調べてみると,ストリートアートについては,定義すらあいまいで,それ自体の評価もその影響についても,賛否両論に分かれていることがわかりました。

 このような状況のもとでは,とにかく,現場でそれらを実際に自分の目で見て,経験や認識を深めることが,まず何よりも重要です。そこで,今回の旅のもうひとつの隠れた目的は,ポーランドのクラクフやワルシャワ,ドイツのフランクフルトにおいて,どのようなストリートアートが存在するのか,そして,それらがどのような状況のもとに置かれているのかを探ることにありました。

 クラクフでは,学会への参加や自分の発表の準備で忙しかったのですが,巡検ほかで世界文化遺産を巡るなか,いくつかのストリートアートと出会いました。
 かつてのユダヤ人ゲットーで出会ったウォールアート(Wall Art:以下は壁画と呼ぶ)は,何かシュールな雰囲気が漂うもので,個人が所有する建造物の妻壁に描かれていました(上の写真参照)。どのような経緯で描かれたのか,近くの人に尋ねたのですが,わかりませんでした。
 ビスワ川沿いの遊歩道で出会った壁画は,ヴァヴェル城の伝説にちなんだ龍がモチーフ(右写真参照)。こちらは私有財産ではなく,河川の堤防という公共性の高い空間に描かれていて,作者のサインやクラクフ市のマークも入っていたので,何かイベントの一環で描かれたものと推察されます。
 いずれも,決して落書きの類ではなく,じっくりと時間をかけて描いた芸術性の高いもので,周囲の風景との違和感もなく,道行く人のなかには,しばらく足を止めて鑑賞する人もいました。その一方,クラクフの街なかでは,世界文化遺産登録されている地域内でさえも,芸術性に乏しい乱雑な文字だけの落書きが目立ちました。

ワルシャワでのストリートアートの驚くべき評価

 クラクフから首都ワルシャワへは,長距離バスで約5時間の移動でした。バスはチケットがとりやすく,移動の途中の風景も楽しめ地理知識も増えるので,海外でも日程に余裕さえあれば,私はよく長距離バスを利用します。
 ワルシャワのバス停に着いて,地下鉄のビラノフスカ(Wilanowska)駅に向かったところ,いきなり,大きな壁画(右写真参照)と遭遇し,私の期待は膨らみました。
 ワルシャワでのホテルは,社会主義時代に建設されたグロマダ ドム コローパ(GROMADA DOM CHLOPA)という,文化科学宮殿東側の便利な市街地にある立派なところで,カジノも併設していました。
 ちなみに,ドイツもポーランドも,カジノは合法でした。どちらの国でもカジノの内部へ入って見学しましたが,パスポートチェックの類はなく,海外からの観光客というよりも,地元のポーランド人やドイツ人が主な顧客のようでした。日本で議論されているような,ラスベガスやマカオの大規模統合型リゾートのイメージではなく,どちらかと言えば,日本のパチスロ屋に近い雰囲気でした。

 さて,このホテルにチェックインする際,ワルシャワ公式の観光ガイドブックと観光マップをいただきました。どちらも英語で書かれていて,チェックインする全ての外国人客に,このセットを配布して,地図でホテルの位置を確認する,とのことでした。
 ホテルのベッドに寝そべって,その公式観光ガイドブックを何気なく眺めていると,観光の見どころを紹介するなかで,「WARSAW STREET MURALS」という見出しを発見しました。直訳するならば,「ワルシャワ ストリート壁画」となります。
 この記事を読むと,ポーランドは共産主義時代から壁に巨大な広告やスローガンを描いてきた,この夏は第5回ストリートアート祭が開催される,などのストリートアート事情が紹介され,最後は,「ワルシャワで成長しつつあるストリートアートシーンの傑作を発見し易くするため,有名な壁画のある場所は地図上にスプレーのアイコンでマークした。Check it out!」と締めくくられていました。
 外国人向けの英語の公式観光ガイドブックで,観光の文脈から,見どころとして,ストリートアートの存在が,それも「スプレー」のアイコンで示されている,この事実に私は驚き言葉を失いました。

