「わたし」と「社会」のつながりを考える経済学

 今月の阪南経済NOWは、ワタクシ、下地真樹が担当します。財政学や公共経済学などの科目を担当しています。主に、政府の経済活動について考える科目です。どのようなことを考える科目なのか、できるだけ身近な話題から書いてみたいと思います。

 最近、「自己責任」という言葉がよく聞かれます。仕事が見つからなくて働けない。働けないから生活ができない。そんなとき、「それは自分の努力が足りないのが悪いのだ」と返す。なにかができなくて困っている、お金がなくて、貧しくて、困っている。そんなとき、「それはあなた自身の問題、私には関係がない」と返す。こんな考え方があちこちにあるように思います。自分の生活には自分で責任を持つ、他人に責任はない。そんな考え方でしょうか。

 しかし、実際の世の中を見ると、人は「自己責任」なんかで生きてはいません。たとえば、病気になって病院に行けば、ほとんどの人は健康保険証を出すと思います。よく「医療費は3割自己負担」と言われますが、逆に言えば、7割は自分では負担していないわけです。10000円の医療費がかかれば、(窓口での自己負担分は3割なので)自分で負担しているのは3000円。残りの7000円は医療保険から支払われることになります。これは「みんなで」払った保険料や税金から出ています。ついでに言えば、「自分の不注意で病気になった場合」でも、「自己責任だから自分で費用負担しなさい」とは言われないのです。

 こうした例は他にもいろいろあります。そもそも、人間は一人では生きていけないからこそ社会を作っています。よくよく考えてみれば、私たちは相互に強く依存し合って生きています。先の医療保険は一つの例ですが、私たちの暮らしている社会そのものが、きわめて壮大な相互依存のネットワークなのです。

 たとえば、私たちはお金を使って、食べ物なり住む場所なり生きるために必要なものを手に入れます。しかし、お金でモノを買うことができるのは、どこかでそれを作っている人がいるからです。つまり、私たちはお金でモノを買うとき、「それを作っている誰か」に依存しています。また、そもそもモノを買うためのお金を稼ぐことができるのは、私たちの労働力なりなんなりを、誰かが必要としてくれるからです。逆に言えば、「必要としてくれる誰か」を、必要とされる私たちも必要としているわけです。……あれ、なんだかこんがらがってきましたね。

 もちろん、「誰も自己責任で生きてはいないから、無責任であってよい」と言いたいのではありません。しかし、「一人一人は自分の責任を果たすべき」としても、実はその中にも「困った時には社会が助けてくれる」「助けをアテにして良い」ということが含まれているよ、ということを言いたいのです。逆に、「助けをアテにして良い」からこそ、「助けてくれるみんなのために、社会のために、自分も責任を引き受けよう」そんな気持ちも生まれてくるはずです。

 では、個人にはどのような責任があるのでしょうか。社会にはどこまで助けを求めて良いのでしょうか。おそらく、それぞれの人に、それぞれの意見があると思います。では、そのあなたの意見が正しいと言える理由はなんでしょうか?
こんな風に質問されると、多くの人は困ってしまうかもしれません。つまり、「わたしにはそう思える」という段階にとどまっていて、その考えの正しさの根拠を、突き詰めて考えたことがある人は、実は少ないのではないでしょうか。

 逆に、「だれかに助けて欲しいな」と思っているとき、「いやいや、こんなことは自分の力で解決しなくちゃならないのだ」と考えて、助けを求めるのが苦手な人もいるかもしれません。でも、あなたが抱えているその問題は、本当にあなたやあなたの家族だけで解決しなければならない問題なのでしょうか?
「誰かの助けを求めるなんて、考えたこともないや」という人も多いかもしれません。ここでもまた、「自分の力で解決すべき」という考えの根拠を、突き詰めて考えたことがある人は少ないのではないでしょうか。

 簡単にまとめてしまうと、この点を考えるのが、(私の担当している)財政学や公共経済学という学問分野の役割だと考えています。つまり、私たちが社会的に互いに依存し合っているという事実はどうなっているのか、互いに助け合うべきである理由とはなにか、そして、実際にどのようにすれば誰かが過大な負担を負ったりすることなく、うまく社会全体で負担を分かち合えるか、そのうまいやり方を考える。「わたし」と「社会」のつながりを考える。これが、私の担当している財政学や公共経済学の中心的なテーマです。