北海道標津町で現地調査合宿を行いました(1)

町民の皆さまの多大なる支援のもと、さまざまな視察・体験ができました

 国際観光学部1〜4年生の11人が、北海道標津町(しべつちょう)で体験型観光の活性化について検討するため、10月23日から5日間、現地調査合宿を行いました。これは根室管内の地域経済の活性化および地域振興・発展を目的とした「インカレねむろ・大学等研究プロジェクト2014」による事業です。
 調査合宿では、標津町の皆さまの多大なる支援のもと、さまざまな視察・体験の機会を与えていただきました。この5日間の現地調査合宿の様子を、2回に分けて報告します。1回目の今回は、標津町の概要や課題について情報交換、標津サーモン科学館やポー川史跡自然公園、北方領土館、野付半島ネイチャーセンター(別海町)の視察の様子を、参加した学生がレポートします。(森重昌之)

当日の現地調査合宿の様子

  • 標津町の概要や課題についての情報交換の様子

  • 標津サーモン科学館でのチョウザメ指パク体験

  • 旅館なりたでの懇親会の様子

  • ポー川史跡自然公園での解説の様子

  • 北方領土館でガイドの福澤さんと記念撮影

  • 野付半島の夕景

参加した学生の報告

標津町の現状と課題
 国際観光学部3年 谷口真帆

 後期からインカレねむろの研究プロジェクトが始動しました。これまで現地調査に向け、事前に標津町の現状分析や課題について、メンバーで話し合いを続けてきました。そして、現地調査合宿の最初に、標津町の皆さまから概要や課題について説明を受けました。
 標津町は、周りを知床や摩周湖、釧路湿原などの有名な観光地や温泉に囲まれており、典型的な通過点となっています。また、本土の人からは知名度の低い地域といえます。主な産業は、サケやホタテなどの水産業と乳牛の酪農業で、自然環境に優れた生産の町です。この優れた地場資源を活用して、体験交流事業で観光客誘致を図るため、地域の漁業協同組合やJA、旅館組合、観光協会など20団体が集まって、「標津町エコ・ツーリズム交流推進協議会」が設立されました。この協議会では、ガイド養成やプログラムの造成、ホスピタリティづくり、プロモーション、受け入れ対応などを行っています。受け入れの中心は修学旅行などの教育旅行で、年間約2,000人がプログラムに参加しています。サケのいくらづくり体験、早朝の荷揚げ見学、ジャングルカヌー、北方領土学習、じゃが芋掘りなど、49の体験プログラムがあります。ちなみに、これら体験プログラムは役場やガイドの方々が集まって商品づくりをされているそうです。
 しかし、ガイド協会の方は普段仕事をされているので、これらの体験をするには事前に予約してもらう必要があります。また、インターネットでの受注も行っておらず、電話受け付けのみとなっています。これは、体験プログラムだけではなく、宿泊施設でも同じような状況のようです。「体験型観光は個人観光客の受け入れが難しい」と、標津町役場商工観光課長の金田さまも仰っていました。私たちはこのような現状に問題意識を持ち、個人で訪れた観光客が自分たちで標津町を周ることのできるしくみを提案することにしました。
 今回10月23日から27日の4日間、フィールドワークを実施した感想として、1つ目にせっかく標津町に魅力的な観光資源があるにもかかわらず、宣伝不足のため観光客に情報が伝わっていないことです。2つ目に、フレンドリーでホスピタリティのある地域住民が多いのに、人通りが少なく、地域住民との交流機会が少ないと感じました。そして3つ目に、サケやホタテなどの冷凍品は販売していましたが、持ち帰りやすく配りやすいクッキーのような土産物がないという印象を持ちました。
 今後これらの課題を解決するために、私たちはレンタサイクルを活用した個人観光客の受け入れ態勢や、地域住民と密にかかわることのできる制度の導入を検討しています。また、個人観光客を受け入れるための組織についても考えていく予定です。これから1月の発表に向けて、プロジェクトのメンバーとフィールドワークの成果をまとめていきたいと思います。

