【松ゼミWalker vol.125】もうひとつの松原市でのフィールドワーク

もうひとつの松原市は広大な穀倉地帯

 海外にも「松原市」という名前の地方自治体があるのを,みなさんはご存知でしょうか。阪南大学が立地するのは大阪府松原市,もうひとつの松原市は中華人民共和国の東北地方の吉林省にあります。

 中国語での発音はソンユェンSongyuan,中国の地名は慣例として音読みするので,「マツバラ」ではなく「ショウゲン」と呼びますが,漢字で書くと全く同じ「松原市」となります。中国松原市は省と県の間に置かれた地方クラスの都市で,直轄の寧江区を核として,県クラスの扶余市,乾安県・長嶺県,前ゴルロスモンゴル族自治県,1区1市2県1自治県を管轄しています。
 私は2013年8月20日(火)から8月26日(月)までの6泊7日で,この中国吉林省松原市へフィールドワークに行って来ました。このフィールドワークは,文部科学省科学研究費【課題番号】24401035「中国東北における地域構造の変化に関する地理学的調査研究」(研究代表者・小島泰雄・京都大学教授)を利用して行ったものです。
2012年から3年かけて,日中合同で調査チームを組み,中国東北地方を現地調査してまわる本研究プロジェクトでは,昨年に吉林省の省都・長春を,今年は松原市を調査対象地としました。なお,来年は北朝鮮やロシアとの国境地帯・吉林省延吉市を調査する予定です。
 さて,中国の松原市は,日本の松原市とは都市の規模も特徴も全く異なります。二つの衛星画像は,全く同じスケールで,中国松原市の行政範囲と,大阪府松原市を含む地域を比較したものです。中国松原市の行政面積は,大阪府松原市の実におおよそ1,266倍,三重県を除いた近畿地方がすっぽりと入るくらいの大きさ。松花江(ショウカコウ)流域に広がる大平原です。

 赤く囲った寧江区は中国松原市のいわば市街地ですが,その面積は大阪府松原市の74倍,大阪府(1,899平方km)よりやや小さめくらいの1,240平方kmもあります。
 寧江区市街地を南北に分断するように流れる松花江の川幅は約1.5kmあり,橋を渡るだけでも良い運動になります。私たちが調査している期間,松花江上流域の黒龍江省で大雨が降り続いたため,松花江の水位はあがり,川幅いっぱいに流れていました。
 中国松原市の人口は2010年で288.1万人,大阪市とほぼ同じくらいです。つまり,中国松原市は,近畿地方くらいの面積に大阪市くらいの人口が住む,広大な農村地帯を含む広域都市と言えます。
 中国松原市域を北へ進むと黒龍江省へ入り,西へ進むと内モンゴル自治区との境界へ近づき,モンゴル族の草原世界へと変化していきます。

 中国松原市の市街地から南へ,吉林省の省都・長春へ向けて車を走らせると,時速100kmくらいで1,2時間走っても,遥か向うに地平線が見える広大な穀倉地帯がずっと続きます。松花江からの灌漑用水を確保できている地域には水田,この他にトウモロコシ,高粱(コーリャン),落花生,粟(アワ)などの畑が広がります。
 学生の頃から私はよく中国を旅してきましたが,東北地方は夏が短く宿代も高いため,あまり滞在した経験がなく,これほど大陸的で雄大な景観を見るのは初めてでした。
 内モンゴルの草原やゴビ砂漠とも違う,敦煌より西域の遠くに雪山を望む荒涼とした風景とも違う,四川盆地の豊かな農村とも違う,雲南省や貴州省の「隙(土)があれば農地に」といった風景とも全く違う…,ひと言で表すならば,ベタですが,「穀倉地帯」が最もぴったりと来る景観でした。農道の真ん中に立ち,ゆっくりと360度を見渡すと,遠景に防風林がかすんで見えるくらいで,農道以外は全て地平線まで畑作地帯…。

