2018.11.22

グローバル経済と地理的不平等=格差のメカニズム~「政治経済」と「地理」「歴史」の総合的ロジック~

市場経済モデルと「時間」「空間」の摩擦・障壁

近年のグローバル経済は、国境を越えた市場経済化を地球的規模で進行させている。高校の政治経済などの社会科の教科書で学ぶ「需要-供給」の市場経済メカニズムのモデルが、いつでも、どこでも、時間や空間を問わず成立する、成立させるべきだという見解が、現実のグローバル化にともない、一つの共通認識になりつつある。「需要-供給」のモデルというのは、横軸に数量、縦軸に価格を取り、それぞれ負の傾きをもつ需要曲線、正の傾きをもつ供給曲線が交点で交わって均衡し、最終的には「市場取引は需要と供給の一致」で価格と数量が決まるという考え方である。高校で教えられる、こうした内容の簡単なモデルは、市場の外部の第三者が指揮者となって、需要者(消費者)と供給者(生産者)が全員集まって、    需要も供給も過不足なく調整し、均衡状態に落ち着かせる中央集権的な市場を想定しているイメージとなっている。外国為替や株式市場、世界から原油や穀物が大規模に集散する取引市場、国内では築地市場のように生鮮野菜や魚介類が全国各地から集まってくるような市場の分析としては、極めて有効であるし適切であろう。
しかし、このようなモデルは、グローバル経済の現場では、広く消費者や生産者が地理的に分散し、集中的に取引する場は存在せず、取引が成立するには、時間や手間ひまがかかるなど、「時間」や「空間」(距離)の制約や摩擦により、結果的に売れ残りや不足が生じると考えるのが現実的である。実際の市場取引では、モデルで示される均衡状態=最適性は達成されないし、実際、それに目をつぶらなくてはならない局面が多い。
すなわち、モデルにおける需要<供給 需要>供給の不均衡状態のもとで「安定」して収束することになる。このことは、グローバル経済の下では、国境を越えて経済活動の規模が拡大し、利益を求めるビジネスに世界を舞台に活動し、大きなマーケットを揺ぎなく確保するビッグ・チャンスを提供することになる。

ネットワーク外部性と圧倒的な独り勝ちビジネスの出現

 グローバル経済活動の現場で、至る所で分散的・局地的な市場で日々行われる取引にともなって、供給されない物品や消費者のニーズが満たされない製品が「均衡」において実現している状態に理論的基礎を与えた研究として、「サーチ理論」(2010年にノーベル経済学賞)というのがある。以下では、この理論と極めて親和性のある「ネットワーク外部性」という考え方を使って、今日のグローバル情報化時代の企業戦略の姿を描き出すことによって、高校で学習する「需要-供給」モデルを発展的に考えてみることにする。「ネットワーク外部性」とは、ユーザー(消費者)の数が増えれば増えるほどその製品やサービスの価値が高まり、すなわち、同じ製品やサービスがどれだけ多くのユーザーに利用されているかに依存し決まることをいう。「市場取引の世界」の外部に何らかの影響を与えることを「外部性」といい、たとえばスマホの利用価値は、その性能だけでなく、そのスマホがどれだけ多くの人々に使われ広く普及しているかに大きく依存する。利用者が少ない段階では、双方向型の情報のやり取りができるコミュニケーション手段としてのスマホの場合、その利用価値はそれほど高まらない。グローバル時代のデジタル情報が大量に迅速に流通・拡散・交流する
社会では、この「ネットワーク外部性」は、利用者が増加すればするほど、購入価格を超える「利用価値」をユーザーに与えることになる。しかし、こうしたネットワーク外部性が働く場合、一般にユーザー数が少なく、その製品価値が高まらない時点で均衡してヒットしない状態、もう一つは、ユーザー数が高密度に増加して、その製品価値が圧倒的に高まる時点で均衡する状態の2つの安定状態が生じると考えられる。×印で表される需要-供給モデルに即して説明すれば、供給曲線に二次曲線型の需要曲線が2カ所で交わり、それぞれ安定した均衡点で安定した状態が生まれることになる。
 この「ネットワーク外部性」が作用すると、当初はほんの些細なことで競争上の優位性が生まれれば、他の同種の製品を圧倒して、自律的にユーザー数が累積的に拡大事態となり、独り勝ちのビッグビジネスが出現することになる。古くは、ベータを押し退け、VHSが市場を独占的に席巻した事例、最近でいえば、HD-DVDとの競争で、ブルーレイの圧倒的勝利として決着がついた事例などは、こうしたメカニズムが働いているといえる。同じ同種の製品同士の勝敗の要因は、両者の製品の実用的機能上の差ではなく、ほんのちょっとした「偶然」でユーザー数の密度が高まると、あとは雪崩をうってユーザー数を増殖させる「ネットワーク外部性」のメカニズムに求めることができる。今日のグローバル経済下のデジタル情報の世界では、当初の「偶然性」やきっかけを足掛かりに、「偶然」が「偶然」でなくなる範囲を超えて、それには抗しがたい「必然性」の流れが強力に推進される傾向にある。このことは、21世紀のIT時代だけではなく、過去の歴史の流れを秩序づけて考えるときにおいても有益な思考的枠組みや視点を提供してくれるかもしれない。