標津町の水産業について学べるサーモン科学館の課題
 国際観光学部2年 長谷川真保

 10月22日〜28日に、インカレねむろプロジェクトの現地調査で標津町を訪れました。標津町は北海道の東側に位置し、サケやホタテなどの水産業と酪農業が盛んな町です。私たちは今回、標津町の観光まちづくりに対する取り組みの課題を見つけ、改善していくために現地調査を行いました。
 標津町は国内有数のサケの水揚げ量を誇る町です。標津という町の名前の由来は、先住民であるアイヌ民族の言葉で、「鮭のあるところ」という意味から来ています。私たちは、標津町の基幹産業である水産業について学習できる「標津サーモン科学館」を訪れました。サーモン科学館の市村政樹館長から、館内の説明を受け、またサケの種類や特長などについてお話をお聞きしました。主に町内の小学生や修学旅行生などが来館しており、学校教育の一貫としてサケの解体実習が行われることもあります。また、館内には約30種類のサケが展示されています。標津川につながる魚道水槽では、実際にサケの遡上を見学することができます。私たちは標津川の橋の上から、実際に遡上するサケを何匹か見ることができました。また、サーモン科学館の展望台からは、国後島や道東の広大な自然を見ることができました。
 私たちが訪問した時は平日ということもあり、観光客は少ないように感じました。館内を散策した後、再び館長からお話を聞きすることができました。そこで、サーモン科学館の入館者数を尋ねると、サーモン科学館がある標津町は人口が約5,400人と少なく、また周辺地域の人口も少ないため、入館者数は減少しているということがわかりました。しかし、その打開策として、サーモン科学館へ入館する際の年間パスポートを、町民に1,000円で販売する取り組みを行い、リピーターの確保につなげていることがわかりました。また、試験的に周辺地域の釧路圏へのアピールも行っていました。標津町の周辺地域と比べると人口が多いため、多くの顧客の獲得につながるのではないかとおっしゃっていました。今は試験的な取り組みなので、これから釧路圏からの観光客が増えるようなアピールの方法も考えなければならないと感じました。
 今回1週間の現地調査を行い、標津町の体験型観光を自分たちが実際に体験してみて、標津町の魅力を発見し、また体験プログラムの課題も発見することができました。私たちが現地調査をするにあたって、携わってくださった役場の方々やガイドの方にとても感謝しています。これから今回の調査で得たことや感じたことを課題解決に生かしていきたいと思いました。

大自然と昔の人びとの生活に触れることができたポー川史跡自然公園
 国際観光学部2年 吉田知奈

 北海道標津町での2日目、私たちは朝から国指定史跡の「伊茶仁カリカリウス遺跡」と国指定天然記念物の「標津湿原」を保護しているポー川史跡自然公園を視察しました。天然記念物の「標津湿原」では、木道を歩きながらガイドさんの説明を聞き、湿原に生えるさまざまな植物を観察しました。歩いたその先にある「伊茶仁カリカリウス遺跡」では、約10000年にも及ぶ歳月の中で人びとが生活した痕跡や、埋まりきらずに窪みとして見える竪穴式住居跡、アイヌ文化成立以前の北方先住民族の復元家屋を見ることができます。自然公園を散策する前に、歴史民俗資料館の館長からポー川とはどのような場所であったか、昔の人びとはここでどのような暮らしを送っていたのかを詳しく説明していただきました。
 伊茶仁カリカリウス遺跡は、伊茶仁川とポー川との間に台地上に形成された遺跡で、その集落で生活していた昔の人びとはポー川で魚を採ったり、木の実を食べたりしながら生活を送っていました。歴史民俗資料館の中では、アイヌ民族と日本人がともにサケ漁をしている様子が描かれた絵図や、かつて使われていた土器や石器などの展示があり、現物を見ながら説明を聞くことができたので、とてもわかりやすかったです。そして、運が良ければ出会える動物のはく製も展示されており、夜間には小動物からヒグマまで確認される日もあるのだそうです。
 説明を聞いた後、実際に標津湿原を歩きました。パンフレットで見たものより、はるかに広い大自然を肌で感じることができ、とても感動しました。木道の距離はとても長かったのですが、景色もすばらしいので、ハイキングコースには最適で、時間を忘れて満喫することができました。遺跡の中も、復元された住居や昔の人びとが使用していた湧き水、見るものすべてに歴史を感じ、ひとつひとつに興味を持ちました。珍しいヒカリゴケも初めて見ることができ、短い時間でしたが、大変貴重な自然学習に参加させていただきました。
 しかし、平日の朝のせいか、私たち以外にお客さまの姿はなく、観光スポットであるにもかかわらず、少し寂しげな印象を持ちました。職員の数も少なく、普段はガイドさんもついていないそうで、広いので迷ってしまいそうになりますし、説明を聞かないと何が何だか一般の人にはわからないだろうと感じました。私自身、もう一度行ってみたいと思うほど素敵な場所でしたので、とてももったいない気がします。ポー川史跡自然公園に限りませんが、標津町全体が宝の持ち腐れであると感じたので、たくさんある標津町の良いところを生かしつつ、新しい観光の方法をどんどん提案していきたいと思います。

