究極の駄菓子「モロッコヨーグル」を探して(レポーター:大宅和佳)

先生,モロッコヨーグルって知ってはります…

 2011年4月16日(土),黄色がかった曇りの天気のなか,私・大宅和佳はいつものように,新今宮TICにボランティアスタッフとして参加していました。この日は松村先生も新今宮TICにおられ,お昼の時間になったので,松村先生と私は,いつものお店,ジャンジャン横丁のお好み焼き屋の狐狐(ここ)に向かいました。ジャンジャン横丁を歩くなか,私が「先生,駄菓子のモロッコヨーグルトって知ってますか? 西成で製造しているらしいんです。どこで作ってるか知ってますか?」と,唐突に質問したことが,フィールドワークの始まりでした。「知らん,どんなんなん?」と松村先生。
 狐狐でお好み焼きを食べながら,私はモロッコヨーグルトについて,先生に説明しました。本当のヨーグルトではないこと,酸っぱくて白くて生クリームに近いこと,地元の駄菓子屋で30円で買えること,そのふたの製造元に「西成区」と書いていたこと,などなど私が知っていることを話しました。その情報を聞いて,先生は「なんか怪しいなぁ」と一言。

住所がわかればどこでも行ける!?

 お好み焼きを食べ終わり,新今宮TICに帰る途中,松村先生もこの駄菓子に興味を持ってくださったようで,「TICも暇やし,今日はスタッフも充実しているから,そのモロッコなんてらを探しに行こうか?」ということになりました。
TICのパソコンでネット検索すると,それはモロッコヨーグルトではなく,モロッコヨーグルという商品名で,西成区橘にある株式会社サンヨー製菓が製造しているという情報がすぐに手に入りました。松村先生は地理が専門,特に大阪は詳しい方,新今宮TICには大阪の詳しい地図があります。サンヨー製菓の場所もすぐにわかり,私はその正確な住所だけを紙に書き,松村先生と一緒に13時過ぎに新今宮TICを出発しました。

住居表示を見ながら歩く!!

 地下鉄堺筋線の動物園前駅からわずか1駅,終点の天下茶屋駅まで乗り,改札を出たところの地図で,橘1丁目の位置とそこに行くルートを確認しました。私は松村先生から日本の住所の基本を教わりながら,住居表示を見てサンヨー製菓を探し歩きました。松村先生の話では,日本でも世界の国々でも,都会ならばたいてい住居表示があって,ある規則のもと住所が決められていて,だから郵便物が正確に届くということでした。日本の場合は例外もあるそうですが,基本的に街区方式であり,三層構造で建物にたどりつけるそうです。阪南大学本キャンパスの住所は天美東5-4-33,これは天美東の5丁目の4番目の街区の33番目の建物ということです。建物がマンションなどの場合は,この下に部屋番号が続きます。

この角を曲がればサンヨー製菓があるはず…

 住所情報だけを手に持ち,住居表示を見ながら,そこを探し歩くと,まるで宝くじの当選番号を調べているようなワクワク感がありました。「西成区橘」の住居表示を見つけると「来たー,橘や!」。少し歩くと,「西成区橘1丁目☆」の表示。「むっちゃ近いやん!!」となり,ついに「このブロック(街区)やん」となります。ここまでくれば,同じ方向に曲がり続け,そのブロックを1周すれば,必ず目的の建物に行きつくはずです。「西成区橘1丁目☆の◎」,この◎の数字が歩みを進めるたびに近づきます。最後のブロックの角を曲がり,風景を眺め,この並びに絶対にサンヨー製菓があるはず…。でも,どう見ても,工場らしきものはなく,普通の住宅街???…。

えぇーここー??

 とうとうサンヨー製菓の住所にたどり着きましたが,そこは普通の住宅街にある普通の民家…。「嘘やん…」とさらに近づくと…,そこには「サンヨー製菓株式会社」という表札があがっていました。正直なところ,「えぇー,ここー?!」と驚きました。私の自宅の近くには,フルタ製菓の大きな製造工場があり,サンヨー製菓も同じような,少なくともテニスコートくらいの大きさのある工場のイメージを持っていました。表は全く普通の民家でしたが,裏に回ると,製造会社らしい扉がありました。さすがに土曜日なので,扉は閉まっていましたし,そのなかでモロッコヨーグルを販売しているような気配もありませんでした。
 松村先生はモロッコヨーグルの存在を全くご存じなかったそうで興味津々,「せっかくやから,歩いて帰りがてら,駄菓子屋を探して,そのモロッコヨーグルを買って帰ろうや!!」ということになりました。

歩いて梅南座へ!!

