2014年は大坂冬の陣から数えて400年の節目です。2月15日(土)には天王寺区と阪南大学が共同で「大坂の陣合戦地域フォーラム」を開催し、会場となった天王寺区役所の講堂にあふれんばかりの人が集まりました。4月12日には八尾市観光ボランティアガイドの会が「河内の合戦シンポジウム」を開催してそれに続け、そして、この5月3日(土)には、藤井寺市で「道明寺合戦まつり」、柏原市で「小松山合戦まつり」、4日(日)には天王寺公園で「天王寺 真田幸村博」が開催され、大坂の陣400年祭が本格的に始まり、マスコミにも注目されました。そのすべてに阪南大学が関わり、学生たちがイベントを応援しました。400年祭イベントは2015年も続き、2016年NHK大河ドラマの主人公は真田幸村に決定しました。この気運が河内地域や大阪市の振興に寄与し、阪南大学にとっても、あべのハルカスキャンパスを拠点とする地域活動を促進させるきっかけとなることは間違いありません。学生たちは大きな構想をもった事業に貢献できることを誇りに思い、全力でイベントを応援してくれました。

 参加した学生は国際観光学部4回生の王欣さん・高飛娜さん・ラッターナアムポン=ターウィトリーさん・呂媛媛さん、3回生の解志成君・掛尾敦史君・胡亜鵬君・全在艶さん・チャン シャオチさん・西原まどかさん・潘媛さん・平池晴菜さん・牧野千佳さん・三谷岳史君・三好千夏さんの15名です。以下、活動の詳細は学生たちの報告記事を綴ってお伝えします。(来村)
 
※なお、この学生教育研究活動は阪南大学学会より補助を受けています。

たくさんの「ありがとう」をいただきました
国際観光学部4回生 王欣

 5月4日の日曜日に天王寺区役所主催の「天王寺真田幸村博」が天王寺公園で開催され、私たちはボランティアスタッフとして参加しました。2014年は大坂冬の陣、2015年は大坂夏の陣の400周年に当たり、「大坂の陣400年祭」として、合戦の戦場となった地域でさまざまな催し物が開催される予定です。天王寺真田幸村博はその一環として天王寺区が推進する行事で、冬の陣にも夏の陣にも大活躍をした武将の真田幸村を代表として、合戦の歴史を広く伝えるために開催されました。
 当日の朝9時、来村ゼミの学生と三好千夏さんの15人が天王寺公園のゲート前に集合しました。ゲート前にはすでに来場者が列を作っていました。来村先生から公園に入る名札が配られ、すぐさま通用門から入園します。ボランティアの仕事はイベントのパンフレットを来場者に配り、何かを尋ねられたときに答えることです。そのためには、まずは私たちが会場を知っていなければなりません。天王寺公園をひと巡りして、会場の場所を確認しました。学生は2人ずつ7つのグループに分かれ、会場の各所に散らばって立つことになりました。ただ、ずっと同じ場所に立っていたら、全体のことがわかりませんし、退屈だろうということで、一定の時間をおいて、順番に次の場所に配置を変えてゆくことになりました。私は同期のラッターナアムポン=ターウィトリさん(通称ユーさん)と組になり、大阪市立美術館前の広場に立ちました。そこはゼロワンが主催するチャンバラ合戦〜戦IKUSAのイベント会場です。彼らは前日にも道明寺合戦まつりで多くの子どもたちを集めてチャンバラ合戦を楽しませたグループです。私たち以外にも近畿大学や大阪観光大学の学生たちも応援に来ています。「君たちもいっしょにやりませんか」と誘われましたが、私たちにはパンフレット配りの任務がありますので、残念ながら参加できませんでした。
 公園にいるのは戦国イベントを目当てに来たお客さんだけとは限りません。美術館の特別展覧会を見に来られた人たちもいます。そういう方から「今日は何があるのですか」と何度も聞かれました。パンフレットを見せて説明すると、「それじゃ、先にそちらを見てから美術館に戻ってこようか」と言って下さり、説明のしがいがありました。茶臼山の裏にあるわんぱく広場には自衛隊の隊員が車両を展示し、近くに大阪城甲胄隊のテントが張られています。400年の時を超えて新旧の兵士が集まると、不思議な感じがしますが、なごやかに語る彼らの姿を見ていると、戦いの雰囲気はありません。甲冑隊員と自衛隊員のどちらもが平和の大切さを来場者に伝えていました。自衛隊員が展示した車両は子どもだけではなく、大人にも大人気で、無邪気に記念撮影を楽しんでいたのが印象的です。

 11時ごろに、私たちはゲート近くの出展ブースエリアに移動しました。数多くのテントが並び、店舗の前にはたくさんの人が並んでいます。このころには来場客もどんどん増え、押すな押すなの人だかりとなってきました。黒い紙製の甲冑をつけた私たちは一目でスタッフとわかるのか、あちらからパンフレットを取りに来られます。13時頃に天王寺区役所の方からお弁当が支給され、しばしの休憩を取りました。日差しの強い日でしたので、学生はかなり疲れています。「さて、最後の仕事に入ろうか」と、来村先生からかけ声がかかりました。ゼミ生たちは全員がゲート内に集まり、パンフレットを持って、入場者に配りました。できるだけたくさんの人に配ろうということで、元気よく声をかけて配ります。私がパンフレットを縦にして見せ、ユーさんが手渡します。もちろん、一人ひとりに挨拶をします。私たちの格好を見た来場者が「すごく似合うな」「お姉さんたち、かっこいいな」という褒め言葉をかけてくれます。嬉しくて暑さを忘れました。このたびの活動でも、たくさんの「ありがとう」をいただきました。「ありがとう」の言葉が何よりもいい褒美となり、次の活動も頑張ろうという気にさせてくれるのです。