 ワルシャワ市は,ストリートアートを落書きなどではなく,外国人旅行者がわざわざ見に行く可能性のある観光資源と評価して推奨している,この事実を知って,それ以降の行動は決まりました。地図上のスプレーアイコンの位置を全て確認した私は,翌朝から,それらのひとつひとつを訪ね歩き,それらの内実を自分の目で確かめて行きました。

ワルシャワ市内の落書き事情

 絵そのものの芸術性が高いか低いかという評価は別として,「その場所に描く」という行為が許されていないものは,描かれた側からすれば,たとえ芸術性が高かろうが,残念ながらそれは落書きに過ぎません。ワルシャワ市内を歩いていると,そのような落書きをたくさん目撃しました。
 最も困るのは,市街地の繁華街や世界遺産の核心部など,人通りが多くて目立つところで,ゲリラ的に出没し愉快犯的に絵や文字を描き,逃走するような落書きでしょう。これは迷惑行為をこえて,たいていの国々では違法行為,犯罪行為とされています。
 ワルシャワ歴史地区内の裏通りでも,そうした落書きを多数見かけました(左写真参照)。人目が多く犯罪性も高く,じっくりと時間をかける余裕もないためか,芸術性のかけらも感じられません。
 私がこの写真を撮影していると,通りがかりの女性と目が合ったのですが,おそらく旅行者と思われる彼女は,「It’s so terrible.(最低ね)」と英語でつぶやきました。私も同感でした。
 この類の落書きを見ていると,「誰も幸せになれない行為」だと痛切に感じます。
 描く人は,しっかりと安心して描けないので,絵はどうしても雑になり,もし会心の作が仕上がったとしても,違法であるため「これは私の作品です」と名乗れず,絵を遠巻きにしてニヤニヤするしかない。自分の家の壁に描かれた人は,そもそも描かれることを望んでいないので,たとえ傑作であったとしても迷惑でしかない。
 絵を目撃した人も,たいていは嫌な気持ちになり,たとえ傑作であったとしても称賛できない。誰も幸せになれず,誰も得をしない。あえて言うならば,描く人の歪んだ自己顕示欲が,わずかに満たされるくらいです。

 ワルシャワの後に訪問したフランクフルトでも事情は全く同じでしたが,列車や路面電車の線路沿い,あるいは自動車の高速道路沿いで,トンネルや高架があり,立体交差するようなところも,落書きが多かった。
 地図をざっと見て,鉄道や道路が立体交差するような場所を見つけて行けば,まず間違いなく落書きと遭遇できました。日本でも事情は同じですが,たいていは,列車の乗客の目線を意識した場所に描かれています。
 落書きのなかには芸術性の高そうなものもありますが,やはりどう考えても違法行為で,描く場面を想像すると危険を伴うし,描かれた側からすると迷惑を超えて,犯罪以外の何者でもありません。

 例えば,地下鉄のドボジェツ・グダンスキ(Dworzec Gdanski)駅の近くで,鉄道と道路が立体交差する一帯の橋脚には,まるで競い合うかのように,数多くの落書きが描かれていました(右上写真参照)。同じような光景は,ワルシャワ市内の立体交差点のいくつかも目撃しました。

