沿革

大鉄工学校の開学

「足下を掘れ、そこに泉が湧かん」

阪南大学の経営母体である学校法人阪南大学(平成6年に学校法人大鉄学園から改称)は昭和14年、小林菊治郎・奥田政三によって創立された私立大鉄工学校(阪南大学高等学校の前身)に始まります。
昭和初期といえば、画一的に国家への献身を強制する皇民教育の時代。教職にあった小林菊治郎は、この趨勢に大きな疑問と不安を抱きながら鬱々とした日を過ごしていました。
そんなある時、ふと手にした聖書の一節に心を奪われました。『足下を掘れ、そこに泉が湧かん。』菊治郎はとりつかれたように繰り返しその語句を噛みしめながら読んだといいます。回顧録には「そのときでした。私の思考の先に、突然、私立学校の文字がひらめいたのです。私は、瞬間、かつてない感激と胸の高鳴りを覚えました。思わず机を大きく叩いて、『これは神の声だ』と叫びました」とあります。
やがて、この「神の声」は現実のものになっていきます。

大鉄高等学校誕生

商業科、普通科、夜間部の設置

昭和16年4月「財団法人大鉄学院」の設置認可にあわせ、大鉄工業学校が新たに開設されました。これにより、学園は工学校および工業学校を併せ持ち、さらなる発展への道を歩みだしたのです。
学制改革の実施に伴い、昭和23年4月、従来の工業学校を再編し、新たに商業科、普通科、夜間部を設置する大鉄高等学校が誕生しました。

総合高校へと発展

5科体制へ

高度経済成長を続ける日本経済において、工業科にとってはまさに黄金時代でしたが、大学進学率の急増や保護者・受験生のニーズに応えるために昭和39年、新たな課程再編が実施されました。
大鉄高等学校は、商業科、機械科、電気科、普通科、建築科の5科を擁する総合高校へと発展を遂げたのです。

阪南大学高等学校へ

校名変更、男女共学へ

昭和61年4月、普通科単独高校としての新しい時代を迎え、大学との連携をさらに深めていくために、創立以来の名称であった「大鉄」の名称から新たに「阪南大学高等学校」へと校名を変更しました。
平成12年4月には国際コースを設置し、男子校から男女共学校へと大きな変身を果たしました。教育効果向上及び、社会の変化に対応するためコースの改組を実施し、現在は「文理特進コース1類」、「文理特進コース2類」、「総合進学コース」を設置し、それぞれのコースで生徒ひとりひとりの能力を最大限に伸ばす教育指導を行っています。

未来に向けて

新キャンパスへの移転

平成14年4月、阪南大学高等学校は創立以来慣れ親しんできた松原市天美の地を離れ、同市河合の新キャンパスへ移転しました。
最新の施設、設備を備えた新キャンパスには、まさに新時代にふさわしい教育環境が整備されました。
今後も、時代のニーズにこたえることのできる魅力ある学校作りに努めて参ります。

阪南大学の開学

学園の発展に向けて

「今後の日本社会が必要する国際的教養を身につけた新しい経済人の育成」を目的として、昭和40年4月、阪南大学が誕生しました。当時の理事長小林菊治郎は、大鉄高等学校で試みてきた「個性の伸長」という自分の教育信念をあらためて高等教育の場で実現したいという考えをもっていたために、当初は商学部商学科のみの小規模な形で出発しました。
また、大学の設置が高等学校の活性化を促し、両者あいまって学園の発展に大きく寄与していきました。

経済都市大阪の地元大学として

「経済系2学部3学科体制へと拡充」

 昭和40年4月に、商学部商学科のみの単科大学として出発した阪南大学は、昭和47年に経済学部経済学科を増設しました。その年の理事会の議事録には、「ここに、強力なる地域社会の要望を勘案して、新たに経済学部を増設し、充実した内容のもとに、南大阪臨海工業地帯の総合的発展の計画に資することを決意した」とあります。ここからも「学問・国際・地域」の重視を教学の柱とする阪南大学の姿勢が浮かんでくるとともに、その理念の実現に向かっての第一歩が踏み出されたといえます。
  その後、昭和61年には、商学部に経営情報学科を増設しました。学際的な学問である経営情報学をいちはやく導入し、新時代の要望に応えようとする阪南大学の意欲的な姿勢は、経済都市大阪の大学として発展を目指すという方向性を示すものとなりました。