楽しい経験の数々
国際観光学部4回生 高飛娜

 4回生になって、3回生の後輩たちと初めて共に活動をしました。後輩の留学生は5人で、全員がとても明るく、羨ましいほどに活発です。このたびの活動では、400年前の合戦を再現するイベントを応援しました。5月3日(土)の朝8時半、近鉄大阪線の河内国分駅に集合し、線路脇の建物で黒い紙製の甲冑を身につけました。まずは柏原市で行われる「小松山合戦まつり」の応援です。まつりイベントの一環として実施された「近鉄駅長お薦めフリーハイキング」に多くの参加者があり、その人たちが道を迷わないように案内するのが私たちの仕事でした。甲冑をつけて街角に立つのは少し恥ずかしかったけれど、参加者には年配の人が多く、みんな明るく話しかけてくれます。その笑顔に励まされて、だんだん恥ずかしい気持ちが消えてゆきました。
 河内国分駅の西側にある玉手山丘陵は大坂の陣の際には「小松山」と呼ばれていました。ここではたくさんの武将が戦って亡くなったということです。丘の上は見晴らしがよく、歩きながら、景色を楽しめました。丘の上に広がる玉手山公園は小松山合戦まつりのメイン会場で、たくさんの人でにぎわっています。ハイキングの人たちの動きに合わせて、私たちも場所を変え、石川をこえた道明寺駅のほうへ歩きました。石川にかかる長さ151mの吊り橋は100年ばかり前に建設されたもので、文化財に指定されています。揺れる橋を渡れば、石川の河川敷に整備された公園があります。そこには赤い甲冑を着た一団と黒い甲冑を着た一団が分かれて待機しています。中には忍者姿の人もいて、颯爽としています。ここでの私たちの役目は大きな凧を揚げることでした。赤い蛸の形を凧で、長さは10mばかりあります。その準備をしているうちに、模擬合戦が始まりました。合戦の歴史が説明されましたが、言葉がわからずに、あまり理解できませんでした。ところが、合戦が始まると、全員が本気になり、模擬合戦とは思えないほどの迫力を感じました。それが終われば、子供たちも参加できるチャンバラ合戦があり、こちらも遊びとは思えない迫力がありました。
 翌日の5月4日(日)は場所が変わり、天王寺駅近くの天王寺公園で行われた戦国イベントを応援しました。こちらは会場でパンフレットを配る仕事です。河底池の近くにはコスプレのブースが設けられ、若い女性がスーツケースを持って集まってきます。彼女たちは「戦国BASARA」というゲームやアニメの登場人物になりきって、公園の中で互いに撮影をして楽しんでいます。日本のアニメは世界的に有名で、コスプレの文化も世界をリードしていると聞いていますが、その実態を見たのです。

 活動では面白い二つの経験をしました。ひとつは中国からやってきた若者のグループに会ったことです。私たちが中国の留学生だとわかり、彼らは不思議がりました。「どうして日本に来てそういうことをしているの」という気持ちでしょう。甲冑をつけている意味と活動の意義を説明すると、賞賛してくれました。少し誇らしく感じました。もうひとつの経験は自衛隊員との会話です。わんぱく広場に展示された自衛隊の車両はそれに乗って写真撮影をすることができます。私たちのことに気づいた隊員が「乗ってみたら」と誘ってくれましたが、中国の留学生だとわかり、「それじゃ駄目だな」と一言。一瞬、緊張しましたが、すぐに冗談だとわかり、結局は親切に乗せていただきました。これが関西風のユーモアというものでしょうか。実に楽しい経験でした。

コスプレ文化を実感しました
国際観光学部4回生 ラッターナアムポン=ターウィトリー

 5月4日(日)、天王寺真田幸村博のイベントにボランティアスタッフとして参加しました。ちょうどゴールデンウィークの最中ですから、来場者が多く、会場となった天王寺公園は近年まれに見る入園者数を記録したそうです。ボランティアの仕事は会場の案内、ということで、開園に先立ち、みんなで天王寺公園の中を下見しました。天王寺公園には来たことがありますが、一部しか見ていなかったようで、こんな広いとは思いませんでした。公園の中には慶沢園・美術館・河底池・茶臼山などがあり、さまざまな風景が楽しめます。先生から配られた公園の地図を見ながら、ブースの位置を確かめ、スケジュール表と照らし合わせて、「いつ、どこで、何が催されるか」を覚えてゆきます。下見が終わると、箱から黒い紙製の甲冑をつけて、いよいよ配置につきます。公園を一周するときに先生が配置を決めてゆき、それぞれに2人1組となって立ち、案内に当たらせました。私は王欣さんと組になり、最初は美術館前の広場を担当しました。美術館前の階段を下りると、公園の西側ゲートがあり、そこから登ってくる来場者は美術館で開かれている展覧会が目当てで、年配の方が目立ちます。美術館を見に来た人にもパンフレットを見せて勧めると、「先にイベントを見にゆこう」という方もいらっしゃいます。お年寄り向けのイベントではないのですが、やはり気になるのでしょう。
 美術館の北側は谷になり、そこに広がる河底池は新緑の茶臼山を水面に映して、美しい風景を作っています。池の中には魚や亀が多く泳いでいます。水面に顔を出した台にカラスがとまり、格好よくポーズを決めています。西側のほとりに大きなテントが張られ、コスプレイベントのブースが設けられています。ただ、私たちがそこにいるときは、まだ時間が早く、コスプレは始まっていませんでした。池の北に茶臼山があります。次の配置場所は山の裏にあるわんぱく公園です。山を越える散策路を登っていると、近くのお客さんから「山に登ったら何かあるのですか?」と聞かれました。別に何かがあるわけでもありませんが、登りきったらわんぱく広場が見えてきます。冬の陣では徳川家康が、夏の陣では真田幸村が本陣を張ったところです。そこに自衛隊の車両が置いてあります。乗って写真を撮ることもできます。けっこうな人気で、写真を撮りに行こうと思っても、なかなか撮れませんでした。

 次の配置場所はゲートから水上ステージまでの間に設けられた出展ブースエリアでした。たくさんのテントが並び、来場者が集中しています。戦国グッズ店やグルメ店があり、時間も昼時でしたので、グルメ店の前に長い行列ができていました。私たちの立った場所からはステージが見えます。音楽ライブをたくさんの人がとり囲んで観ていますが、とても暑く、日陰がありません。それでもみなさんが我慢強く音楽ライブを楽しんでいたのが印象的でした。その後、私たちが本部とした道明寺ブースの近くに移動しました。近くには戦国コスプレのブースがあり、女の子たちに大人気です。戦国時代の衣装をつけて記念撮影を楽しもうとする人が列を作っています。日本のコスプレ文化を実感しました。ゲートを入ってすぐの広場で自衛隊員が救命の実演を行い、マスコットキャラクターの「まもるくん」が来場者の足を止めています。ここにもたくさんの人が集まっていました。この日の最後は、ゲートの近くで全員がパンフレットを配りました。昼を過ぎても、来場者があとを絶たず、次々に入場してきます。その人たちに挨拶をしてパンフレットを配ります。1時間も経たないうちに配るパンフレットがなくなりましたので、任務が終了しました。天王寺区役所の人たちも予想外の来場者数に驚いていました。実に充実した活動でした。