フォクサル通りの裏通り

 宿泊していたグロマダ ドム コローパから東へ歩いて数分のところに,フォクサル通り(Foksal street)がありました。この通りにはクラブや劇場が立ち並び,週末でなくても,毎夜毎夜,路上はお洒落なオープンカフェ空間となり,ワルシャワの若者たちが集い騒いでいました。
 通りの西端の入口あたりには,夕暮れ時になると,雨も降っていないのに,ピンク色の小さな傘を差した若い女性たちが何名か出没し,行き来する男性たちに声をかけていました。酔っ払いも多く退廃的な雰囲気の漂うところですが,なぜか危険な感じはしない不思議な通りでした。
 その表通りから一歩なかへ入ると,規模の小さなバーが立ち並ぶ裏通りがあり,老朽化した建造物の合間に駐車場がありました。この駐車場のなかに,ワルシャワの公式観光ガイドブックで写真掲載されていた壁画が描かれ,駐車場の壁は,カラフルなグラフィティで彩られていました。周囲にいたバーのスタッフに尋ねると,これらのグラフィティはアートイベントで描かれたものだそうです。
 ところが,なぜか不思議なことに,地図上のこの場所には,スプレーアイコンが付けられていませんでした。私がこの壁画を発見したのも,ワルシャワの若者の夜遊びを見学しようと,たまたま裏通りへ立ち入った偶然からでした。
  • 黒一色でとてもシンプルだが存在感抜群

  • 駐車場の壁には本気で描いたグラフィティ

  • ところどころペンキは剥げていたが力作

  • グラフィティの上に落書きは無かった

ショパン博物館とストリートアートのコラボレーション

 ショパン博物館はワルシャワ観光のなかでも人気のスポットのひとつです。その周辺にも,ストリートアートの壁画作品が2件あり,公式ガイドブックの地図でもスプレーアイコンが付けられていました。左写真の右手,太陽光のあたっていない建造物がショパン博物館,巨大な壁画が正面に見えている。この写真で言うならば,ショパン博物館の裏手に,もうひとつの壁画が描かれています。
 ショパン博物館は先ほど紹介したフォクサル通りから,さらに東へ歩いて数分くらいのところだったので,私もワルシャワ滞在中の朝夕,何度か散歩で訪れました。ショパン博物館へ来た観光客のほとんどが,壁画に気づき,写真を撮っていらっしゃいました。

 私は大の音楽好きですが,残念ながら,クラッシックとはあまり縁の無い生活を送ってきました。なので,ショパンの人物や楽曲については,ほとんど知らなかったので,この機会にショパン博物館も見学しました。バッハ,ベートーベン,モーツアルトなどと並び,中学校の音楽室に肖像画が掲げられていた人物なので,楽譜や手紙など展示資料も豊富でした。クラッシック音楽の巨匠の博物館とストリートアートのコラボレーションは,思いのほか調和していて,歴史都市の躍動感のようなものが感じられました。
  • ショパン博物館北側の壁画

  • ショパン博物館東側の壁画

文化科学宮殿近くのストリートアート

 旧ソ連からポーランド人への贈り物として建設された文化科学宮殿は,映画館,劇場,博物館,コンベンション会場などを有する超高層ビルで,ワルシャワ市街地を見渡せる展望台があり,観光の人気スポットとなっています。
 写真は文化科学宮殿東側の駐車場に描かれた壁画です。とても精緻なタッチで,おそらくショパンをモチーフに描かれたものですが,残念なことに,壁画の上に心無い落書きがされていました。
 文化科学宮殿の最寄りは,ワルシャワ中央(Warszawa Centralna)駅と地下鉄ツェントルム(Centrum)駅ですが,この両駅は路面電車のネットワークの起点でもあり,文化科学宮殿界隈は首都ワルシャワのいわば陸路の玄関口とも言える地域となっています。
 文化科学宮殿から東へ行き,南北に走るマルシャウコフスカ大通りを渡ると,大規模な商業施設や娯楽施設や宿泊施設が集積する一角に入り,そのなかのビドク(Widok)という東西のストリートがあります。このビドクに二つのスプレーアイコンが付き,ストリートアートの中心地となっていました。

 私が宿泊したグロマダ ドム コローパは,部屋の窓から文化科学宮殿の時計が常に見え,地下鉄ツェントルム駅まで歩いて10分もかからない距離にあったので,このあたりもよく散策してストリートアートを発見しました。
  • 名作への心無い落書き