 それも決して単調な景観ではありません。8月末は,紅く実が色づき始めた高粱,それよりも背が高く淡い紅色の穂のトウモロコシ,膝までくらいの高さで青々と葉を広げる落花生,白みがかった緑で動物のフサフサな尻尾のように実る粟,穀物によって色調が違い植物の背の高さも違って,実にコントラストの強い絵画的な景観です。私の未熟な写真の技量では,とても地平線の広がりや大陸の空気感を捉えきれません。
 阪南大学での世界地誌学の講義でも十分語れそうな内容なので,次のスライドを作成しました。
 衛星画像の左下に2,000mの縮尺を示してあります。右の下の衛星画像には,大阪府松原市全域から堺市北区・藤井寺市・羽曳野市の一部,八尾空港も写っています。上の衛星画像は,中国松原市郊外の穀倉地帯のごく一部を切り取ったものです。黄色い円で囲ったのが農村集落で,その周りは全て畑ばかり。
 大阪府松原市がスッポリと入るような広大な穀倉地帯に,農村集落がポツリポツリと立地している,そんな風景が延々と続き,近畿地方くらいの広さに達している…。みなさん,この大陸的な風景,想像していただけるでしょうか?
 中国松原市の穀倉地帯を車で走り抜けて,これほど広い面積の水田や畑の収穫作業は大変だろうな…,という感想を抱きました。大きな農業トラクターなどを見かけたので,農業の機械化は進んでいるようですが,それにしても,とてつもない重労働であることは容易に想像できます。

建設ラッシュに沸く松原市の市街地

 郊外の農村景観とは対照的に,中国松原市の市街地の都市景観は,驚くほどの建設ラッシュに沸いていました。寧江区の人口は2010年で60万人くらいとされていますが,とてもそんな規模とは思えないほど,高層マンションがいくつも立ち並ぶ都市景観が広がっていました。
 街なかで風景写真を撮影すると,だいたい大型のクレーン車がどこかに映り込むような状況でした。中国人は特に,水辺の居住空間を好む傾向が強いようで,松花江沿いを歩くと,建設現場に良く出くわしました。街なかの建物は新しいものばかりが目立ち,中国の歴史都市には良くある旧城内のような地域はごく限られていて,街全体がニュータウンのような印象を受けました。
 内モンゴル自治区のオルドス市は,過剰な投機目的の建設ラッシュで人の住まない新築マンションが立ち並び,「鬼城(ゴーストタウン)」と呼ばれています。中国松原市の場合は,やや過剰建設気味ではありますが,決して投機目的とは思えない確かな居住実態を観察できました。
 オルドス市に投機資金が集まったのは,オルドスに豊富な石炭が埋蔵されていたのが要因のひとつでした。中国松原市の建設ラッシュを支える原動力は,間違いなく石油生産です。1960年代前半の中国では,「農業は大寨(ターチャイ)に学べ,工業は大慶(ターチン)に学べ」というスローガンで,欧米に追いつき追い越せと生産活動を奨励していました。
 この大慶とは現在の黒龍江省大慶市で,石油の掘削と産出に成功したことで有名になり,都市化も進みました。地理的に見ると,中国松原市はこの大慶市と隣接していて,中国でも有数の油田地帯で,石油の採掘が盛んに行われています。

 中国松原市の街なかを歩いていると,トウモロコシや高粱の畑のなか,松花江の中洲,高速道路のインターチェンジや農村住宅のすぐ横,小学校の校庭のなかなど,思わぬところで頻繁に「採油ポンプ」と出くわします。郊外を車で走っていても事情は同じで,石油採掘のできるあらゆるところに,採油ポンプを設置しているような印象を受けました。
 採油ポンプそのものはそう大きなものではなく,電信柱よりも低いくらいの高さで,規則正しい円運動を上下運動へかえ,それを繰り返して,地下の油田から休みなく原油を吸い上げ続けています。海底油田の場合ならば,まるで要塞のような巨大なプラットフォームが築かれるのですが,中国松原市の原油採掘は,まるで鍼治療が行われているかのように,地下の原油の層に沿って,採油ポンプが突き立てられている感じです。
 写真には,「松花江」・「採油ポンプ」・「建設ラッシュ」が写っていますが,この三つの要素が現在の中国松原市を象徴する都市景観だと感じました。