甲冑姿で被写体になりました
国際観光学部4回生 呂媛媛

 来村ゼミは大坂の陣400年祭を応援しています。このゴールデンウィークは、5月3日(土)に柏原市で「小松山合戦まつり」、藤井寺市で「道明寺合戦まつり」、4日(日)に天王寺公園で「天王寺真田幸村博」が開催され、そのすべてを応援しました。4日は夏のような暑さとなり、つらい活動でしたが、やりがいもありました。
 活動の最初は「小松山合戦まつり」の応援です。3日の午前8時半に近鉄河内国分駅に集合し、近くの施設で黒い紙製の甲冑を身につけます。以前の活動で先輩たちが製作したものであるようです。普段着の上につけるだけですが、こんな衣装をつけて街を歩いたことがありませんので、とても恥ずかしい気持ちになりました。一人ではとても無理ですが、同期の仲間や後輩たちも同じ格好ですので、勇気づけられました。それをつけてハイキングコースに立ちます。私は高飛娜さんと組になり、玉手山丘陵の住宅地に立ちました。この日、近鉄駅長お薦めフリーハイキングに参加した人は1000人近くにのぼったということです。私たちの前を次々と参加者が横切ります。そのつど挨拶をして道案内をすると、皆さんは口々に「ありがとう」と言ってくれます。そのことが嬉しくて、最初の恥ずかしさは、いつの間にか消えていました。「もっと頑張ろう」。感謝の言葉はそういう気持ちにさせてくれます。ハイキングの距離は10km近くもありますが、驚くことに、大半が年配の方です。その人たちは甲冑姿で街角に立っている若者に興味を引かれるようで、「いっしょに写真を撮ってください」という注文が多くありました。印象に残ったのは、自動車で前を通った婦人がわざわざ車を止めて降りてこられ、いっしょに記念撮影をして行かれたことです。道案内の役目だけではなく、戦国の雰囲気を作ることに役立っていることを実感しました。
 その日の午後は場所を石川の河川敷に移して、こんどは藤井寺市の「道明寺合戦まつり」を応援することになりました。河川敷の広場では本格的な甲冑をつけた武者たちが集まり、模擬合戦をします。それに続けて子供と大人が入り混じってのチャンバラ合戦ゲームが行われました。私たちの任務は大きな凧をあげて、イベントの目印にすることでした。凧は動物のタコの形をしています。長さは10mばかりでしょうか。こんなものが揚がるのかと、みんなは半信半疑で凧揚げを始めました。私たちがタコの足を持ち、後輩の男子学生が胴体を引っ張って走ります。何度か失敗しましたが、そのうちタコはみごとに空高く揚がりました。3回生とはこの日初めて活動をしましたので、それまではよそよそしかったのですが、凧揚げを通じて仲良くなれました。

 4日の天王寺真田幸村博では、自衛隊の車両展示と女性たちのコスプレが印象的でした。私たち外国人が自衛隊の車に乗れるなんて思ってもみませんでしたので、この機会にと、勇気を出して車に乗り、記念撮影を楽しみました。隊員たちも親切に応対して下さいました。戦国のコスプレは女性たちに大人気で、舞台にあがって披露する人や、公園のあちらこちらで撮影をする人がいます。コスプレはまさしく新しい日本の文化で、たくさんの人に愛され、支えられています。意外であったのは、彼女たちが実に気さくで、記念撮影にもポーズを決めて応じてくれることです。この写真は何年先にも、何十年先にも、私のいい思い出として残るでしょう。本当に楽しくていい体験でした。

天高く舞い上がったタコの大凧
国際観光学部3回生 解志成

 3回生になって初めての活動は連休中の5月3日と4日に行われました。ハイキングの道案内、合戦の凧揚げ、会場でのパンフレット配り、などと、さまざまな任務と暑さで疲れ果てましたが、実に豊富な経験をさせていただき、多くの教訓も得られました。そのなかで一番有意義であったのは、チームワークの大切さを学んだことです。それは河川敷での凧揚げによって得られました。
 5月3日の午前中に柏原市の「小松山合戦まつり」で道案内の任務を終えたあと、石川の河川敷に移ると、そこに待っていたのは大凧を揚げる任務でした。長さが10mばかりあるタコの形をした大凧を「学生だけで揚げよ」という任務をいただきました。子どものころに凧揚げで遊んだ経験はありますが、こんなにも巨大な凧を揚げたことは、もちろん初めてで、技術もわかりません。大きなバックから出された凧は骨もなく、赤いシートのようで、見た瞬間に「これは無理だ」と諦めました。それでも来村先生は躊躇することなく凧を広げ始めました。何としても揚げなければなない。そういう雰囲気でしたが、大勢の前で失敗したときの恥ずかしさを思うと、「絶対に嫌だ」という気持ちが先に立ちます。
 ところが、同期の胡亜鵬君は意外にあっさりと先生の指示に従い、大凧の糸を引っ張る役目を担いました。タコの胴体を4人が持ち、8本の足を4人が持って、胡君といっしょに走ります。胡君は真剣な表情をしています。しかし、タイミングと風向きが悪いのか、大凧は思うように揚がりません。1、2度失敗すると、笑っていたみんなも、深刻な顔つきになりました。「やはり無理だろう」と思い始めたとき、「こんどは解君がやってみて」と、先生が私を指名しました。意地になりかけた私は、ためらうことなく糸を持ちました。ただ、内心では「たぶん無理だろう」という気持ちが勝っていました。風を待って飛ばし、揚がりかけた瞬間、こんどは糸がプツリと切れ、川岸の草むらに落下。落胆の声があがります。それでも先生は諦めません。糸をくくり直して再チャレンジです。そして、ついに揚がりました。河原の風に乗って、大凧はどこまでも高く揚がってゆきました。

 無理だと思っていたことができると、心の底から喜びが込み上げてきます。みんなも同じ気持ちだったのでしょう。大きな歓声があがりました。糸を引く私は特に誇らしい気持ちでいっぱいです。青空を泳ぐ赤い大凧を眺めていると、「人生もこんなものじゃないか」と思えてきました。無理だと諦めてしまえば、それで終わり。「失敗すれば恥ずかしい」という気持ちを克服してチャレンジすれば、無理だと思っていたことも実現する。何度か失敗しても、成功はそのあとに必ず訪れる。なにか人生の縮図を見るようでした。チームワークの大切さも知りました。何度か失敗するうちに、みんなが意地になり、「揚げよう」という気持ちで心がひとつになってゆき、息が合い始めました。大凧が揚がったのはチームワークの成果です。他人からは遊びと思われる凧揚げにも、人生の教訓がたくさん詰まっていたのです。活動を通じて貴重な体験をさせていただき、感謝しています。