  • HIPHOP系グッズ販売のショップ入口の壁画

  • アートで彩られた立体駐車場

  • 地下鉄ツェントルム駅出口の壁画

  • レンガ造りの映画館の壁面

  • TOTOの宣伝壁画は色褪せていた

クラクフやワルシャワで出あったストリートアートを巡って

 ヨーロッパではレンガを積み重ねる建築方法が主流,その手法で建物の強度を確保するもあってか,歴史都市の中高層住宅の道路に面していない側面の壁は,窓が全く無いか,あっても少なく小さい場合が多い。都市計画の規制は一般に厳格で,中高層住宅街は建物の高さがきっちりと揃っていて,スカイラインはすっきりと美しい。しかしながら,統一感のある街並みは変化やアクセントを付けにくく,往々にして単調になりがちでもある。
 つまるところ,ヨーロッパのレンガ積み建築文化では,キャンバスとなり得る壁面が多い状況のもと,美しいが単調な街並みに変化をつけたい,というニーズが合致しやすく,壁画の誕生を願う期待が高いのかもしれません。
 私には絵を描く才能が欠如していますが,絵心のある人ならば,「あの壁にこんな絵を描いたらいいだろうな」と思う壁が,ヨーロッパには多いような気がします。左の写真は,ワルシャワ歴史地区のなかで出あった壁画,同じようなファサード(正面)の続く街並みのなか,遊び心を感じさせるアクセントになっていました。
 さて,ストリートアートに関する研究を深めるには,様々な自治体の行政当局がそれに対してどのようなスタンスで臨み,アーティストたちがどのような反応をしているのか,そうした事情を知ることから始まるかと思います。ポーランドのクラクフでもワルシャワでも,行政当局者に直接お話を伺うチャンスはなかったのですが,落書きからアートへの脱皮を願いつつ,育てて行こうというスタンスを感じました。

 ワルシャワを離れるため,ワルシャワ空港へタクシーで向かう際にも,いくつかの壁画を発見しました。右写真はそのひとつ,信号待ちしている瞬間に撮影したもの。これは観光マップには掲載されていませんでした。ワルシャワのストリートアートは,公式ガイドブックで示されている以上に発展していることを,ワルシャワを離れるその途上で実感しました。
 帰国してから,日本人アーティストに教えていただいたいのですが,ヨーロッパにおいて,ワルシャワとフランクフルトは,ストリートアートやグラフィティの先進地として有名なのだそうです。
 加えて,ヨーロッパで最もストリートアートに対して理解があり,世界中の著名なアーティストが訪れ作品を残しているのは,スペインのバルセロナだ,とも伺いました。ガウディの建築とストリートアートが共存しているのか,とても興味深いところですので,近い将来,必ず,スペインへ行って現場を見たいと思います。アーティスト仲間のネットワークを活用すれば,もっと奥深い情報を得られる,ともアドバイスいただきました。

 さて,学術的な観点からは,パブリックアート(public art)の政治性の問題,ランドスケープ(landscape)を巡る建築物とアートの関係性の問題,そもそも何がアートであるのかというアートの本質論,などへの目配りが必要なことも痛感しました。
 人文地理学の観点からは,ストリートアートと絡んで,路上空間や都市空間の利用における地域性や文化的背景の投影などが注目されます。ヨーロッパの場合は,公的な空間と私的な空間との切り分けが明確ですが,アジアの場合は,どうも微妙で曖昧なところがあります。
 公的な空間に私的な現象がにじみ出すことについて,社会はどう受け止めどう反応するのか。ホームレス問題の本質を考える際にも,必要な視点だと思います。ストリートアートや屋台街といった現象を比較検討するなかから,路上空間や都市空間における公私の関係性や政治性などを語れれば,とても面白く意義深い研究になりそうです。そのためにも,色々な人たちと対話して,本も読み漁り,何よりも現場をたくさん見て,ぼちぼちと考えを整理して行こうと思います。
  • 長さ優に20mを超える巨大壁画

  • 路面電車の車窓から発見した巨大壁画

  • 旧ユダヤ人ゲットーにあった壁画

  • 裏通りでたまたま見つけた壁画