総合大学への発展

「流通学部、経営情報学部、国際コミュニケーション学部の開設」

 平成8年4月に、従来の商学部を流通学部と経営情報学部の二つの新しい学部に改組転換し、3学部3学科体制へと拡充を図りました。全国で初の流通学部は、従来の商学部とは大きく異なった斬新な教育システムを取り入れた学部で、また、経営情報学部は、今日の情報化の新たな進展に対応して、より一貫した経営情報学の教育を行うため、学部として独立させたものです。
  続いて平成9年4月には国際コミュニケーション学部を新設し、4学部5学科体制の文系総合大学へと大きな飛躍を遂げました。国際コミュニケーション学部は、国際コミュニケーション学科(平成16年4月に文化コミュニケーション学科から改称)と国際観光学科の2学科からなり、内容的にも大変ユニークで、従来の人文・社会・自然といった学問体系の枠組みを超えた「学際的」なものになっています。この国際コミュニケーション学部の開設に合わせて、本キャンパスから南東方向約1kmと交通至便なところに南キャンパスが誕生しました。

社会の要請に応えて

「大学改革への取り組み」

 阪南大学は、カリキュラムの改革、自己点検評価の推進、国際化への対応など積極的に大学改革に取り組んできました。平成7年10月、大学自体の本源的な活動である自己点検評価の結果であり、阪南大学の大学改革の拠り所である『第1回 阪南大学白書』を発行。平成9年4月、南キャンパスに国際交流センターを設置し、海外語学研修の充実、海外の大学との交流協定締結、海外からの留学生の制度的受け入れ、本学学生の留学制度の実施、国際シンポジウムの開催といった国際化へも積極的な取り組みを開始。教育改革が大学改革の重要な柱であるという認識に立ち、平成9年4月に大学教育研究所を設置。平成14年4月には、阪南大学の教学理念の実現を目的とした一般教育科目の設置と各学部のカリキュラム再編を実施。平成15年7月に、認証評価機関による第三者評価の実施を決定し、平成18年3月、(財)大学基準協会による認証評価の結果、阪南大学は「基準適合」との評価を得ました。これらは、阪南大学の大学改革に取り組む姿勢と考え方が具現化したものです。

「大学院の開設とキャンパス拡充」

 これまで様々な「大学改革」に取り組んできた本学は、20世紀最後の年となった平成12年、高度専門職業人養成と社会人の再教育の機会提供を目的とした大学院修士課程を開設しました。この大学院には、企業情報研究科企業情報専攻が設置され、流通・経済・経営情報学部の3学部を基礎とし、企業システムについて実務内容、環境、制度にわたり研究を行います。
 また、21世紀に向けたキャンパス総合整備計画が平成16年12月、一旦完了しました。これにより従来の敷地面積が倍増し、最新の情報関連設備を備えたインテリジェントセンターを中心に、緑や空間、学生の福利厚生施設を充実させたキャンパスが誕生しました。さらに、その後もキャンパス内グラウンドやサッカーグラウンドの人工芝化を実施するなど、引き続きキャンパス整備に努めています。

更なる発展に向けて

「国際観光学部の開設」

 平成9年西日本の四年制大学では最初に設けられた本学の国際観光学科は、国際観光の教育研究活動において常に先駆的な役割を果たしてきました。これまで積み上げてきた国際観光の教育・研究の実績と経験を活かし、さらに高めていくために平成22年4月、国際コミュニケーション学部の一学科から、国際観光学部へと改組しました。
 本学の国際観光学部は、観光がダイナミックに創り出す多様な職場環境に順応し、国際観光や、国内観光の場において自らの能力を最大限に発揮できる質の高い人材を育成していくことを使命としています。

「語学教育の充実」

 平成22年4月より、国際コミュニケーション学部のカリキュラムを変更し、「学生のコミュニケーション能力の向上」に努めています。また、語学教育充実を目的とし、本キャンパスに語学教室を中心とした「新教室棟」を新設いたしました。  この教室棟には最先端の大型モニターやAV設備を備えた教室が設置され、少人数制できめの細かい授業を行う環境を整え、語学教育の強化、充実に努めています。  また、学生のための英会話ラウンジ「English Space」を、本キャンパスと南キャンパスに設置し、専属のネイティブスピーカーのスタッフ4名を配置し、実践的な英会話能力向上のためのサポートも行っていきます。

これからも阪南大学は、関西国際空港を有する南大阪の地において、都市型大学として21世紀に活躍する創造力あふれる人材の育成を目指し、その充実に向けて邁進しています。