充実感を味わえた2日間の活動
国際観光学部3回生 掛尾敦史

 5月3日(土)に柏原市と藤井寺市で行われた大坂の陣400年祭イベントで、私たちは参加者を案内するボランティアスタッフとして活動しました。学生の全員が手作りの甲冑を着て、小松山合戦のノボリを掲げ、2人1組に分かれて、近鉄駅長お薦めハイキングのコースに立ちました。わかりにくい場所に立って道案内をする務めと、会場の雰囲気を盛り上げる役目を担っていました。ハイキングの道のりは坂道が多く、歩くだけで大変でした。案内は「こちらでござる」という武者言葉を使わねばならず、最初は恥ずかしかったのですが、参加者から「お疲れ様でござる」と返され、「ありがとうね、ご苦労さま」と言われると心が弾み、武者言葉も自然に出せるようになりました。ハイキングは1時間ばかりで大半の方が玉手山公園まで進んでイベントを見学しますので、道行く人もまばらになります。そこで全員が玉手山公園に移動して、石川河川敷までのコースに配置することにしました。案内は慣れてきましたので、こんどはスムーズに遂行できると思いきや、立ちっぱなしで足の疲れが激しく、公園の新緑に湧いた虫に悩まされて苦労しました。何とか午前中の任務が終わると、次は道明寺合戦の応援です。
 文化財に指定されている玉手橋を渡り、石川左岸の河川敷に下りると、昼からのイベントに出場する赤や黒の鎧武者たちがリハーサルをしています。戦国時代の合戦さながらの模擬合戦が開催され、それに続けて子供たちが主役のチャンバラ合戦が行われるそうです。武者たちがもつ槍は私たちが大学で製作したもので、それが使われている様子を見ると、苦労が報われた気持ちになります。ここでの私たちの任務は大阪城甲冑隊の創設者である河井計実さんが持参した大凧を揚げて、イベントがここで開催されていることを遠くまで知らせることでした。凧は赤いタコの形をしており、巨大ですので、こんなものが飛ぶのかと疑いましたが、留学生たちの奮闘もあり、最後はみごとに空高く舞い上がりました。見学に来た子供たちも大喜びです。なにか大きな務めを果たしたようで、充実した1日でした。

 翌日の4日(日)には天王寺公園で「天王寺真田幸村博」が開催されました。2日続けての活動です。任務は公園内に立ってパンフレットを配り、会場の案内をすることでしたが、大阪市内での開催とあって、前日とは人の数が桁外れに多く、まさしく人の波に呑まれるような気分でした。水上ステージでは次々と戦国ライブが行われ、公園のあちらこちらで女性たちが戦国コスプレを楽しんでいます。甲冑をつけた私たちもコスプレの参加者に間違われ、慌てる一場面もありました。美術館の横では道頓堀プロレスが開催され、自衛隊員がゲート近くの広場で救命の実演を行い、茶臼山のわんぱく広場に車両を展示してPRをしています。出展ブースにもたくさんのテントが並び、来場者で通行も困難なほど賑わっていました。この日最後の1時間は全員がゲート近くに集まって、パンフレット配りに専念しました。夕方近くになっても、あとから押し寄せる人の波は途絶えず、用意されたパンフレットが底をつきました。玉手山や道明寺、天王寺公園の付近は大坂の陣の激戦地です。活動を通して、合戦の歴史を多くの人々に伝えることができました。地域の活性化にも少しは貢献できました。充実した2日間でした。

日本人の考え方が少し理解できました
国際観光学部4回生 胡亜鵬

 2014年と2015年は大坂冬の陣・夏の陣から数えて400年目になるため、さまざまな記念行事が催されます。この連休には柏原市・藤井寺市・大阪市天王寺区で合戦イベントが開催されました。阪南大学はこのすべてに協力をし、とりわけ来村ゼミが応援をしています。5月3日(土)は午前中に柏原市の「小松山合戦まつり」を応援しました。朝の9時半から駅前の歩道橋広場で開会式が行われました。柏原市長と玉手山学園理事長が甲冑姿で挨拶をされ、その両脇に足軽姿の私たちが整列しました。大阪城甲冑隊の河井計実さんが吹く法螺貝の音でイベントが始まり、ハイキングの参加者が一斉に出発しました。
 ハイキングコースは10キロもあり、途中には迷いやすい所も多くあります。とにかく距離が長いので、目印として用意されたノボリも数が十分でなく、それを補うように私たちが道に立って目印となりました。笑顔でみんなにあいさつをすると、ほぼ全員から返事が来ます。ただ、コース前半の玉手山は急な坂道も多く、「つらいなあ」と音をあげる参加者も少なくありません。何人かに質問されたのはトイレの場所です。位置はマップに記されているのですが、そもそもコースの大半は普通の住宅街ですので、トイレが少なく、駅を出ると、次は玉手山公園までありません。駅で十分に済ませておくように、マップに大きく書いておくべきか、とも思いました。それにしても参加者は大半が中高年で、若者はたまにしか見当たりません。お年寄りはマップをもらってもわかりづらいのか、道に迷っている人が多く、おかげで道案内の仕事が多く、退屈をしませんでした。黒い甲冑は硬い紙でできており、軽くて着やすいのですが、風が通らず、日差しを受けてかなり熱くなります。この日はいい天気でしたので、汗が噴き出して困りました。
 翌日の天王寺真田幸村博は天王寺公園の全域を使って開催されました。場所が大阪市内であり、連休中ということもあって、前日の10倍以上の人が来たようです。気温も高く、夏のような暑さとなりました。公園のゲートに学生たちが集まると、来村先生は簡単に1日のスケジュールを説明されました。「会場の地図とスケジュールを頭に入れておけ」という指示です。前日と同じく2人1組で行動することになりましたが、学生の人数が15人でしたので、私1人が先生と組になって動きました。合計8組です。学生たちは公園のあちらこちらに配置されます。ただ、1日中同じ場所にいては、イベント全体を観察することはできません。そこで一定時間をおいて持ち場を順次変えてゆくことにしました。私は見回りの役目を担いましたので、公園内を自由に動き回ることができて幸運でした。音楽ライブ・スペシャルステージ・道頓堀プロレス・コスプレイベントなど、出し物も豊富です。それだけに、来ている人も前日とは違い、圧倒的に若者が多く、活気が満ち溢れています。真田幸村博のPR効果は絶大で、今後は経済的な効果も出てくるでしょう。

 私たちが配っているパンフレットにはスケジュールが書かれ、公園内の地図もついていますので、わかりやすく、来場者も自由にイベントを選べるのですが、あまりにもイベントが豊富であるため、「同じ時間帯に見たいイベントが重なる」と、私たちに苦情を投げかける人もいました。もう少し時間に余裕があるならば、重複を防げるのでしょうが、1日だけの催しですので、仕方のない一面もあります。難しいところです。先生から言われたように、大体のスケジュールと会場の位置は頭に入れていましたので、大抵は対応できたのですが、なかには変わった質問をしてくる人もいて、苦戦しました。その一方で、来場者との会話はためになりました。いろんな人に接していると、日本人の考え方も理解できるようになります。接客の練習にもなる活動でした。