 この日の新今宮TIC,午前中に西成区の梅南座という大衆演劇場についての問合せがありました。「梅南座もここから近いはずやから,寄って行こうか!!」と松村先生。サンヨー製菓から歩いて10分程度で,梅南座に着きました。今日の出番は近江新之介さん,入場料は1,300円でした。大衆演劇の役者さんたちは,劇場に1ヶ月ほど住み込み,公演を続けられるそうで,梅南座の建物を見上げると役者さんたちの洗濯物が干してあり,そこで生活されていることがわかりました。
 結局,駄菓子屋は見つけられず,松村先生と一緒に,山王三丁目から動物園前二番街・一番街を歩いて,新今宮TICへと帰りつきました。動物園前二番街ではOS劇場という大衆演劇場にも行きました。ここの入場料は700円と激安。松村先生によると,700円でも,お芝居あり歌謡ショーありで,たっぷりと楽しめる,とのこと。

結局モロッコヨーグルとは出会えず…

 「へぇどんなお芝居なんですか?」と私が聞くと,松村先生は意外にも「実は,まだ一回も見たことないねん…」。「何で行かないんですか?」「行ったら絶対にハマると思うねん…それが怖いねん。」ということでした。松村先生曰く,浪速区・西成区・生野区・大正区と環状線の外側の下町には,大衆演劇の劇場がたくさんあって,それを研究したらとても面白いテーマになるそうで,人生が変わってしまいそうなのが怖いそうです。
 私は新今宮TICに戻り,今日歩いた道のりを地図で調べました。今にして思うと,2時間ほどのまち歩きで結構な距離を歩きましたが,面白い発見が続いたので,あっという間でした。私が地図と睨めっこをしていると,その横で松村先生が,モロッコヨーグルをネットで買えないか検索されていました。

例のブツが届いたで!!

 4月18日(月)に,松村先生から「例のブツが届いた」とのメールが私に来ました。そのメールには「明日の観光地理学の授業で,この前のフィールドワークの経緯を話してください」とありました。19日(火)の朝イチの観光地理学の授業で,私は大勢の受講生の前でマイクを持ち,モロッコヨーグルのこと,まち歩きのこと,住居表示のことなどについて,松村先生と対話する形で説明しました。そして,授業も終わりかけた頃,例のブツ,松村先生がネットで購入されたモロッコヨーグルを皆に配って,試食会となりました。先生は何と60個入りを2箱も購入されていました。
 試食した皆の反応は,いろいろでした。懐かしがってくれる人,全く知らない人,美味しいと言う人,イマイチだと言う人,賛否両論でした。今回,突発的なフィールドワークでしたが,とても楽しかったし,とても刺激的でした。私は,散歩の延長線上にフィールドワークがある,と感じました。それはどちらも,私にとって楽しいことであり,もっといろいろな場所に出かけて,フィールドワークしてみたいと思いました。

松村先生からの一言

 私の母方の実家は,阿倍野区美章園で銭湯を営んでいました。銭湯には飲料がつきもの。1970年代の大阪には,怪しげだけれども,安くて魅力のある飲料メーカーが乱立。そもそもある程度ブランドが確立するまでは,どんな商品でも,多くの事業者が参入乱立します。1970年代の大阪の下町には,自宅の片隅で製造し,庭先で梱包発送するような,規模の小さな家内制手工業の製造メーカーがたくさんありました。
 記憶は定かではありませんが,コカ・コーラ(Coca Cola)ではなくココ・コラー(Coco Cola),マミーではなくママーなど,見た目はほとんど同じで名前も良く似ているが,製造元も中身も違う商品がありました。これをバッタモンと一蹴してしまうのは,あまりにも悲しすぎる…。私はローカルで多様な文化の在り方が,効率と安心を求める安易でグローバルな流れのなかで,不幸な形で淘汰されてしまったと感じています。
 私はあまり駄菓子を食べた経験がありませんが,「モロッコヨーグル,頑張れ!!」と応援したい。ちなみに,観光地理学の出席者48名中,30名がモロッコヨーグルの存在を知っていました。大阪だけでなく,広島県・鹿児島県の出身者も,学校近くの駄菓子屋でこれを買って食べたとのこと。マレーシアや中国からの留学生たちも,日本とは品物は異なるが,懐かしの駄菓子がある,と感想を書いてくれました。
 レポーターの大宅和佳は,高校生の頃から新今宮TICのスタッフとして活躍してくれています。今回のぶらり学生まち歩き,暇だったからノリで出かけましたが,面白かったので恒例化しましょう。良いネタがあれば,各自で持ち込んでください。条件はひとつ,新今宮TICから歩いて行けるくらいのところです。