査干湖の観光開発について

 さて,今回の調査チームでの私の役割は,中国松原市の観光資源や観光開発の現状と課題について調べることでした。昨年訪れた長春も,今年の松原市も,ほとんど国際観光客は来訪しない地域で,そもそも観光という文脈での開発実態はあまりなく,都市住民の余暇活動という文脈でレジャー空間が創出されつつあります。
 今回は特に調査期間が短かったので,調査対象地域を中国松原市イチオシの観光地,査干湖(チャーカンフー)という湖の周辺に絞り込み,都市住民向けの余暇活動の空間がどのように創出されつつあるのか,その実態に迫りました。写真は査干湖に張り出すように建設中の「祭湖広場」という空間です。
 査干湖の面積は480平方km,琵琶湖670平方kmよりもひと回り小さめです。琵琶湖のように山で囲まれた盆地にある湖ではなく,大陸的な平原に立地する査干湖の周辺は,大小の湖沼が点在する広大な湿地帯であり穀倉地帯でした。一時は上流域でダム建設が進み,湖面が極端に狭まったのですが,松花江と査干湖結ぶ水路建設が1984年に完成して,貯水量が大幅に回復したとのことでした。冬場になると,極寒の世界,湖面は厚い氷で覆われるそうです。

 中国ではよくあることなのですが,査干湖は2007年に国家レベル自然保護区に認定され,ほぼ同時に観光リゾート区にも指定され,自然保護と観光開発の兼ね合いが注目されているところです。
 現地調査では車をチャーターして,駆け足で査干湖の周辺を見て回ったのですが,保護すべきところと開発すべきところは,きちんと計画的に切り分けられていました。しかしながら,松原市市街地の建設ラッシュほどではありませんでしたが,査干湖周辺でも観光開発ラッシュが進みつつあり,様々な問題を抱えている現状を観察できました。
 写真は査干湖観光開発の核のひとつとなっているチベット寺院・妙因寺(2005年再建)です。もともと何も無かった風光明媚な場所を観光開発し始めたため,この妙因寺やゴルロス王府の再建,成吉思汗にまつわる施設の創設など,観光の核となるモノが新たに建設されていました。査干湖の湖畔には,『探偵ナイトスクープ』でお馴染の「桂小枝のパラダイス」的な,何とも言えないレジャー空間が創出されつつありました。詳しい報告は,また別の機会に…。

フィールドワークの楽しみ

 私たちの調査チームの大きな特徴は,第一に,日本側の地理学研究者と中国側の研究者がペアーとなり行動をともにする点,第二に,同じホテルに泊まり,朝食と夕食をともにして,情報の交換と共有を緊密に行う点です。当然のことながら,日中双方の相互理解が進み,自然と仲良くなります。
 18時半集合の夕食時,その日に見たり聞いたりしたことを話し合い,明日の予定をお互いに調整して解散,就寝。翌日7時過ぎの朝食時,お互いの予定を確認し合って,8時半くらいから個別ペアーで調査へ向かう。そうした毎日が続きます。
 科研調査に参加した個人がペアーでフィールドワークする合間,日中双方のメンバーたちが揃って団体行動する日もありました。8月25日は,モンゴル族が多く住むという中国松原市西部の草原地帯へ行き,モンゴル族の文化を展示する「草原文化館」を訪ねて,モンゴル族の民族教育,馬頭琴ほかの民族文化の継承状況など,色々とお話を聞かせていただきました。

 帰り道は遠回りして,乾安泥林国家地質公園(ジオパークgeopark)を視察しました。乾安泥林国家地質公園は,地形学の天然の実験展示場のようなところで,粒子のとても細かい砂泥が分厚く堆積した台地が,雨水で浸食されてできたダイナミックな地形を観察できました。チームのメンバー全員が地理学研究者なので,みんな興味津々で歩き回りました。
 ジオパークの概念や保全活動や観光での利活用は,日本でも注目されていて,IGU京都2013で主な議題のひとつになっていました。中国大陸はジオパークの宝庫で,私は中国の西南地方や西北地方で,いくつかのジオパークを視察しました。しかし,日本のジオパークはほとんど見たことがない…,まだまだ経験不足です。
 別の日,錫伯(シボ)族という少数民族が住む,松花江沿いの錫伯屯村を訪問させていただく機会もありました。フィールドワークの鉄則は「郷に入りては郷に従え」,できる限り,その地域の慣習や風土をそのまま経験することが大切です。錫伯屯村では大歓迎を受け,松花江の川魚料理や,中国東北地方ではよく食される犬肉料理もごちそうになりました。私が良く旅していた雲南省・貴州省・広東省・広西チワン族自治区などにも犬食文化はあったので,私はあまり気にしませんが,愛犬家の方,中国の旅はご注意ください。
  • 紅く色づき始めた高粱(コーリャン)

  • 動物の尻尾のように実る粟(アワ)

  • 畑のなかの採油ポンプ

  • 査干湖近くの農家レストラン