天王寺公園で戦国イベントを開催する意義
国際観光学部3回生 全在艶

 5月3日と4日に、来村ゼミでは「小松山合戦まつり」「道明寺合戦まつり」「天王寺真田幸村博」のイベントを応援しました。私は特に天王寺真田幸村博での活動報告をします。その日の活動も前日に続けて黒い紙製の甲冑を着用して、案内・誘導・パンフレット配りの任務に当たりました。会場は天王寺公園でしたが、そもそも戦国イベントをこの地で行う意味があるのでしょうか。そのことを疑問に思いましたので、帰宅後に調べてみました。
 400年前に今の天王寺区では戦乱の時代から天下泰平の江戸時代に移るきっかけとなった「大坂の陣」の激戦が繰り広げられました。大坂の陣では多くの名高い武将が活躍しましたが、なかでも真田幸村の名はよく知られています。天王寺区の北部には大坂冬の陣で幸村が立て籠もって善戦をした「真田丸」の跡が残っています。また、真田の抜け穴とよばれる石組が三光神社の境内に残されています。大坂冬の陣で徳川家康に埋められた空堀も痕跡を残しています。天王寺公園にある茶臼山は大坂冬の陣では徳川家康が、夏の陣では真田幸村が本陣を置いたところです。また、幸村は茶臼山から出陣して家康を追い詰めましたが、善戦のかいなく、天王寺公園の近くにある安居神社で最期を遂げました。天王寺公園で大坂の陣のイベントを開催する意味は十分にあったのです。
 私たちは前日にお手伝いをした道明寺合戦のブースを本部として行動しました。周囲には戦国グッズを販売する店や戦国衣装の試着コーナーもあり、たくさんの人で賑わっていました。天王寺区が製作をしたイベントのパンフレットを配ることが私たちの任務でした。来場者の多くは戦国ファンで、戦国時代の歴史に興味があります。残念ながら私は留学生ですので、日本の歴史はあまり詳しく知りません。歴史のことを聞かれても、答えられないことが何回かありました。ただ、お客さんは優しく、留学生だとわかると、答え間違っても、笑って許してくれました。ありがたいことです。
 戦国グッズ販売のテントでは、戦国時代を思わせる記念品、武将のデザインがされたTシャツ、玩具の武器、戦国ゲームなど、ファンが喜ぶ品々を並べています。そこには長蛇の列ができていました。イベントは民間活力が支え、収益は地元に還元されています。これから2015年末までの2年間、天王寺区では真田幸村をテーマに、民間団体や民間事業者のアイデアを盛り込んだ、「歴史系」「エンタメ系」「武者・コスプレ系」「飲食・販売系」「市民参加地域連携」など、さまざまなジャンルのイベントが行われるそうです。

 天王寺公園での集客はキューズモールや今年オープンしたあべのハルカスなどの集客とあわせて、この地区の活性化に役立つものと思います。天王寺区にはたくさんの寺社や史跡がありますので、梅田や難波とは違った魅力づくりもできます。このたび天王寺区の魅力を広く発信してゆく事業に少しでも貢献できたことで、大きな達成感を覚えています。また、活動を通じて歴史を調べ、天王寺区のことをかなり理解できたことも収穫でした。今後とも積極的にイベントを支援していこうと思います。

暑さにも負けず頑張りました
国際観光学部3回生 チャン・シャオチ

 新学期最初のゼミ活動は5月3日(土)と4日(日)に行われた「小松山合戦まつり」「道明寺合戦まつり」「天王寺真田幸村博」のイベントを応援する活動でした。私は両日とも参加しました。2日間にわたる活動は楽ではありませんでしたが、その分、行動力と忍耐力が増しました。1日目は「朝8時半に近鉄大阪線の河内国分駅に集合」ということで、普段よりも早く起床しなければならず、眠い眼をこすりながら赴きました。合戦イベントの雰囲気を出すために、道案内役の私たちも黒い厚紙で作られた鎧を着て道に立たねばなりません。甲冑は強い日差しを受けて、相当に熱くなりました。暑さだけで疲れます。幸いだったのは、解志成君と2人1組で行動したため不安がなかったことと、道案内をしていて、ハイキングの参加者から優しい励ましの言葉をかけられたことです。「お疲れ様です」と言われると、疲れていても気持ちが高まります。
 ハイキングは参加者の固まりが前方へ動きますので、それに合わせて私たちも場所を変えました。ただ、コースは玉手山丘陵という小山を登ってゆきますので、移動するだけで大変です。立ち続けて疲れた足に坂道がこたえます。丘陵を下り、石川の堤防近くまで来たところで、再び道案内の任務につきました。ここでも1時間以上は道行く人に挨拶をし続けました。昼過ぎにようやく道案内からは解放され、続いては石川の河川敷で行われる模擬合戦やチャンバラ合戦の応援です。私たちの任務は大きな凧を揚げることでした。長さ10mばかりの蛸形の凧を揚げて、遠くからでも合戦イベントがここで行われていることを報せる活動です。大きな胴体に8本の長い足がついていますので、8人が凧をもって走りました。努力の甲斐あって、何度かの失敗ののちに、大凧はみごとに空高く舞い上がりました。凧が揚がったころに、模擬合戦が始まりました。50人ばかり甲冑武者が双方に分かれ、槍で突き合います。槍の大半は私たちが製作したものです。模擬合戦とはいえ、戦う人たちは本当の戦いをしているかのように真剣です。日本に来て、こんな迫力のあるシーンが間近に見られるとは思ってもみませんでした。
 2日目は天王寺真田幸村博のイベントを応援するため、天王寺公園に行きました。道案内とパンフレット配りが主な仕事です。案内役ですので、公園内の道やイベント会場を把握しておかねばなりません。そこで開場前の時間を使って、全員で公園内を回りました。公園の地形は起伏に富んでいて、道も複雑です。一度では覚えられず、不安をかかえたまま本番に突入しました。最初はただのコスプレイベントかなと思っていましたが、パンフレットを読むと、それは一部で、他にもイベントがたくさんあります。合戦の歴史も記されています。今から400年前にこの周辺で激しい戦いがあったそうです。それは戦国時代から江戸時代への分岐点となった大規模な戦いでした。イベントはその歴史を伝えるために開催されたと書いています。小松山合戦まつりや道明寺合戦まつりと同じく、単なる遊びのイベントではない、ということです。そういう意義を来場者に伝えなければならないのですが、言葉の壁が大きく、思うように伝えられません。それでも心は通じたようで、口々に「ありがとう」と言ってもらえました。

 昼を過ぎたころに、区役所からお弁当が配られ、ようやく一息をつきました。そのあとで休憩時間をいただきましたので、私たちも甲冑を脱いで、色々なブースを見て歩きました。ただ、どこもかしこも人だかりで、近づきがたい雰囲気でした。そして、休憩後に最後の仕事に入りました。再び甲冑をつけて、ゲートの内側で来場者を出迎え、パンフレットを配ります。全員が集まり、午後3時まで休みなく配りました。日差しは前日の倍ほどに強く、甲冑は風を通さないので、暑くてたまりません。それでも全員が我慢をして配り終えました。予想外の人出に区役所が用意をしたパンフレットがなくなり、終了となりました。2日間の活動で相当に疲れましたが、来村先生は学生のことを気にして、休憩をとらずに、前日もこの日もずっと歩き続けていました。顔も日焼けで真っ赤です。一番疲れたのは先生ではないでしょうか。本当にお疲れ様でした。