歴史という観光資源に触れて学んだこと
 国際観光学部2年 榊原知恵

 地域の自然や歴史を活用した交流事業のさらなる発展を図ることを目的とした、インカレねむろの研究プロジェクトに参加しました。初めて標津町という名前を聞き、調べてみると、観光資源の多さに驚いたのが第一印象でした。4日間の滞在で地元の方の温かさに触れ、広大な自然に囲まれ、さらに標津町の魅力を感じ、再び訪れたいと思える素敵な町でした。
 標津町は、北方領土である国後島を近くに見ることができる町としても知られています。北方領土は終戦直後にソ連軍により不法占拠され、島民が島を追われました。今回、元島民の方から北方領土館で貴重なお話を伺いました。ある日、突然駆逐艦と輸送船が島に上陸し、村はあっという間に500人の兵隊に囲まれ、土足で家に押し入ってきたそうです。兵隊の目から逃れるように風呂場に逃げ込み、浴槽に身を潜めていたとおっしゃっていました。モスクワの教会の屋根が金色のため、兵士たちは金や銀のものを好み、タンスや仏壇の中から時計や器などを持ち去っていったと言います。1946年、サハリン州の管理下となったことで、国境警備隊や国営漁業公社役員、技術者などの民間人、労働者も島に送り込まれてきました。送還までの日々は必然的に日本人の家の一部を提供しなければならず、言葉の通じない共同生活は混乱そのものでした。しかし、日本人から魚のさばき方や保存食のつくり方などを教わり、共同生活に慣れた頃には盆踊りやダンスパーティにも互いを呼び合うようになり、友情の芽生えや協力態勢も深まってきたそうです。
 1965年に自由訪問、先祖の墓参りなどを目的とした日ソ共同宣言が署名され、国交の再開やビザなし訪問ができるようになりましたが、現在も返還の見通しは立っていません。北方領土には約1万6千人のロシア人が生活していますが、日本人が訪れた際には素敵なおもてなしを受けるそうです。日本文化への興味を持ち、着物や民族衣装を着て歓迎してくれたそうです。講話後は、ロシアの伝統衣装や雑貨を手に取り、ロシアの文化に触れる機会も設けてくださいました。このように、互いの国の文化や歴史、価値観を認め合い、尊重し合える関係が続くといいなと感じました。また、北方領土にはシマフクロウ、イルカ、ラッコなどの珍しい動物も生息しており、ロシア側で広範囲にわたり「自然保護区」が設定され、本土では見られない動植物が守られています。
 北方領土問題はメディアでも多く取り上げられていますが、身近な問題として捉えにくいと感じる人も少なくないと思います。一日も早く日本、ロシアが互いに真の平和や自由を感じることができ、長く友好関係が続くように、国民のひとりである私たちも正しい知識を身に付け、理解する必要があると感じました。歴史を変えることはできませんが、これからの世代にもこのような事実があったことを伝え、歴史の大切さを感じてほしいです。今回訪れた北方領土館には、多くの学生や観光客も足を運んでいます。歴史を知る機会や交流機会をさらに設けるためのしくみを研究し、まとめていきたいと考えています。

標津町の素敵な旅館なりた
 国際観光学部2年 佐藤研

 10月23日から27日にかけて北海道標津町を訪れ、体験型観光で地域活性化をめざすプロジェクトに参加しました。私は今回、初めて現地調査に参加しました。そこで、私は今回4泊5日の間お世話になった「旅館なりた」についてまとめたいと思います。旅館なりたは10部屋あり、約20人収容の旅館です。自動車は20台ほど駐車できるスペースがあります。
 旅館なりたには、北海道に到着した2日目の夜からお世話になり、当日の夜には標津観光協会の皆さまと標津町旅館組合長の成田基さまに歓迎会を開いていただき、標津町の良さや名物料理を堪能しました。その後、体験型観光を行い、地域の方々と交流して気づいたことは、皆さんとても優しく接してくださるので、私たちも仲良く交流することができたことです。
 成田さんに空いている時間に、「いつもどのような料理を出しているのですか」と質問させていただきました。すると、「標津の海の幸を活かして、お客様に喜んでもらえるような新鮮でおいしい料理を振る舞っている」とお答えいただきました。調査から帰って部屋に入ると、私たちの服や布団などをすべてきれいにまとめていただいており、とても小まめなサービスであると感じました。
 4日目には、北海道の名物である芋餅を旅館の方と一緒につくりました。そこで考えたことは、旅館の中で他の地域ではできない体験をすれば、宿泊客も増え、標津の活性化につながるのではないかと考えました。それをするためには、ウェブサイトなどで標津町でしか体験できないことを主張し、団体の若者客や家族連れなどをターゲットにすれば、利用客が増え、収益にもつながるのではないかと考えました。
 この4泊5泊で感じた旅館でのメリットは、お客様のことを考えて、小まめなサービスがあり、泊まることに対して不自由なことがまったくなかったことです。一方、デメリットは普段あまり魚を食べない人にとって、毎食魚を食べると飽きてしまうので、家族連れで来た子どもが魚嫌いの場合には少し問題になるのではないかと思いました。標津町はサケなどの魚介類が有名ですので、子どもでも喜んで食べられる魚料理を出すとともに、遊び道具などを設置すれば、もっと楽しめるのではないかと考えました。
 標津町を訪れて感じたことは、歩いている人や自転車に乗っている人がとても少ないと感じましたが、ゴミがまったく落ちておらず、自然がたくさんあり、夜にはとても綺麗な星空が見え、旅館の施設も不自由なところがない町だと思いました。良い場所がたくさんある標津町を若者に知ってもらうために、もっと良い提案を出し、標津町が活性化できるように頑張りたいと思います。