「豊かな地域」「貧しい地域」の地理的不平等のメカニズム

 高校の教科書で学習する「需要-供給」の市場経済モデルは、世界の「いつ」「どこでも」普遍的に成り立つことを前提としている。いわゆる「時間」「空間」の制約要因を考慮に入れていない非現実的なモデルであり、実際問題、スムーズに需給の調整が行われ均衡の状態に落ち着くことは至難の業であろう。しかし、現在、ITの急ピッチの発展による情報通信コストや輸送コストの低減は、多数の供給(生産者)や需要(消費者)が世界各地でバラバラに活動することを可能にしつつある。さらに、今後時間距離の短縮による空間の収縮が格段に進む現実から予測できることは、理論的な極地として、世界地図の中に無数の生産者や消費者は均等に配置されることを展望することができる。それは、グローバル経済化によって、市場経済を全面的に浸透させることを主張する人たちの理想郷の空間的表現でもある。
「空間」(ただし、ニュートン力学的絶対空間)それ自体は、経済活動を無限に全方向に拡大させる「平等化」の志向をもつ容器である。しかし、現実の世界を見渡せば絶対豊かな繁栄する大都市にますます人口や産業が集中し、その一方で、人口流出に歯止めがかからず経済的に衰退する貧困地域が存在している。市場メカニズムがその中で自律的に機能する、地理的分散の均等配置=均質空間ではなく、現実の世界は、経済活動の一方での集積=高密度と他方での分散=低密度という不均等空間が生み出され、それを反映した地理的不平等(格差)の問題が深刻化している。
 そのメカニズムの基本は、上の「ネットワーク外部性」に象徴されるように、圧倒的な独り勝ちのビッグビジネスの登場よって、小規模の多数の生産者の存在と競争を前提とする「需要-供給」モデルが成立するような現実はすでに存在し得ないことである。さらに、「ネットワーク外部性」にみられるように、消費者(労働者)が地理的に集中して住むことによって、その生活や雇用における多様な欲求を満たす「利便性」(働き住むことの価値)を高めながら、同時に同じ職種でも高い賃金(高付加価値)を創出する産業を生み出し、人口と産業の相互に累積的な拡大をもたらしている。「需要」の地理的集中にともなうスケールメリットの効率性を発揮できるビッグビジネスの立地効果のうえに、大都市で生活することの魅力や快適性が付け加えられて、消費者(労働者)の「利便性」が高められている。こうした他地域からの人口移動が地域間の空間的差異をもたらし、一方における「利便性」の縮小と口減少の累積的な悪循環を形成する低位安定の均衡状態に落ち着かせ、貧困地域として常態化させている。さらに、情報通信や輸送コストの低減が、遠距離にある遠隔地からでも、様々な製品や農産物を運ぶことが可能となるので、地理的集中により一層の拍車をかけることになる。しかし、忘れてはならないことは、同じ情報通信や輸送コストの低減や、地理的集中による「利便性」の低下は、一方では地理的分散のベクトルを作用させる力となることである。しかしながら、その場合でも、既存の地理的集積地の周辺に外延的に分散させることになり、地理的集積地をますます大きくしていき、巨大なメガロポリスを形成する要因となる。この意味で、東京首都圏は群馬県や栃木県、茨城県などをも巻き込み、東京から遠く離れた諸県まで広がりつつある。このようにみると、話題の超高速リニアが開通した場合、どうなるかは想像に難くないであろう。
 現在、「需要-供給」の市場経済モデルの空間的表現である均質空間=経済活動の均等配置は、グローバル経済=市場経済の地球的規模での普及のもとで、地理的集中と分散、高過密と低密度の空間的差異を生み出すメカニズムが働き、絶え間ない「平等化」を生み出す絶え間ない「不平等」の運動の中にある。そして、それは歴史的な「偶然性」(些細な出来事)がきっかけとなって、「偶然性」の範囲を超える多国籍ビジネスの活動が主導して、もはや「偶然性」とはいえない自律的な「必然性」の歴史の中での強制力となっている。