次回の活動は勉強して臨みます
国際観光学部3回生 西原まどか

 3回生になって、初めてのゼミ活動でしたが、いい経験をさせていただきました。活動は竹槍作りから始まりました。道明寺合戦まつりの模擬合戦で使用する槍で、強度と安全を考えなければなりません。製作は行程が多く、本数も50本でしたので、大変でしたが、どのように使ってもらえるのかが楽しみでした。5月3日にいよいよその槍を使うイベントが開催されました。午前中は柏原市側で開催された小松山合戦まつりをサポートしました。河内国分駅から玉手山丘陵へ向かうコースに立って道案内をすることが任務です。
 河内国分駅から近鉄駅長お薦めフリーハイキングが行われ、玉手山公園では戦国イベントが行われます。道に立ってハイキングの参加者を見ていると、小学生の子供から高齢者まで、幅広い年齢層がともに歩いています。どちらかと言えば高齢者が多く、私たちもつらく感じる急な坂道や歩きにくい道も元気に歩かれている姿が印象的でした。お年寄りは元気です。こちらから「おはようございます」と声をかけると、元気に「おはよう」と返して下さり、とても気持ちよく活動ができます。なかには「ご苦労様です、頑張ってね」と声をかけて下さる方もいて、足の疲れも癒されます。ただ、「この道はどこですか」「この建物は誰かに関連のある建物ですか」などと質問されて戸惑いました。事前の勉強不足で、地図の読み方や合戦の歴史に通じていなかったことが悔やまれます。道案内をするからには、史跡の位置や関連する歴史を調べておくべきでした。次回への反省点とします。
 昼過ぎに石川の河川敷へ移動すると、道明寺合戦まつりが開催されていました。そこでは赤の鎧と黒の鎧で身を固めた武者が50人ばかり模擬合戦のリハーサルを行っています。彼らが手にしているのは、私たちが製作した槍です。皆さん分厚い甲冑をつけて、動くのも大変そうです。いよいよ本番が始まると、戦闘の迫力が伝わってきます。真剣な顔つきで戦う皆さんの姿は精悍で、見応えがありました。続く子どもたちのチャンバラ合戦も楽しそうで、思わず参加したくなりました。この日はたくさんの見所があって、楽しい活動ですした。

 翌日の「真田幸村博」はキューズモールやあべのハルカス近くの天王寺公園で行われたこともあり、来場者は開園以来の数にのぼったそうです。この日も案内係りでしたが、自分自身も楽しませていただいた1日でした。配置を変えながら、何ヶ所かで案内をしましたので、公園の各所で行われているイベントを見ることができました。印象に残ったものは、コスプレイベントでした。一般の方、特に若い女性が自分の好きな武将になりきってコスプレをしています。衣装はすべて手作りだそうです。さすがに女性です。細かいところまで神経を配り、衣装や持ち物も繊細に作られていました。被写体になるときのポーズも決まっています。出展ブースエリアでは、戦国グッズなど販売店のほか、地元のPRをする自治体のブースも並び、イベントが地域振興に役立っていることを実感しました。オリジナルのグッズやその特産品を使った飲食品がふるまわれ、観光学の勉強になります。イベントの開催を知らずに来園された方にパンフレットを見せて説明すると、興味を持って下さいます。少しは役立っているのだと感じ、達成感を覚えました。初めてのゼミ活動は、反省点もありましたが。充実した2日間でした。

凧揚げは私の合戦でした
国際観光学部3回生 潘媛

 ゴールデンウィーク中の5月3日(土)と4日(日)に来村ゼミの全員が大坂の陣400年祭として行われた3つのイベントを応援しました。柏原市の「小松山合戦まつり」、藤井寺市の「道明寺合戦まつり」、そして天王寺区の「真田幸村博」です。3日の午前中に参加した小松山合戦まつりについて調べました。江戸時代初期の慶長20(1615)年に起こった大坂夏の陣では、小松山(玉手山丘陵北部)が戦場となりました。豊臣軍の後藤又兵衛基次が先鋒として小松山に登り、国分盆地に結集した数万の徳川軍と戦いますが、力戦して戦死します。河内国分駅をスタート地点とするハイキングコースは又兵衛の戦死した場所を通り、玉手山公園に向かってゆきます。
 私たちは、黒い紙製の甲冑をつけ、小松山合戦のノボリをもって道標の代わりとなりました。最初の持ち場は玉手山丘陵の北端に鎮座する片山神社です。全在艶さんと2人で1組になり、次々に訪れる参加者に向かう先を教えます。留学生なので、日本語もそれほどできず、合戦の歴史も詳しくなく、立っている片山神社についても、由緒がよくわかりません。何とか道案内の役には立っても、説明ができず、情けないことです。そのうち付近にお住いの年配のご夫婦から逆に片山神社の秋祭りのことを教えていただきました。1時間ばかり道案内をしたのち、次の案内地点へ移動しました。途中の古墳の上には後藤又兵衛に挑んで敗れた徳川方武将の奥田三郎右衛門の墓も立ち、登ってお参りする人も少なくありません。柏原市立老人福祉センター「やすらぎの園」のあたりが小松山だろうと言われ、近くには石碑も建てられています。このあたりからは西側の風景が展望できます。石川の向こうに大規模な古墳がならび、小松山の戦いに次ぐ道明寺の戦いや誉田の戦いが繰り広げられた戦場が一望できます。合戦の歴史を現地で感じることができました。

 午後からは玉手橋を渡り、石川の河川敷で行われる模擬合戦を応援しました。赤や黒の甲冑をつけた数多くの武者たちが本番の準備をしています。私たちが作った赤と黒の槍も使ってくれています。1時から模擬合戦が始まりました。両軍の指揮官は武道の達人のようで、演武は真に迫っています。400年前に、この地でこのような戦いが繰り広げられたのだと、想像が膨らみます。両軍の武者たちは必死に槍を突き合っています。模擬合戦とは思えない真剣さです。「負けたくない」という気持ちがこちらにも伝わってきます。平和な時代に住む私たちにも、武士の心が宿っているようです。大切なことです。模擬合戦が行われている一方で、私たちは蛸の形をした大凧を揚げました。ここでイベントが行われていることを報せるためです。誰もこんな大きな凧を飛ばした経験がなく、何回も失敗しましたが、失敗するたびごとに「絶対に飛ばしてみせる」という気持ちが強くなり、ついに空高く大凧が舞い上がりました。私も糸を引かせてもらいましたが、強烈な勢いで伸びてゆく糸で指に怪我をしました。糸はリールに巻きつけられていますが、リールが高速で回転するほど風が強く、凧との戦いになりました。それでも徐々にコツがわかり、最後には巻ききれないほど糸を伸ばし、凧は広い石川の対岸まで飛んで行ったようです。怪我はしましたが、大きな達成感がありました。凧揚げは私の合戦でした。

イベントにはハプニングがつきもの
国際観光学部3回生 平池晴菜

 小松山合戦まつりで道案内を務めさせていただきました。天候にも恵まれ、絶好の行楽日和となりました。この日の気温は24度で、分厚い紙でできた甲冑を着ての案内はとても暑かったのですが、ハイキングの参加者からは「何で出来ているの?」「自分で作ったの?」などと、甲冑を話題にしてに声をかけていただき、楽しく活動ができたことは幸いでした。ある参加者の方から竹を使った笛を頂戴しました。「鳥の鳴き声に似た音が出せる」ということでしたが、コツが必要なのか、なかなかうまく鳴らせませんでした。思わぬ交流でした。最初に立ったところは大和川沿いの細い道でしたが、車の交通量が多く、危険を感じるポイントでした。お声がけしたことにより、みなさん安全に通って頂けたことは幸いでした。次に配置されたところは、ハイキングコースで河内国分駅から4キロも離れたところで、石川河川敷公園の出口に当たります。参加者は暑いなか、かなりの距離を歩いてきたにもかかわらず、「ご苦労さま」と逆に何度も声をかけて下さいました。
 午後からは石川の河川敷会場に移動して模擬合戦とチャンバラ合戦の応援に当たりました。私は来村先生に代わって写真撮影を担当しました。模擬合戦は本格的な甲冑を着た大阪城甲冑隊や門同流兵法の道場の方々の戦国時代の合戦を再現しました。ゼミの時間に作った槍が使われていて、努力が報われた気分になりました。竹を芯にしてウレタンを巻きつけ、槍の部分も相当に手をかけましたので、それがどう使われるのかが楽しみであったのです。槍は激しく使われ、模擬合戦の迫力は想像以上でした。
 その後、チャンバラ合戦が行われました。参加者には子供も大人もいます。ウレタンの刀で相手の腕につけたボールを叩き落とすゲームです。合戦が始まる直前、子供たちはやる気満々で、今か今かと開始の合図を待っています。大人たちは「子供相手では真剣になれない」といった顔つきで、余裕を見せていました。ところが、試合が始まると、子供も大人もありません。大人たちもいつボールを狙われるかと戦々恐々のありさまです。みんな真剣な目つきに変わり、追ったり、逃げたりと、必死に走り回っていました。終了の合図が鳴らされた時には、全員が汗だくでしたが、楽しそうな表情をしていたのが印象的でした。

 翌日は天王寺真田幸村博の応援です。順番に場所を替えながら、会場案内をするのが務めでした。私たちが出展ブースエリアに来たときのことです。大変なことが起こりました。1人の女性が駆け寄ってきて、「様子のおかしい人がいる」と教えてくれました。行ってみると、女性が震えて地面にうずくまっています。ペアを組んでいた三好千夏さんがすぐに本部へ走ってゆきます。急病人についた私はうろたえるばかりです。「どうしましたか?」「大丈夫ですか?」と声をかけるのがやっとでした。ただ、本人からは反応がありません。応答がなく困り果てていると、1人のお年寄りが「どうしたの。しんどいの。これで体を冷やしなさい」と言って保冷剤をくださいました。その後、しばらくして意識がもどり「こんなに暑いと思わなかった」と一言。それでも言葉を聞けてホッとしました。誰もが動揺してしまう場面で冷静に判断して氷を下さった方に感謝しなければなりません。イベントにはハプニングがつきものですが、大事なのは、とっさの判断であることを痛感しました。

多種多様の演出がなされたイベント
国際観光学部3回生 牧野千佳

 2日間にわたる大坂の陣400年祭のイベントにボランティアスタッフとして参加させていただきました。1日目の小松山合戦まつりと道明寺合戦まつりでは、10kmのハイキングコースのところどころに立ち、参加者の方々にコースの誘導をさせていただきました。私たちが道端に立って道案内をしていると、ほとんどの参加者の方々から「ありがとう」「頑張ってください」とお声をかけて下さり、とても励みになります。午前中にハイキングは粗方終了しましたので、午後からは石川の河川敷に移動して、道明寺合戦まつりの応援に当たりました。
 イベントは朝から夕方にかけて、大阪芸術大学忍術研究会による「約束の地」再現パフォーマンス、国際武術文化連盟と大阪城甲冑隊による模擬合戦、大阪スポーツチャンバラ協会による競技大会、ゼロワンによるチャンバラ合戦〜戦IKUSAなど、当時の合戦を思わせる演目が続きます。私たちが河川敷に到着したときには、スポーツチャンバラ大会が終わり、模擬合戦のリハーサルが行われていました。模擬合戦は道明寺合戦で真田幸村と伊達政宗の軍勢が激突した「誉田の戦い」を想定したもので、黒い甲冑をつけた武者が伊達方、赤い甲冑をつけた武者が真田方です。演者の中にはリハーサル中に槍が顔に当たり、怪我をされた方もいて、本番でも真剣な戦いが繰り広げられました。大迫力です。チャンバラ合戦は大人と子供が混ざって楽しめるイベントです。肩に付けたボールを命に見立て、自分のボールを守りながら相手のボールを狙う競技です。4、5回にわたり合戦ゲームが行われ、そのつど参加者は必死になってウレタン製の刀を振るいます。子供はすばしっこく、大人に負けていません。むしろ子供のほうが強いように見えました。

 翌日は天王寺公園で真田幸村博が行われ、私たちはパンフレット配りや会場案内を担当しました。公園内は、出展ブースエリア・水上ステージ・映像館・美術館前広場・美術館横駐車スペース・コスプレイベント受付・茶臼山・わんぱく広場など、8ヶ所の会場が設けられました。出展ブースエリアでは、戦国グッズ・グルメ・特産物の店舗が並び、ゲート近くでは自衛隊の救命実演が行われました。水上ステージでは、殺陣・歴史トークショー・音楽ライブ・演武などが行われ、映像館では戦国BASARAや戦国無双アニメが上映されました。美術館前広場では、前日に続けてゼロワンによるチャンバラ合戦が開催され、美術館横駐車スペースでは、道頓堀プロレスが観客を楽しませました。コスプレイベントは河底池や茶臼山で戦国BASARAのキャラクターに扮した女性たちが思い思いに写真撮影をしていました。彼女たちの衣装や持ち物は手が込んでいて、完成度の高さに驚かされました。趣味の世界とはいえ、思い入れの強さに心を打たれました。わんぱく広場では迷彩服を着た自衛隊員が車両を展示して、来場者に乗車させています。隊員の動作とおもてなしの心に感動しました。2日間のイベントは天候も良く、ゴールデンウィークということもあってか、いずれも大盛況で、真田幸村博は老若男女問わず、多くの方々がイベントを楽しんでいました。応援をした私たちも大坂の陣に対する関心が高まり、知識が増えました。実に有意義な活動でした。

事前の勉強と打ち合わせが必要です
国際観光学部3回生 三谷岳史

 5月3日に柏原市と藤井寺市で開催された大坂の陣400年祭イベントに手作りの甲冑を着てスタッフとして参加させていただきました。このイベントは400年前に豊臣側の軍勢と徳川方の軍勢が激突した古戦場を歩き、合戦の勇ましさや悲惨さに思いを馳せるために企画されました。この日は近鉄大阪線の河内国分駅と南大阪線の道明寺駅で同じコースの駅長お薦めフリーハイキングが行われました。これは近鉄で初めての2駅同時開催であると聞いています。私たちは河内国分駅をスタート地点とする参加者たちのために、駅から玉手山公園までのコースに分かれて配置し、甲冑武者姿で道案内を務めました。合戦イベントの雰囲気を出すために、当時の武士になりきり、「あちらでござる」「坂道に気をつけるでござる」などと、にわか武者言葉で参加者に声をかけました。ハイキングには子供からお年寄りまで幅広い年齢層が参加していましたが、声をかけると、必ず笑顔で「ありがとう」と返して下さいます。中には「かたじけない」といった武者言葉で返して下さる人もいて、温かい交流ができました。楽しそうにしていただけると、甲冑姿で立っている意義が感じられます。ただ、そういう嬉しさの反面、反省点もあります。「ここは何があった場所なのかな」との質問に、知識のない私は答えることができませんでした。聞いてこられたお年寄りは残念そうな顔をして去って行かれました。もう少し勉強して臨むべきであった、と反省しています。
 石川の河川敷で行われた模擬合戦では私たちが製作した槍が使われ、実戦さながらの演武が披露されました。槍を激しく突いたり振ったりしている様子は真に迫るものがありました。私たちは演武の後方で巨大な凧を揚げて、会場に彩を添えました。初めはうまく飛ばせず、凧糸も2度切れて諦めかけましたが、くじけずに挑戦しているうちに、空高く舞い上がりました。やみくもに飛ばそうとしても駄目で、風向きを読むことがコツであることに気づいたのです。真っ赤なタコの形をした大凧は遠方からでも人目を引いたに違いありません。大きな達成感を味わいました。

 翌日に天王寺公園で開催された真田幸村博では、開園前からゲートの外に多くの戦国ファンが詰めかけ、これまでにない人出となりました。イベントにはグッズや飲食店のブースがたち並び、コスプレ会場・道頓堀プロレス・チャンバラ合戦・自衛隊の車両展示など、さまざまなイベントが用意されていました。それらは広い公園の各所で行われるため、私たちは手分けをして道案内とパンフレット配りの任務につきました。前日の反省を生かし、イベントの内容やスケジュール、トイレの位置などを事前に確認しておきました。公園奥のわんぱく広場に詰めた大阪城甲冑隊はときおり美しく整列して会場内を行進します。甲冑隊創設者の河井計実さんが真田幸村の姿でホラ貝を吹くと、来場者も足を止め、写真撮影を始めます。戦国の雰囲気づくりに甲冑隊は大いに貢献していました。来場者の数は午後になっても衰えず、次々とゲートに入ってきます。最後の1時間は全員がゲート内の道に立ち、パンフレット配りに専念しました。私たちも甲冑姿をしていますので、少しは雰囲気づくりに貢献できたのでしょう。真田幸村について熱心に語りかけてくるファンもいました。パンフレットは入ってくる人だけでなく、出てゆく人も受け取って行かれます。ある人から「最後になって、やっともらえたわ」との一言。私たちが懸命に配ったにもかかわらず、まだまだ配り足りていなかったようです。配る位置にも工夫をしなければならない。次回への反省点です。

イベントには熱中症対策が必要です
国際観光学部3回生 三好千夏

 私は来村ゼミの学生ではありませんが、友人の平池晴菜さんに声をかけられ、参加を願い出たところ、快く誘っていただきました。参加したのは5月4日に天王寺公園で開かれた「天王寺真田幸村博」です。突然の参加でしたので、それがどのようなイベントなのかもよくわからないまま臨みましたが、集合場所のゲート前に来てみると、開園前から戦国ファンが長い列を作っています。そこで初めて規模の大きさに驚きました。ボランティアスタッフとして、名札を支給されて首からかけていると、1人から「グッズが買えるのはどこですか」と、いきなり質問され、戸惑いました。戦国ファンの熱い思いが感じられます。歴史イベントと聞くと、なんとなく堅苦しく、中高年対象の企画であるように感じられますが、並んでいる人はほとんどが若者です。戦国BASARAなどのゲームやアニメのグッズ販売、戦国衣装をつけてのコスプレ、武者たちの戦国ライブなど、サブカルチャーへのあこがれが若者たちを惹きつけるのでしょう。
 私たちはかつて先輩たちが製作した黒い紙製の甲冑をつけて公園内の各所に立ち、会場の案内に努めました。事前に公園を歩いて各ブースの位置を確かめ、渡されたスケジュール表を見て、イベントの流れを把握していたのですが、手持ちの資料に記載されていない事柄もよく聞かれ、戸惑いました。わかる限りで案内はしましたが、事前にもっと不明な点を確認しておけばよかったと、反省しています。天王寺公園の付近にあるお寺への行き方を聞かれた際、その方が持っていた地図と会場内の地図を照らし合わせてなんとか説明することはできましたが、その方が何も持っていなければ、絶対にわからなかったことでしょう。イベントマップだけでなく、周辺の地図も必要です。色々なことを想定して、事前に必要な資料を準備しておく。そういう配慮をこれから心がけます。

 道案内のさなか、大変なことが起こりました。会場内で最も人が集まる飲食店や限定グッズの販売エリアに立っていたときです。「あの人、様子がおかしいよ」と、テーブルで食事をしかけた人が何かに気づいたように私たちに声をかけてきました。駆けつけると、1人の女性が地面に座り込み、痙攣のような症状が出ています。夏のような日差しで、猛暑に近い気温でしたので、熱中症かと思いましたが、素人には対処のしようがありません。ペアになっていた平池さんにその場を任せて、私は本部のあるブースへ走りました。私が本部へ行っている間、平池さんが女性の身体を冷やしたり、水分補給を促したりと、対応をしてくれていたそうで、私が戻るころには痙攣もおさまり、意識もはっきりされていてホッとしました。その後、イベント本部のスタッフが女性を救護室へ連れて行かれました。幸い大事には至らなかったようですが、熱中症の怖さを思い知らされました。実際に熱中症で苦しむ人を見たのは初めてでしたので、ショックを受けるばかりでした。こういうイベントが暑い季節に行われる際は、スタッフがその対処法を学び、適切な対応をすることが大切です。そして、自分自身も熱中症で倒れないように心がけねばなりません。こういう予想外のハプニングもありましたが、大きなイベントにスタッフとして参加して、経験を積むことができました。大坂の陣400年祭はこれからも続くそうですので、また参加させていただきます。